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【自分の最期を考える】 松林

2012年01月23日 | きみさんち

重いテーマである。
でも、しかし、頭を過る事、これ少なからず。
今夏、入居者のKさんが病院で亡くなり、それからふとした瞬間に考えたりしている。
生とはなにか、死ぬという事とはどんな事なのか。
現在、精一杯生きている入居者さんと日々を過ごし、自分も生命を感じさせてもらっている。自分には勿体ないほどの素晴らしい職場である。
そして、自宅に帰ると、これまた年老いた友人が迎えてくれる。
人間の年齢で言えば60歳をとうに超えた、吾輩とは決して言わない、猫である。
こいつの方が明らかに先にあの世行きなんだなと、時々悲しく思う事がある。
そうなった時、自分はどうして生きて行けば良いのか。。。
生まれて直ぐにもらい受けたので、私を本当に頼って生きている奴である。
帰ると迎えに来るのは当たり前で、寒い日には帰るなり、早くストーブを点けろとせがんで来る。
そのくせ、出掛ける時は、見送りはしてくれない。
今日は夜勤だと告げると、悲しそうな声で鳴く。
今日はサブだから早く帰れるよと言うと、本当かと疑って鳴く。
私の宝物、めちゃ。
捨てられた子猫を見つけた友人達から、何度もめちゃと一緒に飼って欲しいと連絡を受けるが、毎回、丁重にお断りしている。その理由はめちゃを全うしたいからである。
めちゃ以外の何者かが家に入ってくると、めちゃにどんな影響があるのか。
それはそれで興味はあるが、他の者に少しでも心を寄せてしまうであろう自分をシャットアウトしたいのである。
そんな思いから、私は、このめちゃを全うするまで健康である事を願う。
私の最期は、めちゃの最期を見送った後にやってくる事を強く願う。
Kさんの生活を思い出すと、本当にKさんらしい日常を過ごされたなと思う。
入院直前まで、大好きなタバコを吸いに商店街まで出掛けていたし、Kさんならではの冗談も聞かせてくれていた。
めちゃとKさんを繋げる訳ではないが、生命を全うしたKさんに見習い、私はめちゃを全うして、それから自分の最期を考えてみようと思う。
タイトルから遠く離れてしまったが、、、もっと重い話はもう少し置いておいて、生きる事を考えて行こうと思い直した次第である。

00:26 | Posted by admin