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【赤い花が揺れて】 志寒

2011年11月23日 | きみさんち

この原稿を書いている今は金木犀が盛り。甘い香りが街中に溢れています。折々の花は本当に心を和ませてくれますね。
きみさんちの皆さんも花がとてもお好きで、毎日の買い物でもしげしげと愛でておられます。
ご近所にも植物を丹精込めて育てられているお宅が多く、前もって季節の花が盛りのお宅に目を付けて、外出を手伝っている時に「あちらを通ってみませんか?」などとお誘いするときがあります。
そうしてそのお宅の前を『気づいてくださるかな?』と思いながら通りかかると、たいていは目を留めて下さいますが、私の思いを裏切り(?)私が目を付けた花よりも、小さな小さな雑草のような花に興味を示されて、その意外性がまた嬉しかったりします。
ああ、雑草という植物は無いと叱られそうですね。
そうして一緒に花を眺めていると、今夏にお亡くなりになったKさんが、この花を見たら何ておっしゃるだろうという思いがよぎります。
Kさんもとても花がお好きな方でした。夏にはよく、きみさんちの前のサルスベリ並木の赤い花を「同じ赤でも色が少しずつ違うんだよ」と見上げておられました。
夏空の似合う威勢のいいあの赤い花は、いかにもKさんご本人のようです。調べましたらサルスベリの花言葉は「雄弁、愛敬、活動、世話好き」。いやはやなんともピッタリな花ですね。Kさんも旅立たれ、サルスベリも赤い絨毯のように花を散らせ、夏が往きました。ですが、サルスベリの花が咲くたびに、飽くことなく花を見上げるKさんが私の目に浮かぶことでしょう。
私だけではなく、あの光景は夏が来るたび、きっと誰かが思い出すでしょう。
生きものは死を迎えても、誰かの記憶に生き続けることで永年の命を得ると言いますが、個人の具象の記憶を越えて、繰り返す花のように、街の光景の一つとして生き続ける。そんな生き方もあるのかなと思います。
さて、車いすの方と一緒に道ばたに180cmの大男がしゃがみ込んでいるこの光景。誰かがいつか思い返してくれるでしょうか?

00:24 | Posted by admin