私が中学1、2年の時の話です。学校の教師ではないのですが、私が信頼を寄せている30過ぎの男性がいました。
中学生といえば世間的に言えば「子供」ということになるのでしょうが、子供は子供なりの世界観であったり悩みは抱えているものです(今思い返してみると他愛のないことだったりしますがその時は切実なことでした)。私はその男性(ここでは仮にUさんとします)に様々な話や相談事を聞いてもらっていました。
ある日、私の家族が「電車内で理不尽な行動をしている乗客を見掛けた」という話をしていました。私は、その乗客のあまりの理不尽さ具合に非常に腹を立ててしまい、怒りの感情を消化することが出来ず、その話をUさんにすることにしました。
Uさんは、ひとしきり私の話を聞いた後に「その人も何か色々と嫌なことがあったんとちゃうか」と言いました。出来事はたったそれだけなのですが、その時私は怒りをシェアしてくれなかった不満と同時にとても恥ずかしい気持ちになったことを憶えています。今思い返してみると、物事の表面だけに囚われるのではなくその裏にあることを見ようとする事、色々な切り口で人や事象に対峙することの大切さをUさんは教えてくれたのだと思います。
Uさんの言葉はその後も私の心にずっと引っ掛かっています。独善的に人を裁こうとした時、事象を一面的にしか捉えようとしなかった時、Uさんの言葉がある地点まで私を引き戻してくれるのです。
仕事や作業をスムーズに進ませる事、自分の中の感情のバランスを取る為に、ある一定の枠の中で物事を捉えたり、人を理解しようとする事はある意味で必要な行為かもしれません。ただ、私(達)は人と濃厚に関わりを持つ職業に就いています。人を簡単に理解したと思い込むこと、自分の価値基準に疑問を持たない事は如何に危険であるかという事は肝に命じていかなければと感じています。
Uさんとは高校を卒業するまで深く関わって頂きました。その後は数年に一度お会いするのみで現在では年賀状のやり取りが主たるものとなっています。普段、「恩師」という存在を意識したことはありませんが、私にとってUさんは「恩師」と言う存在なのかなと思っています(Uさんは「恩師」という響きは非常に嫌がるかと思いますが)。
Uさんも50代半ばになっておられます。ここで話をした時のUさんの年齢を私は4~5年前に追い越してしまいました。その頃のUさんに笑われない大人になっているかな、と自分に問い掛けつつ、多感な時期に信用出来る大人とめぐり合えたことに感謝しています。