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【“尊い”という思い】 松林

2012年07月23日 | きみさんち

4月のある日、きみさんちでの何気ない出来事です。
テレビのニュースで“朱鷺の雛が36年振りに誕生した”と報道していました。それを聞いた入居者Oさんが言った一言。
「へ~、尊いな。」
何故か、目頭が熱くなってしまいました。
『尊い』って言葉、中々出てこないと思いますが、その報道にぴったりの言葉だと思いました。
辞書を引くと、『崇高で近寄りがたい。神聖である。また、高貴である。きわめて価値が高い。非常に貴重である。』とあります。
正にそれらを汲んでの的確な一言でした。生命の誕生や死に対して、『尊い』と思う気持ちが言葉で表現できるOさん。どんな命でも、とても尊いものだと、再度、教えられた気がしました。
皆さんの命は勿論ですが、これまでの人生経験、大変尊いものだろうと想像しています。
そんな尊さに、仕事ながらに付き合えている事に感動を覚え、その時、目頭を熱くしてしまったのだと思われます。
そんなちょっとした感動がこの職場にはあります。ちょっとしたものだけど、胸に引っかかる様なもの。大事にしたいなと思います。
私もいずれ入居者さん側になりますが、飾らずに言った一言が誰かを感動させる様な、尊い人物になれたら良いなと思いました。またそんな一言を聞いてみたいなと思います。
Oさんの尊さは、何気ない日常の中にあって、そんな尊さを求めた結果ではありません。死ぬまで一生懸命に生きる過程に起こる普通の出来事の中に尊さが存在しているのです。その歳になったら分かりませんが、今は意識してしまいますね。
尊く生きる為にはどうしたら良いのかを。
意識している内は、尊さとは程遠いのだろうと、うすうす感じながらも。

00:30 | Posted by admin

【身近で起きた大きな事件】 田中

2012年06月23日 | きみさんち

最近のニュースで「孤立死」・「孤独死」等、暗いニュースがよく飛び交っておりますが皆さんの周りやご近所は大丈夫ですか?
田中の近所で2月に悲しい事件が起きてしまいました。それは、私が小さいときから懇意にさせてもらっていた家の旦那さんがお亡くなりになったことです。
そのお宅は86歳になる要介護度4の奥さんと90歳になる要支援2の旦那さんの2人暮らし。地域のケアマネさんや訪問介護・デイなどのサービスを受けつつ生活をされておりましたが、2月のある時私宅に「いつもお父さんが鍵を開けてくれているのだけど今日は開いていないんですが・・・」と訪問介護のスタッフさんが私の家を訪ねてきたのです。
そう言えば・・・
「いつも決まった時間に下駄を履きごみ出しに行く音が聞こえるのに今日は聞こえていなかった。」と伝えると遠くから「助けてー」と小さな声。寝たきりの奥さんが助けを求める声が聞こえたのです。幸いリビングの大きな窓に鍵が掛かっておらず、私が壁をよじ登り鍵を開けヘルパーさんに入ってもらいましたが旦那さんの姿は無く、何かあったら言って下さいとヘルパーさんに伝え退室しました。その直後今度はヘルパーさんの「きゃー」という大きな悲鳴が聞こえ伺うと「お父さんがお風呂場で死んでる。」と。
その後奥さんに聞いたら「一晩中助けてーって叫んだけど誰も来てくれなかったのよ。」と言われたため旦那さんの死亡を報告すると驚いて声も出せず。
そんなテレビの中の出来事がそっくりそのまま私の家の近隣で、しかも家族共々仲良くして頂いていた家で起こるなんて・・・。ショックもひとしをでしたが、今後残された奥さんの身を考えると考えさせられるものがありました。
実際ケアマネさんも奥さんだけでも施設に入って頂いたらと何度も打診をしたそうですが「僕が見るから大丈夫だ」と頑なにお断りしていたそうで、でもご本人も認知症と言う病を患っておりどうすることも
出来なかったのではと、今考えても、もっと早くに考えてあげなければいけない課題だったのだと改めて思うのです。
私は福祉関係という職業柄考えることが出来るとは思いますが、他の方はどうでしょうか?
今ではアパートやマンション暮らしでお隣さんが男なのか女なのかさえも判らないほど、お隣さん同士が疎遠になっている時代ですよね。
もしかしたら皆さんのご近所にもこのような出来事が起こらないとも限らない。
「向こう三軒両隣」「とんとんとんからりんの隣組」昭和のよき時代の気遣いが今になって身にしみる自分なのでありました。

00:30 | Posted by admin

【きみさんちのゴッドマザー】 志寒

2012年05月23日 | きみさんち

凄まじい春の嵐を乗り越えて、今年も武蔵関の桜が満開になりました。
「花は桜木、人は武士」といわれますが、桜は最期のつぼみが開くまでどの花も散らないともいわれます。潔く散るさまよりもそのしぶとさに憧れる今日この頃です。
この桜の語源を調べてみますと、コノハナノサクヤという女神からくるという説、“サ”は神様を表しその神の宿る“座(クラ)”であるとする説、“咲く”という言葉を語源とする説、そのほか諸説あるそうです。あでやかな桜の姿を見ているとどの説もなるほどと頷けますね。
私は桜に限らず、それがどうしてそのように呼ばれるのか、とても興味があります。名というのは、単なる言葉ではなく、そのモノの在り様や、置かれた関係性も指し示すと感じるからです。
たとえば色でも、真っ黒、真っ白、真っ赤、真っ青とは呼ぶのに、なぜ真っ黄、真っ緑とは呼ばないのか、そこから何か日本人の色の感性が感じられるように思います。
たとえば魚でも、フクラギ。大好きです。私の郷里に近い人ならこの名に郷愁を感じられるかもしれません。なぜこうして“ブリ”が大きさや地方によって呼び名が変わるのか、複雑で豊かな関係性があるのでしょうね。
さて、よく認知症にかかわる話題で名前のど忘れが出てきます。
「ほら、あのテレビに出ている俳優さんで・・・誰だっけ?」
「あの人、昨日会った、背の高い、ほら・・・忘れた・・・」
『・・・私も認知症かしら・・・』
でも、大ファンでもない俳優が誰とか、昨日初めて会った人が誰とか名前が出てこなくても問題はありません。これがたとえば「毎朝顔を会わせているあなたの名前は誰だっけ?」とか「昨日会った人?昨日誰にも会ってないわよ?」とならない限りそれほど心配はないでしょう。
本来、無味乾燥な名前というのは覚えづらいものなのでしょう。なにせ、私はまだ、きみさんちに来て入居者さんに名前を呼ばれた記憶がありません。まぁ必要があればその都度「大きいの」「眼鏡」「あの」「ちょっと」「そっちの」と色々に呼ばれていますが、名より実、呼ばれないより呼ばれる関係が大事だねと思っております。「先生」「おじさん」「チーフ」「料理人」「おまわりさん」・・・呼び名の多さは関係性の多さ、その入居者さんの心に色んなシチュエーションの色んな登場人物として自分が居るのだなと、むしろ嬉しくもなります。どうぞお好きにお呼びになって・・・。
その色々な自分の呼び名の中で忘れられない一つがあります。
まだ私がきみさんちに来てそれほど間もないころ、Yさんはきみさんちの前で歩行練習をよくなさっていました。そこに出勤してきた私が近づいていきました。
ご存知かもしれませんが、認知症の方は“新しい出来事、物、人”を記憶するのが苦手です。Yさんもご多分に漏れず。そのYさんが知り合って間もない私を記憶されているのか?・・・果たして私を遠方から見つけ「ああ、あの人ね」と仰いました。
その時点で私は何の関わりも意味も持たぬ他人から、馴染みの「あの人」へと名づけられたのです。記憶に残らない大勢の中の一人ではなく「あの人」へ。私の今までの人生で誇らしい呼び名の一つです。まさしくYさんは、その後きみさんちで働いていく私のゴッドマザー(名付け親)になったのです。
さて、4月は出会いのシーズンでもあります。出会ったクラスメートからの呼び名が、○○さん○○くんから、呼び捨てやあだ名へ変わっていった瞬間。こそばゆいものがありましたね。先輩や上司、意中の人に自分の名が呼ばれる瞬間、どれだけのルーキーが心穏やかならぬ緊張を感じているでしょうか?
そういや、親兄弟以外に“浩二(さん)”などとずいぶん長いこと呼ばれてないなぁと、心の春は名のみの寒さです。

00:29 | Posted by admin

【人は年齢によらず】 堀内

2012年04月23日 | きみさんち

回ってきました。どっこいしょ。自分文章を書くのが苦手な私は原稿をかくのに二週間ほど考えます!
今回はきみさんちでの一コマを書こうと思います。
突然ですが、前月2月26日は何の日だったでしょうか??
答えは…『国際マラソン大会』
いつも通り朝ごはんを入居者さんと食べていたときの話をしたいと思います。
TVをつけると国際マラソン大会スタートするときでした。入居者さんみんなテンションが上がりっぱなし!
この日だけは朝食食べ終えるまで二時間ほどかかりました~。熱中具合がお分かりいただけますかね(笑)

さて。スタッフも交え大盛り上がりしているところで、ふと90歳をこえるお婆ちゃんOさんがとった行動とは何でしょうか??

1、同年代のマラソン大会をやっていないか情報を集めようとする
2、新聞を読んで何キロメートル走るか調べる
3、自分も応募しようと現地に向かう準備をする

答えは……

一番でしたっ!
私自身ビックリしました(笑)
走りたいだろ?!って聞かれた私はOさんの応援で十分だよって伝えると『お前は若いのに私よりバァサンだな!』って笑われてしまいました。

たしかに、何かと二人で体力勝負するけど敗けることも多い私。前に椅子から立って座ってを一分間にどれどけ出来るかを勝負したら、まさかのOさんが圧勝でした。
Oさんの体力年齢→40代
堀内→60代

おかげで今年の目標が出来たから感謝!けど…やっぱりくやしい~(笑)
おしまいっ。

00:29 | Posted by admin

【カインとアベル】 堀

2012年03月23日 | きみさんち

ミニケアホームきみさんち堀でございます。
3回目の執筆。入社と同時に書いたので、半年サイクルで1年!!!!
先輩方、入居者のみなさま、なんにも出来なかった私をここまでにして下さってありがとうございます。
ここまでって、どこまで?1年なんて まだまだで、やっとスタートラインに立った気もしています。
ところで、私は心理学や、心理臨床を学んでいます。今日は それについて書きたいなと思います。
きみさんちにやって来る前から開始していた勉強で、ここに来てから更に私にとって大切だと思う事になりました。入社時「グループホームはこころとこころの向き合う場所」と思ってやって来た私には、もともと繋がりを感じるものだったのですが、しかし、職場の皆さんをみていると「ヘルパー2級」の方、「介護福祉士」の方。「もしかして関係ない?」とハラハラと焦ったりしながらも、やっぱりちゃんと貫いてみようと思い、学習を続けています。
その中から、ひとつだけ紹介させて頂いても良いでしょうか。
~愛情の偏り カインとアベル~について。
カインとアベルは兄弟でアダムとイブの子供だそうです。神が弟アベルをひいきした事によって、兄カインが弟アベルに危害を与えてしまうんです。
神とカインの関係は親と子の家庭環境。また どこにでもある職場環境。
普遍的にどこにでも現れ得る人間関係としてみていく訳なんですが…何故ひいきが起こったのか。
それは、一つの理由として自分の中にある自分では認めたくない部分を持って生まれて来た子供を、受け入れ難い事があるそうです。それは 親子関係に限らず、どんな人間関係にも必ず現れ得るもので、簡単に言うと「合う、合わない。」と同じだと思います。
心理臨床では、大きな柱のひとつとして「無条件の肯定」と言うものがあります。まず、目の前に居る相手に無条件の肯定を向けるんです。そこからすべてが始まる訳です。
心理臨床や心理学の学習は、そこへすべて繋がっているのだと私は思います。
カインとアベルにしても、その背景を知る。また愛情の偏りについても人間に普遍的なものである事を認識していたなら誰を責める事もなく状況を認知する事で「無条件の肯定」に近づく。
それはきっとどんな人間関係にも繋がっていると思うんです。家庭内の人間関係、職場内の人間関係、それからグループホームの入居者のみなさんとも。
たぶん私は、知らないものは疑うし、分からないものは許容しないかもしれない。
でも、ここは未知の世界。どんな事が起こるか、想定はしても、経験の浅い私にはやはり未知の事が起こり得る世界。そんな時「無条件の肯定」と言う姿勢があったなら、かなり私を助けてくれる唯一のものであると思います。
今回のお話はユング心理学と言う枠の中のひとつです。
これからも、入居者のみなさんのこころを大切にする為にも、自身の為にも もっと学習をしようと思います。
誰かを大切にするには、自分や誰かを知ること。なにが好きなのか、何を大切にしているのか、何を見ているのか、なにを見てきたのか。もっともっと見つめて、もっともっと知っていきます。
大切なものを大切にできるように。(長くなって申し訳ございません)

00:28 | Posted by admin

【病気】 石川

2012年02月23日 | きみさんち

ずっと体調が悪く生まれて28年間、謎の胃の痛みに苦しめられてきました。赤ん坊の時もおかあさんの乳さえ拒否したらしいです。
覚えていないですが多分胃が痛かったんだと思います。朝、昼、晩とご飯を食べた後に、胃が焼けるように痛かったのでおかしいとは思っていたのですが、痛い時は物凄く痛い、そんなでもないなとゆう時もあり波が凄くありました。
ちょっと昔に戻るのですが、トヨタの工場で仕事をしていていました。その半年後に23歳の時、突然物凄い痛みで入院して、入院先で胃カメラを飲み先生に何か赤くなってるねと聞いてストレス性胃炎と診断されました。
この胃の痛みと付き合ってきて、自分なりに痛みが和らぐ方法が風呂に入る事だったので、夜間入院先のベッドであまりの痛みで点滴をつけながら、大部屋の横にシングルの個室があって風呂もついていたので夜間あまりに痛いので我慢できず、点滴をつけたまま風呂に入りにいきました。シャワーを浴びていたら、コンコンとノックの音がして夜勤の看護婦さんにビックリされた事があります。いい思い出です。
ずっと胃の痛みと付き合って生活していたので、まあこのまま大丈夫と普通に生活していたのですが、嫁に激怒され私の作ったものをいつも残すあんたの胃はどうなっているんだと怒鳴られ、何処かに食べに行っても残す私が何であんたの胃の心配までしないといけないんだと、病院に行けと去年行って来ました。
病院に行き胃カメラを鼻から入れてなんだかんだで病名が分かりました。ピロリ菌でした。
薬を一週間続けて飲んだらとんとん拍子に胃の痛みが消え食べ過ぎて逆流性食道炎になったり途中しましたが、治りました。
原因は井戸水とか消毒されていない水に菌がいて抵抗力がない1歳~6歳くらいまでの間に感染するようです。おばあちゃん家の井戸水からだと思います。胃が治ったので良い年になればいいなっと思います。改めまして明けましておめでとうございます。

00:27 | Posted by admin

【自分の最期を考える】 松林

2012年01月23日 | きみさんち

重いテーマである。
でも、しかし、頭を過る事、これ少なからず。
今夏、入居者のKさんが病院で亡くなり、それからふとした瞬間に考えたりしている。
生とはなにか、死ぬという事とはどんな事なのか。
現在、精一杯生きている入居者さんと日々を過ごし、自分も生命を感じさせてもらっている。自分には勿体ないほどの素晴らしい職場である。
そして、自宅に帰ると、これまた年老いた友人が迎えてくれる。
人間の年齢で言えば60歳をとうに超えた、吾輩とは決して言わない、猫である。
こいつの方が明らかに先にあの世行きなんだなと、時々悲しく思う事がある。
そうなった時、自分はどうして生きて行けば良いのか。。。
生まれて直ぐにもらい受けたので、私を本当に頼って生きている奴である。
帰ると迎えに来るのは当たり前で、寒い日には帰るなり、早くストーブを点けろとせがんで来る。
そのくせ、出掛ける時は、見送りはしてくれない。
今日は夜勤だと告げると、悲しそうな声で鳴く。
今日はサブだから早く帰れるよと言うと、本当かと疑って鳴く。
私の宝物、めちゃ。
捨てられた子猫を見つけた友人達から、何度もめちゃと一緒に飼って欲しいと連絡を受けるが、毎回、丁重にお断りしている。その理由はめちゃを全うしたいからである。
めちゃ以外の何者かが家に入ってくると、めちゃにどんな影響があるのか。
それはそれで興味はあるが、他の者に少しでも心を寄せてしまうであろう自分をシャットアウトしたいのである。
そんな思いから、私は、このめちゃを全うするまで健康である事を願う。
私の最期は、めちゃの最期を見送った後にやってくる事を強く願う。
Kさんの生活を思い出すと、本当にKさんらしい日常を過ごされたなと思う。
入院直前まで、大好きなタバコを吸いに商店街まで出掛けていたし、Kさんならではの冗談も聞かせてくれていた。
めちゃとKさんを繋げる訳ではないが、生命を全うしたKさんに見習い、私はめちゃを全うして、それから自分の最期を考えてみようと思う。
タイトルから遠く離れてしまったが、、、もっと重い話はもう少し置いておいて、生きる事を考えて行こうと思い直した次第である。

00:26 | Posted by admin

【紙一重な出来事】 田中

2011年12月23日 | きみさんち

この号が出る頃にはもう暮れが押し迫った12月末でしょうか?(この原稿は11月に書いています。)皆さんお身体お変わりなくお過ごしですか?
何を書こうか順番が回って来る度に頭を悩ませてしまうのですが、今回はつい最近田中に起った笑える出来事をお話したいと思います。
一昔前(今もそうだとは思いますが・・・)電車やバスの窓際広告に「お年よりは大切にしましょう」とか「お年寄りや身体の不自由な方に席をお譲りください」と必要以上に書かれていた時がありました。今ではお年寄りを大切に・席を譲るなんて極当たり前の事と皆さん認識されていると思います。
ですが、つい先日電車に乗り座って本を読んでいたところ、目の前にシルバーカーを押し明らかに「お年寄り」と見られる方が来たので席を譲ろうと「どうぞ」と声をかけ立ち上がろうとすると、「けっこうです。私はそんな歳ではございませんので」と断り、キッと私を睨みつけてきた人がいたのです。
10代の頃の私であれば「人の親切をむにして・・・何て婆さんだ」と思っていたに違いありませんが、きみさんちで働くようになってからと言うもの、言われた・おこった出来事を何故か分析してしまう変な癖がつきました。以下上記事柄を簡単に分析してみました。
怒った理由:年寄りと見られたくない。気持ちはお姉さんなのに・・・なんで?
足腰丈夫なのに何で座れというの?
私はまだ若いのよ見た目で判断しないで頂戴!!!
これは私の憶測ですが、親切心がかえって相手の自尊心を傷つけてしまい、結果私を睨みつけると言う行為に繋がってしまったのではないかと考え、「失礼しました」と一言謝りうつむき、再度本を読もうとした時の周りの視線の痛いこと痛いこと・・・
直に下りる駅に着き私は下車しましたが、睨んだ彼女は何処へ行くのやら。でもなんて逞しいお年寄りなんだろうと思ったのも事実。
親切と不親切は紙一重!!皆さんも気をつけてくださいね。

00:25 | Posted by admin

【赤い花が揺れて】 志寒

2011年11月23日 | きみさんち

この原稿を書いている今は金木犀が盛り。甘い香りが街中に溢れています。折々の花は本当に心を和ませてくれますね。
きみさんちの皆さんも花がとてもお好きで、毎日の買い物でもしげしげと愛でておられます。
ご近所にも植物を丹精込めて育てられているお宅が多く、前もって季節の花が盛りのお宅に目を付けて、外出を手伝っている時に「あちらを通ってみませんか?」などとお誘いするときがあります。
そうしてそのお宅の前を『気づいてくださるかな?』と思いながら通りかかると、たいていは目を留めて下さいますが、私の思いを裏切り(?)私が目を付けた花よりも、小さな小さな雑草のような花に興味を示されて、その意外性がまた嬉しかったりします。
ああ、雑草という植物は無いと叱られそうですね。
そうして一緒に花を眺めていると、今夏にお亡くなりになったKさんが、この花を見たら何ておっしゃるだろうという思いがよぎります。
Kさんもとても花がお好きな方でした。夏にはよく、きみさんちの前のサルスベリ並木の赤い花を「同じ赤でも色が少しずつ違うんだよ」と見上げておられました。
夏空の似合う威勢のいいあの赤い花は、いかにもKさんご本人のようです。調べましたらサルスベリの花言葉は「雄弁、愛敬、活動、世話好き」。いやはやなんともピッタリな花ですね。Kさんも旅立たれ、サルスベリも赤い絨毯のように花を散らせ、夏が往きました。ですが、サルスベリの花が咲くたびに、飽くことなく花を見上げるKさんが私の目に浮かぶことでしょう。
私だけではなく、あの光景は夏が来るたび、きっと誰かが思い出すでしょう。
生きものは死を迎えても、誰かの記憶に生き続けることで永年の命を得ると言いますが、個人の具象の記憶を越えて、繰り返す花のように、街の光景の一つとして生き続ける。そんな生き方もあるのかなと思います。
さて、車いすの方と一緒に道ばたに180cmの大男がしゃがみ込んでいるこの光景。誰かがいつか思い返してくれるでしょうか?

00:24 | Posted by admin

【想】 堀内

2011年10月23日 | きみさんち

どっこいしょの原稿を書いている今は残暑厳しい日が続いていますが。。。皆様の手元に届く頃には涼しくなっていますでしょうか??
なっていることを願いつつ、ここ半年を振り返ってみたいと思います。
きみさんちで働きはじめて一年になり本当にあっという間でした!その中で初めて入居者さんとの別れを経験しました。初めての経験だったのに冷静に受け止められたのは一年間しか一緒にいられなかったけど、その一年間のKさんの生き方をみて本当にKさんらしく生活していたように勝手ながら感じたからだと思います。
私から見たKさんは頑固だけど、とーっても優しくて楽しいことが大好き。私が悲しい顔をしてれば、いつも大丈夫か??辛いことあったら言えよと声をかけてくれて何度励まされたかわかりません。でも喧嘩も沢山して言い合って、わたしが元気なくなると『おーい!大丈夫か?』とKさんのことで落ち込んだのに結局Kさんに励まされ元気になる。だからKさんとの喧嘩好きでした(笑)
まだ日も浅いからかお亡くなりになられた実感がありません。
毎日、商店街を散歩していたKさん。商店街にいけば、いつものベンチにいるような気がしたり、きみさんちにいても、いつも近くにいる気がします。
以前、住職さんが『人には二回の死があります。一度目は息をひきとったとき。二回目は忘れられてしまったとき。二回目が本当の死で、これほどの孤独はありません。』と話していたのを鮮明に思い出しました。。。
Kさんに教えてもらったことや沢山の想いを感じつつ、これからもKさんと共に、きみさんちで過ごしていきたいと思います。

00:23 | Posted by admin

【「お待たせ致しました!ミニケアホームきみさんち堀でございます。」】 堀

2011年09月23日 | きみさんち

12月25日に面接、見学をした1月25日入社のクリスマスの奇跡のスタッフ堀でございます。
この8月でもうじき入社7ヶ月になるので。。えらいこっちゃなんです。
7ヶ月いろんな事がありましたよ!
まず、大阪から来た私は土地勘が皆無。電車通勤は、乗り越したり、乗り間違えたり。それから、今まで接客業しかしてこなかった私は「接客のプロ」としての経験はあったけど、「福祉のプロ」として働くのは初めて。。
自立支援ってなに?
なんで、起きてきた人に おはよー!って言っておこられたんだ?
なんで構い過ぎって言われるんだろう?
真ん中の基本のき が無い私は致命傷で、福祉のプロ意識の高い女性スタッフに4ヶ月が経った頃にブチ切れられてしまい。。そこで初めて「基本のき」を手に入れた訳で それから間もなく企業内新人研修にも最古株新人?として参加できてちょっと自分でも安心できました。
でも、基本のき は 基本のき。7ヶ月は7ヶ月。
ケアは難しい。自立支援はまた難しい。「有する能力」を知る事の大切さ。尊厳の大切さ。でもついでに仲良くもなりたい。願いも叶えたい。お風呂もたくさん入って欲しい。しかし、自分がどんくさいので、思ったように時間をケアに使いきれないジレンマ!入居者さんの為に時間を使う事の難しさ。
「みんな家族!」「たのしいうれしい!」から まず始まってしまった私には、恥ずかしながら ようやくこちらでのプロ意識が意識できるようになってきました。(なんて言うと、きみさんちスタッフから まだまだやん!って突っ込まれそうですが。。)
夜勤も、実はこないだ やっと時間内に終わって理想の状態で朝イチのスタッフを迎えられたんです!
夜勤も「ひとり」と言うプレッシャーに耐えきれず、入居者さんが「足が痛いって言ってます」って管理者に電話をかけたりしました。初めての夜勤か2回目の夜勤が地震の当日だったりで、変に度胸だけはついたりしました。
いまは、安全に。たのしく。元気に。
プロとして大切な「自立支援」を行う能力を少しずつやしないながら、毎日奮闘しながら、入居者のみなさんと一緒に成長してゆきたいと思います。
入社した時は、「はい、きみさんち 堀でございます。」と電話にでる時が、きみさんちの一員である事を許された唯一の瞬間であるような気がしていました。
いまは、すこし違った気持ちで電話をとっています。
「お待たせ致しました!ミニケアホームきみさんち、堀でございます。」
まだまだですが、これからプロになっていきます。ご家族のみなさま、地域のみなさま、きみさんちスタッフのみなさん、どうかよろしくお願いいたします。
自立支援=自立支援
うまれたばかりの緑の蝉を入居者さんと見ました!一生忘れない新しい想いをもって入居者さんとの毎日を大切にしていきます。

00:23 | Posted by admin

【一年経って】 石川

2011年09月23日 | きみさんち

きみさんち石川です。きみさんちに来て早いもので一年経ちました。
きみさんちに来てまずこまった事は料理に困りました。料理に関しては本当に何もしてこなかったので、一人暮らしのときはいつも100円均一で魚の缶詰さばを買ってきておかずに、愛知にいるばあちゃんの送ってくるお米を炊いて食べる。鳥の胸肉を安いので買って塩コショウを振る。焼く。あとはばあちゃんの米。米を炊くのもめんどくさいとポテトチップスとサバ缶、レタスを買ってとりあえずマヨネーズとすごい食生活を送っていました。
朝昼晩サバ缶です。健康には良さそうですが。。。
嫁と二人暮しになった時でも全部嫁任せで、飲食店で働いた経験があるらしく帰ったら食べ物が出てきたので、本当に料理や洗濯家事もろもろは、正直どうしようと何をすればいいんだと最初の頃はあたふたしていました。
助けは先輩スタッフが料理本をたくさん持ってきて下さったり、入居者のOさんKさんに包丁の使い方をおしえてもらったり、やればなれるんだよ。と言ってくれて、本当に何も出来なかった僕ですが、きみさんちに来て入居者のみなさんスタッフのみなさんのお陰で、逆に料理はそこまで苦になる事も無く帰って嫁と一緒にご飯を作ったり洗濯したり普通の事が普通にできる様に成長しました。
きみさんちのおかげです。ありがとうございます。
これからも頑張ります。

00:22 | Posted by admin

【一年経って】 石川

2011年08月23日 | きみさんち

きみさんち石川です。きみさんちに来て早いもので一年経ちました。
きみさんちに来てまずこまった事は料理に困りました。料理に関しては本当に何もしてこなかったので、一人暮らしのときはいつも100円均一で魚の缶詰さばを買ってきておかずに、愛知にいるばあちゃんの送ってくるお米を炊いて食べる。鳥の胸肉を安いので買って塩コショウを振る。焼く。あとはばあちゃんの米。米を炊くのもめんどくさいとポテトチップスとサバ缶、レタスを買ってとりあえずマヨネーズとすごい食生活を送っていました。
朝昼晩サバ缶です。健康には良さそうですが。。。
嫁と二人暮しになった時でも全部嫁任せで、飲食店で働いた経験があるらしく帰ったら食べ物が出てきたので、本当に料理や洗濯家事もろもろは、正直どうしようと何をすればいいんだと最初の頃はあたふたしていました。
助けは先輩スタッフが料理本をたくさん持ってきて下さったり、入居者のOさんKさんに包丁の使い方をおしえてもらったり、やればなれるんだよ。と言ってくれて、本当に何も出来なかった僕ですが、きみさんちに来て入居者のみなさんスタッフのみなさんのお陰で、逆に料理はそこまで苦になる事も無く帰って嫁と一緒にご飯を作ったり洗濯したり普通の事が普通にできる様に成長しました。
きみさんちのおかげです。ありがとうございます。
これからも頑張ります。

00:22 | Posted by admin

【私が思う思いやり】 松林

2011年07月23日 | きみさんち

震災から4カ月経ちましたが、まだまだ復興には時間が掛かるようです。被災した人達には、心からお悔やみをお送ります。
その震災当初、TVではACのCMばかりが流れていましたが、そのCMの中に「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える。」というコピーのものがありました。
それを見て私は、「思いやりは誰にでも見えるけれど、本当の思いやりは見えないようにするものじゃないかなぁ」と感じました。
CMのように直接手を貸すと相手はありがたく思うだろうし、周りの人も「あの人は思いやりがあって立派な人だ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないね」などと思うかもしれません。手を貸すことは何も悪い
事ではありません。手を貸さないよりは差し出した方が良いでしょう。
でも、我々介護職は、あまり手を出しません。
利用者さんの生活を支えるのが我々の仕事ですので、手を出さないと言うと矛盾を感じるかも知れません。
「それが本当の思いやりだ」とまでは言い切りませんが、本人の有する能力を奪う可能性があるからというのが理由です。一歩引いたところで、利用者さんの生活を支えて行くのが、我々の仕事だと考えています。
もっと言うなら、私は利用者さんにとって「空気のような存在」になりたいと思っています。
「空気のような存在」、良い意味にも悪い意味にも取れますが、私の場合、利用者さんが今やりたいのではないかと思っている事を察し、さりげなく導く事。自分では出来ない事を、押しつけがましくない程度にする。こういう空気になれたら良いなと思っています。
「やってあげる」という事は、その人に出来ないという事を認識させてしまい、落ち込ませかねません。
更に回数が増えて行くと依存的になり、自分では何もしない、出来ないようになってしまうかもしれません。
「ありがとう」と言われない空気のような存在になりたいのです。仕事ですから、「思いやり」とは別物ですが、こんな考えから世間に対する思いやりも、さりげなく出来れば良いなと考えています。
以上、伊達直人でした。

00:21 | Posted by admin

【きみさんちの利用者さんってすごい!!】 田中

2011年06月23日 | きみさんち

ある時の田中とOさんの会話
Oさん:他の利用者さんに、「あんた歳いくつだい?」
Tさん:「・・・・・」(ニコニコ笑顔)
田中 :そう言うOさんはいくつになったの?
Oさん:「わかんねーや」(一同笑い)
本当になにげない会話の中に実は凄いことが隠れているのです。
きみさんちの6名の利用者さんのうち、4名が90代と言う事実。しかもとてもお元気。
90代の年齢別に言いますと、7月の誕生日が来ると99歳になられるEさん。先日目の前にある神社で白寿のお祝いを白いちゃんちゃんこと頭巾をかぶり行いました。
そして、2月生まれ御年95歳のYさん。せんじつ(5/2)誕生日を迎えられた90歳のIさん。わかんねーやと答えていたOさんも実は92歳。
何気ない1日を、何気なく過ごしている私。この利用者さん達の90年と言う人生の歴史は必ずしも明るい物ばかりではなかったとおもいます。でも、昔があるから今がある。今が楽しく過ごせるよう、お互い楽しくやって行きましょう!!
人の歳ばかり言って田中は?って・・・昭和40年代生まれとだけ言っておきましょう(笑)
PS.そう言えばEさんはたまに、「冬に兵隊さんが一杯来て恐かったー。」と歴史の教科書に載っている2・26事件の話をして下さいます。

00:21 | Posted by admin