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【5年9カ月...】  のんびり家2階 新山

2017年04月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

のんびり家2階で、どっこいしょ記事を書くのは今回で最後となります。
のんびり家2階に入社して気付けば5年9カ月が経っていました。
6月16日になったら6年目です。来月4月から駒込のつげの実へ移動となりました。
ここを離れるのは私にとって本当に辛いものです。
自分のおばあちゃん、母親と離れる気分ですごく寂しいです。
皆さん、一人ひとりのことを書きたいのですが書ききれないので今回はやめておきます。

ここでの出会いが、体験が私の生きる希望となりました。
「生きる」というパワーが皆さんから私の心に伝わってきて本当に考えさせられた5年9カ月でした。

入居者の方々、ご家族の方々、のんびり家全職員の方々、ありがとうございました。
また会いに来ますね。

08:47 | Posted by kimisanchi

【インフルエンザ】  のんびり家3階 吉田

2017年04月30日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家3階の吉田です。
今日は2月にのんびり家3階で流行ってしまったインフルエンザについて書きたいと思います。
今シーズンのインフルエンザは、東京でも警報レベルの流行となっていたのですが、のんびり家3階では入居者さん、職員ともに感染せずに2月を迎えることが出来ていました。
しかし2月の初旬、とうとう感染者が出てしまい職員2名、入居者さん3名が被害にあってしまい、お一人は入院する事態となってしまったのです。
幸い大事には至らず2週間ほどで退院されたのですが、ここまで広がったのはこの仕事に就いて6年で初めての経験でした。
まず感染しないのが一番ではありますが、今回足りなかったのは感染者が出たあとの対応でした。
最初に感染が疑われた方が一晩で解熱し、その後もこれと言って体調不良が見られなかったためにインフルエンザではなかったと安心してしまったのです。
その結果、翌日と翌々日には他の方も感染されたようで発症されてしまいました。
インフルエンザを代表とした感染症が疑われた場合、まずは自室で待機していただきます。待機していただくと言っても認知症による記憶障害を持った方が大半ですので、動ける方は自由に動こうとされます。
インフルエンザで他の人に感染させてしまうかも知れないと思えば部屋に留まるのですが、自分は元気だと思っていれば当たり前のことです。
もちろんその都度説明し、納得してもらったうえで待機してもらうわけですが、数分おきに説明をされて自室に戻され、留まっていたとしても自室で何をしたら良いかもわからず横になったりとで、耐え難い苦痛であっただろうと思われます。
そして食事に介助が必要な方もいらっしゃいました。
そうは言ってもグループホームでは職員の人数は少なく、他の入居者さんの支援もこなしながら全てに対応していくのは容易なことではありませんでした。
幸い、ご家族の大変なご協力もありなんとか乗り切ることが出来ました。
入院されてしまった入居者さんは、病院での治療と支援の結果、今では元気に生活されています。
このような事態になってあらためて、グループホームは地域と密着していてこそなんだと再確認することができました。
もしご家族と遠く離れた施設にいたら、協力するにも時間と距離が許さなかったでしょうし、地域に入院できる病院がなかったら直ぐに退院やその他の連絡が出来なかったかも知れません。
もちろん感染者を出さないことが一番です。
でも地域密着型だから乗り切れた部分もある。そうも感じることが出来ました。
今回関わっていただいた皆様には大変感謝するとともに、今後は同じことが起きないよう心に誓って文章を終わらせていただきます。
今回被害にあってしまった入居者さん本当に申し訳ありませんでした。
そして皆様、本当にありがとうございました。

08:45 | Posted by kimisanchi

【Ⅰ、m sorry 髭sorry・・・・・】  のんびり家2F 石井

2017年03月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

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 2017年の1月中旬にのんびり家にTさんが新たに入居されました。最初はかなり緊張の面持ちでしたが、それは職員も同様かもしれません。
Tさんはとてもユニークな方でとにかくお話し上手で、一旦勢いがつくと止まる気配がありません。次から次へとリズミカルな話口調で、ニコニコとされながら様々な会話でもリードします。冗談もかなりのペースで会話に織り交ぜてきます。その軽妙なやりとりは聞き入ってしまうほどです。そして冗談交じりにTさんが「アイム、ソーリー。」と軽快に英語での返答がありました。度々、聞いているうちに私は何か上手く返せないものかと思案しました。そこで、脳裏に浮かんだつまらない言葉でしたがTさんの調子に合わせるように「髭、ソーリー。」と続けてみました。Tさんは一瞬時が止まったようでしたが、すぐに表情を和らげ「何言ってんのよ。」と笑いながら、私のお尻を軽く叩きました。その後ものんびり家内では時折Tさんの軽妙なトークやジョークが会話の中にちりばめられています。

 まだまだ、のんびり家での生活には慣れておらず徐々に信頼関係を築いていくのだろうと感じていますが、時には「同じ阿保なら踊らにゃ・・・・。」という言葉もあるように何も考えずに時間を過ごしてみるのも良いものではないだろうかと考えながら少しにこやかにこの原稿を書いた夜勤の勤務でした。

16:20 | Posted by kimisanchi

【電車に乗って】  のんびり家3F 永辻

2017年03月31日 | のんびり家::のんびり家 3F

少し前にHさんと後楽園に買い物に出掛けました。
最近洋服を買っていない話しをしたので、一緒に買いに行きました。
お店に着くと商品がたくさんあり、何を買うかは具体的には決めていなかったので、ゆっくりと店内を見て回り商品を選びました。
Hさんが購入したのはご自身で色や柄を選んだ、赤のチェックのシャツと薄いピンクのカーディガンです。久しぶりに洋服を買って、嬉しそうな表情も見られて良かったです。
この日は風も強く、東京ドームでコンサートもあったようでたくさんの人が居て、人混みの中を歩いて疲れてしまったようですが、帰りにご飯をしっかりと食べて、寒さにも風にも負けずに帰りました。Hさん買った洋服を着て、また買い物に行きましょう。

16:19 | Posted by kimisanchi

【日帰り旅行に行ってきました】  のんびり家2F  飛鳥井

2017年02月28日 | のんびり家::のんびり家 2F

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みなさん、こんにちは。のんびり家2階の飛鳥井です。
今回は、のんびり家の日帰り旅行について書かせて頂きます。
去る12月9日、のんびり家2階は日帰り旅行に行ってきました。行先は、お台場です。当日は、福祉車両2台に分乗し、高速道路は使用せずにお台場へと向かいました。のんびり家を出発してからおよそ1時間後、お台場に到着しました。14時に、アクアシティのビュッフェレストランを予約してあったのですが、駐車場に車を入れようとしたところ、高さ制限のバーに引っかかってしまい、車を入れることが出来ませんでした。予想外の出来事ではありましたが、気を取り直し、駐車場を探して、海沿いの駐車場に停めることが出来ました。
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その後、レストランへ。ビュッフェ形式なので、銘々がそれぞれ好きな物を取りに行き、食事が始まりました。日頃、のんびり家で食べる内容とは違い、目先の変わった料理が多く、皆さんいつも以上に食が進んでいたようです。特に時間制限はないとのことでしたが、お腹も一杯になり、外の景色も夕景から夜景に移り変わってきましたので、全員集合して、夜景をバックに記念写真を撮影しました。帰路は、途中で渋滞があり、少し時間がかかり、予定よりも遅い帰宅となりましたが、無事帰宅出来てほっとしました。今回の旅行は、入居者の方2名の入退院などもあり、企画もぎりぎりになってからでしたので、日帰りとなってしまいました
が、実施出来たことは良かったと思います。次年度は、早い段階で企画を立て、宿泊旅行が実施出来るようにして行きたいと思います。

引き続き、Sさんについて書かせて頂きます。

08:43 | Posted by kimisanchi

【Sさんとの思い出】 のんびり家2F  飛鳥井

2017年02月28日 | のんびり家::のんびり家 2F

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Sさんは、昨年12月30日の午後、のんびり家でご逝去されました。享年80歳でした。Sさんは、誤嚥性肺炎で2回目の入院をされていましたが、29日に退院されて、のんびり家に帰宅されたばかりでした。入院前より更に体重が減り、水分や食事摂取もままならない状態でしたが、医師からは「現状では、年を越すことは難しいかも知れない。ご本人の望むように」とのことで、私達職員は見守ることしか出来ませんでした。午前中から午後にかけて、Sさんに「少しでも、何か飲んでみませんか」と勧めてみましたが、首を振り、「いらない」とのことでしたので、私も無理には勧めませんでした。
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14:30頃、林田代表が様子を見にいらっしゃり、Sさんのご様子をお話ししたところ、ゼリー飲料を勧めてみようと言うことになりました。林田代表がSさんに話しかけ、上体を起こして、ゼリー飲料を勧めました。飲み始めは少し咽こみましたが、その後少しずつ時間を掛けて、1袋飲み切ることが出来ました。Sさんは、「ごくっ、ごくっ」と音が聞こえるくらい、しっかりと嚥下が出来ていましたので、同席していた私も少し安心しました。その後、少しだけ椅子に座位になって頂き、再度布団に横になって休んで頂きました。それから約1時間後、直前まで手を動かしたり、掛け布団を跳ね除けたりしていたのですが、私が掛け布団を直そうとお部屋に伺うと、Sさんは既に旅立たれていました。
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Sさんは、ご兄弟が近くにお住まいではありますが、ご自身は独身を貫かれ、温かい家庭に憧れていたとお聞きしました。のんびり家では、寂しさの表れなのか、他の入居者や職員に、少し過剰に接することもありましたが、その一方で、他の入居者のお世話をしたり、職員に労いの言葉をかけて下さる等、優しい方でした。Sさんの最期の迎え方は、「誰にも迷惑を掛けたくない」と言うSさんの意思の表れのようでもあり、Sさんらしい引き際であったと思います。体調が万全ではないながらも、日帰り旅行に一緒に行けたこと、最期はのんびり家で迎えられたことは、良かったと思います。Sさんは「そんなこと、知らないわよ」と仰るかも知れませんが。最後になりましたが、Sさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

08:42 | Posted by kimisanchi

【早いですねっ】  のんびり家3F 新宮

2017年02月28日 | のんびり家::のんびり家 3F

あっという間に新年を迎えました。
早いですねっ。
12月に新しい入居者、Nさんがのんびり家に仲間入りされましたよ。
好き嫌いのはっきりされた、芯の強さを感じさせる素敵な91歳の女性です。
カメラを向けますと、ちょっとはにかんだ表情をされ、なにか惹きつけられるものがあります。
昼と夜の区別を見失い、夜中に元気はつらつ「おはよう」と居間に来られました。
流しの食器を「こんなに溜めて」と洗われていました。
洗濯物を「こんなに、しわくちゃだわ」と丁寧にシワをのばし畳まれていました。
毎度、どんな感じですか等とお聞きすると、話しをはぐらかされていましたが、この間は、「いつまでも人の役に立ちたいです、うん。」と手を動かしながら話されていました。
日常の、行動に良い気持ちをのせておられるかな、どうなのかな。

08:41 | Posted by kimisanchi

【Sさん「おかえりなさい」】  のんびり家2F 新山

2017年01月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

9月下旬から入院していたSさんが、11月上旬のんびり家に帰ってきました。

とある日、仕事が終わりSさんが入院しているK病院にお見舞いへ行った時の事です。
個室へ入ると変わり果ててベットに横になっているSさんをみてびっくりしました。
ボーっと白い天井をただ眺めている様子で目を見ると、とても元気のない悲しそうな目をしていました。
挨拶をすると「はて?どちらさまですか?」と小さい声で私に話し掛けました。
マスクを外し「お久しぶりです。私の事わかりますか?」と問いかけると「はい。わかります」と頷き、「あなた、ずいぶん忙しかったのね。」と私の顔をじーっと見ていました。
私は胸中で「ずっと待っててくれたのかなぁ、、、」と申し訳ない気持ちになりました。
ここには書きませんが色々お話しをしました。
帰る時に「あなた、外は寒いから気を付けて帰るのよ」と涙をツーっと流すSさんの姿が忘れられません。
駅に向かいながら涙が止まりませんでした。
その夜は、色々考えてしまってあまり眠れませんでした。

そして、のんびり家に帰って来たSさん。「おかえりなさい」と。

08:19 | Posted by kimisanchi

【おじゃりもうせ】  のんびり家3F 吉田

2017年01月31日 | のんびり家::のんびり家 3F

どっこいしょの文章を書くのは数か月ぶりです。お久しぶりです、のんびり家3階の吉田です。
今日は種子島出身のHさんとの旅行の話しを書いていきたいと思います。
旅行の計画が持ち上がるようになったのは1年半ぐらい前だったでしょうか、ADL(日常生活動作)の状態も良好で歩行などにも問題はなく、一般的に言われる迷惑行動のような周辺症状も滅多にないHさん。
家事をばんばんこなし、健康状態も良好。
そんな状況でしたので、遠距離の旅行でも行ってみてはいいんじゃないかというような話が時折り出るようになっていました。
ところが一昨年の秋に転倒して利き手の右手首を骨折してしまったのです。ギプスをして治療をしてはいましたが、長年使用してきた右手は習慣で動かしてしまいます。
その結果、右手首は少し変形して治癒してしまいました。
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しかし動かしていたことが良かったのか、その後の痛みもなく、心配だったADLも維持されていました。
鴨川への宿泊旅行も楽しんでくることができました。
しかし時折り話しに出ていた旅行先は種子島です。鴨川へ行くのとはわけが違いますし、スケジュールやリスク管理、マンツーマンで寝ずに丸二日対応をする職員の体力などなど。
課題はたくさんありましたし、そこまで現実味はないのではないかと考えていました。
そして年が明け2016年、Hさんの様子が少しずつ変わってきたのです。
今まで職員の手を借りずに行ってきた家事に職員の支援が必要になってきました。春から夏になるころには能力の低下が顕著になってきたのですが、経験不足の派遣職員が短期間のうちに入れ替わりで関わるような状態も重なり、混乱しているような状況も見受けられるようになってきました。
Hさんは「待つ」ということが出来る方です。
これは施設などでは諸刃の剣だと思います。待つことが出来ると事故のリスクはぐっと減るのですが、待つことが出来るがゆえに後回しにされる可能性があるのです。
実際にHさんの能力低下も、後者の理由が一番影響しているのではないかと考えています。
私たちは入居者さんに等しく必要なサービス(支援)を提供する必要がありますし、入居者さんは等しくサービスを受ける権利があります。
しかし人手不足が話題に上がる昨今、大半の施設でそれが出来ていないのでないのかと思います。
そんな影響をもろに受けてしまったHさん。それを挽回したいという気持ちをずっと持っていました。
そして能力の低下を目の当たりにしていると、行くなら今年しかないという思いもありました。
「鹿児島県、西之表、田屋敷」
色々なことを忘れてしまっていても、この地名はいつもHさんの口から出てきます。
そんな場所。
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写真は西之表市の田屋敷地区で見つけた古そうな石橋の上で撮ったものです。
田屋敷地区は住所としては存在せず、地区としてもそれほど広くはないエリアでし
た。Hさんの昔の記憶が目を覚ますことはありませんでしたが、このあたりで育ってき
たのではないかと考えられ、Hさんと同じ名字の方もこの地区に複数いらっしゃるようでしたので、かなり近いところまではたどり着けたのではないかと思います。
到着した直後は少し表情の硬かったHさんですが、田屋敷地区や宇宙センターを訪れた翌日の表情はガラッと変わっていました。
36時間マンツーマンで睡眠時間は合わせて1時間半程度、とても大変な旅行ではありましたが、少しはHさんとの関わりを挽回できたかなという気持ちにさせてもらいました。
空港への帰り道でとても海が綺麗な砂浜に寄ったときに、「こんな綺麗な種子島ならこのまま住んでもいいね」と聞いてみました。「1人じゃわかんないから」とボソッと言っていましたが。
お土産屋さんでは同じものをいくつも手に取り「みんなに買って行こう」と話していました。
種子島に来られて良かった、でも帰る場所はのんびり家。そう言ってくれたような気がしました。
「Hさんの出身は、種子島の西之表の田屋敷」「良く知ってるね、うふふ」
そんな会話がいつまでも出来るよう年を重ねていってもらいたい、そして必要な支援を提供できるのんびり家でありたい。
あらためてそう感じさせてもらった種子島でした。ありがとうHさん。これからもよろしくね

08:19 | Posted by kimisanchi

【はじめまして。】  のんびり家2階 鈴木千恵子

2016年12月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

縁あって7月からのんびり家2階で勤務している鈴木と申します。
介護職は全く経験がありませんが、利用者の皆さんと先輩スタッフに支えられアッという間に3か月が経ちました。

今月からは、初任者研修にも通いこの年で机に向かい介護とは、、、と、勉強しています。
勉強したことを実践して利用者さんとここで少しでも長く一緒に楽しく生活して行けたらと思っています。

まだ未熟ではありますがどうぞよろしくお願い致します。

08:25 | Posted by kimisanchi

【散歩】  のんびり家3階 永辻

2016年12月31日 | のんびり家::のんびり家 3F

少し前に入居者さんのKさんと一緒に散歩しながら買い物に行って来ました。
Kさんは道中マンションが見えると「俺ここに住んでいたな。」や車が停めてあると「俺の車か。」などと言って歩かれていて、周りをあまり気にしないので、歩行者や自転車にぶつからないか、いつもドキドキしています。Kさんが「歩かないと足が駄目になってしまうな。」とふと言ったので、のんびり家に居る時は元気に過ごされていて、聞いたことがなかったので、新しい発見が出来ました。やはり気分転換も兼ねて外に出掛けることは大事だと改めて思いました。この日は天気も良かったので、二人で重たい買い物袋を持ちながらいつもより少しだけ遠回りをして帰宅しました。
これから冬本番ですが体調を崩さずに、Kさんまた一緒に散歩しましょうね。

08:23 | Posted by kimisanchi

【えをえがく・・・・・・】  のんびり家2F 石井

2016年11月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

冒頭にある「え」というのは一般的な「絵」ではありません。日ごろから仕事をしていると、そのように感じることがあります。それは、入居者の方々の生活を日々見ていきながらも職員間で、チームとして同じえをえがくということが非常に重要に思っています。
以前、林田代表より「サッカーチームをイメージするんだよ。」と助言を受けたことがあります。私も下手くそながらサッカーをかじった人間として非常に興味深かったことを覚えています。当初は意味があまり良く分かっていませんでした
が、徐々にその真意が理解できるようになってきました。サッカーは当然のようですがチームスポーツです。しかし、複数の局面があります。数的不利な状況や1対1の状況など様々です。相手チームよりも多くゴールを奪う必要がありますが偶然が重なってのゴールはほとんどありません。そこで、ゴールを取るために必要な事は相手チームの事を知ること。相手チームの長所や短所などを知る事です。相手チームを知った上でどのようにゴールを奪うのかそのプロセスが重要になります。どのようにパスを回し、どのような局面を作り出し最終的にゴールを奪うのか考えなければいけません。その考えることもあらゆる状況に対応するためにその瞬間の判断が重要になってきます。そして、チームとしてゴールを奪うイメージを共有しなければなりません。
今現在仕事をしているとそのようなサッカーと同じ感覚を覚えることがあります。1日の生活の中で何を優先しそこで入居者の方の自立支援にはどのような動きをすることが出来るのか、または試せるのか、職員が複数の時は、職員が1名しかいない場合は等々多岐に渡ります。そんなことを考えながら仕事をしていると身体はほとんど動かしていない状態でも非常に疲れを感じることがあります。各職員が日々勤務にあたりながらえをえがき、チームとして同じえをえがけるようになることがとても重要であり、入居者の自立支援には不可欠だと思います。

08:44 | Posted by kimisanchi

【働き続けるということ】  のんびり家3F 吉田

2016年11月30日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家3階に異動してから、ヘルプ勤務の時期を合わせるとようやく2年半になりました。
入居者さんとの人間関係もしっかりしたものが出来てきたと実感することが増え、信頼関係も築けてきたのではないかと思います。
それと正反対に、この2年半の間に常勤職員として定着出来たのは一人としていませんでした・・・
入って来るのは派遣会社から紹介される派遣社員さんばかり、たまに常勤職員として入職される方は皆さん短期間で退職されていきました。
いまとなっては学生の方でもご存知であろう、介護職の人材不足。これは現場で働いていると皆さんの想像を遙かに越える状況だと思います。
わたしは8月で勤続6年になりますが、働いた当初からこういう状況ではありませんでした。3、4年前からこのような状態が見られるようになり、ここ1、2年は残っているのは勤続3年以上の職員ばかりで、勤続1~2年の職員はほとんどいない状態に感じます。
そこで最近感じているのが、働き続けるということです。
私は40を越えたところですが、私と同じぐらいか私より先輩の年齢の方々は、仕事をしてから数年は新入り同然の感覚を持っていたのではないかと思います。しかし20代30代前半の社会人の感覚では、3年も務めればベテランぐらいの感覚を持っている方が多いように感じるのです。
直ぐに結果を求め、過程より結果を評価する社会、育てることより即戦力を探すことに必死にならざるを得ない構造。
30半ばで介護職をやって行こうと決めた私は、3年近く必死で色々と覚えて学んできました。法人内の複数の事業所の応援に入ることも行い、グループホーム勤務でありながら多くの入居者さんと接する機会をいただき、同じ法人でも事業所によって様々な違いがあることを知り、その都度学んできました。
のんびり家3階に異動が決まってからは、それらの経験を支援に活かそうと現在に至ります。
それでもようやく6年です。のんびり家3階の入居者さんとの関係作りも1年以上はかかっています。
皆さんのお父さんやおじいちゃんは勤続数十年ではないでしょうか。
働くスタイルが昔とは違いますので一概に比較はできないとは思いますが、そうして皆さんを育て、日本を成長させてきたのではないかと思います。
1年働けば驚くことがたくさんあります。
3年働けば思い出と知識がたくさん貯まります。
5年働けば働き方が上手になり、要領もよくなります。
10年働けば・・・
さて、私は10年続けることが出来るでしょうか。
収入面、体力面、仕事環境、人間関係、色々な障害が立ちふさがっており、続けるためには何かを捨てざるを得ないとも思っています。
続けることの一つの楽しみとして、10年後の入居者さんの姿があります。
10年以上一人の認知症の方に関わり、可能であれば最後までその方に接することも出来るかもしれない。
これ以上収入は上がらない、仕事環境が改善されない、中年期を迎えた自分にはとても重大な障害ではありますが、10年関わることが出来るのも大変魅力的なことです。
とてもとても迷っていて、でも入居者さんのある姿を見たり、言葉を交わすと思いとどまることが出来る。
Hさんの優しさ、Sさんの笑顔、寝たきりのYさんやMさんらお二人が見せる表情や小さな仕草、のんびり家に馴染んできた新しい入居者Kさん。
皆さん魅力的です。さてどうしたものでしょうか…。
認知症の方の介護に少しでも興味がある方がいたら、是非のんびり家へ電話を下さい。
皆さんの驚く介護の姿があると思います。

08:44 | Posted by kimisanchi

【コミュニケーション】  のんびり家2F  飛鳥井

2016年10月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。のんびり家2階の飛鳥井です。
今回は、Oさんについて書かせて頂きます。Oさんは、現在食事に介助が必要な方です。食事中には、傾眠してしまうことも多く、その都度声を掛けたり、身体を少し擦ったり、時には一度立位になって頂き、しっかり覚醒してから食事を再開するなどしていますが、中々覚醒せず、食事量が少なくなってしまうこともあります。
そのようなOさんですが、週に3、4回、ベトナムからの留学生のKさんが勤務している時には、少し様子が違ってきます。
Kさんはまだ20代の若い女性で、日本語学校に通いながら、のんびり家でアルバイトをしています。来日してからまだ日も浅いのですが、日本語も上手ですし、職員や入居者の方ともコミュニケーションを上手くとっています。Kさんが勤務の時には、必ずOさんの食事介助をして貰います。Kさんも心得ていて、Oさんが傾眠傾向になると、介助の手を止め、「Oさん、起きて」と声を掛けます。その際、私たち職員が声を掛けるよりも、心なしかOさんの反応が良く、パッと目を開けるように感じます。
Kさんが勤務の日には、私たち職員も朝から「Oさん、今日はKさんが来てくれるよ。お昼ご飯は、Kさんと一緒に食べようね。良かったね」と声を掛けます。
最近は、自ら声を発したり、話をすることが少なくなっているOさんではありますが、前述のように声掛けすると、表情が和らぎ、嬉しそうな様子が見受けられます。Kさんの介助で食事をすると、Oさんも進みが良いように感じます。
Oさんは、Kさんと直接会話をする訳ではありませんが、OさんとKさんの間には、目には見えない不思議な繋がりがあるように思えます。コミュニケーションとは、言葉を介さなくても十分成り立つものだということを、OさんとKさんのお二人から学ばせて頂きました。

10:48 | Posted by kimisanchi

【早いです。】  のんびり家3F 新宮

2016年10月31日 | のんびり家::のんびり家 3F

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今年もあと3か月。もう本当に一日一日が早く、家賃の督促状に「えっ。もう一ヵ月たったの?」てなもんです。あっという間に人生が終わってしまうと、ちょっと恐怖を感じていました。
一日の終わりに、よくEさんが「一日なにやっとっただ。」と話されます。わたしもそんな気持ちになることがあります。ここ数か月、夜勤で入ることが多く、夕食時は極力入居者さん方と、今日はどうだった?などお喋りしながら過ごすように心掛けています。
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「毎日おなじだよ」「仕事にいっとった」などなど。その時に、ほぼいつもと変わらないお味噌汁を一口すすり「美味しいひ」ご飯を一口ほおばり「うまいな」「作るの大変だったでしょ」など言葉がこぼれ、その場の温度が2,3度上がったような感覚をおぼえます。
いつもと変わらない夕食時。「美味しいの一言で、特別な日になった感じがする」と話す
と、Hさん「どう感じるかは自分次第だねえ」と一言。
いま起きていることを意識して感じていれば特別な日になるよ。それからは、日が経つのが早いことにスコシ恐怖心はなくなりました。

10:32 | Posted by kimisanchi