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【自宅で生活する母、グループホームで生活する入居者さん】 のんびり家3F 竹田

2014年07月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

夏休みは私事ですが、新盆でもあり家族3人で実家に帰省して墓参りをしてきました。
一人住まいになった母親は、幸いにも(気丈にも)葬儀後のシュンとした様子とは打って変わって食事の用意をしたり何でもやる気を出して案外元気でした。
夏まつりでは夕方家を出て獅子舞を楽しんだらしい。夜に打ち上げられた花火も堪能したというから驚きだった。
当初一人暮らしになってしまうことが不安でした。しかし町の福祉課職員のサポート、介護保険での訪問支援、社会福祉協議会からの支援、そして何よりも隣近所の方々のお世話になりながらどうにか一人暮らしが維持できるようなサポート体制が整いました。
介護度もランクが下がり、訪問回数は減らされたものの、身体状況は改善していることにほっとしました。
何と言っても今まで通り自宅で生活ができることが一番で、夫である父が居ない寂しさは当然でしょうが、自宅で生活していく決意と覚悟みたいな気迫が感じられたのが救いでした。父がやっていた庭の雑草を刈ってやり植木の剪定をしてやり、なすやトマトなど畑の作物を収穫して3度の食事の世話などをして帰りました。
「秋に庭木の雪囲い(雪吊り)はどうする? お前にできるか?」などと先のことまで心配しているくらいだから認知症の症状など心配することはなさそうである。
さて、東京にもどるとすぐにグループホームの仕事に就きました。ここで生活する入居者様はそれぞれの事情で家族のもとを離れて共同生活をされているわけですが、心のどこか隅に「自宅で暮らしたい」「家族と暮らしたい」という気持ちがあると思います。共同生活では制約もありますが、少しでも元の自宅での生活の延長線の生活ができるような支援に心がけていきたいと思います。

08:42 | Posted by admin

【当たり前】 のんびり家2F 名倉

2014年06月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは、のんびり家2階、名倉 章夫です。どっこいしょ4回目の記載になります。
早いもので、のんびり家で働かせてもらって約2年の月日が流れようとしています。2年と言う時間の中で様々な事がありました。入居者の方々と一緒に笑い合えた瞬間、外出、旅行、様々な事を教えて頂いたり、時にはぶつかり合ったり、時には悲しい瞬間、涙が出て来る瞬間だったりと・・・・
時間と言うのは皆平等ですが、人によって時間軸と言うのは違うかと思います。入居者の方々1人1人もやはり時間軸は違うかと思いますが、自分が入居者の方々と2年間と言う時間を関わらせて頂いた中で、どの様に入居者の方達に影響してきたのかなと思い返す今日この頃です。
2年と言う月日の中で1番衝撃と言うか、心に刻み何時までも忘れては行けないと自分に誓った事があります。
2回目のどっこいしょ記載の際にも触れましたが、それは(当たり前))と言う気持ち、考えを、自分自身の考えから捨てていかなければ行けないと。
洋服を着る事、食事を食べる事、朝起きる事、歩ける事、その他色々ありますが自分自身の日常生活に当たって、日々自分が行っている事に対して当たり前と言う考えを捨て、上記の事を出来る事に感謝していかないと行けないと考えるようになりました。
日々入居者の方々を支援させて頂くに当たって思う事は、入居者の方達は1つの事をやり遂げるのに対して、人により差は多少ありますが、1つ1つがとても真剣に取り組んでいて、やり遂げると、とても良い表情が見れる瞬間があります。その笑顔にあるのは、達成感、又は自信でしょうか?そこは人に寄るかとも思いますが。
ただ上記の事に対しての入居者の方々1人1人の共通点は出来て当たり前と言う考えがない事です。だから素敵な表情が出てくるのかなと思います。
人は皆年齢を重ねていきます。自分が入居者の方々と一緒の年齢になったとイメージして今、のんびり家にいる入居者の方達と同じ考えが出ているのかと考えると全くイメージが出来ません。それは自分自身の考えの中に当たり前と言う考えが根強くあるからかなと考えます。
これから先時間は要すると思いますが、入居者の方達を見習い、当たり前と言う考えを少しずつ無くしていけたらと思います。

08:41 | Posted by admin

【美容院へ】 のんびり家3F 浅井

2014年06月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

この間、入居者さんのYさんの髪が伸びたので、一緒に美容院へ行って来ました。
当日はあいにくの雨だったのですが、電車に乗り、行って来ました。美容院に着くと美容師の方に「今日はどうしましょうか?」と聞かれ、Yさんは「いつもと同じでいいです。」と答える。
美容師の方も前回の記録があるので、「耳を出すぐらいに切りますか?」と聞くと、「はい。短くお願いします。」とはっきりと答えていました。美容師の方も若い男性だったので、なんだか嬉しそうでした。
切り終わってから短く切った感想を聞くと、「やっぱり短いのは楽でいいわね。洗うのが簡単ね。」と嬉しそうに言ってくれました。この瞬間やはり女性だなと感じました。Yさん、ショートヘアもとてもお似合いですよ。

08:26 | Posted by admin

【それから、4時間後。Kさんの話。】 のんびり家2F 福田

2014年05月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは。どっこいしょを書くのは5回目になりました。2012年4月入社ですので、2年と少し。まだまだ、経験不足です。介護の経験自体もですが、なにより人の生死の境に立つことそのものが、今まで数多くあったわけではないのだと、あらためて感じています。
私の担当であった、Kさんのお話です。Kさんははきはきとした、江戸っ子口調と言うのでしょうか、びしっと話される方でした。お寿司などの美味しいものが好きで、コーヒーを好んで飲んでいました。入浴にあまり積極的ではなく「一番風呂が沸きましたよ」と言うと「よかったね、入んないけど」。またあるときは「今日は汗、たくさんかいてますね」に「そうね、でも別にいいわ」。最後は「あせもができたっていいよ」とばっさり。お医者さんが、お風呂はお肌のためにいいんだって、と話して、やっと「そう?なら入ろうかな」。私はお医者様に勝てないのだろうか……と打ちひしがれ、周りの先輩に相談したのもいい思い出です。
そんなKさんは4月下旬、好きなお寿司でさえも食べてはむせ、咳き込んでは吐き出すようになり始めたために食事量が減り、他、体調や栄養状態も考え、入院されました。お見舞いに行ったときは「Kさんのこと、帰って来るの待ってるよ」と話し掛けると笑顔になり、「うん」と返事が聞けました。そうして、ご本人の意向と体調の推移を踏まえ、5月頭に退院されました。酸素の機械を必要としながらも、とろみをつけたポカリスウェットやコーヒーゼリー、ティラミスなどを少量ですが食べ、ブドウゼリーにははっきりと「おいしい」と話していました。退院して数日、私が夜勤に入った日、手を握ればしっかりとした強さで握り返し、話し掛けに対してこちらに顔と目を向ける素振りが見られました。夜間帯もそれほど苦しげではなく、次の日を迎えました。夜勤終わりの朝9時過ぎに「Kさんおはよう、また来るね」と話し掛け、私は帰路に就きました。それから約4時間後、13時に連絡がありました。最期は苦しそうな様子なく、息を引き取ったとのことを。その瞬間には立ち会っていませんが、最後の夜を一緒に過ごしたのは私だったのだな、となんとなく思いました。生活を過ごす間に、笑い合ったり喧嘩したり、学ばせて頂いたり。貴重な時間でした。慣れるものではないと聞きましたが、思い返し、悼む時間を持つ、それに慣れる必要はないのかとも思いました。
Kさんのご冥福を心からお祈りします。

08:40 | Posted by admin

【はじめまして。】 のんびり家3F 浅井

2014年05月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

昨年の12月より、のんびり家3階で働かせて頂いている浅井です。家族介護の経験はありますが、仕事しての介護は、まったくの未経験で、ここのんびり家3階に飛び込みました。
のんびり家に入った当初は、右も左もわからなくて、落ち着いて自分の頭で考える事も出来ず、先輩職員さんの真似をする事で精一杯。真似と言っても、完成度の低い真似なので、上手く行くはずもなく四句八苦。
働き始めて今月で5ヶ月目になりますが、最近やっと、少しだけ落ち着いて、勤務出来るようになった気がします。
少しずつですが、この仕事の楽しさがわかってきたと同時に、考える事や悩む事が増えてきました。
今の私の最大の目標は、利用者さん一人ひとりをきちんと知る事。そして、自分で考え自分の言葉を持つ事です。
人を知るという事は、同時に自分を知る事でもあり、自分にとって都合の悪い自分と向き合う事も多く、ベットに入ってもなかなか眠れない夜もあります。
でもここのんびり家には、未熟な私の悩みに真剣に耳を傾け、一緒に考えて下さる利用者さんと先輩方がいます。今はまだ、利用者さんや先輩方を頼りにするばかりですが、利用者さんや先輩方と過ごす時間を無駄にする事なく、しっかり楽しみ、勉強し、一日でも早く、のんびり家に溶け込めるように、成長していきたいと思います。

08:24 | Posted by admin

【地域密着というけれど・・・?】 のんびり家2F 新山

2014年04月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

のんびり家2階の新山です。どっこいしょに書きたいことが色々あり何を載せようかすごく悩みました。
(私が、勤務から帰る途中、近所のパン屋で飲みものを購入した際に、パン屋の方が「どっこいしょ見ましたよ。あれ、新山さんだよね」と笑顔で話しかけられた事がありました。私は、文章能力があまりないのですごく恥ずかしい気持ちと地域の方が、「どっこいしょを読んでくれているんだ・・・」と嬉しい気持ちでいっぱいになった事を覚えています)
今回は、TさんとYさん二人で買い物へ行った時の出来事と地域の方との交流について感じた事を書きたいと思います。
TさんとYさんが近所のパン屋で買い物をしました。私は、遠方見守りでお二人を観察し見守りしていました。のんびり家を出て何やら会話をしながらパン屋へ向かったTさんとYさん。色々な気持ちで少し離れた外から見ていると、二人でパンを選ぶ様子が見受けられました。そこにお店の方が笑顔でお二人に話し掛け楽しそうに会話をしています。
パンを選び会計を済ませお店から出てきたお二人。その姿は、自信に満ち溢れてとても良い表情をしていました。
そのまま、まっすぐ、のんびり家へ歩いて帰る姿を見て、すぐにパン屋へ事情を説明して、お礼を言いました。
この日の出来事が、入居者と地域の方が普通に交流がとれる事の素晴らしさをこの身で感じることができた瞬間でした。
地域密着型って何だろう?と考え続けてきましたが、今回の出来事などの積み重ねなのかな。と感じました。
私たちが普段買い物をする事、入居者が買い物をする事。同じ事です。リスクは多少ありますが、当たり前の事を当たり前に出来る入居者の「力」を信じたい。
これからも、入居者と地域の方への感謝の気持ちを忘れずに日々過ごしていきたいです。
「今」私にできる事は何か考え後悔のない日々だったと思える自分になれるように。毎日の生活の中で大事な瞬間を見逃さないように成長し続けたいです。

08:39 | Posted by admin

【きずな】 のんびり家2F 飛鳥井

2014年03月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。どっこいしょ登場も7回目になりました、のんびり家2階の飛鳥井です。
今年の冬は、記録的な大雪に見舞われるなど、日本だけではなく、世界各国で異常気象が続いている様子ですね。日頃から良く報道されている「地球の温暖化」の影響なのでしょうか。私達に出来ることは微々たるものかも知れませんが、地球の環境を少しでも守るために、日頃の便利な生活を見直し、出来ることから始めて行かなくてはならないと考えるようになりました。
ところで、以前の記事にも一度書かせて頂きましたが、昨年の11月に、私が住む足立区にある介護老人保健施設を再訪し、「ゴスペル」を歌わせて頂く機会がありました。一昨年初めて歌わせて頂いた時に、とてものりの良い方がいらして、私たちが歌う曲に合わせて手拍子したり、身体を動かしたり、声を掛けて下さったりと、歌っている私達にとっては、一番嬉しい観客である方が、今回も最前列で車椅子に座りながら、前回と同様に声援を送って下さいました。
今回も、一昨年に歌った「きずな」と言う歌を歌いましたが、今回は、歌いながら私が一番先に泣いてしまいました。
日頃は、自他共に認める「鉄の女、滅多に泣かない女」の私ではありますが、今回はほぼ歌い出しから涙が出てしまい、指揮をしている先生や他のメンバーもびっくりした様子でしたが、自分が一番びっくりしました。
「きずな」と言う歌は、とても歌詞の内容が素敵で、深いのですが、特に2番の歌詞で「とても小さなことが、何故か煩わしくて、誰も要らないなんて思うけど、違うよ。どんな辛い時代も、飢えて寒い夜も、暖めてくれた誰かがいたから今日がある。ありがとう。」と言う部分が共感出来て、私は好きです。
この歌を歌うと、「人は一人では生きて行けない。お互いに助けたり、助けて貰ったりしながら、皆で生きて行くものなのだな」と改めて思います。
介護の仕事を始めて4年目の私ですが、今まで一度も辞めようとか辞めたいと思ったことはありませんが、常に「自分は本当にこの仕事に向いているのかな」と言うことは頭の中にあります。今まで続けて来られたのは、一緒に仕事をしているスタッフを始め、入居者の方々や、そのご家族、近隣の方々など、本当に沢山の皆さんに支えて頂いたからこそだと、改めて感謝の気持ちで一杯です。現状は、ギブ&テイクの「テイク」を占める部分が多い私ですが、これからは少しでも「ギブ」の部分を増やし、「きずな」を大切にしながら、皆さんに恩返しが出来るように、自分なりに努力して行きたいと思います。

08:38 | Posted by admin

【赤鬼と青鬼と仲間たち】 のんびり家3F 柿沼

2014年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

お正月を過ぎて数日経ったある日「ねぇ、Kさん年が明けたねぇ。2月って節分があるけど今年豆まきする?」と聞いてみました。
「豆まき?何を撒くんだ?」「う~ん大豆かなぁ?」(反応が今一つ…….…。)
数日後「ねぇKさん、2月に節分があって豆撒きするじゃない?そん時さぁ下の保育園に鬼の格好して2人で行くっていうのはどうかなぁ?」
「2人でか?」「うん、多分2人で」
保育園と聞いた途端、Kさんの目はキラキラ~ン!(Kさんは小さいお子さんが大好き)キラキラ~ン!の目のKさんにすかさず、「青鬼と赤鬼どっちにする?」聞いてみました。
「赤だな!」即答するKさん。(えっ?赤?赤鬼か、以外だなぁ)
後で分かった事ですが、Kさんのイメージだと青鬼は顔色が悪く、弱い鬼らしいのです(笑)
2月3日赤鬼Kさん、青鬼スタッフK、Hさん、スタッフAはかわいい園児に大泣きされつつ保育園で暴れてきたのでした。
最高に笑えて、楽しい1日でした。(近所の方も私たちを見て吹きだしてましたねぇ)
Kさんによると来年は緑(鬼)だそうです。
只今より、来年のご予約を承ります!!

08:31 | Posted by admin

【考える…】 のんびり家2F 石井

2014年02月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

今年の冬もかなりの寒さに身も縮む思いをしていますが、今回はそんな寒い日の外出での出来事を伝えたいと思います。

先日、利用者のYさんがお昼のことで隣のKさんに話し掛けていました。「あなたの今食べているご飯はどこにあるの。」と、そこでKさんはYさんに「おかって見てらっしゃいよ。」と返事を返していました。その一部始終を見ていた私は、その後の動きに注目していました。Kさんに促されたままのYさんは台所に着くと直前のやりとりが少し抜けてしまったご様子でした。さりげなく近くに寄ると「あなたご飯ないのよ。」と問いかけがありました。そこで「ご飯は下にありますよ。」とご飯の在りかを教えると「あなた、これはお米でしょ!すぐに食べられないじゃない。」ということで最終的には買い物に出かけることになりました。
いつも「あー、わかんなくなっちゃったよ。」と口癖のようですが外に出ると一変。「あなた寒いし、お腹空いたわよ。」
としゃきっと背筋も伸びています。そこで、通りの向かいにあるコンビニエンスストアの「鍋焼きうどん50円引き」というポスターに導かれ購入に至りました。のんびり家に帰宅し、1段落した際に調理が始まります。鍋焼きうどんの調理自体に慣れていないためYさんの問いかけに職員が見守りをしながら行っていました。そこで、その様子を見た私は少し見守りをしていた職員の距離感を修正しました。その意図は近くにいることで、Yさんの「有する能力」を発揮する場面を奪ってしまうのではないかと考えたからです。調理に話しを移すと、Yさんは鍋焼きうどんをガス台に乗せ火をかけていました。Yさんは職員を気にかけながらも近くにいないために、Yさん自身で火の調整を見ながら、グツグツと5分は煮込んだであろう鍋の火に四苦八苦しながら消しました。
私は、ぐっと堪えYさんがその熱い鍋をどのように運んでいくのか気になり、他の職員にも待ってもらいました。(もちろんYさんの歩行状態、鍋焼きうどんの重さや熱さ、移動距離・・・・・・様々な事を想定しました。)Yさんは最終的には近くに偶然あったタオルを広げて両手でその鍋焼きうどんの鍋を持ち出しました。持ち上げ数歩移動したところで、さりげなく職員が支援をしました。

この仕事では利用者のために「考えること」がとても大切になります。利用者の疾患のこと、癖のこと、以前の暮らしぶりのこと、以前の趣味のこと・・・・・本当に多岐に渡ります。のんびり家に働き出し管理者を勤めて3年が経過しましたが、新人の頃は「考える」ことに努力していましたが、「考え方」が十分に理解できていなかったと思います。何のために考え、どのように考えていくのかぼんやりしたままであったと今では感じています。利用者の生活していく姿から自分たちはどのようなことを考え、支援に生かしていくのか考え続けながら仕事を楽しんでいきたいと思います。

08:36 | Posted by admin

【信頼関係】 のんびり家3F 渡辺

2014年02月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

3階のベランダから下に生えている木に、水を撒いてしまう利用者さんがいる。ご本人にとっては水遣りのようだ。
一度、通行人に掛ってしまいクレームの電話をいただいた事があった。
まずは木の伐採をした。3階のベランダ近くまで生えていた高い木を切った。これで止めてくれるといいな、と思っていたがそうはいかない。ベランダから下を覗けば、1階にはまだまだ水を欲しそうな木たちが生えているのだから。
1階に入っている保育園の方に、裏の木を伐採しても良いか相談しに行くことにした。
足取りが重い。水を撒いているのを知っていながらその事に関しては触れた事がなかったからだ。ある利用者が水を撒いてしてしまうと説明したところで「ああ・・・」と先生の目が宙を浮き何かを思い出された様子。怒られるかとドキドキしていると「○○さん?」と保育園の先生からその利用者の名前が出た。思わずびっくりして、なんで名前を知っているんですか!?と聞く。すると、去年の敬老会での話しをしてくれた。
子供好きでサービス精神旺盛の○○さんはお遊戯をする園児たちよりも激しく踊っていて、怖がっている園児たちもいた・・・と他職員から聞かされていたが、保育園の先生方は元気で楽しいおじさんと思っていてくれたらしく「○○さんは私たち(一部の園児も含め)の間ではブームなんですよ」と笑いながら言ってくださった。
これを聞いて私は○○さんを抱きしめたくなった!いやいや、そんなことをしたら、胸やお尻を触られるだけなのでけっしてそんな事はしないけど、行きとは反対に心軽く3階に戻ってきた。
そして○○さんの肩をチョン!とこずく。「ん?なんだ?」と○○さん。「ううん、何でもなぁい!」と私。
ホッとした。ご近所との関係を作る前に関係を修復しなければならないと思っていたら、そんな心配はいらなかった。○○さんに助けられたのは私の方でした。もう少し利用者さんを信用しないといけないと思った出来事でした。

08:31 | Posted by admin

【日帰り旅行】 のんびり家2F 名倉

2014年01月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは。どっこいしょ3回目の登場になります、名倉です。
大分寒さが増してきて今年も終わろうとしていますね。皆さんにとってのこの1年はどんな年だったでしょうか?
又、入居者の方々にとっての1年はどんな年だったのでしょうか?
自分にとってのこの1年間は、とても早く過ぎていった1年でした。
今年は色んな支援をさせて頂きましたが、中でも思い出深い支援について記載します。
今年の9月にのんびり家2階の入居者の方、全8名の方と職員6名で日帰り旅行と称しまして横浜中華街に行かせて頂きました。この日帰り旅行の企画は自分が立て実行させて頂きましたが、初めての企画という事でかなり緊張しましたし、色んな場面に置いてのイメージが中々まとまらず日数が近づくにつれて頭が爆発しそうでした。
そして当日出発の朝が来ました。天気は晴天、気温も暑くもなく寒くもなく絶好のお出掛け日よりとなりましたが、私行かないわと仰っている○○さん、どこ行くのと不安げな○○さん。といつもの感じでのスタートとなりました。
東大前~日吉乗換えで本町中華街まで電車でいきましたが、電車に乗っている時の楽しげな入居者の方々達の表情は普段とは違った笑顔、表情に見えました。
中華街に着き、お店に向かい歩いている時の入居者の方々達の表情、発言も町並みに圧倒されたようで驚いていました。
お店に着き、いよいよ昼食の時間となると、普段あまり目にすることのない食材に美味しそうとの発言があちこちから聞えてきました。
普段は食事を残す○○さん、あまり食が進まない○○さん、共に次から次へと召し上がっていました。この時の表情は今でもはっきり覚えていますが、とても幸せそうで普段のんびり家にいる時には見られない表情に見えました。この時の表情を見せて頂いただけで、大変だった企画もやってよかったと思わせてもらえました。この日帰り旅行は無事全員行って帰ってくる事が出来まして、改善点はありますが、成功と言えると思います。
最後にこの日帰り旅行、10月には山梨への旅行もありましたが、普段の積み重ねがとてもとても大きな事なんだと実感、痛感しました。来年、再来年と出来る限り長い間、日々の支援を大切にし、今のんびり家にいらっしゃる入居者の方々達と又、日帰り旅行、旅行と行きたいと思っています。

08:35 | Posted by admin

【秋の宿泊旅行に行ってきました!】 のんびり家2F 福田

2013年12月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

10月3日から4日にかけてのんびり家総出で、山梨県の山中湖へ一泊してきました。一番の見所として予定していたのは、世界文化遺産にも登録された富士山です。
3日のお昼はお弁当を食べ、夕方にペンションアベニューへと到着。
洋風のかわいらしいペンションの大きさや部屋数から、実質のんびり家の貸し切りとなり、皆さん気兼ねなくゆっくりしていただけたのではないかなと思います。夕食は前菜、スープ、鮭とステーキとご飯、食べ終わるたびに次のお皿が出てくるフルコースタイプだったので、入居者さんの中には途中で「まだあるの?もうお腹いっぱいよ」と苦笑いする方も。とはいえ、最後のデザートのチーズケーキではぺろりと召し上がられ満足そうでした。甘い物は別腹、でしょうか。
次の日の朝は小雨が降っており、東京とは比べられないほどの冷え込みでした。昨日から曇りがちだったために、本当ならペンションからも富士山を見られるはずが、残念。それでも前後の台風に直撃することもなかったので、朝食後には花の都公園へと出発です。駐車場へ着いたときには雨も止み、時間が沢山あったのと景色を眺めるのも兼ね、お昼を予約していたお店までお散歩しました。涼しいと言うよりは肌寒い、という気温の中でも、広がる草原のような場所にあちこちにお花を見ることができ、空気も澄んでいました。
さて、こう寒いとあってはやはり温かい物が食べたくなります。歩き疲れた入居者の方も、歩いた先にお昼ご飯が待っているとなれば思わず気合も入る様子。お店に入れば既にテーブルにずらりと並ぶ、
のんびり家全員分の山梨名物ほうとう鍋です。冷えた身体にホッとする温かさで、その時その場所で食べたからこその美味しさと言うのでしょうか。笑顔で食べている皆さんを見て、ここのお店にしてよかったなーと一安心しました。
富士山を望むことは最後までできず、惜しい気持ちにもなりました。けれど、初めて旅行の企画担当になった中で、宿や運転手付きのバスを調べたり、予約したりといった積み重ねが今日に繋がったのだと思うと、大変でありつつも楽しい気分になります。入居者さん、そのご家族、3階の旅行担当の方と、そして全職員の協力があったからこそ、無事旅行へ行けました。皆様ありがとうございます。

08:31 | Posted by admin

【ご報告と感謝】 のんびり家3F 福田

2013年12月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

突然のお知らせとなりますが、この11月でのんびり家3階の管理者を交代する事になりました。
というものの、この交代については以前から決まっていた事なのですが、管理者になるには様々な要件があり、研修を受ける必要があって、のんびり家で働いて3年が経過した永辻がその要件を満たし、私の後任を引き受けることとなりました。
交代とは言うものの、オープンから13年関わっているのんびり家を離れるのは退職するかのような気持ちになっています。
のんびり家に来た頃はまだ23歳だったのに気付けばアラフォーと呼ばれるお年頃となってしまいました。
最初は管理者という責任のある仕事は私には出来るのか、林田代表はこんないい加減で何も考えていない私に任せるなんて大丈夫なのか?と不安だらけでした。
その頃の私といえば、苦手な人は嫌い、苦手な人とは口を利かない、口を開けば自分の事は棚に上げ人の悪口ばかり等、人と関わる事がとても面倒臭く感じていました。しかも、自己主張はするのに、いざ人に伝えようとすると何が言いたいのか分からずしどろもどろ、悔しいとすぐに泣く…といった具合に自分に甘く生きていました。
そして、そんな私が管理者としてのスタートを切ると、いかに今まで自分がいい加減で、自分に甘いかがこれでもか、というくらい経験させていただく事が出来ました。ここまで来るには林田代表の前で涙が枯れるくらい泣きました。以前にも書きましたが最近では強くなったので泣かなくなりました。次に代表の前で泣く時はお嫁に行く報告をする時でしょうか…。
13年間、様々な経験をさせていただいたことにより自分自身も「変わったな」と感じる事が出来るくらい大きく成長させていただきました。同じ志を持つ仲間と研修に参加したり、時には大人数の前で講義を行ない「人に伝える事とは」を経験させて頂いたり、スタッフをとどう育成していくかを学んだり、入居者さんの支援を通して今の私がいる為の多くのことを学び、経験させていただきました。
本当に至らない所だらけで、未だにスタッフの皆さんにフォローして頂く事も多い管理者でしたが、のんびり家のスタッフ、入居者さん、ご家族の皆さん、法人内スタッフ、仲間になった皆さん…本当に多くの人に支えていただきました。有難うございました。

あれ?
何だか辞めてしまうような内容になってしまいましたが、辞めずに法人内で働きます。また、どこかで皆様にお会いできる機会を楽しみにしております。
12月からは永辻が管理者となります。今後とものんびり家を宜しくお願い致します。

08:25 | Posted by admin

【「豊かな老い」を考える】 のんびり家3F 竹田

2013年11月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

読書の秋という訳ではないが、日野原重明先生の各地での講演内容をまとめた著書を読んだ。「豊かな老いを生きる」とはどういう生き方なのだろう。自分の母親の入院をきっかけに病気・老後・死などを身近なこととして考えるようになった。
最初のページに「中年から始まる第二の人生」の見出しがあり、『55歳が中年、人生の午後が始まる』という。55歳、私の年齢。織田信長の時代は人生50年。いまは平均寿命が延び80年生きる。80歳まで生きるとしてもあと25年が残された人生の午後というわけだ。日中を午前・午後に分けると、早起きの方もあるだろうが、午後の時間帯の方がはるかに長い。55歳からの人生の午後は時間的には割りに合わない計算になるが、生き方においては「豊かさを実感できる」なら、「世間に存在価値を認めてもらえる人生」であったら、「死の直前まで自分の人生が良かったと誇れる」のであれば、人生の午後をまっとうして生きた証になるのではないかと思う。
私は人生の午後の節目で今の職を得て、のんびり家のご利用者のみなさん、そのご家族の方、スタッフの皆さんとこうして第二の人生を歩みはじめた。ご利用者のみなさんは、喜寿・傘寿・米寿・卒寿を迎えられる方まで、その人生の午後を生きておられる。
ご利用者のみなさんに「自分の人生が本当に良かった」と言っていただけるような生活の支え、命と尊厳を見守りながら支援できるよう、日々努力していきたいと思う。
私自身の人生の午後を豊かにしてくれるであろうご利用者のみなさんに感謝しつつ・・

08:30 | Posted by admin

【私の夏休み】 のんびり家3F 竹田

2013年11月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

9月中旬、宮城県女川町を訪ねた。
3.11震災前には女川の豊かな海で趣味のダイビングを楽しませてもらった。震災後、のんびり家に就職する前には宮城県石巻や女川にも震災ボランティアとして数回足を運んできた。しかし、女川の海に潜ることへのためらいがあった。あの海が人々の命と財産、町、文化、歴史をものみ込んでしまったのだ。―――という思いがこころを閉ざしていてダイビングをする気になどなれなかった。
仙台でお世話になっているダイビングショップの方からは震災後すぐに潜水士として雇われて作業に従事しているという情報を得ていた。また、何度か一緒に潜った方の中には家が流されたという被害も聞いた。
潜水士の仕事は遺体捜索や引揚げもあることだろうと察しがついた。3月まだ寒いなかで過酷な仕事だ。
時が経って海底の清掃になり、浜の清掃になり、今は海洋調査が主な仕事だという。魚介類の分布を調べたり、護岸の状況を調べたりするようだ。
そしてダイビング施設も再開し始め、「一緒に海に潜りませんか? 以前と変わらぬ海が迎えてくれますよ」とお誘いのメールが何回となく入ってきた。この夏そんな誘いに背中を押されるように女川を訪ねたのだ。1泊2日4回のダイビングは楽しい時間となった。あの海への恐怖、複雑な思いを全て打ち消すように安らぎの時間、いやしの時間を私たちに与えてくれた。
自然のとてつもない大きな力で起きた災害は、またその大きな力でゆっくりとゆっくりと元の海へと再生しているのだった。かったと誇れる」のであれば、人生の午後をまっとうして生きた証になるのではないかと思う。
私は人生の午後の節目で今の職を得て、のんびり家のご利用者のみなさん、そのご家族の方、スタッフの皆さんとこうして第二の人生を歩みはじめた。ご利用者のみなさんは、喜寿・傘寿・米寿・卒寿を迎えられる方まで、その人生の午後を生きておられる。
ご利用者のみなさんに「自分の人生が本当に良かった」と言っていただけるような生活の支え、命と尊厳を見守りながら支援できるよう、日々努力していきたいと思う。
私自身の人生の午後を豊かにしてくれるであろうご利用者のみなさんに感謝しつつ・・

08:27 | Posted by admin