ちょうど蒸し暑い日々が続いていますが(7月中旬なので進行形です)今回は5月の上旬にのんびり家から旅立たれたKさんとのことを思い起こしてみたいと思います。
Kさんとの出会いはのんびり家が引っ越したちょうど4年前に遡ります。
当時は、人を寄せ付けないような雰囲気をかもし出しながら、のんびり家での生活が始まりました。
最初の頃は、居室のドア付近に置いてある椅子に腰掛けながら、周囲の様子を伺っていました。表情からはのんびり家で生活されることに、まったくと言って良いほど納得されている様子は見られませんでした。居室の椅子から、のんびり家の居間をじっと見ていたり、職員の動きやその一挙手一投足を逃さないようにしているような雰囲気さえありました。実際Kさんは、ほとんどのことがお見通しのようでした。
職員が挨拶や声をかけようとするとバタンとドアを閉め、施錠をされ、職員はまともに会話をすることさえ出来ないことも多々ありました。そんなKさんではありましたが、誰でも平等に空腹はやってくるようでした。徐々にのんびり家の生活に慣れてくると、他の入居者との時間、職員との会話も少しづつ増えていきました。
しかし、どうしても入浴には気持ちが傾くことはありませんでした。職員はタイミングを図ったり、医師からのお手紙作戦など試しましたが、どれも決定打がなく、Kさんは慣れてくるとそれさえも上手くかわすようになってきました。
そうこうしているうちに、時間ばかりが経過してしまっていたため、しっかり時間を設けて1度話してみようと思い立ちました。Kさんの居室に入り1時間弱。(その細かい詳細は私だけの宝物となっています。)その時、私は一切先のことを考えず、真正面から意見をぶつけ合ってみようと心に決めていました。案の定、Kさんは大声で「出て行きなさい、私はあんたなんかに用事はないんだから。出て行かないと叩くよ。」と他にも威勢の良い声が聞かれました。そこで、ひるむわけもなく意見を互いにぶつけ合いました。
そこには、支援のあり方など細かいことは一切関係なく、私という人とKさんという人が互いの思いを尊重しながらもぶつけ合うだけの時間でした。
最終的には「あんたみたいなしつこい人間は初めてだよ。もう疲れてうんざりだよ。女の人がいるならお風呂入ってもいいよ。」と返答がありました。数分後、約束通りに女性の職員が対応し入浴されました。
人との関わりを好んでいなかった雰囲気のKさんは、月日が経過し買い物に出掛け、食事を作り、外食にも出掛け、のんびり家の宿泊旅行にも参加されました。Kさんが他の入居者を江戸っこ気質で励まし、他の入居者がそれに呼応する、そんな場面さえ見られるようになっていきました。やがて、脚力が落ち、食欲も落ち、身体機能が徐々に低下をし入院されました。最終的にはKさんの病院から出たいという意思を尊重する形で、のんびり家に戻りました。そして、退院から3日後の昼頃に旅立たれました。
短い4年という月日ですがKさんは私たち職員に色々なことを教えてくれました。人は1人では生きていけないこと、人との関わりが大切なこと、人を信じること、人との信頼関係を築くこと、当たり前のことがとても尊いこと・・・・・。
Kさんは最期まで多くのものを残してくれました。私自身も最期を看取るという経験がありませんでした。
Kさんの容態が日々変化していく中で個々の職員もそれぞれの想いもあったと思います。それでも、Kさんのことを支えたいという揺るがない思いがあったからこそ、色々準備不足な面や反省点はありますが、Kさんとの時間を大切にしていきたいと願ったことがなによりであったなと感じています。
個々の職員がKさんと向き合い、最期を看取り、今後Kさんの残してくれたことを大切にじっくりと考えながら支援に繋げていければと思います。そうすることで、江戸っ子のKさんの「あんた、馬鹿じゃないの、笑っちゃうよ。」という威勢の良い声を、いつでも心の中で聞かれるのだと思っています。