子供の頃から金木犀の香りがとても好きでした。10月の上旬、1週間~10日程度しかその香りを楽しむことは出来ませんが、毎年金木犀の香りがするととても嬉しくなります。
子供の頃は純粋にその香りを好んでいただけだったのですが、お寺のよこで仕事をするようになってからは、違った楽しみ方をするようになりました。
私がお寺のよこに入職したのが、6年前の10月1日。まさに金木犀の香りが漂い始めた時期でした。その時は介護の仕事をするのが初めてであったことから、期待というよりも不安がとても強かったことを思い出します。
嗅覚はとても不思議な感覚だなと思います。時に視覚や聴覚よりも「匂い」を感じることにより記憶が鮮明に蘇ることがあるからです。私にとって金木犀の香りは、お寺のよこに来た時のことを思い出させてくれ、「あの頃は一杯一杯だったな」と懐かしく感じさせてくれるのです。
匂いは花や空気といったものばかりではなく、人・・・入居者さんからも感じられます。それは体臭や衣類という身体的な部分から発せられる匂いばかりではなく、その方の人格のようなものからも匂いが発せられることがあります。私は入居者さんの匂いを感じることがとても好きです。何故好きなのか考えて見ると、入居者さんの何か大切なものに触れたような実感(極一部ではありますが)を感じられることが嬉しいからかもしれません。
11月13日に入居者のKさんがお寺のよこでお亡くなりになりました。Kさんはお寺のよこが開設してしばらくしてからいらっしゃいましたので、ほぼ10年お寺のよこで過ごされたことになります。
適切な表現ではないかもしれませんが、Kさんは数々の武勇伝(笑)をお持ちの方でした。
私が入職した頃は大分落ち着いておられましたが、オープン当初から数年の武勇伝を先輩スタッフから聞く度、Kさんのパワフルさに半ば感動すら憶えていたような気がします。
Kさんも独自の匂いをお持ちでした。ただ、匂いというのは不思議なもので、私が入職してから年を重ねていく度に変化していく匂いもありました。それはお寺のよこで穏やかに生活を過ごされていったのと比例していたような気もします。
ただ、基本的に持っておられる匂い(人格から発せられるものかと思いますが)は不変でした。それは「唯我独尊」と「包容力」という半ば相反する匂いであったかと思います。そのような匂いが感じられたのは、人の世話になることがお嫌いであられた一方、人を包み込むような優しさを存分にお持ちであったかのように感じたからかもしれません。
Kさんがお亡くなりになった瞬間に私は立ち会っていたのですが、その瞬間もKさんらしい匂いを発しながら旅立たれていったような感じがして、その場に立ち会わさせて頂いたことを深く感謝致しました。
今後もKさんの匂いは自分の記憶の中に深く留めていきたいと思います。また、入居者さんの匂いを感じることは日々大切にしていきたいと考えています。