Aさんはひとりで動く事ができなくてベッドでの生活です。
余り声を発する事はないのですが、時々「おはよ!」と返事をしてくれるので、何かと話し掛けながら介助をしていました。
特に朝になると「Aさんおはようございます!」とカーテンを開けて「いい天気ですね!」や「今日は七夕ですよ!」と、お天気の事やその日の出来事を話し掛けたりしていました。
2年前のある夏の日の朝、いつもの様にAさんの部屋のカーテンを開けると、ベランダに濃い紫色の朝顔が3つ咲いていました。
「Aさん!朝顔が咲いていますよ!見えますか!」とベッドの上半身を少し高くして話し掛けると、目をぱちぱちさせて、何も言わずにじっと外を眺めていました。
時が流れてまた夏が来ました。いつもの様にAさんの介助をしていましたが、もやもやした気持ちのまま数日間過ごして気が付きました。夏なのに何故か朝顔が咲いていなかったのです。「Aさん今年は朝顔が咲かないですね」と、いつもの様に介助をしていると、真っ黒な澄んだ瞳で私をじっと見つめてきました。(朝顔を気にしているのは私だけでAさんは興味ないのかな?)と少し寂しくなっていました。
ある日、Aさんが入浴している間にベッドメイキングをしながら何となく外を見ると、ベランダに濃いピンク色の朝顔が2つ咲いていました。普段介助している私からは少し見えにくいのですが、ベッドの上半身を高くするとAさんからは良く見える所に咲いていたのです。
私の顔をじっと見つめてきたのは、もしかしたら「朝顔は今年も咲いているよ!」と言っていたのかもしれません。
その数日後、Aさんは体調が優れず入院してしまいました。
痰が絡んで咽ていたら慣れない手つきで吸引をしたり、Aさんの身体がベッドの端に行ってしまっても力が無くてベッドの中央に戻せなかったり、パット交換が手早くきれいに出来なかったりと、私が介助する事でAさんに負担を掛けていた事も多々あったと思います。それでも最後まで一緒に居られたら…という気持ちはありました。
医師や看護師からの指示があれば、介護士でも医療的な事をする事が出来ますが限られていますし、Aさんの体調面を考えるとここでは限界なのかな…と。
Aさんとの事を考えると『介護士って無力だなぁ』と思いました。
Aさんが入院して暫くしたある日、出勤してくると玄関に朝顔の花が落ちていました。その朝顔を見ていたら、Aさんから「頑張れ!私の事忘れないでね!」と言われている様でした。
介護の世界は毎日変化があって、のんびりしている私には追い付かない事ばかりですが、世の中が落ち着いたら新しい施設で過ごしているAさんに会いに行きたいです。
そして、朝顔を見てAさんが私の事を思い出してくれたら嬉しいです。