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【言霊(ことだま)】 志寒

2011年05月23日 | きみさんち

言葉は単なる記号ではなく、不思議な力=言霊が宿るといわれています。結婚式で「切れる」、葬式で「重なる」、受験生に「落ちる」・・・言霊の力が本当にあるかどうかは神のみぞ知るですが、そうした言葉を不適切に使うと、運勢のような、運気のようなものが逃げていく気がします。私は迷信深いのでしょうか(苦笑)。
その言霊のせいでしょうか?まったく同じ意味でも、ちょっとした言葉の使い方しだいでその言葉がもたらす感情がまったく違ってくる場合があります。
今回の震災において、避難所での高齢者の状況を伝える報道で「生活不活発病」という言葉が頻繁に使われました。これは生活が不活発になることで、さまざまな心身の機能が低下し引き起こされる症状を指しています。
たとえば歩く能力をお持ちなのに歩かずにいると、足腰の筋力など歩く能力自体が失われていくことがあげられます。(実は歩く能力だけではなく、心や循環器など全身に深く影響してしまうのですが・・・)
ご存知かもしれませんが、専門用語としてはこの生活不活発病に対し「廃用症候群」という言葉が使われています。これは英語ではdisuse syndromeでdisuseは「不使用」という意味です。しかし、それを「廃」という言葉にしてしまうと廃墟、廃棄、廃れるなど、とても印象の悪い単語が連想されてしまいます。
また、辞書には「廃」は「使えなくなる」「だめになる」「やめにする」という意味とありますから、それを体の一部分に対してでも人間に使うのは、特にその言葉を言われてしまう側にとっては、とても納得のいかない言葉でしょう。そこで生活不活発病という言葉が使われているようです。
廃という言葉にはそうしたネガティブなイメージ、言霊がついています。だからもちろん、廃用症候群を生活不活発病と言い換えることについて何ら異存はありません。言霊は脇においても、たとえ無味乾燥な学術用語だとしても、それを言われる側が気分を害するなら使うべきではないと思います。
しかし、一方でその「廃用症候群」の言葉のどぎつさとショックを、特に私たちのような職業は心に刻み続けるべきだろうと思います。廃用になるのではなく廃用させてしまう。廃れて用いなくなるのではなくて、用のないものとして廃れさせてしまう。手が動かない、歩けない状態にさせておいて「生活が不活発だったから」では痛みが足りない。
それは私たちが「廃用させてしまったから」。その言葉の重みはそれこそ言霊として意識し続けねばいけないと思います。
話は変わって、廃用症候群という言葉で思い出されるものに、この「廃用」をタイトルに冠した久坂部羊氏の「廃用身」という小説があります。タイトルに負けず劣らずショッキングな内容で、特に介護を考える上でかなり悩ましい作品です。もし興味をもたれたらご一読ください。
ところで、私の苗字は「志寒」。「志が寒い」と書くのですが・・・言霊的にはどうなのでしょうね?(笑)
最後に言霊の力を信じて。
「被災地がいっときでも早く復興し、被災された方が心からの笑顔で暮らし続けることができますように」

00:20 | Posted by admin

【感受性】 堀内

2011年04月23日 | きみさんち

きみさんちに入社してから早半年が経ち今回が2回目のどっこいしょとなります。
この半年間で入居者さんと共に過ごして自分の変化に気付きました。一番大きく変わったことは喜怒哀楽が素直に出るようになったことです。
今までは喜怒哀楽を表現することが苦手でしたが日々入居者さんに刺激されて、とっても素直になった気がします。入居者さんは空を眺めれば「良いねぇ。綺麗だねぇ。こんな日に外に散歩するなんて最高に贅沢だ!」と言います。太陽を見たら「日向は暖かくて最高だな!お天道様に感謝しなくちゃ!」と。大好きなカボチャを食べると「うまい~!うまいよ~~!!」と満面の笑みに。
悲しいニュースを見れば涙を流し相手のことを考え嫌なことがあれば嫌だ!とスゴく怒ります。
どれも毎日当たり前におきることで当たり前の感情。入居者さんと一緒に過ごすことによって改めて気付かせてもらえること。毎日すごく当たり前になりすぎてるけれど身近なことに感謝することや逆に《怒》の気持ちを出すことの大切さを知りました。
今から半年後に変化→成長するべく日々頑張っていきたいと思います。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。

00:20 | Posted by admin

【「はいミニケアホームきみさんち堀でございます。」】 堀

2011年03月23日 | きみさんち

そう言って電話をとる瞬間が好きな新人堀です!
皆さま初めまして。クリスマスの奇跡で きみさんちにやって参りました!1月25日入社で右も左も分かりませんが手近な事がやっと分かってきました。
私は33歳で1月19日まで関西空港で長く勤務していて、この職種は全くの初めてです。
性格はやたらと真面目で真っ直ぐで、冷静な顔をしつつハートはめちゃめちゃ熱い…ともすればめんどくさい奴でございます。でも 誰かのために何かしたり、自分が誰かの力になれる事に本当に喜びを感じるし 何かしたいと願うみたいです。だから、「要領がいい」と言う名目で楽な方へ楽な方へ 簡単にズルっ子をする傾向が見られる昨今、心と心の繋がりの元、ズルっ子の成立しない このお仕事を魅力に思いました。
入社面接の際に、お会いした方は「私達の仕事はね…」と言って心構えを話して下さったのですが、それで益々嬉しく思いました。彼の目は、本当に想いがこもっていて、汚れなく純粋で、真っ直ぐだと思いました。
この世の中で まごころ だけで生きている人間が居るんだと驚いたのと共に、「私はここで大丈夫。」と安心しました。その面接の日の午後に訪問した きみさんち のホーム見学で、おうちスタッフ長の方が迎えてくれて1時間ほど見学したり、入居者の方とお話しさせて頂いたり、スタッフ長の方の入居者の方との関わりを見て…益々 絶対きみさんちがいい!と思いました。
それで、前の会社を説得し、両親を説得して、大阪→→東京へと単身やって参りました。
友達も知り合いも居なくて大丈夫⁇とみんなに心配されました。だけど不安は微塵もありませんでした。
今、毎日を過ごして実感しています。
「もし自分がグループホームに入るとしたら きみさんち がいい。」
それは心と心の繋がり、また心を本当に大切にしている場所だからです。スタッフの私から見て…そうかも知れませんが、もしかしたら入居者の方から見たら 本当はまだまだ色んな読み間違いがあるかも知れません。
だから私も、私の少ない体験と心をフル活用して、この きみさんち のスタッフの一員としてカウントしてもらえるように また私だから出来る事もみつけて「入居者の皆さんお一人お一人が自分らしく」また私という人間も私らしく、みなさんと共に生活し、生きていこうと思います。
という訳で、今日も元気に行ってまいりまーーーす!

00:19 | Posted by admin

【布団】 石川

2011年02月22日 | きみさんち

年も明けて寒さが骨身に染みます。毎日布団から出るのがきつい日が続いています。まだ眠い、後5分‥10分‥なんだかんだでそろそろ出勤しなくてはいけない時間に布団の魔力は恐いですね。きみさんち石川です。きみさんちに勤務して早6ヶ月になりました。楽しく毎日を過ごしています。
いつも思うのですが何を書いて良いか分からないどっこいしょ。考えまして、少し昔の話をしようと思います。布団で思い出したのですが、僕は4年前に国分寺に住んでいたんですが、すぐにお金を衝動買いやパチンコにバンバン使ってしまう自由な生活をしていました。バイトしたお金がなくなるまで何かにとり憑かれたようにパチンコを打ってました。その代償は高くつくんです。その年の冬、年末ぐらいにコテンパンにパチンコにやられてしまいまして、なんと家のガスが止められました。お風呂がホントに好きな僕はどうしようと迷ったんですけどその時の僕は、水風呂でもなんとかいけるんじゃないかな~と(今思えば何を考えていたんでしょうか) 冷たい冷たいでも身体は洗わないと、頭も、すぐに布団の中に潜り込むという生活をしていました。(よく無事でいられたもんです) 普通危ないです。4年前の僕は凄い無謀だったな~と思います(今考えられませんもん。どんな生活してたんでしょうか‥‥若かった若気の至りです。) お金は大切だと教えてもらった、その年の冬の話でした。これからもきみさんちでがんばっていこうと思います。よろしくお願いします。

23:32 | Posted by admin

【歌から蘇るもの】 松林

2011年01月22日 | きみさんち

最近、よく曲を聴きます。それはポップスだったりブルースだったりロックだったり。その歌詞の中で多いのが恋愛の話。現在進行形のもの、片思いのもの、過去の恋愛を歌ったものなど、ジャンルと次元が様々です。そんな歌詞の中でどうしても共感してしまうのが、過去の恋愛を歌ったものだったりします。破れてしまった恋の話。。。
自分も幾つか経験があるからでしょうか、そんな歌詞を聴くとその時々を思い起こし、苦い思いや甘い思いが胸を押し上げてきます。その時はその時の感情でしかなかったものが、今思い起こすとドラマチックに感じるのは、年齢のせいでしょうか?
でも、音楽から思い起こされる感情は、恋だけに留まらないでしょう。怒りや恨み、屈辱、軽蔑、、、、、。
その人の人生の中で味わってきた思い、時代背景などが思い出される瞬間があるものです。
音楽とは、不思議な素材です。少し前、利用者さんに『ムード歌謡』なる恋の曲を聴いて頂いたときに、私よりさらなる遠い眼をして「色々あったよなぁ」と仰っていました。それはきっと、恋なんてものよりももっと過酷な出来事を体験された思い出が、恋の思い出とともに蘇った瞬間だったのかもしれません。自分の浅さを知った瞬間でもありました。
曲や映像と通じる自らの記憶。これは自分だけのものです。共感できる人はいるかもしれませんが、まったく同じものではありません。いつまでも大切にとっておけるものにしたいものだなと強く感じました。それが苦くても甘くても。

23:31 | Posted by admin

【皆さんどう思いますか?】 田中

2010年12月22日 | きみさんち

最近暖かさと寒さが同居しているようなそんなお天気が続いていますが皆さんお身体だいじょうぶですか?
9月頃の話しになるのですが、専門学校時代の同窓会が開かれ、それに参加したときのお話を書こうと思います。
私は10数年前に福祉系の専門学校を卒業し今の福祉業界に足を踏み入れたわけですが、その時の面子が16人ほど吉祥寺のある居酒屋に集結。施設運営をしている人や、主任になっている人。1数年経つと皆変わるもんだと思いつつ福祉談義をしていました。
と、その時私たちの後ろの座席に4~5名ほどの大学生らしき集団が就職活動の話をしているのが耳に届いてきました。
学生Aさん 「就活どうするの。」
学生B・Cさん「どうしようかな」
学生Dさん 「私し老人ホームで働こうと思うんだけど・・・」
田中一同 「うんうん(頷く)」
Dさん 「おじいちゃんやお婆ちゃんの面倒見るだけでしょ」
田中一同 「ん?・・・」
Dさん 「簡単そうだしリストラもなさそうだから(笑い)」
一同 「・・・・・ん????」
こんな会話が聞かれた時皆さんだったらどう思われますか?
私しの思いは、この人がもし本気で福祉の道に足を踏み入れるとしたら考えを改めてほしい。このままだと一緒にいるのが苦痛で仕方ないといった感じになってしまうのでは・・・?と思うのです。確かにリストラはないと思いますが面倒を見る?簡単?言葉一つでも難しさをきみさんちで感じている私にとっては、「?」マークだらけの内容でした。
最後に友人が言った一言「ジーちゃん・バーちゃんなめんじゃねーぞ」しかも大声で。
まあ、場所が場所だけに入っている物もアルコールな訳でお互い笑ってご愛嬌。一緒に飲もうよという事で新しく福祉の道を歩むであろう男女といつしか合コン状態になっていたのでした。

23:30 | Posted by admin

【きみさんちで2度目の夏を迎えることができました】 志寒

2010年11月22日 | きみさんち

先日、長野の安曇野に行ってきました。
美しい信州の景色と、北アルプス山麓の凛とした空気を存分に味わってまいりました。
安曇野には大王わさび農場という広大なわさび畑があり、実はこの旅、それが大きな目的の一つでした。このわさび農場には地域を救おうとした英雄とも、人々を害した鬼とも言われる八面大王の伝説があり、それ自体もとても興味深いものなのですが、ここを一躍有名にしたものに、黒澤明監督の「夢」という映画があります。
「夢」は夏目漱石の「夢十夜」になぞらえた不思議な映像美の短編集で、その中の「水車のある村」という物語がこのわさび農場を舞台にしています。
どこか時が止まったような美しい村。そこで旅人が一人のお年寄りと出会う。このお年寄りに名優、笠智衆さんが味わい深い演技をなさっています。旅人はその103歳になったというお年寄りとの触れ合いの中、インパクト抜群のとある出来事に遭遇するのですが・・・。それは見てのお楽しみとして、笠さんの台詞の一つがとても心に残りました。
「もう生きるのをやめてもいい歳だが・・・あんた、生きるのは苦しいとか何とか言うけれど、それは人間の気取りでね。正直、生きているのはいいもんだよ。とても面白い。」
去る9月30日からの3日間、国際福祉機器展が東京ビッグサイトで開催されました。
食べやすく簡単で美味しいレトルト介護食から障がいがあっても使いやすい調理・食事器具、おしゃれなシルバーカーから最先端技術を活用した福祉車両まで、世界の福祉機器を一堂に集めた国際展示会です。
この展示会は参加無料・自由で、利用を考えている一般の方から各種メーカー、私たちのような福祉職まで一同に集まり、会場は大賑わいでした。
さまざまな福祉機器はもちろん興味深いのですが、「人が一人生きていく」そのためにこれだけ多種多様、大勢の人間がかかわっているのかと思うと、非常に感慨深いものを感じ、圧倒されました。
「正直、生きているのはいいもんだよ。とても面白い。」
その面白い"生命"を支えるため、この福祉機器展の光景のように、知恵やエネルギーが集まっていく、絶えず注ぎ込んでいく世の中であらねばと思いを新たにしました。

23:29 | Posted by admin

【自己紹介させて頂きます。】 堀内

2010年10月22日 | きみさんち

9月から、きみさんちで働くことになりました堀内智子です。年は26歳。趣味→温泉旅行、お寺巡り、TVはほとんど観ずに仕事以外は常に音楽聴いてます。【TVは自分からつけることは一年に1回くらいです(笑)】
あとはお酒大好きで量は少ないですが毎日、晩酌します…。
続いて、きみさんちで働きたいと思ったキッカケです。認知症の方に興味があったのは大前提ですが以前、訪問入浴で働いていて1日に色々な方と出会たり大好きな仕事ではあったのですが、ほんの少しの時間しか一緒に居られないというのが、凄く寂しいと感じました。時間は長く、そして深く関わっていきたいという気持ちが日に日に強くなり思い切って転職しました。
実際に働いてみて一番困ったことは、まず料理です。26年間ほとんど料理をしたことのない私は野菜の切り方、味付けまで入居者さんに教えて頂いてます。
きみさんちに関わる全ての方に支えられて色々な感動に出合う日々です。頑張ります。

23:29 | Posted by admin

【有難うございました】 宮崎

2010年09月22日 | きみさんち

この度家庭の事情で退職することになりました。
“きみさんち”で働き始めて1年4ヶ月。なんだか、あっと言う間の日々でした。
介護をする人と、介護される人という関係と言うよりも、1人の人として、お付き合いをさせて頂けたようにおもいます。今まで介護業界で働いていて、入居者が不機嫌、気難しい性格だったりすると、気を静めようとしたり、嫌な(いらいら等)雰囲気を漂わせる前に、介護者(スタッフ)が、触らぬ神に祟り無しとばかりに、関わりを敬遠したり、「とっつき難い人」という認識のもと怒らせ無い様に怒らせ無い様にと、その人とのかかわりの幅を狭くする関わりが多かったと思いますし、新人で入るときには必ずといっていいほど施設の要注意人物だから、対応には気をつけるようにと、植えつけられて育ちました。
きみさんちに来て、不機嫌だって感情の一つ。必要以上に、スタッフが先回りして機嫌を取ったり、不機嫌さを回避する対応をする事はないんだなと気付かされました(しなくてはいけないときも有りますが)。
そっと、入居者さんの様子を見ていると、不機嫌さを、自分でうまく解消したり、気分転換をされていて、入居者の出来ないところ探しではなく、出来るところ探しという視点を変えるだけで随分かかわり方が違ったように思います。
きみさんちにくるまで福祉関係は、きみさんちで最後にしようと思っていたのですが、まだ福祉の仕事に関わっていたいなとおもっています。介護業界、介護スタッフの接遇の事や、スタッフの質等問題は多いですが、どっしりと構えて介護を必要としている人を支えているという、プライドを持っていたいと思います。

23:28 | Posted by admin

【自己紹介】 石川

2010年08月22日 | きみさんち

初めまして、石川と言います。きみさんちに就職して、一ヶ月になります。よろしくお願いします。
自分のちょっと前の過去を話させてください。
お笑い芸人になりたくて、東京に出てきました。4年前に芸人の養成学校に入りまして、色々ありまして芸人になったのは良いのですが、月に一回のライブと浅草でのビラ配り、先輩芸人のライブに進んでお手伝いに行き、事務所に頑張ってますよー!アピール!アピールの甲斐あって、テレビのオーディションがくるものの、自分の実力がたりなかったのか見事に落ちる。
理由があってアピールはするものの練習をあまりしない、その番組でどんなものが受けているのか、あまりリサーチしない・・・受かるわけありません。
偏差値の高い学校に努力もしないで受けに行くようなものです。ここに、僕達はいるよー!と自己主張だけは強い3人組でした。トリオでやっていました。このことにいち早く気がついた相方の一人がもう限界だよ・・・と辞めていきました。
自分はまだ芸人を続ける気でいたのですが、その時ずっと続けていたアルバイトを辞めて、新しいバイト先を探していたのですが、見事に落ち続けこれまで夢を追いかけてきて、何の成果もあげられなかった僕への神様からのいましめなのか、2ヶ月程職もなく家でぼーっとしていました。芸人のお手伝いをしつつ、その間一緒に住んでいる(同棲)していた彼女に生活を支えてもらい、その彼女を見ていたら自分がこのままでいいのか、このまま続けていたら苦労しかかけない。よく芸人の言葉で「苦労掛けるかも知れないけど芸人は長い宝くじをかったようなものだから、当たるまで待っていて」という言葉があるんですが、ダメだこのまま待たせていたら本当にダメだと思いまして、芸人を辞めて、これから何をしようかと二人で話しあって、ちゃんとした職業につきなとアドバイスをもらい、この仕事を選びました。
人の為になる仕事でやりがいがある仕事だと思い、きみさんちに来ました。入居者さん達と笑いあり楽しい時間をすごしています。若輩者ではありますが、以後よろしくお願いします。

23:27 | Posted by admin

【私たちの取り組み】 伸居

2010年07月22日 | きみさんち

社内状況になりますが、現在NPOミニケアホームきみさんちと(有)自在の管理者5人(蔵田、光岡、福田、村松、伸居)が集まり、4月以降の新規スタッフへの基礎研修を段階的に担当しております。これには事業所数の拡大と、それに要する人材の育成という背景もあるのですが、それぞれの管理者達が人前で話す、経験や知識を伝える練習をするという意味合いも含まれています。
研修プログラムの作成から講義資料の作成と色々と準備をしてきました。今は講義という形態の持つ独特の難しさの様な物を感じています。
例えば自分ではハキハキと喋っているつもりが実は抑揚の無い声でゴニョゴニョ喋っていたり、すご~~く無表情だったり。と第三者の視点を聞けたりします。それはそれで結構落ち込んだりもするのですが、これには文字通り訓練が必要なのだと思います。
対して会話であれば、相手の返答、間、呼吸、表情そう言った物からお互いの意思を辿り合う事が出来ると思います。聞くところに拠ると人間は言葉では35%だけしか伝達する事が出来ず、残りの65%は言葉意外のジェスチャー、身振り手振り、声の大小、で伝えているそうです。興味のある方はバーバルコミュニケーションという言葉を調べてみてください。(パーセンテージは文献により差異があります)
これって実は僕達がホームで入居者さんをケアする際に重要視している事柄であったりします。言葉を上手く扱う事が困難になっている方と接する時、全身の色々な部分をそっと観察します。顔はもちろんの事、背筋、首筋、肩、腕、掌、そんな箇所も表情を持っています。そういった物から相手の気持ちや意思を知ろう、知っていこうとする訳です。意外にこれが熟練すると的を得始めてくるのが不思議です。ですが、大抵の場合、可能な場合において僕はまず目、目線を見ることが多いです。
話を講義の難しさに戻しますと、まず目を見られることが多いのでは?と考え、今後目の表情を良くしていけば講義を受ける人の印象も大分変わるのではと考えている最中です。

23:26 | Posted by admin

【マナーについて】 松林

2010年06月22日 | きみさんち

電車に乗っていると誰かの着メロが鳴り出しました。20代と思える女性の携帯電話だったようで、「うん、大丈夫、電車ん中だからヒマ」と言って電話に出て話し始めました。
電車の騒音で電話が遠いのでしょう、結構、大きな声で話しています。よく見ると座っているのは優先席。少し離れた扉の所に杖をついたオジサンが立っています。周りの人たちは見てみぬ振り、聞いて聞かぬ振り------。
こんな状況に遭遇したらどうでしょう?電車内での携帯電話、ましてや優先席での使用であることを注意できるでしょうか。
電車内のアナウンスで、携帯電話の使用云々が流れていますが、このアナウンス、聞いている人はいるのでしょうか? BGMのように聞き流されていませんか。
BGMと言えば、最近ではあまり聞かれる事のなくなった、ヘッドフォンからの音洩れ。聴きたくもない音楽を聞かされている迷惑感があります。どうして洩れてくる音はあんなに神経を逆撫でするのでしょうか?
罪のない迷惑は、電車内で騒いでいる小さな子供たち。狭い電車内で飽きてしまうのは仕方ないなぁと我慢していますが、親の叱り方の方が気になってしまいます。「騒いでいたら、あそこのおじさんに怒られるわよ!」あなたが怒りなさい、と言いたい。
路上では、歩きながらの喫煙がまだまだ見かけられます。
喫煙できる飲食店が減っている事もあるとは思いますが、喫煙できる場所も増えているように思います。どうしてそこまでの我慢というか迷惑を考えないのでしょうか?
携帯電話に話は戻りますが、歩きながら、自転車に乗りながら使っている人を多く見かけます。こちらとぶつかりそうになるギリギリまで携帯を見ています。
もしも私の視力が低下していたらどうでしょう。こちらは避ける事が出来ませんから注意のしようがありません。
マナーって人を思いやる事。他人の事を想像して、やらないように、またやっておく様にする事だと思うのですがどうでしょう。
先生に言われたから、アナウンスで流れているから、他人に怒られるから、そんな理由でやるものではないですね。その時は怒られるからマナーを守ったとしても、どうしてそれがマナーとして言われているのか、色々想像して考える事がもっとも大事だと思います。
どうして歩きタバコはいけないのか。
電車内で騒いだら誰に迷惑なのか。
優先席での携帯電話は何故電源を切らなければいけないのか。
BGMのように聞き流されがちな車内アナウンスですが、もう一度よく聞いてみてください。こんなにマナーについて言っているんだと感心しますよ。
ヘッドフォンで耳を塞ぎ、携帯電話に視線を落し意識はメールの中。個人を守るのも大事ですが、同じ人間同士、近くにいる人に思いやりをもって、もう少し周りを見ながら行けないかなあと、いつも感じています。

23:26 | Posted by admin

【心の休日】 宮崎

2010年05月22日 | きみさんち

新年度も、半月早くも過ぎてしまい、桜もすっかり散ってしまいましたが、4月半ばになっても寒暖の差が激しく、体調の管理も大変ですが体調を崩されてはいないでしょうか?
春になると木の芽時や、五月病という言葉があるように、自律神経が崩れ、イライラしたり、必要以上に気分が落ち込んだりする事があると思います。
体の不調は比較的すぐに病院へ行ったり、身体を休めて、大事になる前にメンテナンスをする方が多いと思いますが、心のメンテナンスはどうでしょうか?
自律神経が崩れ、頭に血が上ってカッカしたり、イライラして、イライラしてる自分に、なんて心に余裕のない人間なんだと、へこたれて、もー嫌!と再度イライラと言う悪循環に入り込んでしまう事はあ
りませんか?
こういう気持ちが荒れている時の、メンテナンスは結構仕方がないや、忙しいから休めないし(涙)と二の次になりやすい所だと思いますが、病は気からという言葉があるように、心と体は密接な関係にあるので、気持ちが疲れると体調を崩しやすかったりします。
(例を挙げると緊張しすぎるとお腹が痛くなったりするのもそうですよね。)気持ちが疲れたら、心が風邪を引く前に、心を休める日を作って、ストレス発散をしてみては如何でしょうか?

23:25 | Posted by admin

【頑張れという言葉…】 田中

2010年04月22日 | きみさんち

冬のオリンピックイヤーも過ぎ「がんばれ日本」という言葉も聞かれなくなってきました今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
浅田真央が銀メダルに悔し涙を流し、カーリングでは手に汗握る攻防に皆さんも「がんばれ」と応援していたのではないでしょうか。しかしこの「頑張れ」という言葉には裏と表が実はあるという出来事につい最近出くわしたことがありました。それは友人と喫茶店でお茶を飲みながら何気ない会話をしていたところ、家庭の悩みを話し始め私が
聞き手に回って「どうしたらいいんだろう」という相手の言葉に「あなたが頑張ればいいんじゃない」と答えたところ「こんなに頑張ってるのにどうしてそういう事言うの」となき始めた友人を見て、その時はどうして泣くのか理由が分からず私も困ってしまったのですが、後日うつ病だったことが判明し、私も悪いことを言ってしまったなと反省させられました。オリンピックに出るようなアスリートの人もこの「頑張れ」と言う言葉に励まされ力変えることが出来る人と、それをプレッシャーに感じてしまい思うような成績を残すことが出来ない人がいると思います。
利用者さんに当てはめたらどうでしょう。戦争・関東大震災と2度の苦境を頑張って乗り越えて今が有る方たちに今更頑張ってとは・・・
もっともっと頑張らなくてはいけないのはそんな苦境を知らない私達なのではないかとつくづく思わされるのでありました。

23:24 | Posted by admin

【つながっているということ】 志寒

2010年03月22日 | きみさんち

最近はなかなか機会に恵まれませんが、趣味でときどき山に登ります。登山道に咲く可憐な花や木々、時折出会える動物たちなど自然との触れ合いも楽しみですが、大きな楽しみの一つに雲があります。雲海の美しさは言うまでもなく、もこもこ雲を真横から眺めたり、羽衣のようなはぐれ雲を眺めたりなど、見ていて本当に飽きません。あまりにも好き過ぎて、気象予報士の資格も取得してしまいました。
ところでみなさん、雲と霧の違いはご存知ですか?実はこの二つは同じもので、地面に接しているかどうかの違いなのですが、山登りで山頂に近づくと、霧が尾根を越えてそのまま上昇し、雲になっていくのを見ることがあります。雲の誕生の瞬間です。その時、自分が吐いた白い息や、汗から立ち上る湯気がその霧と混ざり合い、一緒に雲になってしまいます。
自分の体から出た水分が雲になり、世界中を巡って行く。水の循環という大きな自然のサイクルに自分が直につながっていることを実感する・・・不思議な気分になります。
もちろんこれはただ実感できるということであって、本当は何処にいても、僕らが水を飲み排泄する限り、この大きなサイクルとつながっているわけですよね。水は雲や雨や海や川を流れ、木々の幹を伝い花びらのしずくとなり、スズメやライオンに飲まれ、そのついでに僕らの身体を流れていく。海も山も体内も、ヒトもその他の動植物も、私とあなたも違いはない。水にしてみたら永遠に続く長い旅の
通過点。
越えられぬ国境も、いさかい合う人々の間も、切り倒された木々と切り倒した人の間も、孤独にさいなまれる人にも、老いも若きも、時や空間を超えておんなじ水が流れている。
ただ大きなつながりの一部としての、ヒト、自分。
ホッとするような、こそばゆいような、そんな気持ちになりませんか?

23:23 | Posted by admin