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【幸せのストック】 お寺のよこ 光岡

2010年04月05日 | お寺のよこ

私事で恐縮ですが「お寺のよこ」で管理者業務を行うようになってもう少しで1年となります。私にとってこの時間は長かったような短かったような・・・。
楽しいことから大変なことまで様々な出来事がこの1年間にありました。そういった時間の中で管理者になって強く思うようになったこと。それは「人に支えられて生きていることの有り難さ」でした。「お寺のよこ」自体沢山の人達に支えられて存在していると言えます。入居者のご家族、地域住民の方々、福祉・行政関係者の皆さん、何より入居者の方々の逞しい力によって支えられていることは言うまでもありません。
今回はその「お寺のよこ」を支えている要素の一つ、働いている仲間・スタッフのことを書きたいと思います。
「お寺のよこ」では常勤、非常勤含めて10名が仕事をしています。年齢層も様々で20代から60代まであらゆる年代の人がおり、当然のことながら個性や考え方も多様です(男性3名、女性7名)。入居者さんへの関わり方もそれぞれ異なり、時に入居者さんと見事なアンサンブルを奏でることもあれば、歪な不協和音がかき鳴らされることもあり
ます。人間関係は多様ですし、私はその事はさして重要なこととは思っていません。大切なのは調和が取れた時、不協和音であった時、そのいずれの場合でも自らを振り返り見つめ直すこと、入居者さんのその際の姿を再度思い描くことかと思います。そういった振り返りをする事により、入居者さんとより良い関係を作り上げることが出来るかもしれないですし、入居者さんが生活を営む上で適切なお手伝いが出来るかもしれません。何より、その振り返りが人を支えている行為が実は人に支えられていたことに気づく契機になるのではと感じています。
「お寺のよこ」のあるスタッフの話です。そのスタッフが入職して間もなくのこと、今はお亡くなりになられたIさんという入居者さんがいらっしゃいました。居室は2階にあるのですが、足腰の力が低下されており階段の昇降はかなり体力の消耗を要することから起床、就寝時以外は1階の居間で過ごされることが多くなっていました。
ある日、Iさんと仲良しだったTさんが昼下がりの時間に訪問されました(Tさんは以前「お寺のよこ」で仕事をしていたスタッフです)。IさんはTさんとともにIさんの居室に行かれ、昔のアルバムを見たり、一緒に歌を歌う等してとても楽しそうな時間を過ごされていました。その場面を見たスタッフは感銘を受け、自分たちがIさんを如何に限定した枠の中でしか接していなかったかということを話しました。
時間は経過し今年の2月のこと。Mさんという入居者がいらっしゃいます。Mさんは昨年体調を崩され2週間強入院されていました。退院後は体力が少し低下されたご様子で2階にある居室ではなく殆どを1階の居間で過ごされることが多くなりました(階段の昇降もかなり難しくなっていました)。そのMさんも今年に入り少しずつ体力が回復されてきたご様子が見られ始めました。先述のスタッフはMさんの身体の様子を見ながらともに階段を昇って居室に行き、30分程度馴染みのあるものや空間に触れながら時間を過ごしました。居室のMさんはとても嬉しそうなご様子だったそうです。
スタッフの意識の中にIさんとTさんの姿があったかどうかは分かりません。ただ、入居者の方々の望みを考え大切にした関わりが時間を越えて受け継がれていることを私は実感しました。IさんやMさんの嬉しそうな表情に我々スタッフは支えられていることは当然ながら、その表情を導き出すお手伝いをしたスタッフ達に、「お寺のよこ」や自分は支えられているのだと感じました。
先述したようにこの1年は色々なことがありました。その中で入居者さんやスタッフ達の姿から幸せな気持ちになれるようなものを沢山もらいました。私はその「幸せのストック」を時折引っ張りだしては「にやり」と思い出し笑いをしてみたり、自らを奮い立たせる糧として活用させてもらっています。
残念ながら先述のスタッフ・及川はこの春で一身上の都合により「お寺のよこ」を退職します。彼女の中に数多くの「幸せのストック」が存在し、次の一歩を踏み出す上での糧になってくれればと思います。

【退職の挨拶】   お寺のよこ 及川 加菜子

真に勝手ながら、この度一身上の都合により、「お寺のよこ」を退職する事となりました。「どっこいしょ」では、私の地元である岩手県遠野市に語り継がれている「遠野物語」を紹介してきました。
もっと沢山紹介していきたかったのですが、最後になってしまいました。「オシラサマ」というお話を最後に紹介させてください。
「オシラサマ」
昔ある所に、貧乏な百姓がいだったずもな(百姓がいました)。おがだ(妻)早くになくしたども、とっても美しい娘っ子がいだったど。そして一匹のこれまた、めんこい(かわいい)馬っこあづがってらったど(馬を飼っていました)。 娘はこの馬が好きで、いつも馬屋へ行って話しをしていましたが、その内、夜になると馬屋へいって休むようになりました。そして、年頃になると、娘は馬と夫婦になってしまいました。 おど(父)も、おかしいおかしいとおもってらったずが、ある晩、一緒にいるどご見つけてたまげで(びっくり)しまったど。そして、なにもかにもごせやげで(どうにもこうにも腹が立って)馬の事、憎らしくなったんだど。
次の日、娘が居なくなるのを待って、おどは、やんたがる(嫌がる)馬を連れ出したんだど。そして高い桑の木にぶら下げて、ドンガリと殺してしまったんだど。
その晩娘が帰って来て見たところ、可愛い馬が居ないのでおどに尋ねました。おどははじめはごまかしていましたが、とうとう白状してしまいました。娘はたまげで、桑の木へ走って行きました。そして、死んでしまった馬の首さ抱きついで、泣ぐが泣ぐが泣いだんだと。あんまり泣くもんだから、おどはまた憎らしくなって、斧を持ってきて、後ろから馬の首をボッズラと切り落としてしまいました。すると、なんとその馬の首は、娘を乗せたまま、たちまち天に昇ってしまったんだとさ。どんどはれ。
オシラサマとは、この時できた神様で、馬を吊り下げた桑の枝でその神像をつくりました。馬と娘の顔に棒がついているものです。ボンボンの付いた太鼓のばちのような形で、毎年着物を重ねて着せていきます。現在もその習しは代々受け継がれていますので物凄い数の着物を身に付けていて、着膨れしてます。少し気味が悪いですが、なんとも神秘的なオシラサマです。私は、退職後遠野に帰ります。お寺のよこで経験してきた事全てを大切にして、オシラサマの様に毎年ひとつずつ、自分が大きくなっていけるよう、これからもがんばって生きていきます。
皆様、今まで大変お世話になりました。本当に有り難うございました。それでは、またどこかでお会いしましょう。

10:02 | Posted by admin