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【スタート】  のんびり家3F 永辻

2012年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

2011年12月31日(大晦日)のお昼に入居者さんたちで御節の準備に取り掛かりました。今年は御雑煮・紅白なます・金平ごぼうなどを作りました。夜には年越しそばを食べました。しかも海老天二本入りです。これにはみなさん嬉しそうな顔をしていました。
その後、大晦日の代名詞とも言える「紅白歌合戦」を見ながら、2011年の最後の時間をゆっくりと過ごしました。そして「行く年・来る年」を見ながら、カウントダウンをして新しい年の2012年を迎えました。
2012年1月1日(元旦)のお昼に入居者さんたちで近くの神社に初詣に出掛けました。
今年ものんびり家にとって幸先のいい新しい年のスタートがきれました。
去年は「東日本大震災」がありました。私たちはこのことを忘れることなく前へ、前へ、歩んで行こうと思います。2012年、みなさまにとって素敵な1年でありますように。

06:50 | Posted by admin

【アロマの効果】 のんびり家2F 依田

2012年02月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年は、本当に寒いですね。確か、昨年の予想では、暖冬に成るのではとの、天気予報だったように思います。
インフルエンザ、風邪、または、灼熱だった夏と打って変わり、寒くなり、身体の代謝機能が弱まり、胃腸障害を感じている方も多いかもしれませんね。
そんなときに、家で簡単に予防したり、緩和できる事があることを、私が、日常で実践していることをお知らせしたいと思います。
私は、もう、20年ぐらい前から、アロマに興味を抱き、細々ながら関心を寄せ続けています。最初に、目にしたのは、海外の番組で、肉親を亡くされた方で、悲しみのあまり、その現実を受け入れ難く、焦燥感、虚無感にさいなまれ、立ち直れない、そんな方に、とてもアロマは、効力を発揮するというものでした。
その当時で、すでに、イギリス、フランスでは、医療に組み込まれ認可されており、日本では、原宿に店舗兼、教室が出来ましたが、まだまだ、世間からの認証度は、高くありませんでした。アロマの溶液じたいも、イギリスからの輸入品だけであったように、記憶しております。
概要は、さておきアロマと言えば、ラベンダーが有名ですが、やはり、いちばん使いやすく、万人に好まれる香りだと、思います。また、使い勝手も良いです。お部屋の中に、この香りを、漂わせておくだけで、殺菌効果があり、インフルエンザ、肺炎に効き目があり、脳脊髄の働きを鎮静させ、心身をリラックスさせます。私が、ラベンダーをたいたときに感じることは、なぜか、とても、息がしやすいと感じます。呼吸が、楽だなぁと、いつも、思うんです。皆様も、よかったら一度お試しください。ただ、品質には。ピンからキリまであるので、いいものをお選びいただきたいと思います。
また、プチうつという、言葉と、現象がはやっておりますが、ネロリ、とベルガモットが、利くようです。このアロマは、オレンジの葉の部分ですが、(または、青い部分)スモーキな香りで気分を落ち着かせてくれます。不眠症の方にも、とても良いです。こんな対処療法で、寒い寒い冬を乗り切れる事を願って、皆様のご健康、ご多幸を願っております。

07:06 | Posted by admin

【のんびり家合同日帰り旅行に行ってまいりました】 のんびり家2F 飛鳥井

2012年01月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

早いもので、もう一年の締め括りの12月を迎えてしまいました。皆さん、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場3回目の、のんびり家2階飛鳥井です。
去る11月17日(木)、のんびり家2階・3階合同の日帰り旅行に行ってまいりました。
行き先は、上野動物園と浅草です。当日は、車3台に分乗し、まずは上野動物園に向かいました。実習生の方も含め、総勢24名でしたが、動物園のゲートを入る際に、生まれて初めて「団体口」から入りました。
子供の頃から何回も訪れ(現在のようにディズニーランドなどはなく、上野・浅草沿線に住んでいたこともあり、当時は遊びに行く場所と言えば上野動物園か浅草近辺が定番でした)個人的に慣れ親しんだ場所でしたが、団体口から入るというのは中々貴重な体験であったと思います。
動物園では、パンダを見学しましたが、車椅子優先と言うことで、檻に一番近い通路で見学させて頂きました。
お昼時と言うこともあり、2頭とも笹をむしゃむしゃと一心不乱に食べていました。
日本に来てから、栄養が良すぎたのか、はたまた運動不足か、慣れない環境でのストレスからか、体重が増加してしまったと聞きましたが、コロコロとした体型で可愛かったです。時間の関係で、パンダしか見学することが出来ませんでしたが、入居者の方達も喜んで下さったようです。
その後、浅草に移動し、老舗の天ぷら屋「葵丸進」で昼食を食べました。本当は、名物の天丼を食べたかったのですが(この天丼が丼からはみ出すくらいの豪華なものなのです)、団体で人数が多いと手間が掛かり、対応出来ないと言う理由で、残念ながら食べることが出来ませんでした。
今回は、天ぷらを含むコース料理を頂きましたが、皆さん満足して下さったようです。
昼食の後は、浅草仲見世を歩き、お土産の人形焼を購入して、のんびり家に帰ってきました。好天にも恵まれ、事故や怪我などなく皆さんのご協力のもと、無事旅行を終えることが出来ましたことをご報告致します。
今回初めて担当として旅行を企画し、実行しましたが、個人的には企画準備段階から当日まで、福田さんや石井さん、3階の旅行担当の新城さんに頼ることが多く、おんぶに抱っこと言う形になってしまい、大変ご迷惑・ご心配をお掛けしたことを反省しています。
しかしながら、2階・3階とも入居者全員が参加出来たこと、入居者の方達の笑顔が何よりの喜びであると実感出来たことは、今回の旅行での大きな収穫であったと思います。反省点は多々ありますが、これを次回の旅行に生かして行きたいと思います。今回は日帰り旅行でしたが、次回は是非一泊旅行にしたいと思います。
最後になりましたが、これから益々寒い季節になりますので、皆さんお身体ご自愛ください。少し早いですが、佳いお年をお迎えください。

06:47 | Posted by admin

【初どっこいしょ】 のんびり家3F 山浦

2012年01月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

はじめまして!9月から、のんびり家の3階で働いている。山浦と言います!!
働き始めて3ヶ月が経ちました。前職と全く違う仕事内容な為、最初は悪戦苦闘もしましたが、今は毎日がとても充実しています。
自分は長野県の小さな田舎町で生まれ育ちました。町に電車の路線が無く、バスも一日に片道5本程度…東京に比べると生活に不便な環境の中で生活していました。
けど、その地域で生活している方々は「不便でも、しなくてはいけない」と言う気持ちが強い為か、現在90歳になる自分の母方の祖父母は今でも夫婦2人で元気に毎日野良仕事もし、たまに車の運転もしています。普通に考えて「運転なんて危ないのでは?」と自分も今の仕事に就く前は考えていましたが、今の仕事を始めてから、例えば料理が出来る入居者さんに「危ないから包丁は使わないで」と言っているようなものだと思いました。安全なのは前提ですが、ただ危険だからと言う理由で、その方の本来出来る能力を奪ってしまうのは、良くない考え方なんだと、今の仕事を始めてから考え方も変わりました。
自分は今、グループホームと言う仕事に就いて「入居者さんの事を深く知ることが出来る」こんな素晴らしい環境にいて、今後自分には何が出来て、入居者さんが何がしたくて、その為にどのような環境を作っていけるのか、考えていきたいと思っています。
まだまだ未熟な自分ですが、先輩のスタッフ、入居者さんとの触れ合いを通じて、自分の今後の人生の大きな糧になっていけたらな、と思っておりますので宜しくお願い致します。

06:45 | Posted by admin

【皆さんはじめまして。】  のんびり家3F 君塚

2011年12月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

今年の7月から一緒にお仕事をさせて頂いております君塚と申します。
私はこれまで石油会社とチョコレート会社で事務の仕事をしておりました。退職以前から介護の現場での人材不足のニュースはよく耳にしており、これから深刻化する高齢社会を生きる者として他人事とは考えられず、事務よりも介護の仕事に興味を持つようになりました。そしてご縁があり、こちらのグループホームで介護のお仕事をさせて頂くことになり、初めての経験ばかりですが事務の仕事とは全く違った充実感の中、学び多き日々を送らせて頂いております。
さて、私が今の仕事をするようになって特に驚いたこと(自分が以前持っていた介護の仕事に対するイメージとのギャップ)が2つあります。1つは、職場の雰囲気がとても明るく、入居者さんとスタッフの笑顔であふれていることです。そしてもう1つは、入居者さんとの接し方において、とても頭を使う仕事だということです。介護の仕事が単純な肉体労働だと思っていた自分が単に世間知らずなだけだったのかもしれませんが、このような先入観を持っていたことについて今ではとても恥ずかしく思っております。
自分たちの仕事は「入居者さん1人ひとりを見極め自立した生活を支援すること」と言葉で教わるのは簡単ですが、的確に実行するのはとても難しいことであると4ヶ月経った今でも痛感しています。
例えば、私が今心掛けているのは、「入居者さんと同じ目線で明るく話しかけながら、支援していい事といけない事をはっきり線引きする」ということを頭の中で何度も繰り返しながら入居者さんと接するようにしているのですが、自分が口下手なこともあり思うようにできていないのが現状です。
最後に、自分を日々指導して下さるスタッフの皆様そして自分の至らぬ支援に笑顔で接してくれる入居者の皆様、どうもありがとうございます。まだ1人前の仕事ができておらずご迷惑をお掛けしている毎日ですが、どうぞこれからも宜しくお願い致します。

06:44 | Posted by admin

【思う事】  のんびり家2F 千葉

2011年12月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

私ものんびり家で働き始めて1年と5ヶ月が経とうとしています。一年も働いてこんな事もできないのか、考えていないのか、そのようなことを考えさせられることがあります。
一年と五ヶ月はあっという間という感覚ではなく、私にとっては一日一日自分の考えを押さえ込んで耐えているような感覚でした。今までどれだけ自分が好きなようにやってきたのかわかりました。
時間があれば、昼間でも気持ちよく寝て。何か食べなくても寝なくても没頭することがあって。心の余裕でしょうか。
でもほんの少しですが、今のほうがしっかりしてきたなあと感じることもあります。
最近は、人生いろいろだなあと考えています。自分がわかる範囲だったり自分のわからない所で、何かを得ていたり、失っていたりするのだろうなあと思います。
そのように未熟のためか考えてしまいますが、私ができる入居者様との時間を大事に過ごしていけたらいいなと思います。

06:38 | Posted by admin

【Yさんの紹介です。】  のんびり家3F 福田

2011年11月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

10月8日のんびり家3階に新しい入居者さんYさんがご入居されました。
Yさんは今年90歳の女性です。
Yさんは早速、スタッフに「あの…お食事の好みが分からなかったので何もお作りしていないのですが」と言われ、どのような反応をされるのか、スタッフもドキドキ。
なぜ、こういった支援を行ったのかと説明をするかというと、入居者さんの出来ることと出来なくなってきていることの見極めを行うための一つの手段なのです。お茶もスタッフから入れてお出しするのは入居後まで。その後は、ご自身でお茶を入れることができるか、お茶の場所を探すか、冷たいものがすきなのか、温かいものがすきなのか…ありとあらゆる方法でその方を知っていきます。当然、お茶の場所が分からない、入れることが出来ないのであれば私たちはその状況にあった支援を行います。
さて、食事の話の結果…「あるものでいいです。皆さんといっしょで」(ここでスタッフが「はい。分かりました!」と作ってしまいがちなのですが…)そのあるものをお見せして調理法を相談。私だったら煮てしまう赤魚を「塩で焼くと美味しいのよ。フライパンはどこ?」とじっくりと魚を焼かれました。もちろん、美味しかったです。
Yさんの目標はYさんのお母様とのこと。お母様は100歳まで生きられたそうで「母は足が丈夫でピシッとしていたの。私なんかすぐフラフラしちゃうからもう駄目ね。」と仰ります。しかし、Yさんは「歩かなくちゃ駄目になっちゃう。」という言葉を常に仰ります。
私たちがYさんを色々知って、様々な方法で支援するだけでなくこういったYさんの思いが強いということは私たちは忘れてはいけないですし、その思いを実行し出来る限り実現していかなくてはいけないのです。
Yさんはご入居間もないのでまだまだ知らない事が沢山あります。Yさんから色々教えて頂きたいとも思っております。

06:38 | Posted by admin

【大阪に帰ります】  のんびり家2F 角田

2011年11月09日 | のんびり家::のんびり家 2F

この仕事(のんびり家2階)で働き、1年と6ヶ月が過ぎました。
色々な家庭の事情、環境等色々な事情があり、考えに考えた末に家族が離れ離れに暮らさなければなりません。
この仕事に就いて、言うのも何ですけどやっぱり家族は一緒が1番やわ、と思いました。
なぜかと言うと、先月、僕の父親が(アルツハイマー)と診断されました。診断される前は、冠婚葬祭以外は帰らず、電話もかけず、家族の事は頭の片隅にあっただけで何も考えていませんでした。
僕の勝手ですが、最近は休みの時は毎回大阪まで帰り父親や母親、妹、妹の旦那、子供達といっぱい、いっぱい話します(やはり話すことコミュニケーションが1番)。
色々考えた末に、大阪に帰ろうと思います(普段は悩んだり、考えたりはあまりしませんが)。
東京に22歳の時に出て来て、本当に、いい人にしかめぐり逢って来ませんでした。仕事にも恵まれてきました。 みなさん、ありがとうございました。

06:38 | Posted by admin

【買い物の風景から】 のんびり家2F 石井

2011年10月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

早いものでのんびり家2階が開設され1年が経ちました。1年の中で入居者の入れ替わりもあり、8月下旬に再び8名の入居者が揃いました。そして、8月下旬某日での買い物での出来事です。
昼食の買い物に入居したばかりのTさん、元先生のYさん、新潟ご出身のYさん、4点杖をお持ちのYさんの4名で出かけました。その買い物中に色々な入居者の表情が垣間見えとても素敵な買い物風景でした。
買い物に出る際のんびり家では階段を下りなければ玄関にはたどり着けません。そこで、いつも「あなた梯子しかないの。どうしようもないね。」など4点杖のYさんはごもっともなことを他の入居者に話します。そこで、私が「でも、・・・・・。」とまさに言いかけた瞬間にTさんが「私だってフワフワしているんだから大丈夫よ。」と言うと「うまいこと言うね。」といつものように階段で下りて買い物に出かけました。そして、いざお店に向かうのですが、もちろん4名の入居者の歩行状態が異なります。杖を使う方もいればスタスタと歩く方もいます。そこで、入居者の方の職員を見極める力に職員は「凄いな。」と感心してしまいます。4点杖のYさんはいつも「足元がユラユラするから少し掴まらせて。」と必ずといっていいほど職員に助けの手を差し伸べてきます。この日もまったく同じでした。しかし、私はYさんには自分の力で歩く力を少しでも長く持ち続けて頂きたいために、あえて荷物を片手に持つと、Yさんは諦めた様子で、その歩行状態を心配したTさんがYさんの近くで歩き時には「自転車が来ますよ。気をつけて。」と他の入居者に注意を促します。もちろん、私は入居者の歩行状態、体調、表情、移動距離、転倒などのリスクなど考慮しながら1歩1歩入居者の様子を確認しながら歩いているのですが、Tさんの言動やそれに呼応するように反応する他の3名の買い物風景を眺めながら逞しいなと感じました。まるで、職員が異分子のようにさえ感じることが出来ました。
お店に到着すると「そういえばお腹空いたね。」と4点杖のYさん、それに呼応するように「そういえば私も空きました。」と元先生のYさん。そこから、昼食の相談が始まり、何とかまとまり会計になりました。会計を済ませた際に店員さんが荷物を分けますかと職員の私に向かって聞いてきました。(顔なじみのお店のため事情はご存知なのです。)少しの沈黙の後に、Tさんが「大丈夫です。私が持っていきます。」と力強く店員さんに答えていました。そして、のんびり家までそれぞれのペースで帰路に着きました。
こののんびり家に勤めて6年半が過ぎてしまいましたが、「生活するとはどういうことか。」「入居者を知るとはどういうことか。」と新人の頃に問いかけられました。それは今でも自分の中でもっともっと突
き詰めていくべきことだと思っています。支えあっている入居者の力を奪うことのないようにするためには日々入居者の方を「知ること」だと思います。入居者の今を大切に「入居者の生活」ということを考え続けながら今後ものんびり家で頑張りたいと思います。

06:37 | Posted by admin

【祭りの秋!】  のんびり家3F 熊谷

2011年10月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

9月・・・暑い夏が終わろうとしています。
しかし、これからアツイのが、のんびり家のある、白山・向丘地域!祭りや、イベントが目白押しです!
3、4日は白山祭り。17日は根津神社でお祭り。18日は学園祭!(IN都立向丘高校)
のんびり家3階の男性入居者Dさんはお祭りや、人の集まるイベントが大好き!買い物の途中や、散歩途中に街の掲示板を見て、こうしたイベント情報をチェック!
そしてのんびり家のカレンダーに書き込み、「○日はどこそこで、お祭りだね!」とカレンダーを見るたびワクワク・ドキドキ!
白山祭りでは盆踊りを4曲踊られ、根津神社では露店めぐりを楽しまれ、向丘高校の学園祭では、高校生にまじり、お茶を・・・。(昼食を食べに行ったのですが売り切れだったそうです・・・残念!)
祭りの後はお風呂に入り、ご機嫌な鼻歌を歌われており、本当に大好きなんだなぁ・・・と、こちらまで楽しい気分になります。9月はいつも以上に毎日をすごく楽しまれていたように思います。
そんなこんなで9月のカレンダーは祭りやイベントの予定が沢山書き込まれ、赤く染まっておりました。
10月も地域の運動会や、学園祭が目白押しです。紅葉の如く、9月以上にカレンダーが真っ赤に染まるのではないでしょうか・・・。

06:37 | Posted by admin

【お初でございます(^-^)/】 のんびり家2F 新山

2011年09月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは~。
今年の6月16日から、のんびり家2階に入社した新山です。働いて、間もなく2ヶ月目に突入しようとしています。
私自身、介護職の経験は2年以上ありましたが、グループホームでのお仕事は初体験。今年に入り介護ヘルパー2級を取得した際に色々な事を学びました。命の尊さ、高齢者に対する尊敬の意、生老病死、思いやりの心の大切さなど…。
実は、資格もなく初めて介護の仕事についた時の話しになりますが、高齢者に対する言葉遣いや扱い方が「人間」とは思えないほどのものでした。
不信感を抱き上司に相談しましたが、「資格もない、新人が生意気だ。」と一言。
そして月日が流れて、現在にいたります。
今は、縁があって「のんびり家2階」で働いています。
林田さんを初め、石井さん、木村さん、角田さん、飛鳥井さん、依田さん、千葉さん、入居者様方との出逢いが私にとってプラスになりました。こんな自分に優しく時には厳しく接してくれる皆さんと、これから一緒に働き学び成長していきたいです。そして、入居者の一人一人を知り、自立支援を支えられる「人間」に成長していきたいとの決意でございます。
以上、新人の新山でした。

06:36 | Posted by kimisanchi

【Nさんありがとうございました】 のんびり家3F 福田

2011年09月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

8月6日、のんびり家3階に入居されていたNさんがのんびり家でお亡くなりになられました。98歳でした。
Nさんは2000年にのんびり家が本駒込にてオープンしてまもなく入居されました。
私はNさんが入居されたその日は夜勤で出勤するとNさんの姿がありました。その日の夕食はお誕生日が近いと言うこともあり、お寿司の出前を取りビールで乾杯をした思い出があります。
Nさんとは約11年間という長い間お付き合いをさせていただきました。初めてお会いした頃は私も23歳でしたが、現在では34歳になってしまいました。
当時の私は人を「知る」事すらできなかった私がのんびり家で働き自立支援を行なうようになり人を様々な方法で「知る」ようになっていましたが、自立支援をきちんと理解しない私は結果「やらせている」になっていました。
その中でNさんは、のんびり家の最年長、人生の大先輩。関東大震災、太平洋戦争と教科書で習ってきた出来事を乗り越えてきています。23歳の小娘が言う事なんか何てことありません。
私は必死でNさんを椅子から立っていただくために、あの手この手を使いますがNさんは椅子から立ちません。あの当時はNさんはどうすれば椅子から立つのか…を考えてばかりいたような気がします。
生意気な事を言う小娘にたいして「あんたはきつい事ばかり言うから結婚できないんだよ」と一番言われたくない言葉を私に言い「フン」と笑った時のNさんの顔。あの時は「いいもん。別に結婚だけが人生じゃないし」と強がっていたもののかなり動揺していたのは今だから言える話です。Nさんうるさい小娘をぴしゃりと黙らせる一言を用意していたのですね。
旅行に出かける直前になると「私はお留守番しています…」とスタッフが困惑したり、眼科の先生に「なんだか目が見えなくて…」と言ったところ「まぁ、おばぁちゃんとても視力が良いですよ」とほめられた事、「手が動かない」とスタッフを頼りにしようとおもいきや目の前に大好物のお饅頭があると手が良く動いていた事、スーパーで買ってきた鰻の蒲焼をカセットコンロに網を載せて大量の煙の中鰻を温めていた事、長期の入院から医療的支援が必要になりながらも最期までNさんはのんびり家で生活をされていたこと。どれもこれも、私の中で消えない思い出でもありますし、特に医療的支援が必要になった6年間は不可能と思われた旅行への参加を実現など可能性の幅が広げる事ができました。Nさんからは本当に多くのことを学ばせていただき私も大きく成長し育てていただいたと感謝しております。
Nさん、本当に有難うございました。

06:36 | Posted by admin

【身近なことから】 のんびり家2F 依田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

東日本震災一口で言うのも震災に遭われた方々には失礼にあたるかもしれませが、一言で、(大変でしたね。)
私は、丁度、その日はお休みでした。家で過していたのですが、そろそろ、お買い物にでも出かけようかと支度をしている最中にグラグラと揺れてきました。いつもの事で直ぐ収まるだろうと、気楽に構えていたのですが、だんだん揺れは激しくなるばかりで怖くなり、トイレに逃げ込みました。
トイレに逃げ込んだのは、何時か何かで、多分情報番組だと思いますが、トイレは四方に柱があるので意外に頑丈にできているので、地震の時は一番安全な場所だ。との事を思い出したからです。逃げ込んだは、いいですが、一向に揺れは、収まらず、壁は迫ってくるようで思わず壁を、手で押さえてしまいました。私は、もう、これで一貫の終わりだと覚悟いたしましたが、それにしても、まだやり残した事があるどうしたものかと、神や仏にお祈りを唱えてしまいました。(自分の都合に合わせて、お願いしてもいけないのですが)そうこうしているうちに、揺れは収まり、本当に収まって(ありがとう)と感謝で一杯になりました。でも、興奮冷めやらず、頭は、ぐるぐる、身体は、へなへなの状態です。住まいも、取りあえず壊れていない、と、頭に浮かんで来たものは、(おばあちゃんたち、大丈夫かしら、こんな、大変な揺れの中で、怪我をしていないかしら)と、家が、職場に近いものですから、すぐ、自転車を飛ばし、のんびり家に!
階段を駆け上がり、ドアを開け、中へ、(大丈夫ですか)?
入居者の方々は、以外にも平然とされていて、何事もなかったようです。(何か、自分が間違った行動をしてしまったような気がしたものです)ですが、これも、一重に、スタッフの迅速な対応によって、入居者の方々の安全が守られた事を喜びつつ、労いの言葉をかけ帰途に着きました。
それから、もう何か月もたちますが、いまだ復興は、スムーズではないようですね。今、忍ばずの池のところで、東北地方の物産が、販売されています。伺ったところによると、政府の支援を待っていると、来年になるそうです。
それまでは、待てないので、自分たちで何とかしようと芸能人の方、コロッケさんなどを中心に活動され、銀行の融資もおりて、がんばってやっていこうという気運が高まっているそうです。伺った方の顔も明るかったです。私に、出来ることは、と考えたときに、いろいろ、問題もありますが、家庭の中に震災に合われた地域の商品を取り入れていき支援に繋がればと思っております。小さいことですが、私の気持ちを表して行きたいと思っております。まず、身近な事から、こつこつとやってゆこうと思います。
また、私くしも、3月に怪我をいたしまして、暫くの間お休みを頂きました。この場を借りて、入居者の方々、入居者のご家族、代表取締役、管理者、スタッフの面々にお詫びと、お礼を申し上げます。

06:35 | Posted by admin

【ご紹介】 のんびり家3F 福田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

6月下旬、のんびり家3階に新しい入居者さんがご入居されました。
Mさんです。昭和8年生まれの78歳。山形県出身です。
Mさんは無口な方ですが、お買い物の際にスタッフが荷物を沢山持っている姿を見て、ポンポンとスタッフの肩を叩き「持ちますよ」と言葉には出さずにジェスチャーで伝えて下さったり、道にゴミが落ちていればゴミを拾い、植木鉢が倒れていれば直すなどとても優しい方です。
そして、Mさんといえば、指パッチンです。『パチン♪』と鳴らす音はとても軽快な音でスタッフも入居者さんも真似をしてみるものの、なかなか良い音が出ません。そして指パッチンは両手で連続して鳴らす事が出来るのです。
とある日、買い物の帰り道にふと無言になってしまった時に私の顔を覗き込みパチン♪と指を鳴らしにっこり笑ってくださるMさん。きっと、私を楽しませようと思い鳴らしてくださったのでしょう。
のんびり家3階の入居者さんは男性2名女性4名となりました。Mさんがご入居された事により生活に広がりが出る事でしょう。そして、気付いた頃には『のんびり家指パッチン隊』を結成している…かな。

06:35 | Posted by admin

【Yさんのこと】 のんびり家2F 飛鳥井

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。梅雨のこの時期、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場2回目の、のんびり家2階の飛鳥井です。
この仕事を始めて早や1年になろうとしていますが、今回はYさんのことをお話したいと思います。
Yさんは、先日入院先の病院でご逝去されました。享年80歳でした。Yさんとの出会いは、昨年の7月、のんびり家の新規開業の時でした。Yさんの印象は、小柄で笑顔の可愛らしい方で、ひ孫さんがいるようには見えない若々しい感じでした。
ご入居当初から余命宣告をされていて、ご家族は「最期はのんびり家で」と覚悟を決められていたようですが、ご病気を抱えてはいるものの、ご本人は比較的お元気で生活されていました。とは言え、昨年末頃から徐々に体調が悪くなり、検査や治療のための入退院を余儀なくされていました。そして、今月の上旬に、高熱のため緊急搬送され、入院をしていたのですが、残念ながらお亡くなりになりました。
ご入居以来のYさんとの間の出来事を色々と思い返してみました。甘いパンが大好きで、「そんなに慌てて食べなくても」とこちらが思う位、急いでパンに齧り付いていた姿。深夜、トイレから戻り「何か飲みますか?」と尋ねると、飲み物の種類は答えず「いっぱい下さい」と答えたこと。とても気を遣う性格で「(居間に)皆といるよりは、自分の部屋にいる方が気楽でいい」と言っていたこと。何か上手く出来ないことがあると、ご自身の出身地の言葉で「私は、ずくがない(根性がない、意気地がないと言う意味)から」と悔しそうに言っていたこと等々。
思い出と呼ぶにはあまりにも記憶が生々し過ぎて、まだYさんが亡くなったという実感が湧きません。入院先の病院から、ひょっこり帰ってくるような気がします。Yさんの体調が少しずつ悪くなり、ADLが低下してきても、私は割りと厳しい態度で接していたように思います。実際に、Yさんから「あなたは意地悪ね」と言われたこともあります。傍から見れば、「そこまで厳しくしなくても」と思われていたかもしれませんが、少しでもYさんにのんびり家での生活を全うして頂きたいという思いからでした。
Yさんが亡くなってしまった今、果たして自分の支援の方法が正しいものであったのかと自問自答してみますが、答えが見つかりません。Yさんの為と言いながら、単なる自己満足でしかなかったのではないか?とも思いますし、答えはこれから仕事を続けて行く中で見つけるしかないのかも知れませんね。本当に、介護の仕事は奥が深い仕事だなと改めて考えさせられました。
Yさん、今頃は天国でご主人と再会していることと思います。大好きな甘いパンを今度はゆっくり味わって食べてください。Yさんの笑顔と声はいつまでも忘れません。最後になりましたが、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。

06:34 | Posted by admin