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【グット デイ】 お寺のよこ 安藤

2010年06月05日 | お寺のよこ

少し前のこと、体調を崩してしまい病院へ行った。
待合室で、思いつめた表情でもしてしまっていたのだろう。ボーッとしていると、目の前を車椅子が通り過ぎた。その時「グット ディ~」そんな言葉が私に投げ掛けられた。
穏やかで優しくて、温かい声だった。顔を上げると、そこには小学生の高学年ぐらいの少年がいた。少年の後方を、付き添いだろうか、その少年のお母さんと、おばあちゃんらしき人がいる。とっさに「ありがとう」と少年に伝えた。少年もお母さんもおばあちゃんも3人そろって何だかとてもキラキラしていた。
少年には、手と足が普通の人間の半分程しかなかった。少年には「ないもの」を私は持っていた。そして、私には「ないもの」を少年は持っていた。でも、少年にはそんなことはどうでもいいみたいだった。電動車椅子を自在に操作し、待合室を自由に移動していた。
少年は「あるもの」を見ていた。私は「ないもの」を見ていた。それは、もう長年、私が気付けていないことだった。
それからというもの、私はとても分かった気になって親しい友人にメールを送る際には「○○○ちゃん、グット ディ~」と語尾に決めゼリフの様に使用する様になった。
「グット ディ」=「よい日」という事で、よい1日・素敵な1日をお過ごし下さい。そんな意味が込められているものと思っていた。しかし、実際に現実はどうだろうか?
人生がつまらないと感じた時、疲れている時、嫌なことがあった時、分かっていても自分と他人を比べてしまう時、果たして「今日はとても良い日だな~」と、言えるだろうか?
もしくは1日の終わりに「今日はとても素敵な1日だったなぁ~」と、思えるだろうか?
プラス思考がよしとされている人生でも、不安や心配で心の中がいっぱいの時や疲れている時は、とても前向きには考えられない。以前の私は、それでも前向きに考えようと躍起になっていた時期があった。気付くと肩コリに随分悩まされた(今では前よりも楽になりました)。そもそも、良いことがあった日だけ「グット ディ」なのか?そんな自問自答を繰り返していたある日、携帯電話のネットをいじくりまわしていると「良い日とは、自分にありがとうが言える日」そんな言葉がのっていた。
あれもダメ、これもダメと、長年自分に対してそんな風にしか思えなかった。自分を大事にすることは、わがままになるという事ではなくて、自分という人間を通して世の中や他人を見ているのであるから、とても大切なんだと、あの日、少年に教わった。
新緑の美しい季節となりました。

10:03 | Posted by admin