先月、冬休みで実家に帰省した際、朝から晩まで冬眠した熊の様に寝てばかりいると、父が「面白い本があるよ」と、ある本を貸してくれた。「奇跡のりんご」と題された本。
表紙では歯の無い男性が、微笑んでいる。奇跡とは、常識では考えられない出来事である。
一日中寝てばかりで、頭がボーっとしていた。そりゃあ、運の良い人間だったら奇跡の一つや二つ、簡単に起こせるんだろうな。読む前、そんなひがみめいた事を思った。
表紙で微笑んでいる男性は、青森のりんご農家、木村秋則さん。木村さんは、絶対不可能と言われたりんごの無農薬栽培を、10年近い歳月をかけて成功させる。本には、農薬を一切使用しない環境で、りんごが花を咲かせ実を付けるまでの過程が、壮絶に書かれていた。
冷めた気持ちで読み始めた本だったが、何か感じさせられるものがあった。
無農薬栽培に切り替えてから木村さんは、害虫取りや草刈りや、目に見える部分のみ行なう。しかし、木村さんの壮絶な努力なんてお構いなしで何年もりんごは花も実も付けず、しまいには木が枯れそうになる。荒れ果てたりんご畑と共に、木村さんの心も疲れ切って行く。何年も、りんごが実らない為ついには収入も途絶える。そして家族に貧乏な思いをさせてしまう。
世間や周囲からの冷たい目・批判・・・追い詰められた木村さんは、死んでお詫びをしようと山に向かう。首を吊ろうと、木にロープをかけようとするが外してしまう。外したロープを拾おうとした時、木村さんの目に映ったもの。それは、山の中で悠々と生きるりんごの木だった(実際はよく見たら別の木だったそう)。木村さんが死を覚悟した時に見つけたものは、長年捜し求めていた答えだった。
答えは、目に見えている地上部ではなく、目に見えない部分。土や根の部分だった。人の手が入っていない山は土壌が豊かの為、農薬が無くても木や植物は自らの生命力で悠々と生きている。しかし、人間が色々と手を加えた結果、本来の生命体は姿を変えてしまった。目に見えない部分、つまりは土壌を豊かにしてから間もなく、ついに木村さんのりんごが花を咲かせ実を付けた。
木村さんの本を読み終えてから、自分は随分と自然に逆らって生きてしまっているなと考えさせられた。小学生の頃、早起きをして朝顔やヘチマなどの観察日記をつけていた。人として、自然の仕組みやサイクルを理解したつもりになっていたけれど、いつの間にか過程をおろそかにして結果主義の人間になっていた。種を蒔けば、明日にでも芽が出て来いと思ってしまい、思い通りにならなければ家族や友人のせいにして逃げている、そんな自分に気付かされた。
子供の頃の夕食時、家族みんなでホットプレートを囲み、月に何度か焼肉をしていた。父は「せっかくなんだから肉を食べなさい」と肉を勧め、母は「肉ばっかりじゃ体に良くないからもっと野菜を食べなさい」と野菜を勧める。
社会人になり、帰省した際に父と一緒に晩酌をする様になってからは「せっかくなんだから、もっと飲んだら」と父がお酒を勧めてくれ、その傍らで今度は母が、調子に乗って飲み過ぎるなという無言の圧力めいた視線で私を時々見ている(笑)2人で間逆の事を云う両親。2人して、そんなに私を困らせたいのかと思い、一体、私はどちらを信じたら良いのだろうか?と考えてしまった事がある。
に対しての達成感と周りからの評価があり、プロ意識をもの凄く感じる事がありました。
少し前の事、以前勤めていた職場で親しかった歳の離れた友人に、この話をすると友人は急に笑い出した。「だからバランスだよ」と。始めは言われている意味が分からなかったけれど、友人の話を聴いているうちに段々謎が解けてきた。肉好きの父が、肉ばかり食べてしまっていては、健康を害する事になる、そこで、野菜推進派の母がいてくれる事によって、バランスが取れる事になる。私も父も、お酒が大好きだけれど、酒ばかり飲んでいてはこれもまた、健康を害する事になる。そこで、母の無言の圧力(笑)によって「今日はもうやめておこう」という思いが湧きあがり、酒に飲まれ過ぎることなく、バランスが取れる事になる。
一見、マイナスの出来事に大きなプラスが隠れていたり。プラスと思って蓋を開けて見たら、実はマイナスだったり。人生はいつだって、見えている通りとは限らず不思議である。
皆様にとって、素敵な1年になります様、心よりお祈り致します。