数か月前のニュースで、徘徊という言葉を見直そうという動きがあるという記事を読みました。
ちなみに辞書には「どこともなく歩き回ること」とあります。
この言葉、意味、皆さん違和感ありませんか。
私はこの記事を読んだとき、ようやくかと思い、自分のずっと感じていた違和感や価値観は間違ってなかったんだなと安心しました。
というのも、認定調査だったり、医療関係者やその他の方から入居者さんの状態などを聞かれる際に「徘徊はありますか、迷惑行動はどんな感じですか」と、毎回のように聞かれます。
今年の春頃にも、連日散歩に出掛ける入居者さんに付き添って外出中に、毎回職員についてこられることを不満に感じてその方が交番に助けを求めたのですが、警察官の方から出た言葉が徘徊でした。
良く徘徊されるんですか?そうですね連日散歩には出られます。
徘徊じゃなくて散歩ですか?う~ん、外出される時は意味なく行かれるわけではないので・・・と私が言葉を濁していると、理解していただけたようで、あっそうですねと言っていただけました。
これも同じ頃のことですが、介護保険の更新の認定調査にきていただいたケアマネさんが入居者さんに聞き取りを終えたあとで、迷惑行動はどのようなことがと立ち会っていた私に聞いてきたのですが、
う~ん、迷惑かどうかは受け取る人によって違うのですが・・
理解のない方からしたらほとんどが迷惑行動に・・
これも言葉を濁していたのですが、これも分かっていただけたようで、そうですよねと笑顔で返してくださり、その後の私の説明に、すごく素敵なおじいちゃんですねと言っていだけました。
やっぱりこれらの言葉を使う際に、意識的に悪意を持って使ってる人はほとんどいないんだと思います。
認知症をいまだに痴呆と言ったり、認知と略してしまったり、こちらの声掛けに、応じて理解して会話や行動が出来ると、指示が通るなどと言ったり、認知症や障害者の方を差別する意図で使う方などほとんどいないです。
でも無意識ほど残酷なこともありません。
差別感情を持って使う人は、差別を意図する時以外は使わないでしょう。
でも無意識だと日常的に使ってしまいます。
状況を単純に比較することは出来ませんが、昔は目の不自由な方や耳の不自由な方を指して使う言葉がありました。
今では差別用語として、テレビやラジオ、公共の場所で使うことはNGとしっかり認識されていますし、個人個人の日常会話でも使用する人はほとんどみかけません。
今回私が感じた言葉も、近い将来にみんなが同じ意識になってもらえるといいなと思います。
さて、徘徊と言われてしまった入居者さんですが、今では昼食前に一人で散歩に出かけ、お昼を食べたあとは飲み物を持って食後の散歩へ。
夕方前には戻って一緒に夕食を食べ、夜はしっかり眠って朝は一番の早起きです。
ご本人がお写真を好きでないので後ろ姿ですが、根津神社や湯島天神、調子のよいときは不忍池や上野まで足を延ばしているそうです。
こういう散歩をいつまでも続けていただければいいなと思っています。