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【待ち人きたらず】  きみさんち 志寒

2019年07月27日 | きみさんち

ファイル 450-1.jpegきみさんち前のベンチには、さまざまな人が立ち寄って下さいます。
ご近所さんがふらりと顔を見せて下さったり、坂を上りきった高齢者が少し休んでおられたり。時にはワンちゃんを連れて、散歩の途中に立ち寄ってくれます。
立ち寄る皆さんとの交流をご入居者さんも心待ちにしておられ、その中でもKさんは暑さ、寒さにも負けず、1日に長いときには数時間、誰かを待つかのようにベンチに腰掛けながら、のんびりと過ごしておられます。
ファイル 450-2.jpeg梅雨に入りかけたシトシトと雨が降る、ある夕暮れのことでした。
食事を終えたKさんが外のベンチを見ながら、おっしゃいました。
「ねぇ!暗いよ、こんなに暗いのは生まれて初めてだね。見てごらんよ」Kさんは外のベンチを指差しています。確かにうす暗がりはうす暗がりなのですが、驚くような暗さでもありません。街灯に照らされたベンチが雨に濡れ、白く光っているばかりです。
『もしかして、時間を勘違いしているのかな?』そう私は思いました。
認知症の症状には時間の見当をつけることが難しくなる症状、時間の見当識障害というものがあります。もしかして夕方の6時過ぎという時間を、もっと昼間の時間帯と勘違いして、なぜこんなに暗いのかと驚いているのではと考えたのです。もちろん、そんなことをご本人に指摘することはありませんが。
しかし、一緒に外を見ていて気がつきました。雨が降り続き、私たちの話し声も濡れた暗がりに吸い込まれていきそうな雰囲気です。その中で白いベンチだけがぼんやりと街灯を反射して、いかにも寂寞とした光景です。
私は、あぁ、五月闇という季語があったなと思い出しました。陰暦の5月は丁度、梅雨の時期にあたります。その陰鬱とした梅雨空の下の、昼の暗がりや夜の闇のことを五月闇と呼ぶのです。Kさんにとっては社交の場であるベンチが、たずねる人もなく、雨の夜の暗がりにただ浮かんでいる。それはKさんにとっては、まさしく“暗い”光景に間違いありません。そう気がつくと同時に、見当識障害などと小賢しいことを考えていた自分が恥ずかしくなりました。あぁ、私は表面的な浅いものの見方をしていたなと。
そう気がついたのちは「そうですね、暗いですよね」と、二人、暫くベンチを眺めていました。
ベンチには待ち人も来ず五月闇

17:04 | Posted by kimisanchi