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【私が思う思いやり】 松林

2011年07月23日 | きみさんち

震災から4カ月経ちましたが、まだまだ復興には時間が掛かるようです。被災した人達には、心からお悔やみをお送ります。
その震災当初、TVではACのCMばかりが流れていましたが、そのCMの中に「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える。」というコピーのものがありました。
それを見て私は、「思いやりは誰にでも見えるけれど、本当の思いやりは見えないようにするものじゃないかなぁ」と感じました。
CMのように直接手を貸すと相手はありがたく思うだろうし、周りの人も「あの人は思いやりがあって立派な人だ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないね」などと思うかもしれません。手を貸すことは何も悪い
事ではありません。手を貸さないよりは差し出した方が良いでしょう。
でも、我々介護職は、あまり手を出しません。
利用者さんの生活を支えるのが我々の仕事ですので、手を出さないと言うと矛盾を感じるかも知れません。
「それが本当の思いやりだ」とまでは言い切りませんが、本人の有する能力を奪う可能性があるからというのが理由です。一歩引いたところで、利用者さんの生活を支えて行くのが、我々の仕事だと考えています。
もっと言うなら、私は利用者さんにとって「空気のような存在」になりたいと思っています。
「空気のような存在」、良い意味にも悪い意味にも取れますが、私の場合、利用者さんが今やりたいのではないかと思っている事を察し、さりげなく導く事。自分では出来ない事を、押しつけがましくない程度にする。こういう空気になれたら良いなと思っています。
「やってあげる」という事は、その人に出来ないという事を認識させてしまい、落ち込ませかねません。
更に回数が増えて行くと依存的になり、自分では何もしない、出来ないようになってしまうかもしれません。
「ありがとう」と言われない空気のような存在になりたいのです。仕事ですから、「思いやり」とは別物ですが、こんな考えから世間に対する思いやりも、さりげなく出来れば良いなと考えています。
以上、伊達直人でした。

00:21 | Posted by admin