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【きみさんち Who am I?】 志寒

2013年10月23日 | きみさんち

Who am I?・・・「私はだあれ?」という英語のゲームを、遥か昔、中学校の外国人の英語講師に教えてもらいました。簡単なゲームで、ある人がとある「誰か」になったと設定して、その人がその「誰か」の特徴をヒントとして出していき、他の人は質問をしながら、それが「誰か」を当てるというものです。
例えば、『私は泳げます』『あなたは魚ですか?』『いいえ違います』『日本に住んでいますか?』『野生では住んでいません』『淡水、海水、陸地、どこにいますか?』『・・・たいてい海水と陸地ですかね。ただし、凍った淡水の上にも。』『あなたには羽根がありますか?』『あります』『あなたはペンギンですね!』という具合。
そのヒントと質問が英語でなされるため、楽しみながら英語のトレーニングが出来るという遊びでした。また、なるべく早く当てるには、上手く対象を絞れる質問を考える必要があって、推理力が鍛えられ、頭の体操になった覚えがあります。
認知症には見当識障害という症状があります。私たちは時間や場所や人間関係を、客観的な現実に従い認識する能力があります。見当識障害になるとその認識が現実から離れてしまい、夜中なのに昼間だと思っていたり、馴染みのはずの家や道が見知らぬ場所になったり、自分の子どもを自分の親と思っていたり。その状況や程度はとても変動しやすいのですが、それが強く出ている時には、現実からかなり離れた主観的なその人だけの世界に浸っておられることもあります。ですが、あくまでもその人にとっては、その世界が紛れも無い現実。それが強い不安や社会との軋轢など害を及ぼさなければ、最大限尊重されるべきだと思っています。(一方で環境調整やさりげない声かけなどで、客観的な認識を手助けすることもあります)
さて、支援の中で時折、その人だけの世界に“参加”することがあります。
例えばお風呂をお勧めしたいときに、きみさんちは旅館だと思われているときには、即席に旅館の従業員になってお風呂の用意ができたことをお知らせしたり・・・。そうした場合、その方の世界を邪魔せず壊さないように尊重し、その中で情報を集め、自分はその中でどういう存在であるか、いかにさりげなく把握できるかが鍵になります。
ああ、今は旧姓を使っておられるので、多分、女学生に戻られているから、きっと私のことを先生と思っているな?とか、掃除道具を持った私に「あら、遅くまでごくろうさま。もうお休みください」と仰ったので、ここはご実家で、私はそこの従業員と認識されているなとか。
それはまるで、台本も渡されず即興劇に立たされ、私はだれ?と問いかけられているような・・・。そしてそれは、私にとってはとてもとても楽しいひとときなのです。
なにせその方の、大事な舞台に抜擢されたわけですから。
どなたかのエッセイで読んだのですが、その方が美輪明宏さんにお会いするたびに、美輪さんは去り際に突然「愛しているわ」と仰るそうです。そしてその瞬間に、現実から引き離され、美輪さんの豪華絢爛の舞台に突然立たされたような気分になると。
「私はだれ?」と利用者さんに問いかけられるとき、その見当識障害と呼ばれる現象に飛び込んだとき、私はその美輪さんの「愛しているわ」を心の片隅で思い出すのです。
さて、パソコンがお好きな方はご存知かもしれませんが「アキネイター」と検索してみてください。ランプの魔人相手に「Who am I?」とできますよ?

00:56 | Posted by admin