皆さん、こんにちは。梅雨のこの時期、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場2回目の、のんびり家2階の飛鳥井です。
この仕事を始めて早や1年になろうとしていますが、今回はYさんのことをお話したいと思います。
Yさんは、先日入院先の病院でご逝去されました。享年80歳でした。Yさんとの出会いは、昨年の7月、のんびり家の新規開業の時でした。Yさんの印象は、小柄で笑顔の可愛らしい方で、ひ孫さんがいるようには見えない若々しい感じでした。
ご入居当初から余命宣告をされていて、ご家族は「最期はのんびり家で」と覚悟を決められていたようですが、ご病気を抱えてはいるものの、ご本人は比較的お元気で生活されていました。とは言え、昨年末頃から徐々に体調が悪くなり、検査や治療のための入退院を余儀なくされていました。そして、今月の上旬に、高熱のため緊急搬送され、入院をしていたのですが、残念ながらお亡くなりになりました。
ご入居以来のYさんとの間の出来事を色々と思い返してみました。甘いパンが大好きで、「そんなに慌てて食べなくても」とこちらが思う位、急いでパンに齧り付いていた姿。深夜、トイレから戻り「何か飲みますか?」と尋ねると、飲み物の種類は答えず「いっぱい下さい」と答えたこと。とても気を遣う性格で「(居間に)皆といるよりは、自分の部屋にいる方が気楽でいい」と言っていたこと。何か上手く出来ないことがあると、ご自身の出身地の言葉で「私は、ずくがない(根性がない、意気地がないと言う意味)から」と悔しそうに言っていたこと等々。
思い出と呼ぶにはあまりにも記憶が生々し過ぎて、まだYさんが亡くなったという実感が湧きません。入院先の病院から、ひょっこり帰ってくるような気がします。Yさんの体調が少しずつ悪くなり、ADLが低下してきても、私は割りと厳しい態度で接していたように思います。実際に、Yさんから「あなたは意地悪ね」と言われたこともあります。傍から見れば、「そこまで厳しくしなくても」と思われていたかもしれませんが、少しでもYさんにのんびり家での生活を全うして頂きたいという思いからでした。
Yさんが亡くなってしまった今、果たして自分の支援の方法が正しいものであったのかと自問自答してみますが、答えが見つかりません。Yさんの為と言いながら、単なる自己満足でしかなかったのではないか?とも思いますし、答えはこれから仕事を続けて行く中で見つけるしかないのかも知れませんね。本当に、介護の仕事は奥が深い仕事だなと改めて考えさせられました。
Yさん、今頃は天国でご主人と再会していることと思います。大好きな甘いパンを今度はゆっくり味わって食べてください。Yさんの笑顔と声はいつまでも忘れません。最後になりましたが、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。