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【Nさんありがとうございました】 のんびり家3F 福田

2011年09月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

8月6日、のんびり家3階に入居されていたNさんがのんびり家でお亡くなりになられました。98歳でした。
Nさんは2000年にのんびり家が本駒込にてオープンしてまもなく入居されました。
私はNさんが入居されたその日は夜勤で出勤するとNさんの姿がありました。その日の夕食はお誕生日が近いと言うこともあり、お寿司の出前を取りビールで乾杯をした思い出があります。
Nさんとは約11年間という長い間お付き合いをさせていただきました。初めてお会いした頃は私も23歳でしたが、現在では34歳になってしまいました。
当時の私は人を「知る」事すらできなかった私がのんびり家で働き自立支援を行なうようになり人を様々な方法で「知る」ようになっていましたが、自立支援をきちんと理解しない私は結果「やらせている」になっていました。
その中でNさんは、のんびり家の最年長、人生の大先輩。関東大震災、太平洋戦争と教科書で習ってきた出来事を乗り越えてきています。23歳の小娘が言う事なんか何てことありません。
私は必死でNさんを椅子から立っていただくために、あの手この手を使いますがNさんは椅子から立ちません。あの当時はNさんはどうすれば椅子から立つのか…を考えてばかりいたような気がします。
生意気な事を言う小娘にたいして「あんたはきつい事ばかり言うから結婚できないんだよ」と一番言われたくない言葉を私に言い「フン」と笑った時のNさんの顔。あの時は「いいもん。別に結婚だけが人生じゃないし」と強がっていたもののかなり動揺していたのは今だから言える話です。Nさんうるさい小娘をぴしゃりと黙らせる一言を用意していたのですね。
旅行に出かける直前になると「私はお留守番しています…」とスタッフが困惑したり、眼科の先生に「なんだか目が見えなくて…」と言ったところ「まぁ、おばぁちゃんとても視力が良いですよ」とほめられた事、「手が動かない」とスタッフを頼りにしようとおもいきや目の前に大好物のお饅頭があると手が良く動いていた事、スーパーで買ってきた鰻の蒲焼をカセットコンロに網を載せて大量の煙の中鰻を温めていた事、長期の入院から医療的支援が必要になりながらも最期までNさんはのんびり家で生活をされていたこと。どれもこれも、私の中で消えない思い出でもありますし、特に医療的支援が必要になった6年間は不可能と思われた旅行への参加を実現など可能性の幅が広げる事ができました。Nさんからは本当に多くのことを学ばせていただき私も大きく成長し育てていただいたと感謝しております。
Nさん、本当に有難うございました。

06:36 | Posted by admin

【身近なことから】 のんびり家2F 依田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

東日本震災一口で言うのも震災に遭われた方々には失礼にあたるかもしれませが、一言で、(大変でしたね。)
私は、丁度、その日はお休みでした。家で過していたのですが、そろそろ、お買い物にでも出かけようかと支度をしている最中にグラグラと揺れてきました。いつもの事で直ぐ収まるだろうと、気楽に構えていたのですが、だんだん揺れは激しくなるばかりで怖くなり、トイレに逃げ込みました。
トイレに逃げ込んだのは、何時か何かで、多分情報番組だと思いますが、トイレは四方に柱があるので意外に頑丈にできているので、地震の時は一番安全な場所だ。との事を思い出したからです。逃げ込んだは、いいですが、一向に揺れは、収まらず、壁は迫ってくるようで思わず壁を、手で押さえてしまいました。私は、もう、これで一貫の終わりだと覚悟いたしましたが、それにしても、まだやり残した事があるどうしたものかと、神や仏にお祈りを唱えてしまいました。(自分の都合に合わせて、お願いしてもいけないのですが)そうこうしているうちに、揺れは収まり、本当に収まって(ありがとう)と感謝で一杯になりました。でも、興奮冷めやらず、頭は、ぐるぐる、身体は、へなへなの状態です。住まいも、取りあえず壊れていない、と、頭に浮かんで来たものは、(おばあちゃんたち、大丈夫かしら、こんな、大変な揺れの中で、怪我をしていないかしら)と、家が、職場に近いものですから、すぐ、自転車を飛ばし、のんびり家に!
階段を駆け上がり、ドアを開け、中へ、(大丈夫ですか)?
入居者の方々は、以外にも平然とされていて、何事もなかったようです。(何か、自分が間違った行動をしてしまったような気がしたものです)ですが、これも、一重に、スタッフの迅速な対応によって、入居者の方々の安全が守られた事を喜びつつ、労いの言葉をかけ帰途に着きました。
それから、もう何か月もたちますが、いまだ復興は、スムーズではないようですね。今、忍ばずの池のところで、東北地方の物産が、販売されています。伺ったところによると、政府の支援を待っていると、来年になるそうです。
それまでは、待てないので、自分たちで何とかしようと芸能人の方、コロッケさんなどを中心に活動され、銀行の融資もおりて、がんばってやっていこうという気運が高まっているそうです。伺った方の顔も明るかったです。私に、出来ることは、と考えたときに、いろいろ、問題もありますが、家庭の中に震災に合われた地域の商品を取り入れていき支援に繋がればと思っております。小さいことですが、私の気持ちを表して行きたいと思っております。まず、身近な事から、こつこつとやってゆこうと思います。
また、私くしも、3月に怪我をいたしまして、暫くの間お休みを頂きました。この場を借りて、入居者の方々、入居者のご家族、代表取締役、管理者、スタッフの面々にお詫びと、お礼を申し上げます。

06:35 | Posted by admin

【ご紹介】 のんびり家3F 福田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

6月下旬、のんびり家3階に新しい入居者さんがご入居されました。
Mさんです。昭和8年生まれの78歳。山形県出身です。
Mさんは無口な方ですが、お買い物の際にスタッフが荷物を沢山持っている姿を見て、ポンポンとスタッフの肩を叩き「持ちますよ」と言葉には出さずにジェスチャーで伝えて下さったり、道にゴミが落ちていればゴミを拾い、植木鉢が倒れていれば直すなどとても優しい方です。
そして、Mさんといえば、指パッチンです。『パチン♪』と鳴らす音はとても軽快な音でスタッフも入居者さんも真似をしてみるものの、なかなか良い音が出ません。そして指パッチンは両手で連続して鳴らす事が出来るのです。
とある日、買い物の帰り道にふと無言になってしまった時に私の顔を覗き込みパチン♪と指を鳴らしにっこり笑ってくださるMさん。きっと、私を楽しませようと思い鳴らしてくださったのでしょう。
のんびり家3階の入居者さんは男性2名女性4名となりました。Mさんがご入居された事により生活に広がりが出る事でしょう。そして、気付いた頃には『のんびり家指パッチン隊』を結成している…かな。

06:35 | Posted by admin

【Yさんのこと】 のんびり家2F 飛鳥井

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。梅雨のこの時期、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場2回目の、のんびり家2階の飛鳥井です。
この仕事を始めて早や1年になろうとしていますが、今回はYさんのことをお話したいと思います。
Yさんは、先日入院先の病院でご逝去されました。享年80歳でした。Yさんとの出会いは、昨年の7月、のんびり家の新規開業の時でした。Yさんの印象は、小柄で笑顔の可愛らしい方で、ひ孫さんがいるようには見えない若々しい感じでした。
ご入居当初から余命宣告をされていて、ご家族は「最期はのんびり家で」と覚悟を決められていたようですが、ご病気を抱えてはいるものの、ご本人は比較的お元気で生活されていました。とは言え、昨年末頃から徐々に体調が悪くなり、検査や治療のための入退院を余儀なくされていました。そして、今月の上旬に、高熱のため緊急搬送され、入院をしていたのですが、残念ながらお亡くなりになりました。
ご入居以来のYさんとの間の出来事を色々と思い返してみました。甘いパンが大好きで、「そんなに慌てて食べなくても」とこちらが思う位、急いでパンに齧り付いていた姿。深夜、トイレから戻り「何か飲みますか?」と尋ねると、飲み物の種類は答えず「いっぱい下さい」と答えたこと。とても気を遣う性格で「(居間に)皆といるよりは、自分の部屋にいる方が気楽でいい」と言っていたこと。何か上手く出来ないことがあると、ご自身の出身地の言葉で「私は、ずくがない(根性がない、意気地がないと言う意味)から」と悔しそうに言っていたこと等々。
思い出と呼ぶにはあまりにも記憶が生々し過ぎて、まだYさんが亡くなったという実感が湧きません。入院先の病院から、ひょっこり帰ってくるような気がします。Yさんの体調が少しずつ悪くなり、ADLが低下してきても、私は割りと厳しい態度で接していたように思います。実際に、Yさんから「あなたは意地悪ね」と言われたこともあります。傍から見れば、「そこまで厳しくしなくても」と思われていたかもしれませんが、少しでもYさんにのんびり家での生活を全うして頂きたいという思いからでした。
Yさんが亡くなってしまった今、果たして自分の支援の方法が正しいものであったのかと自問自答してみますが、答えが見つかりません。Yさんの為と言いながら、単なる自己満足でしかなかったのではないか?とも思いますし、答えはこれから仕事を続けて行く中で見つけるしかないのかも知れませんね。本当に、介護の仕事は奥が深い仕事だなと改めて考えさせられました。
Yさん、今頃は天国でご主人と再会していることと思います。大好きな甘いパンを今度はゆっくり味わって食べてください。Yさんの笑顔と声はいつまでも忘れません。最後になりましたが、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。

06:34 | Posted by admin

【9年2ヶ月】 のんびり家3F 福田

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

4月16日にのんびり家3階の入居者Sさんがお亡くなりになりました。
Sさんがのんびり家に入居されたのは2002年の2月なので9年2ヶ月間、のんびり家で生活をされていました。
Sさんと思い出はここには書ききれないほどの思い出があります。特に私は入居時からSさんと共に生活をしてきたので本当に色々な事がありました。いくつか挙げてみると
・入居後、生活に慣れるまでの間ご家族様との約束で電話を使っていただくのを止めていただいたのですが、電話が使えずに不安になるSさん。電話を使いたくて近所の交番、商店に駆け込みますが使えず。困ったSさんが出た行動は「手紙を書く!」と。不安定な歩行も切手の購入やポストまでの往復ですっかり安定されました(Sさん、私はこの出来事で『有する能力に応じる』ことに気付かされました)
・のんびり家の入居者さんが最も重度化していた時。スタッフが買い物にすら出かけられない状況で困っていると「私が行くよ」と。元々買い物がお好きだった事と、台所を自分で守りたいという思いからの発言でしたが、古傷が痛む肩や歩き続けると痛くなってしまう膝なのにもかかわらず重い荷物を持って帰ってきてくださいました。(あの時は本当に助かりました。)
・ダイエットの為、食事の量を少なくしたある日。雨の日はお一人での散歩に出掛けないSさん。雨が降っているのにもかかわらず「ちょっと出掛けてくるね」と言いお出かけになったSさん。「もしや…」と思ったスタッフは後ろからこっそりついていったところ、案の定、出来たばかりの回転すしの店へ。カウンターに座ったSさん。満足そうに帰ってきました。
・「福田さんは、言いたい事をばーって言うし強いけど、男の人はちゃんと立てなくちゃ駄目よ」(ごめんなさい。言いたい事も言わなくて良いことも言ってしまいます)
・お亡くなりになる数週間前に「福田さん、おばあちゃん元気?」と。(数年前まで日光から電車を乗り継ぎ、東京まで来ていた今年89歳になる私の祖母のことです。度々、祖母の話をしていたのですが、近況をお伝えすると「元気だね。えらいね。」といつも言ってくださいます。)
・若かった私は指輪をして出勤(仕事中は外していたのですが)すると「結婚もしていないのに指輪なんかしているとお嫁にいけないわよ!」(Sさん、大当たりです)
等など、ここでは書ききれないほどの思い出がたくさんあります。
Sさんとの思い出はただの思い出ではありません。ここに書いてあるだけでもたくさん学ばせていただきました。
私はSさんとの出会いが無ければこの仕事の面白さや、深さに気付かされませんでした。
Sさん、ありがとうございました。Sさんが残してくださった言葉や、出来事を皆に伝え語り継いで行きたいと思います。

06:34 | Posted by admin

【季節は巡り…】 のんびり家3F 永辻

2011年06月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家で働き始めてもうすぐで1年になろうとしています。時間が過ぎるのは早いなと改めて感じています。
去年の夏は猛暑でとても暑く汗だくだったことを思い出します。それと同時に右も左も分からずに、ただがむしゃらだった自分の姿も思い出します。
秋、暑い日が続き秋らしい秋が感じられず、一気に季節を飛び越え寒くなり、衣替えを慌ててやった秋。
冬、例年より雪がたくさん降り積もり凍えるほど寒かったが、ホットコーヒーが美味しかった冬。
春、開花が遅くなったが綺麗に咲いたサクラを見て、やっと春が訪れたかと思い、少し眠気を感じる春。
この1年間、日本の四季を感じながら過ごして来ました。自分がどれだけ変わり成長したかは分かりませんが、今年の春にサクラを見ていて、ふと少しは成長出来たかなと思えた自分がいました。来年のサクラの季節にまた思えるように、日本の四季を大事にしながら、また1年頑張りたいと思います。

06:33 | Posted by admin

【今、思うこと】 のんびり家2F 千葉

2011年06月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

日頃、時間の合間にこの先について考え事をします。
今考えてもどうなるかわからないことですが、時々心配になったり、気分転換に新しいことを始めてみようかなと楽しい気持ちになったりします。そう考えてみると、不思議と未来のことは今の自分を知ることが大事なのだなという所に落ち着きます。自分は何したいのだろう、自分は何を大事にしたいのだろうと思います。そうして最初に思いつくのが家族の顔です。
家族の一番ほっとする所は、いつでも許してくれるところです。それから変わらないところです。そのような所をみてやっぱり、すごいなと思いますし、ありがたいなとも思います。
この先何が起きるのか、何が待っているのかわかりませんが、これからもずっと家族とは自然に付き合っていきたいです。
親孝行ができたらいいですが、家族は何も自分に求めていませんでした。私も今まで通りたまに家に帰ったり、たまに連絡したりして、そういう時間を大事にしていこうと思います。
またのんびり家でも日々色々な小さな出来事があり、調子が良い時もあれば優れない時、怒ったり喧嘩したり、黙っていてもイライラしていたり、人間私もそうですが入居者様もそのような時がありま
す。そんなとき自分はどうしたいのか、もちろん入居者様の気持ちを考えることも大事ですが、自分の気持ちを行動に移すことを優先できるようにしたいなと思います。それから入居者様の反応から何を感じとられるのか、考えていけたらいいなと思います。

06:32 | Posted by admin

【私事ですが・・・】 のんびり家3F 熊谷

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

私事ですが、去る3月に無事25歳の誕生日を迎える事が出来ました。しなくてもいいのに、四捨五入して30かぁ・・・などと一人考えてしまいます。
20歳そこそこの時は30歳くらいの知人・友人を捕まえては「三十路?ねぇ、三十路?」などからかっていた私。
それからあっという間もなく、25歳!この5年を振り返ると、いろんなことがありました。
専門学校時代。何かにつけ「食事会」という名の飲み会を開催していた事。
卒業式。慣れない振袖に疲れ、会場を映していたカメラの映像にとんでもないアホ面を写され、全校生徒に見られてしまった事。
卒業してすぐに、実家兼食堂が小火騒ぎを起こした事。
冷蔵庫も何もないプチ避難生活の間に、父は酔っ払って倒れ、母はぎっくり腰で倒れ(しかも引越し直前に)、私はストレス?でブクブクと太った事。新装開店から5ヶ月。店を手伝いながら介護の仕事が出来る、と、のんびり家に入職。初めは1日4時間、月10日程度の勤務でしたがのんびり家の魅力に惹かれ、徐々に勤務を増やしていただき、去年の今頃には、ついに常勤デビュー。夜勤デビュー。
この間に10数キロやせたのは、決してストレスのせいではありませんよ!決して!!
いろんなことが昨日のことのように思い出されます。だからきっと、30歳なんて恐ろしいくらい早く迎えてしまうのでしょうね・・・。
25歳までには結婚!なんていう野望は、無常に過ぎる「時間」に儚く打ち砕かれたわけですが、まだまだこれから!!25だけにニコニコと、これからの毎日を楽しくにこやかに過ごしていきます!

06:32 | Posted by admin

【思うこと】 のんびり家2F 田中

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護という仕事は自分が正しいと思ってやっている事でも他人から見れば間違って見えてしまっている事が非常に多い仕事だと最近思います。だからこそ、良く考えて行動する事が大事なのですが、スタッフ同士の意思疎通も大事なのだと思います。少なくとも「自分はこう考えている」という事を相手に主張し伝える事は必要だと思います。
入居者の方達との意思疎通も大事ですが、スタッフ同士の意思疎通も同じぐらい大事なのだと思います。
自分の考え、他の人の考えを照らし合わせて客観的に考える事も大事だと思います。
色々な事を考えていき少しでも入居者にとって意味のある介護が出来ればと思います。今後も宜しくお願いします。

06:31 | Posted by admin

【転職して2年】 のんびり家3F 新城

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

月日が経つのは早いもので、のんびり家に勤め始め2年が経ちました。
この2年間で沢山の事を経験し学ぶ事が出来ました。初めは料理も出来ず入居者さん方に教えてもらい支援の仕方をスタッフの方たちに教えてもらい充実した2年間でした。のんびり家で働く前は、ベビーシッターをしたり保育士の仕事などをしていました。まったく違う職種からの転職だったので、働いてすぐの頃は毎日が緊張でしたが凄く楽しく過ごしていました。2年経った今でも引越しなどして雰囲気はかわりましたが、入居者さんやスタッフのみんな優しくて毎日が楽しくのんびり家で働けて本当に幸せだなと思う日々です。
昨年、初めて宿泊研修に参加したのですが仕事の事について色々なグループホームの方々と一緒に2日間勉強をしました。講義を聞いたり、グループワークを行ったりと初めての経験ですごく色々なことを学びこの仕事の楽しさを改めて感じる事が出来た研修でした。また機会があれば参加したいと思っています。
今年で25歳・・・のんびり家に勤め始めた時は22歳だったのに早いですね(笑)
25歳、もっと大人な女性になれるよう頑張っていきます(^^)

06:31 | Posted by admin

【8ヶ月】 のんびり家2F 角田

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護の仕事をして8ヶ月が過ぎました。始めの1ヶ月~6ヶ月位はあまり何も分からず、日々仕事をこなしていくだけの毎日でした。そして7ヶ月~8ヶ月この2ヶ月の間にある事がきっかけで、考え方や、行動が変わり、何か、こう、ええ感じになってきて、この仕事がもっともっと楽しくなってきました。
ある事とは、内緒ですが・・・・・
今は人(人間・入居者)を知るという事を考えながら仕事をしています。これから9ヶ月、10ヶ月・・・・・何時まで続くかは分かりませんが、1日、1日悔いの残らぬよう仕事、私生活を過ごせたらと思います。
話はかわり・・・・・、
僕達は、入居者さんのケアプランを立てて日々の生活を支援しています。
今度は自分自身のケアプランを自分で立てて自分も支援していきたいとも思います。

06:30 | Posted by admin

【言葉の使い方】 のんびり家2F 石井

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

のんびり家が引越しをしまして早いもので半年が経過しました。2ユニットになり新しい職員が増え日々入居者の方と様々な時間を悪戦苦闘しながら過ごしています。半年が経ち入居者の方々ものんびり家の生活に徐々に慣れてきたご様子です。日々、色々なことを教えていただいています。
先日、無意識に「全然・・・・・・・ですね。」と話していると、それを聞きつけたYさんが「あなた、それは日本語になっていないじゃないの。おかしいわよ。全然というのはね、否定するときに使うものなのよ。若い人はどうしようもないね。」とご指導いただきました。その後改めて広辞苑で「全然」という言葉について調べてみました。何気なく日々無意識に使ってしまう言葉ですが、接続詞や語尾などで意味合いが変わってしまったり、意味をなしていないこともあるのだと改めて認識することが出来ました。
日々、入居者とのやりとりで言葉を交わします。その時に「今の言葉は適切であったのだろうか。」「もっと良い表現はなかったのだろうか。」「今の声かけは先回りしすぎてしまっていないか。」と振り返ることが度々あります。入居者それぞれに合わせた言葉かけが出来ているだろうかとその一瞬を振り返ること、考え続けていくことがとても大切なことだと思っています。のんびり家に入社した際に「入居者をよく知ること」と何度も教えていただきました。「知る」とはどういうことなのか、どうやって「知っていくのか」と日々考え支援を行っています。自分たちの支援の在り方を振り返りながら入居者との時間を大切に共有できたらと思います。

06:28 | Posted by admin

【私が学生だった頃】 のんびり家3F 福田

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家には2月上旬から福祉専門学校から実習生さんが来ています。皆さん緊張されている様子が伝わってきます。しかし、緊張の中にも「まじめさ」や「誠実さ」「一生懸命」という気持ちを皆さんどれも持たれている事が共通しています。
私も遡ること16年前…実習生さんと同じく都内の専門学校に通っておりちょうど1年生のこの時期に3週間の実習がありました。
実習場所は町田市内の山の中、ということで宿泊の実習でしかも自炊をしなくてはいけない状況。帰れるのは週末。宿泊先は特養と繋がる職員寮の1室。しかも、同時に実習をする他校の学生と同室(3校一緒でした)当時は携帯電話ではなくポケベルの時代。しかし、ポケベルに連絡が入っても連絡が出来ないという、「ええーーーー」という状況での実習でした。
しかし、若さゆえの特権なのか他の学校の実習生ともすぐに仲良くなり最後の夜は鍋パーティを行いその後一度、皆でお泊り会を開くまでに仲良くなり、日々の食事については当時の私はまともに料理が出来なかったので、一緒に実習を受けたクラスメイトに助けられ乗り切りました。
で、実際の実習はというと…「まじめさ」「誠実さ」「一生懸命」で取り組みました。ただ実習記録をみると反映されているのか、と聞かれるとそうとは言い難い内容なのですが…。強く思い出に残っているのはあまりの緊張に外出付き添いの帰りに職員さんの運転する車に酔い、降りた途端に車を飛び出したのは言うまでもありません…。
私が実習を受けた頃は、ある程度業務を覚えたらいかにその業務に気づいて動くかがポイントだと言われていて少し立っているだけで「実習生!」と注意を受けることがありました。
のんびり家では早く気づいて、業務を行われてしまうと入居者さんの生活の妨げになることもあるので、一緒にのんびりと過ごすことが多いのですがのんびりと過ごす中で入居者の皆様からいろいろ学んでいただきたいと思っています。
学生時代の実習は今後、この仕事に就く上で良い影響、悪い影響、自分の仕事に対する考えなど様々な影響があると思います。残るのであればもちろん「良い影響」であって欲しいのですが、実習生さんの皆さんがのんびり家の入居者さんの生活を知って何か一つでも響けるよう、私たちも伝えることが出来るようにしていきたいです。と言うのも実は私自身、学生時代のこの時の実習が一番心に響き今に繋がっているのです。

06:28 | Posted by admin

【私が学生だった頃】 のんびり家3F 福田

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家には2月上旬から福祉専門学校から実習生さんが来ています。皆さん緊張されている様子が伝わってきます。しかし、緊張の中にも「まじめさ」や「誠実さ」「一生懸命」という気持ちを皆さんどれも持たれている事が共通しています。
私も遡ること16年前…実習生さんと同じく都内の専門学校に通っておりちょうど1年生のこの時期に3週間の実習がありました。
実習場所は町田市内の山の中、ということで宿泊の実習でしかも自炊をしなくてはいけない状況。帰れるのは週末。宿泊先は特養と繋がる職員寮の1室。しかも、同時に実習をする他校の学生と同室(3校一緒でした)当時は携帯電話ではなくポケベルの時代。しかし、ポケベルに連絡が入っても連絡が出来ないという、「ええーーーー」という状況での実習でした。
しかし、若さゆえの特権なのか他の学校の実習生ともすぐに仲良くなり最後の夜は鍋パーティを行いその後一度、皆でお泊り会を開くまでに仲良くなり、日々の食事については当時の私はまともに料理が出来なかったので、一緒に実習を受けたクラスメイトに助けられ乗り切りました。
で、実際の実習はというと…「まじめさ」「誠実さ」「一生懸命」で取り組みました。ただ実習記録をみると反映されているのか、と聞かれるとそうとは言い難い内容なのですが…。強く思い出に残っているのはあまりの緊張に外出付き添いの帰りに職員さんの運転する車に酔い、降りた途端に車を飛び出したのは言うまでもありません…。
私が実習を受けた頃は、ある程度業務を覚えたらいかにその業務に気づいて動くかがポイントだと言われていて少し立っているだけで「実習生!」と注意を受けることがありました。
のんびり家では早く気づいて、業務を行われてしまうと入居者さんの生活の妨げになることもあるので、一緒にのんびりと過ごすことが多いのですがのんびりと過ごす中で入居者の皆様からいろいろ学んでいただきたいと思っています。
学生時代の実習は今後、この仕事に就く上で良い影響、悪い影響、自分の仕事に対する考えなど様々な影響があると思います。残るのであればもちろん「良い影響」であって欲しいのですが、実習生さんの皆さんがのんびり家の入居者さんの生活を知って何か一つでも響けるよう、私たちも伝えることが出来るようにしていきたいです。と言うのも実は私自身、学生時代のこの時の実習が一番心に響き今に繋がっているのです。

06:28 | Posted by admin

【こんにちは!】 のんびり家2F 依田

2011年02月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

初めまして!!のんびり家2Fの依田(よだ)と申します。
私が、初めてお仕事した時のことをお話したいと思います。
もう、10年以上前の事ですが、ヘルパーの資格を取り(ボランティア)で、あるお宅を紹介され伺いました。そのお宅は、一軒家の2階建てのお宅でした。きれいな白髪の小柄な70歳のおばあちゃんが、お1人で住まわれておられました。少し、心臓がお悪いとおっしゃっておられましたが、特に、どうこうということもなく、いつお会いしても、元気にしておられました。
私は、おばあちゃんに、言われるがままに、2時間の間に、(タイムリミットです。)普段おばあちゃんが出来ない所をお掃除したり、料理の手伝いをしたり、広いお庭があったのですが、一緒に、落ち葉を拾い庭掃除をしたりと(ホントは、庭掃除は、その当時、支援には含まれていませんでした。)楽しく、お仕事をさせて頂いてました。お庭も、断れなくって、いつも、お手伝いしておりました。
そして、いちばん、困ったことがありました。それは、帰る時間が近づくと、おばあちゃんは、お食事を作りだすんです。そして、私に、(食べていきなさい!)と言われ、しつこく(ごめんなさい!)勧めます。断りきれなくて、食べるのですが、次に、行くところがあり、遅れてはいけないので、大急ぎで食事をしていたのを思い出します。有難いことなのですが、とても困りました。おばあちゃんは、生活支援より、一緒にお食事する人がほしかったんだと思います。お二
人の娘さんがおられるそうなのですが、遠方にいるため、中々会えず、久々に来られても泊まらないで帰るから(そんなんだったら、来ないでほしい!)と怒って言っていたのを、思い出します。
今、のんびり家2Fの入居者の方々は、皆で、ご飯食べるとおいしいね!と和やかな雰囲気に食も進みますが、そんな光景を見ていると、初めてお世話させていただいたおばあちゃんの事が思い出される今日この頃です。
このことで、私は、とても貴重な経験をさせていただきました。それは、訪問介護での介護支援とは、案外、不便なものだなぁ~ということです。決まりを守ると、(痒いところに手が届かないというか?)そこのところを、どうしたら良いのかと?悩みました。
のんびり家でも、あのときの体験や悩んだことを活かしていきたいと思います。そして、改めてあのときの、おばあちゃんに、ありがとう!そして何時までもお元気でとお伝えしたいです。

06:27 | Posted by admin