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【憂い、今後の行く末】  きみさんち 田中

2022年04月30日 | きみさんち

そういえば遠出してないなー…!!
ある時の夜勤で、きみさんちのアルバムを眺めふと思った。
コロナ前のきみさんちでは毎年のように皆でどこかに出かけていた。
精進湖湖畔の宿へ1泊旅行。秩父までぶどう狩り。横浜に出向き中華街でお食事等々・・・。
コロナの波に抗えず、自粛自粛の2年間、そして今年で3年目である。
巷で流れるニュースも暗い話題が多い中、唯一ホッとさせてくれるのが春の便り、桜の話題が出てくれた事か。
この原稿をかいている時はまだ4月だと言うのに、もうすでに台風1号が日本の横を通過、小笠原諸島を直撃している。
きみさんちの皆さんはこの3年間で大きく体調を崩す人もおらず元気なのだが、なにせこのご時世、バスに乗ったり電車に乗り遠出をすることが難しい。
皆さんの元気が空回りしているように見えてしまう。
何とかしないと…と思ってみても外は雨だったりして手付かずの花壇に雑草が生い茂っている。
地球の今後はどうなって行くのだろう。コロナは休息に向かうのだろうか?
憂いていても仕方ないので、出来る事をこつこつときみさんちの皆さんと一緒に模索しようと思う今日この頃なのです。

10:30 | Posted by kimisanchi

【芽吹きのとき】 きみさんち 志寒

2022年03月31日 | きみさんち

「え~、できないよぉ」とTさんは仰います。しかし、台所まで来ていただき、実際にごぼうと包丁を手にとってもらうと、自然に包丁の背で皮をこそげ始めました。身体で覚えた動作は認知症が進行しても覚えていることが多いと言われています。料理はその代表的なものです。ですが、やり通せるか自信が無かったり、作業を頭の中で構成することが難しかったり、調理をスタートする踏ん切りがつかなかったりと、尻込みして動けなくなってしまうこともしばしば。そんな時にはどんな言葉を掛けるよりも、食材を手に取り、具体的な手がかりを感じてもらうのが良いきっかけになることが多いようです。
ファイル 605-1.jpg特に、ごぼうは皮をこそげた後ささがきにする、じゃが芋は洗うと皮をむき芽を取る、キュウリは小口切りにして塩で揉むなど、食材によって特有のお馴染みの動作が呼び起こされることがあります。そうして呼び起こされた動作の流れは止まることなく、ごぼうのささがきなら金平ごぼうに、キュウリの塩もみなら酢の物にと、少しのヒントと手助けで完成までたどり着いたときの、入居者さんの晴れ晴れとした表情にこちらも笑顔を誘われます。
ちょっとしたきっかけを手がかりに、次々と巧みな手作業が引き出されていく。それはまるで春先の芽生えから枝葉や花が生まれていく、そんな瞬間です。

09:04 | Posted by kimisanchi

【ザッピング】 きみさんち 松林

2022年02月28日 | きみさんち

『昨日は良いお天気でしたが、今日はどうでしょう。それでは、各地の天気予報を伝えてもらいましょう』
きみさんちの居間にあるテレビは、スタッフルームに背中を向けているため、そこで事務作業をしてると、映像は見えずに音声のみ聞こえてきます。
どうやら、居眠りから覚めたMさんが、リモコンを使ってテレビの電源を入れたようです。
『西日本は概ね晴れますが、東日本は、、、』 『、、、んな目にあっても僕はあの人が、、、』 『、、、クリームがこんなに乗って、美味しそうな、、、』 『ザーーーーー』
観たい番組が決まらずに、チャンネルを変えているようですが、スタッフルームには中途半端な音声情報しか聞こえて来ないため、気になって気になって、デスクワークに集中できません。
関東地方の天気は?ドラマなのかな、あの人が何?クリーム沢山の美味しそうな物は何?修行が足りないのは自覚していますが、そればかりでは無いと思います。
最後の『ザーーーーー』は、未登録のチャンネルか入力切替ボタンを押したみたいです。
そして、『ザーーーーー』が暫く続くと、「すみません、テレビがおかしくなっちゃったみたいよ」と、助けを求められます。
それを期に、さっきまでの途中番組を探してみますが、時既に遅く、天気予報はニュースに変わり、気になるあの人はCMに変わり、美味しそうな何やらは露天風呂に変わっていました。
「映るようになりましたよ。お好きな番組を観て下さい」リモコンを手渡すと「ありがとう」と言って、再度、チャンネルのザッピングをされています。
お気に入りの番組が無かった様で、暫くすると、リモコンでテレビの電源を切って、テーブルに額を付けて寝てしまいました。
そっとしておきますか、と思ったのと同時に、リモコンを使いこなしている事に、少々の驚きを感じたのです。
今となっては、日常の当たり前の行動ですが、高齢の入居者さんにもリモコンの操作というものが浸透しているん
だなぁと思いながら、ブラウン管じゃないから、ダイヤル式のチャンネルが無いから、アンテナが無いから、テレビ
じゃないなんていう認識は、もう無いんだなぁと、今更ながら気付いたのです。
テレビがリモコンで操作出来る様になって随分経ちますから、当たり前と言えばそうなんですけど、テレビの普及率と順応性の高さに改めて感心させられました。
何故なら、私は、時々言ってしまう一言があります。
「チャンネル回してよ」って。

08:58 | Posted by kimisanchi

【季節の節目を皆さんと】  きみさんち 田中

2022年01月31日 | きみさんち

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新年、明けましておめでとうございます。
寒さも一段と厳しくなりましたが、皆さんお元気でしょうか??
きみさんちでは毎年恒例のおせち料理を食べながら駅伝を楽しみ、普段と変わらぬお正月を迎えることができました。
お正月といえば、こたつに潜りみかんを食べながら届いた年賀状を振り分け手渡すというのが田中家では定番の1日の過ごし方でした。
きみさんちの皆さんはどうでしょう?
駅伝を見ながらご飯の準備はまだかしらと心配するMさん。歌詞本を片手に歌を歌っているAさん。お部屋で過ごされたKさんOさん。正月だというのに台所仕事に勤しむTさん。
5人5色、色々な過し方をされております。
ご飯はと言うとやっぱりおせち料理。年末から皆さんと何が食べたいか、おせち料理は何をいれるか考え材料を購入。手作りできる物は作り食べています。
おせち料理人気NO1は栗きんとん・黒豆といった甘いもの。これは皆さんお好きなようで、目前に出されると一番最初に食べて無くなってしまいます。
後は食べやすいものであるかどうか皆さんの食べ具合をスタッフが見極めながらお出しします。そう言えば、食の細いMさんも味付けがいつもと違うためかあまり残している様子がなかったなぁ!などと思いつつ、2022年の幕が明けたきみさんちでありました。
皆様本年もよろしくお願いいたします。

11:18 | Posted by kimisanchi

【心をこめた贈り物】  きみさんち 志寒

2021年12月31日 | きみさんち

緊急事態宣言の間、外出されない入居者さんをご近所の皆さんが気に掛けて下さり、このところ果物や野菜などを頂くことが幾度かありました。まことにありがとうございます。
先日、国産のキウィを『よく熟れてから食べてください』と頂きました。食器棚に置いて熟すのを待っていたのです
が、Aさんがそのキウィを見つけて持ってきました。慣れた手つきでスルスルと皮を剥くと、一切れ食べて「まだ酸っぱいわね」と。そして、残りの分をBさんに「これ良かったら。まだ酸っぱいんだけどね」と渡されました。その手渡されたキウィを一口食べて、Bさんも「酸っぱいねぇ」と笑顔。
しばらくして、再びAさんがキウィを持ってきました。先ほどのことは忘れたのでしょう。また皮を剥き「酸っぱいね」と。そして再びBさんに残りを手渡そうとしたところ、Bさんは先ほどの事を覚えておられたのでしょう。「まだあるから!」と皿に残るキウィを指し示しました。それでもAさんは「遠慮しないで」と皿に追加。
このように物を交換したり、やり取りしたりするのは、人類の本質的な行為であると聞いたことがあります。Aさんとて空腹であるといったわけではなく、自分の見つけた収穫を分かち合いたいという気持ちなのだと思います。とても心和むやりとりです。キウィが極めて酸っぱいのをのぞけば。
そう思いながら眺めていると、なんとAさんがまたキウィを剥いています。しかも今度は二つ同時に。それを見てBさんが目を見開いています。そしてAさんが皮を剥き終わりBさんの方を見るや否や、Bさんはなんと「あ!あのお兄さんにもあげましょうよ!」と私の方を指し示しました。今度は私がピンチです。するとAさん、ナイスプレイ!「たくさんあったのよ、あの人の分もあるから、まずはあなたから」とBさんの皿に再び追加しました。
その隙に私はこっそり残りのキウィを隠します。「甘い紅茶でもいかがですか?」とお口直しをおすすめしながら。ごゆるりとお楽しみ下さい。

10:49 | Posted by kimisanchi

【幻覚と介護職】  きみさんち 松林

2021年11月30日 | きみさんち

「○○さんの幻覚や幻聴って、実は、本当に見えていたり聞こえていたりしないんでしょうか?」
一緒に働いている派遣社員さんからの質問でした。

入居者○○さんの生活記録には、
「あの人に連れて行かれそうになった」と、誰もいない廊下を指差している。
というものや、
「女の人の声で待っててと言われたから」と、階段途中で立ち止まっている。
というものがあって、それを読んでの疑問だったらしいのです。

「それは本人にしか分からないですね」と答えるしかありませんでした。
しかし、私は超常現象否定派ではないので、「でも、我々が見えたり聞こえたりしないから幻覚や幻聴だと片付けてしまうのも一方的な気もしますよね」と続けました。
すると「そうなんですよね、僕には霊感は無いんですが、知り合いにはそういうのを感じる人が居るんですよ。だから、○○さんも幻覚じゃない可能性もありますよね」と、派遣社員さん。
なので、「もしもそんな能力が私達に備わっていたら、幻覚かそうでないか分かりますし、その対処法も変わってくるかもしれないですね。少し羨ましいですね」と、その話題を終わらせました。
終わらせたのですが、何か釈然としないものが胸に残った状態になりました。

そして、後日、「あそこに猫が居るけど何処から来たのかな」と、スタッフルームの方を指差す入居者○○さん。
「何処からですかね?近所に住み着いている野良ちゃんかな。玄関開けておけば出て行くかな」と、席を立って玄関のドアを開けると「あ~、出てった出てった。可愛かったな」と見えない猫を見送る入居者○○さん。

その瞬間、先の釈然としない思いがどうしてなのかが分かった気がしました。

我々介護職は、入居者さんの言動を全面的に否定する事は、基本的にしません。
何故なら、入居者さんにとっての言動は、殆どが現実だから、それを否定するという事は、入居者さん自体を否定する事になるからです。(※)

だから、幻覚や幻聴の言動には、本当に見えたり聞こえていたりしていると考えて対応するものであり、今までもそうしてきたつもりです。
だから、我々に特別な能力が備わっていてもいなくても、対処法は変わらない筈なのです。
だから、特別な能力を羨ましいと思うのは、ナンセンスな表現だったのです。
釈然としなかった思いが腑に落ちた感覚でした。
めでたし、めでたし。

いやいや、本当にそうでしょうか?
もうひとつ、釈然としない思いがありました。
誰も居ない筈の廊下に人が立っていたら?
階段の途中で女の人の声が聞こえたら?
そんな能力が備わっていたとしたら、対処の仕方が変わるどころか、対処すら出来ずに、一目散に逃げちゃうかもしれないですね。

(※)他にも入居者さんが居る場合は、対応が変わる場合があります。

08:49 | Posted by kimisanchi

【1世紀生きている高齢者のつぶやき】  きみさんち 田中

2021年10月31日 | きみさんち

うちの祖母が一言。
「長生きってするもんじゃないね」
どうしてと聞くと淋しいじゃないかと神妙な面持ちで話してくる。
兄弟(姉妹)も娘も皆いなくなっちゃうじゃない、淋しいと。
今はどうなのと聞き返すと「・・・・・」言葉に詰まる。
デイケアに今現在通っているが、そのとても仲が良かった人がつい最近お亡くなりになったらしい。そんな事も落ち込みの原因なのじゃないかと思う。
全国ひきこもり状態が続いていたため、外での状況が全く掴めず、ふと気がつくと周りにいた自分より歳が低い親友が次々といなくなり、孤独感で一杯、と言うよりも自分だけ取り残された感が強いように感じる。
巷では、独居老人の孤独死などが問題視されているが、一人でなくとも、家族がいたとしても歳をとると淋しい思いをするものなんだなと思いました。
今まで出来ていた事が出来なくなる不安。人の手を借りてまで何かをしなくてはいけない自分、かえって足手まといなんじゃ・・・と言う不安。
不安だらけの中生活していたらやはりそう思うしかなくなってしまうのだろう。
大正・昭和・平成・令和と生き抜いている人の「長生きってするもんじゃないね」と言う言葉の重み。今現在きみさんちで新しくご入居されたMさんの
「ここに来てあなたに会えてよかった。だって一人は淋しいんだもの」と言う言葉と重ねるとこの文章を綴っている自分でさえ心に刺さるものがある。
長生きが良いのか悪いのか私には分からない。心理学者でもなければ医者でもない。
何が今の祖母にとって良いのか悪いのか、きみさんちの理念を参考に考えていきたいと思う。

12:08 | Posted by kimisanchi

【大根のリレー】  きみさんち 志寒

2021年10月10日 | きみさんち

ファイル 578-1.jpeg「さあて、油炒めにしようかね」大根を野菜室から取り出し、Kさんが張り切っておられます。醤油と砂糖でこってりと味付けをした大根の油炒めは、Kさんの得意料理でもあり、大好物です。油炒めにするときには皮を剥かないのがKさん流。そして包丁を持ち「このまま千六本に切るんだよ」と。恥ずかしながらあまり千六本という言葉が耳慣れなかった私。気になったのは千六本ってなんだろうということ。「Kさん、千六本って何で言うんだろうね?」「さぁ、昔から言うんだよ」「千切りってあるじゃない。じゃあ、あとの六本はどこから来たんだろう?」と私。「よけいな六本、食べちゃえば良いんだよ」とKさん。
さて、その語源を調べると千六本は“繊蘿蔔(せんろふ)”であり、中国から渡ってきた言葉とのこと。繊は繊維に沿って細く切る調理法。蘿蔔とは大根のことを指すそうです。つまり、千六本(繊蘿蔔)は細く切った大根そのもの。それがいつの間にか、繊維に沿った細切りをそう呼ぶようになったようです。大根の栽培種は中央アジア原産。その大根が世界中に広まる中で中国に渡り、奈良時代に日本に入ってきたらしいのですが、きっとその中で繊維に沿った細切りは歯ごたえもあっておいしいとなり、繊蘿蔔という大根専用の言葉ができ、それを現代の日本のおばあちゃん、Kさんが「千六本にすると美味しいよ!」と話している。
とても厳かのような、不思議なような気分になります。
千六本が耳慣れなかった私、中央アジア~中国~奈良時代の日本~そしてKさん。
こうして大根の伝統がリレーされました。そういえば、ここは練馬大根で有名な土地。そのリレーは運命だったのでしょうか。

06:20 | Posted by kimisanchi

【生きる力】  きみさんち 松林

2021年09月23日 | きみさんち

夏休みが終わると、自ら命を絶つ少年少女が増えると聞きます。
とても切ない話です。
ましてや、コロナ禍の現在、生活に行き詰まってしまい、その道を選ぶ人も増えているという話も聞こえてきます。
そんな話を聞くと、途轍もなくやるせない気持ちになってしまいます。
そんな選択肢を選ぶ前に、何とかならなかったのだろうかと。
きっと、何とかなった筈だと思いたいですが、選択肢という言葉すらも見えなくなっていたのだろうと想像するしかありません。
父親となった現在、この事を考えると、胸が張り裂ける思いです。
そんな思いを抱きながらきみさんちに出勤すると、入居者さんのいつもと変わらぬ姿にほっとさせられます。
一生懸命何十年も生きてきたけれど、これからも変わらずに生きて行きますよと、言っているかのような皆さんです。
折りしも、これを書いているのは、終戦の日です。
戦後を生き抜いた方達には、“何とか生きていくしかない”という選択肢しかなかった様で、94歳から82歳まで
の入居者の皆さん、とてもお元気で生活されています。
ベッド上での生活が主になってしまった入居者さん、食事が殆ど摂れずに栄養補助食品が主食になってしまった入居者さん、歩行が困難になり外出が難しくなった入居者さん。皆さんそれぞれの活気を感じます。
その活気から、生きる力を頂いている様に感じています。

09:37 | Posted by kimisanchi

【疑問に思うこと】きみさんち 田中

2021年08月30日 | きみさんち

今回のコロナの件で一つ疑問に思うことがありました。
それは、発熱者のタクシー乗車拒否。
お一人、原因不明の発熱に見舞われ、検査をしたいから連れて来て欲しいという医師からの指示で、通院のため介護タクシーの予約を入れようと電話したところ、発熱が・・・と言うと、ことごとく断られてしまい、1時間ほどして、
ようやく見つかったタクシー会社にお願いしたという経緯がきみさんちでは有りました。
タクシーの予約係の方も、親切にここに掛ければ見つかるかもしれないと言われ、言われた所に掛けると同じく、発熱がある方はお断りさせて頂いていますとの返答が帰ってくるのです。
もちろん、タクシー会社のスタッフさんの身の安全を考えての事だという事は重々承知はしておりますが、この時勢だからこそ需要は大きくあるはずなのになぜこんなに断られるのだろうという疑問がついてまわりました。
使いたいのに使えない今の状況が早くなくなりますように・・・!

22:20 | Posted by kimisanchi

【この2年間】  きみさんち 田中

2021年08月30日 | きみさんち

コロナの脅威も一進一退を続けるばかりで一向に改善される気配もありません。
この号が皆さんの手元に届く頃にはオリンピックも終了している事と思いますが、無観客で行うスポーツの祭典に何の意味があるんだろうと思いながら、日々増加する感染者人数をニュースや速報で見ています。
巷では、ワクチン接種を終え、一息ついている方々がいらっしゃるとは思いますが、ワクチンを打ったから100%安全ではない、感染する確率が減るだけで、現にワクチンを打った方に陽性反応が出たとの事例もでていると、往診の医師から報告を受けました。
この我慢がいったいいつまで続くのか、現在2年目の夏に突入し、改めて思うことは、日々の何気ない生活が如何に幸せであるか。本当に不便な今の世の中で、散歩に出かけたり、買い物に出かけられることがなんと幸せなことだったかと、その幸せをかみしめている所存です。
個人で何が出来るのか、マスク着用・不要な外出は避ける・3密は避ける・・・
簡単な、そしてとても重要な事です。
皆で守って早くこの事態が休息する事を願うばかりです。

22:20 | Posted by kimisanchi

【ただ肩を並べて】 きみさんち 志寒

2021年08月10日 | きみさんち

ファイル 563-1.jpeg

肩を並べてだらだらよもやま話をしながら、ただ並んで流し仕事をしています。
どちらも誰かのためにするのではなく、ただ頭や手が動くままに、自分がやりたいから。

もちろん、手助けがあった方がいいときもあります。さっきまで手に持っていたスポンジを見失ったり、食器洗剤のプッシュ容器の使い方を忘れたり、同じものを何度も何度も洗っていたり。そんなときでも「あれ」「そっかそっか」で通じます。余計なものは足さない、大切なものは引かない。ただそれだけのやり取り。
信頼しているから、それで通じるのでしょう。

自分がやりたいことをやってるだけなので、取り立てて「ありがとう」の感謝の言葉も、ましてや「よくできました」と大げさに喜ぶ必要もありません。
そうして、流し仕事がすすんでいきます。介護や支援と名付けるのも烏滸がましすぎる、そんなどうでもよさそうな生活のひととき。

そんなひとときが、一番好きです。

08:29 | Posted by kimisanchi

【これからも続く道】  きみさんち 金井

2021年06月10日 | きみさんち

私は色々な仕事をしてきましたが、とある職場の上司に「あなたの仕事はお客様を楽しませていますか。」と言われたことがあります。自分だけが楽しんで、周りはつまらない仕事になっていると注意されたのです。
先日そのことを思い出したのが、マッサージを仕事にしたい娘が通いたいといっている専門学校での説明会の時でした。講師の先生が「年齢や性別、学歴に関係なくお客様に喜んでいただくのが私達の仕事です。」とおっしゃっていたのです。
私が就いている介護の仕事も、入居者さんに喜んでいただくのが仕事のひとつです。年齢・性別・学歴に関係なく自分の経験・能力を携えて行える仕事です。
縁があってきみさんちで入居者さんに支えられながら介護の道を歩み始めました。
まだまだ未熟ですが、学び続ける姿勢を変えることなく歩んでいこうと思っております。

17:20 | Posted by kimisanchi

【桃の花が咲く頃】  きみさんち 松林

2021年05月10日 | きみさんち

春の季節、きみさんちの近所に綺麗な桃の花が咲きます。
この桃の花をバックに、以前入居されていたAさんを写した写真がとても素敵な写真でしたので、この桃の花を見るとAさんを思い出します。
ファイル 554-1.jpegその写真に写ったAさんは、満開の桃の花に負けないくらい、明るい笑顔を見せて下さっていました。
ご家族の都合で2年弱で退去されてしまいましたが、その間のAさんは、沢山の思い出を残して下さいました。そして何より、沢山の事を学ばせて下さいました。
帰宅の思いが消えない方でしたので、毎日、夕方近くになると、バッグを肩に提げて「お世話になりました。それじゃ帰りますね」と、出て行かれます。
ご本人は、泊まりに来ているという認識があっため、当然の行動ですが、どの様に戻って頂くのか、また、どうすれば留まって頂けるのか、考えに考え、あらゆる手を尽くしました。
私はこのとき、介護業界3年目で、この様な思いの方に出会ったのが初めてでした。ですので、考え尽くしたあらゆる手段を用いた結果、「それでは、帰ります」と言われた時には、介護という仕事の難しさを痛感して、もう辞めようと思ったものでした。
しかし、時が経つ内に、Aさんの思いや行動が、何となくですが、理解出来る様になった気がしたのです。
それは、あらゆる手段で帰宅の思いを誤魔化すのでは無く、Aさんの思いに如何に寄り添うか、という事ではないかと思ったのです。
出身は何処で、何時頃上京して、どんな方と結婚されて、お子さんをどんな思いで育てられて、その時の時代背景はどんな様子だったのか、そして、どんな思いで、今、きみさんちに居るのだろうか。
考える事も大事な事ですが、想像する事はもっと必要な事ではないかとも思いました。
現在もきみさんちには、大きな悩みを抱えられた入居者さんがいらっしゃいますが、その方と、どう向き合って行けば良いのか、Aさんに基本中の基本を教えて頂いた様に思うのです。
ちなみに、Aさんが一緒に撮った桃の花は、その悩み多き入居者さんが住んでいたアパートの庭に咲いています。何か運命的なものを感じてしまいます。
Aさんは、お元気ならば86歳になられます。
今も、どこかで桃の花に負けない素敵な笑顔を浮かべていて欲しいです。

10:57 | Posted by kimisanchi

【自粛の結果…】  きみさんち 田中

2021年04月10日 | きみさんち

コロナ拡大も2年目に突入。
ご家族の皆様、他利用者の皆様、スタッフの方々、近隣関係者の方々、色々と不便な事だらけで大変だとは思いますが如何お過ごしでしょうか。
幸い、きみさんちでは具合が悪くなる方はいらっしゃいましたが、今の所感染をされてしまった方はいらっしゃいません。
皆さん各々、生活をされておりますが、やはり問題は体力低下でしょうか。
歩行能力も、生活の幅の縮小を余儀なくされ、大好きだったお散歩も、お買い物も中々出ることが難しく、皆さんの毎日を見ていると、能力の衰えというものはあっと言う間にきてしまうものなんだという事を痛感しています。
人間の能力は、向上させることは難しくも、低下はあっという間に訪れてしまいます。
その向上した能力の維持がまた大変難しく、これから利用者の皆さんに関わるスタッフ全員の課題になってくることかと思います。
各言う私も運動不足…
健康診断が恐ろしく感じる今日この頃です。
ワクチン接種も始まっておりますが、その成果が現れるのはまだ先の話になることでしょう。
どこまでこの状況が続くか分かりませんが、今は国民総出でいや、世界総出で我慢のとき。
いつかまた皆さんと「こんにちは」とマスク無しで会話が出来るようになることを祈りつつ、今回の原稿終了いたします!!
*自粛の結果…
はっきり言いまして、この事態で出かけたりすることがないもので原稿にするネタが見つかりません。早くこの状況が改善されることを祈ります・・・(憤り)

17:24 | Posted by kimisanchi