Kさんはお風呂に入るのをあまり好まれません。入ってしまうと気持ち良さそうにされていますが、お風呂に入るという行為が面倒なのかスタッフ側から入浴の声掛けをしても進んでお風呂に入ろうとされる事はありません。いつも「いいです」「入りません」と言葉少なに仰られたり、表情が硬くなったりします。そんなKさんの意思を尊重・・・したいのはやまやまですが、Kさんの身体のこと、衛生面のことも気掛かりです。スタッフは無理強いはしないながらも、あれやこれやで何とか入浴まで漕ぎつけます。言葉のやり取りで分かって頂くというよりも、何となく雰囲気や流れで入って頂く事が殆どかと思います。
ある日のことKさんに入浴の声掛けをしたところいつもの如く「入りません」との答え。時間を置いて再度声を掛けても同様でした。ただ、その「入りません」という言葉の返し方がいつもと違う・・・というかいつもよりご自分の意志を明確に仰られていたように感じた為、何故入りたくないのか私は尋ねてみました。
「入りたくないんだよ」「勝手だろ」やや語気を強めに言われます。確かにお風呂に入りたくないのは個人の自由、勝手は勝手なのですが、普段見せない表情と言葉に(こう書いてしまうと失礼にあたりますが)この時のKさんに俄然私は興味を持ってしまいました。
結局お風呂に入らないと身体が良くないこと、臭いが身体についてしまうこと等を何度も伝えると憮然としながらも「じゃ、入るよ」と服を脱ぎ始められました。あんなに入るのを嫌がっていたのに入る前には湯温を確認して「よし」とご満悦のご様子。その後は気持ち良さそうに入浴をされていました。
書いてしまうとたったこれだけの出来事かもしれませんが私はとても嬉しくなりました。ただ入浴されたから嬉しかったのではありません。いつもは硬い表情で黙り込んだり、言葉少なく入らないことを表現されていたKさんがこれまであまり聞いたことのないような言葉で明確に意思表示された事や、その時の力強い表情。Kさんと時間を掛けて会話をし、憮然とではあるもののご本人が納得されて入浴されたことが嬉しかったのです。いや、結果入浴されなかったとしてもあの時のKさんの意思的な言葉や表情が見られたことが何より嬉しかったのだと思います。
以前きみさんちの志寒さんが「どっこいしょ」の記事で、入居者さんに次に何を行なうか(選ぶか)選択肢を与えているようでスタッフ側の都合の良い方に答えを誘導してしまうことの危険性と、その際に入居者から明確にNOを突きつけられる事の有り難さを書かれていました。今回のKさんのことがそれに当てはまるかどうか分かりませんが、ふとその記事のことを思い出しました。
また、以前のんびり家3階の福田さんが法人内の研修で「入居者さんが見せる貴重な瞬間を逃さないように」と仰られていたことも思い出しました。
「繋がる」とはこういうことなのかと思います。以前誰かが言っていた(書いていた)印象的な言葉、その時は感覚的に捉えていたり、意味が分からなかったことが、ある体験を基に明確に繋がる時。それはとてもダイナミックな瞬間です。今回は同一法人内他事業所スタッフの方の言葉ではありますが、お寺のよこでも至らない私を指導して下さった先輩スタッフや、現在ともに働いているスタッフの言葉からも同様の「繋がる」体験はしています。勿論入居者さんの言葉や生活しておられる姿からも。
「繋がる」ことは言葉と体験が繋がることでもあるし、それが基になり自分がここに居る意味に繋がることでもあるし、自分と他者、社会が繋がることでもあるのかなと思います。
何故Kさんが今回のような表情、言葉を表出されたのか分かりません。ただ、Kさんの言動から私は色々なことが「繋がり」ましたし、「繋がる」ことの大切さを教えて頂いた気がしました。もしかしたらKさんも何らかの「繋がり」を欲しておられたのかもしれません。
今後もこの「繋がる」ということを大切に出来るよう、自分の中の引き出しを多種多様にしていければと思います。