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【感動×∞(無限大)】 松林

2013年07月23日 | きみさんち

仕事中にふと思った事がありまして。

綺麗な椿の花を見ている利用者さんが、私に声を掛けてくれました。
「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。
「本当に綺麗だね、こんな綺麗な色に咲くんだね」と私。

その数分後に「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。

その後も何度も声を掛けられ、その都度、綺麗な花の事を告げられている。

私がきみさんちに来たばかりの頃であれば、その声掛けに、ずっと付き合っていたかもしれません。
慣れてきた頃には、その思いを違う所に切り替えていたかもしれません。
そして、今、その言葉に、ずっと付き合っている私がいます。

それはどうしてなんだろうと、ふと、考えてみました。

認知症の利用者さん、言動を直ぐに忘れてしまいます。
ですが、そのときは、単に忘れて何度も同じ事を言っている様に聞こえなかったのです。
そして、そこに感じたものは、綺麗な花に向けた感動でした。
言動を忘れてしまうという事実は、さぞや驚異を伴うことでしょう。
しかし、ひとつの出来事を何度も体験できるという『特権』もあるのかもしれないな、と思いました。
何時も新鮮な思い。何度も感動できる出来事。

そんな思いでその方の言葉に付き合っていたら、本当に何度も良い笑顔を向けて「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と言っています。

忘れてしまうことは残念な事かもしれませんが、忘れるがために楽しめる現実は山ほどあります。
そんな現実を作って行くのが、私の仕事なのかなと、深く思った「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」のセリフでした。

そのセリフを5・6回聞いた後、急に「最近、あの人見掛けないな。どうしたんだ?」と、数ヶ月前に亡くなられた利用者さんの事を聞かれました。
「どうしたんだろうね?」で良いのかも知れませんが、事実を述べました。
するとまた数分後、「最近、あの人見掛けないな。どうしたんだ?」と聞かれます。

マイナスイメージに対しては、流石に話を切り替えました。
「この花、綺麗に咲いたね。蕾もまだまだあるから楽しみだね」
「ホントだな、綺麗だな」

するとまたまた数分後「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。

感動とは至る所に存在致します。

00:49 | Posted by admin