有栖川宮公園の高台から麻布方面へ下る細く急な坂道は、暗闇坂と呼ばれています。
都立図書館で活字を詰め込んだ頭を冷やしながらこの急坂を下ると、場所がら様々な国の人たちとすれ違います。雨の夜など傘をかしげて狭い歩道を譲り合い、お互い不確かな発音で「Thank You!」「アリガトー!」と言葉をかけあうと、暗闇の名にそぐわず、ほのか明るい気持ちになる坂道です。
そもそも東京タワーを見ながら六本木ヒルズに抜けるのですから、暗闇はどこへやらというのは現在のお話。高台の北側斜面にあたり、さえぎるビルもなく木枯らしが山にぶつかり、天狗の仕業かざわざわと木々がざわめいていたであろうその昔は、それこそ名に相応しい不穏な坂道だったのだろうなぁと推測するわけです。
それにしても夜を知らない麻布・六本木の「暗闇」に思いを馳せると、なんとも不思議な気分で楽しくなると同時に、一見、そぐわないように思えるものにもしかるべき理由があるのだなぁと感じさせられます。
古い地名の中には意味不明のものや縁起の良くない響きのものも多く、地名を替えてしまうこともあるらしいのですが、こうした不思議や思考の楽しみをむげにしているようで、とてももったいない気がします。私の出身地の石川県にはその名も「猫シタイ」という地名があります。「ねこのしたい」と読むそうです。津波被害のあった女川、小名浜。
どちらも「オナ」が付きますが、一説によると「オナ」は「オナミ」、巨大な波を示しているそうです。なんでかな?どうしてかな?と立ち止まって考えることで得られるものは多いようです。
先日、きみさんちではリビングのテーブルを替えました。古いテーブルは大好物なかぼちゃやサツマイモを入居者さんが切るのに、勢い余って刀傷だらけ(笑)
夜勤で薄暗い中で書類を書いているとあらぬ方向にペン先が走り、書き直しになってしばし突っ伏すテーブルです。ですが、その傷の一つ一つに入居者さんの一撃や眼差しが感じられて、替えるのを迷っていました。けれどもスタッフの「また傷をたくさん作っていってくれますよ」の一言で気持ちが落ち着きました。
テーブルを替えてしばらくしたころ、とある利用者さんが黙々とテーブルをなでていました。はて?何かがこぼれているのではないしと、しばらく見ていたら、ふと気がつきました。数年前はその方は時おり「いい木材ですね~」とテーブル椅子の材質を確かめながらおっしゃっていました。それがいろいろなことが積み重なり、言葉数が少なくなり、手の動きが少なくなり、その言葉もほとんど聴かれなくなりました。「いい木材ですか?」隣に座り、今度は私がつぶやいてみました。ふと一瞬、手が止まり、一息つくと、ゆっくりとうつむかれました。
もちろん、本当に木材を確かめていたのかはご本人でなければわかりません。でも、わからないと切り捨てずに、在りし日に思いを馳せる、その不思議さを受け止めて考える。地名だけのことではないのだなぁと思います。
暗闇坂を通る人々の中には、昨今の関係を懸念する国の方もおられます。でも、天狗がいようが、木枯らしが吹こうが、わかり合えることをあきらめない限り、傘をかしげて笑顔で行きかう気持ちがある限り、暗闇のままではないだろうと願っています。
P.S.先日、きみさんちでは秩父の和銅鉱泉に一泊旅行に行ってきました。和銅鉱泉は古代の通貨、和同開珎が見つかった遺跡があります。宿に付いた途端、ある入居者さんが「会社の慰安旅行で来たことある!」と喜ばれていました。いい思い出を発掘してくださったのかなと思います。