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【ただ肩を並べて】 きみさんち 志寒

2021年08月10日 | きみさんち

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肩を並べてだらだらよもやま話をしながら、ただ並んで流し仕事をしています。
どちらも誰かのためにするのではなく、ただ頭や手が動くままに、自分がやりたいから。

もちろん、手助けがあった方がいいときもあります。さっきまで手に持っていたスポンジを見失ったり、食器洗剤のプッシュ容器の使い方を忘れたり、同じものを何度も何度も洗っていたり。そんなときでも「あれ」「そっかそっか」で通じます。余計なものは足さない、大切なものは引かない。ただそれだけのやり取り。
信頼しているから、それで通じるのでしょう。

自分がやりたいことをやってるだけなので、取り立てて「ありがとう」の感謝の言葉も、ましてや「よくできました」と大げさに喜ぶ必要もありません。
そうして、流し仕事がすすんでいきます。介護や支援と名付けるのも烏滸がましすぎる、そんなどうでもよさそうな生活のひととき。

そんなひとときが、一番好きです。

08:29 | Posted by kimisanchi

【これからも続く道】  きみさんち 金井

2021年06月10日 | きみさんち

私は色々な仕事をしてきましたが、とある職場の上司に「あなたの仕事はお客様を楽しませていますか。」と言われたことがあります。自分だけが楽しんで、周りはつまらない仕事になっていると注意されたのです。
先日そのことを思い出したのが、マッサージを仕事にしたい娘が通いたいといっている専門学校での説明会の時でした。講師の先生が「年齢や性別、学歴に関係なくお客様に喜んでいただくのが私達の仕事です。」とおっしゃっていたのです。
私が就いている介護の仕事も、入居者さんに喜んでいただくのが仕事のひとつです。年齢・性別・学歴に関係なく自分の経験・能力を携えて行える仕事です。
縁があってきみさんちで入居者さんに支えられながら介護の道を歩み始めました。
まだまだ未熟ですが、学び続ける姿勢を変えることなく歩んでいこうと思っております。

17:20 | Posted by kimisanchi

【桃の花が咲く頃】  きみさんち 松林

2021年05月10日 | きみさんち

春の季節、きみさんちの近所に綺麗な桃の花が咲きます。
この桃の花をバックに、以前入居されていたAさんを写した写真がとても素敵な写真でしたので、この桃の花を見るとAさんを思い出します。
ファイル 554-1.jpegその写真に写ったAさんは、満開の桃の花に負けないくらい、明るい笑顔を見せて下さっていました。
ご家族の都合で2年弱で退去されてしまいましたが、その間のAさんは、沢山の思い出を残して下さいました。そして何より、沢山の事を学ばせて下さいました。
帰宅の思いが消えない方でしたので、毎日、夕方近くになると、バッグを肩に提げて「お世話になりました。それじゃ帰りますね」と、出て行かれます。
ご本人は、泊まりに来ているという認識があっため、当然の行動ですが、どの様に戻って頂くのか、また、どうすれば留まって頂けるのか、考えに考え、あらゆる手を尽くしました。
私はこのとき、介護業界3年目で、この様な思いの方に出会ったのが初めてでした。ですので、考え尽くしたあらゆる手段を用いた結果、「それでは、帰ります」と言われた時には、介護という仕事の難しさを痛感して、もう辞めようと思ったものでした。
しかし、時が経つ内に、Aさんの思いや行動が、何となくですが、理解出来る様になった気がしたのです。
それは、あらゆる手段で帰宅の思いを誤魔化すのでは無く、Aさんの思いに如何に寄り添うか、という事ではないかと思ったのです。
出身は何処で、何時頃上京して、どんな方と結婚されて、お子さんをどんな思いで育てられて、その時の時代背景はどんな様子だったのか、そして、どんな思いで、今、きみさんちに居るのだろうか。
考える事も大事な事ですが、想像する事はもっと必要な事ではないかとも思いました。
現在もきみさんちには、大きな悩みを抱えられた入居者さんがいらっしゃいますが、その方と、どう向き合って行けば良いのか、Aさんに基本中の基本を教えて頂いた様に思うのです。
ちなみに、Aさんが一緒に撮った桃の花は、その悩み多き入居者さんが住んでいたアパートの庭に咲いています。何か運命的なものを感じてしまいます。
Aさんは、お元気ならば86歳になられます。
今も、どこかで桃の花に負けない素敵な笑顔を浮かべていて欲しいです。

10:57 | Posted by kimisanchi

【自粛の結果…】  きみさんち 田中

2021年04月10日 | きみさんち

コロナ拡大も2年目に突入。
ご家族の皆様、他利用者の皆様、スタッフの方々、近隣関係者の方々、色々と不便な事だらけで大変だとは思いますが如何お過ごしでしょうか。
幸い、きみさんちでは具合が悪くなる方はいらっしゃいましたが、今の所感染をされてしまった方はいらっしゃいません。
皆さん各々、生活をされておりますが、やはり問題は体力低下でしょうか。
歩行能力も、生活の幅の縮小を余儀なくされ、大好きだったお散歩も、お買い物も中々出ることが難しく、皆さんの毎日を見ていると、能力の衰えというものはあっと言う間にきてしまうものなんだという事を痛感しています。
人間の能力は、向上させることは難しくも、低下はあっという間に訪れてしまいます。
その向上した能力の維持がまた大変難しく、これから利用者の皆さんに関わるスタッフ全員の課題になってくることかと思います。
各言う私も運動不足…
健康診断が恐ろしく感じる今日この頃です。
ワクチン接種も始まっておりますが、その成果が現れるのはまだ先の話になることでしょう。
どこまでこの状況が続くか分かりませんが、今は国民総出でいや、世界総出で我慢のとき。
いつかまた皆さんと「こんにちは」とマスク無しで会話が出来るようになることを祈りつつ、今回の原稿終了いたします!!
*自粛の結果…
はっきり言いまして、この事態で出かけたりすることがないもので原稿にするネタが見つかりません。早くこの状況が改善されることを祈ります・・・(憤り)

17:24 | Posted by kimisanchi

【春はどこから】  きみさんち 金井

2021年03月30日 | きみさんち

ファイル 546-1.jpegはーるはどこから来るかしら♪そんな歌がありますね。
きみさんちの春は窓辺に来てます。
ミニ観葉植物や豆苗を置いて早春の日差しを浴びて成長するのを楽しんでいます。
玄関先では二十日大根はかわいらしい実を着けています。漬物かしら、酢の物にしようかしらとお話するのも楽しいです。
食用に買ってきた菜の花をコップに生けておいたのはどんどん花を咲かせています。
でも今日当たり、ちらし寿司の飾りになってお腹に入っているかも知れません。
外に出られない日が続いていますが、確実に春はやってきています。

17:01 | Posted by kimisanchi

【心と身をすくめた一年】  きみさんち 志寒

2021年03月10日 | きみさんち

この記事を2月に書いていますが、昨年の2月は初旬にダイヤモンドプリンセス号の新コロナウイルス感染者が話題となり、中頃には中国の武漢市から在中邦人がチャーター機で帰国していました。何かが起こっているぞという感覚はあっても、まだまだ対岸の火事のように感じていた人も多かったのではないでしょうか。2度の緊急事態宣言を体験するという、この現状を想像できた人は少なかったに違いありません。この一年はまさしくコロナ禍で塗りつぶされたと言っても過言ではないでしょう。
きみさんちでは日々の買い物を職員が代行し、入居者さんの外出を大幅に自粛しています。しかし、感染予防対策を行った上で、外のベンチでの日向ぼっこや感染可能性の少ない公園での散歩などは必ずしも制限していません。ですが、そうした外出さえもほとんど見られません。入居者さんが望まなくなっているのです。あれほど毎日のように外に出ていた方もいらっしゃるのに。
それを知るご近所の方にお会いすると「最近、皆さんはお元気?やっぱり外に出たいでしょうにね。外出はやめてもらってるんでしょ?」とお声を掛けられるのですが、実際は私たちが外出を思いとどまってもらう働きかけをするまでもなく、外出しようとする様子や意欲がほぼ見られないのです。
特段、みなさん自身がニュースや新聞でコロナ禍を知って、自発的に自粛しているわけでもなさそうです。外出しない生活に慣れきってしまったのでしょうか?可能性はありそうです。それも切ないことではありますが、より不安な可能性として、私たち職員が無意識的に入居者さんが外に目を向けないよう、メッセージを出しているのではないかという想像もしてしまいます。
振り返ってみれば、昨年はどれだけ入居者さんと満開の桜の話をしたでしょうか。輝く夏の日差しや色づいた紅葉を何度、話したでしょうか。新しくオープンしたお店の話はしたでしょうか。近所に住み着いた野良猫の話はしたでしょうか。私たち職員のそうした変化に入居者さんが反応しているのかもしれません。この状況で私たち職員が地域に心を閉ざせば、入居者さんも地域から心が離れていってしまうように感じます。たとえ、外出自粛をしていても、心は地域とともにあり続けたいと改めて思うのでした。

16:58 | Posted by kimisanchi

【全治三週間の痛み】  きみさんち 松林

2021年02月25日 | きみさんち

去る、11月7日の朝のこと。それは、突然やってきました。
歩けるようになったのが嬉しいらしく、広くもない我が家をあちこち歩き回り、ベランダに出てしまいそうになった我が子を抱え上げようとした瞬間です。
ペキペキッ!という音と同時に腰に激痛が走り、畳に膝を着いたまま動けなくなってしまったのです。
その後、整形外科へ通院して、検査で椎間板ヘルニアである事が分かり、三週間の療養が必要であると診断され、職場には多大な迷惑を掛ける事になりましたが、上司が快く療養を認めてくれたため、三週間の休暇を頂く事になりました。
椎間板ヘルニアの痛みは、経験した人ならばお分かりでしょうが、椅子に座るのも、靴下を履き替えるのも、洗面をするにも、激痛と戦いながらなのです。
なので、家事も出来なければ、子守も出来ない、所謂、役立たずな状態なですから、家に居ても居場所が無い様に思ってしまいます。結構な落ち込みです。
歩く事も困難なため、杖を購入したのですが、子供が珍しがって持って行ってしまったりと、子供に苛められたりもしました。
通院などで出掛けた時も、杖を頼りに歩いていると、結構な高齢の方にスタスタと抜かれたり、すれ違う人が大きく避けて行ったり、通常であれば10分も掛からない駅までの道程が40分も掛かったり、駅のホームでベンチの席を譲られたりと、身体能力の衰えを自覚する機会と沢山出くわし、気持ちまでもが衰えて行くようでした。
そんな時、ふと、普段から杖を使用している入居者さんを思い出しました。
その方は、いくらお誘いしても、買い物や散歩にすら一緒に出掛けてくれない方なのです。
理由を尋ねると、私が行くと迷惑が掛かるからと、答えられます。
迷惑ではありません、むしろ、歩かないともっと歩けなくなるからと、何度もお誘いしますが、迷惑を掛けたくないと、頑なです。
残念な気持ちでお誘いを諦めていましたが、杖を突きながら歩いてみると、何となく気持ちが分かるような気がしました。
また、以前出来た事が、病気や怪我、加齢などで難しくなってしまう悲しさや恐ろしさも、身をもって体験しました。
これを書いている現在、腰はすっかり良くなり、職場に復帰させて頂いていますので、療養中の体験を生かせる様に頑張っていくつもりです。
そして、きみさんちの入居者さんやスタッフ達に、感謝としてお返しできればと考えています。
余談ですが、我が子は、仕舞ってある杖を持って来てくれる様になりました。

08:34 | Posted by kimisanchi

【命のバトン】  きみさんち 田中

2021年01月28日 | きみさんち

先日祖母を連れ、区民健康診断に行った時の事です。
行った病院は町医者でありながら、小児科が有る唯一の医院なので、健診に行った当日は乳幼児を抱えたお母さん、お父さんでごった返していました。
そんな中、祖母が待合室で待っていると、一人の男の子が祖母の前に駆け寄り、握手を求めてきたのです。祖母は「可愛いね」「坊やは幾つになるんだい」と嬉しそうに手を握りながら話しかけていました。それを横で見ていた私は、ふときみさんちにいらっしゃる入居者の方たちを思い浮かべました。
Kさんは散歩に出かけ、子どもを見るたびに「お人形さんみたいだね」と声を掛け、Sさんは外に出ると散歩に来ていた保育園児を見るたびに「可愛いわね」「この子前に会った事あるわよね」と声を掛けて笑顔です。
OさんAさんも子どもを見るたびに「可愛いわね」「可愛子ちゃん」と言いながら満面の笑みを見せてくれます。
こんな事を思うのは不謹慎かもしれませんが、スタート地点に立ったばかりの命とゴール間近の命のなんとも微笑ましい言葉のやり取り。
ほっこりすると共になんだか切ない気持ちにもなったりします。
そんなことを思っているうちにうちの祖母の受診番号がよびだされました。
人生100年時代、それを超えている祖母と一緒に、折り返し地点にいる孫にはこの光景が「これからをよろしくね」「今までご苦労様ね」と言う握手に思えて仕様がありませんでした。命のバトンタッチ。これからの未来をこの子に託しているのかもしれません。
他人の子ですが・・・!?

17:22 | Posted by kimisanchi

【さよなら夏の日】  きみさんち 志寒

2021年01月06日 | きみさんち

先日、練馬区にある遊園地「としまえん」が閉園しました。
私自身は練馬の生まれではなく、自分の生い立ちの中では思い出はないのですが、それでも入居者の皆さんとアジサイ祭りなどに何度か訪れています。むせ返るような草いきれの中に鮮やかに咲くアジサイと、今ではご逝去された入居者さんの笑顔を思い出して、いささかさびしい気持ちになります。

私自身は特段の宗教を持っていないのですが、神社仏閣は好きです。それは信じている神や仏は別として、そこに長い時間積み重ねられた思いや願い、人々の心のエネルギーに畏怖と敬意を感じるからです。それと同じく、1927年開園のとしまえんに、どれだけの子どもたちの、親たちの、恋人たちの思い出が凝縮されていると思うと、特に練馬に生まれ育った方の落胆はいかほどかと感じます。

閉園の話題の中で、山下達郎さんの「さよなら夏の日」という歌がとしまえんを舞台にしていると知りました。遊園地のプールを舞台に少年の恋心と夏の終わりを歌った曲なのですが、歌詞の“さよなら夏の日いつまでも忘れないよ”という
フレーズを口ずさむと、旅立った入居者さんに向けられているようにも思えてきます。

思いが積み重なる場所といえば、開所20年を超えたきみさんちも、そうなのでしょう。時には穏やかで朗らかな、時には強く激しい思いが積み重なるきみさんち。
もちろん、入居者さんだけではなく、スタッフたちの思いも積み重ねて。
コロナ騒動でいつの間に季節が過ぎ去ったのか、いささか実感のない日々ですが、これからもたくさんの思い出たちを、いつまでも忘れず、重ねていけたらと思います。

11:06 | Posted by kimisanchi

【知ること、認めること】  きみさんち 金井

2020年10月13日 | きみさんち

先日、若年性認知症の方のお話を聞く機会がありました。
その中で私は、出来ることを奪わないでくださいとおっしゃられたことが忘れられません。
出来ること・出来ないことを「認め」、本人のことを「知って」ほしいと、そういう病気なのだとおっしゃっていたことを忘れないと思います。
その方のご家族は、「心配はしているけれど、信用している」と仕事に送り出しているそうです。そういう寄り添いを私も出来るだろうろうかと自問自答しました。
日々の生活の中で失敗を恐れて、待つことをせず、成功する喜びを奪うことのないよう人に向き合うことの大切さを改めて感じられた2時間でした。

19:22 | Posted by kimisanchi

【異次元空間きみさんち】  きみさんち 松林

2020年09月14日 | きみさんち

新型コロナウィルスが世界的に猛威を振るっています。
日本も例外ではなく、沢山の感染者が出ています。
東京では、連日200人を超える感染者が発表されているほどです。
そんな状況ですから、人々は感染予防のために、外出を控えたり、他者との距離を取ったり、マスクを嵌めて会話をするのが常識となっています。
きみさんちでもそれは例外ではなく、勤務中はマスクをしたままですし、入居者さんと買い物に出掛ける事はなくなっています。
ウィルスの終息までは仕方の無い事ですが、常識の変化に対応して行かなければならないと思っています。
しかし、きみさんちの入居者さん達は、それぞれの常識を貫きながら生活されております。
一日の殆どを外のベンチで過ごされる方。
帰らなきゃと仰って外に出られる方。
大きな声で歌を歌っている方。
新型コロナウィルスの猛威は、世界的に広がっていますが、どうやらきみさんちの周りにはバリヤーが張り巡らされているようで、その猛威が振るわれる恐れは無さそうです。
また、窓辺にしがみ付くカマキリの姿や、庭から玄関先まで行列を作っている蟻達を見付けたり、神社の木々から聞こえる蝉の声を聞いていると、新型コロナウィルスが猛威を振るっているなんて嘘なのではと思ってしまいます。
どこかのんびりとしたいつもと同じ風景といつもと同じ入居者さん達に囲まれていると、ウィルスが蔓延している世界とは別次元の世界にいるかの様な錯覚に囚われてしまいます。
しかし、現実は、、、。
何時でも何処にでも気兼ね無く出掛けられ、誰とでも会話を楽しめる日が早く帰って来る事を節に願います。

09:35 | Posted by kimisanchi

【こんな所に…】  きみさんち 田中

2020年08月11日 | きみさんち

今皆さんいかがお過ごしでしょう。コロナウィルス感染が東京都でまたまた猛威を振るいだし、収束どころか増える一方。
きみさんち利用者さんもスタッフも遠出が出来ない苛々とやるせなさに身を置きながら日々がんばっております。
関東はお盆も過ぎ、これから夏休みといった所でしょうが、今年はどうなることやら…。
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そんなことを考えながら6月のとある日。
夜勤をやっていたところ、なんと早朝に近くの公園から飛来したと思われる鴨が2羽、目の前を通る道路上に散歩する人に臆することなく闊歩していました。最初は珍しいのと可愛いのとで眺めながらホッコリしていましたが、なんと1羽がきみさんち玄関に入って行こうとしているではないですか!
まてまてまてぇ!鳥が持ち込むいやな病気もあることは知っていましたので申し訳ありませんがお引き取り下さいといわんばかりに追い払いましたが、これまた臆することなく私の目の前をピコピコ歩いて道路に戻っていったのです。
そんなほっこり時間もつかの間、利用者の皆さんが一斉に起きてこられ、いつしか鴨もどこかに去っていきました。
この時ほど鳥って自由で良いなと思ったのは言うまでもありません。
その後のこの2羽は飛来しておりませんが、人気の少ない公園の池で元気にしている事と思います。

11:49 | Posted by kimisanchi

【引き出され、引き継がれる記憶】  きみさんち 志寒

2020年07月13日 | きみさんち

ファイル 507-1.jpg ファイル 507-2.jpg 今年もらっきょうを漬ける季節になりました。
私がらっきょうの漬け方を教えて下さいとお見せすると、Aさんは根も皮もついた生らっきょうをさっさと下ごしらえしていきます。そのうち「あ~・・・これね、Kさんも上手なんだよね~、うん、Kさんも上手なんだよね~」と繰り返し始め、暗にKさんをうまく巻き込もうとし始めます。私はこういうしたたかなやりとりが大好きです。私がまな板と包丁をもう一組持ってくると、結果、Kさんも巻き込まれ、1キロのらっきょうはあっという間に漬け終わりました。
このらっきょう仕事、以前、スーパーで「これ、おいしいんだよ」と生らっきょうを買われたので、漬物つぼをお見せすると手際よく漬けられて以来、きみさんちの年中行事に加わりました。
当初はらっきょうなんていつ食べきれるやらと思っていたのですが、生から作られるらっきょう漬けは香りも歯ごたえもよく、一ヶ月もたたないうちに皆さん食べきられました。
体に染み付いたらっきょうを漬ける技術の記憶、きみさんちにいつから置いてあるのか分からない年季の入った漬物つぼが引き起こす記憶。そして新しく積み重なるきみさんち製のらっきょう漬けの味の記憶。たとえひとつひとつの記憶は忘れ去られたように思えても、それらがうまく出会い、絡み合いながら、らっきょう漬けの歴史は続いていくのだろうなと思います。

10:27 | Posted by kimisanchi

【今、出来ること】  きみさんち 金井

2020年05月26日 | きみさんち

日ごろの衣類の洗濯を純石鹸で始めた10年くらい前の話しです。子どものアレルギーで市販の洗剤が使えず、友人の勧めで昔ながらの純石鹸での洗濯を試すことにしました。
泥汚れもよく落ちるしで今では愛用品になっていますが、当時は石鹸をよく泡立てないと衣類に残ったりして面倒だなと思ったりもしていました。そんな時にいっしょに野菜を売っていた石鹸愛用の年配の女性に、何であなたは石鹸を使い続けているのですかと聞いてみたことがあります。
彼女が言った言葉は、少し過激なのですが「私は銃を持って困っている人を助けるため戦いに行くことはできないから、今自分に出来ることはやることにしている」というものでした。水質汚染など環境問題に常に敏感で熱く語る彼女らしい言葉でした。自分ひとりがやっていることに意味がないと思うのでなく、出来る事をひとりでもちゃんとしていくことが大切ということだと思います。

昨今ウイルス性肺炎のため、人との距離を保ちましょうなどいろいろなところで言われています。こんな時あの人なら自分が出来る事を迷わず貫いて行っているだろうと思います。
きみさんちのテレビでもよくニュースを見ていますが、見ていたAさんがポツリと「じゃあ、私達は出掛けなければいいのね」とつぶやいていました。さすが大正・昭和・平成・令和と時代を生き抜いてきた女性です。出来ることをすばやく判断されていました。

10:25 | Posted by kimisanchi

【ハミングの行方】  きみさんち 松林

2020年05月06日 | きみさんち

「んーんーんー、んーんーんー。んんんーんんんーんーんーんー」。
ある入居者さんの奏でるハミングの音です。
元々は、体操をしながらの掛け声「イチニーサンシー、ニーニーサン…」だったのですが、何時の間にか体操をしなくなり、ハミングだけが奏でられる様になりました。
では、どのタイミングでそのハミングが奏でられているのかと言いますと、常に、であります。
雑誌を読みながら、玉葱を切りながら、洗濯物を畳みながら、歩きながら、そして、食事を摂りながら、、、と、常になのです。
ご本人が普通にされている事ですので何も言えませんが、一日仕事を終えて帰宅し、子供をあやす時に「んーんーんー、んーんーんー」と、無意識にそのハミングを奏でている事があります。かなり脳内に浸透している様です。
そんな常なるハミングですが、聞かれない時があります。
寝ている時と、話をしている時。
そして、何か気に入らない事があった時には、ぶつぶつと文句を唱えているのです。
ですから、ハミングを奏でられている時は、健全な精神状態の時なのでしょう。
家に持ち帰るくらい、我慢致します。
そんな入居者さんが、ある夜、泣きながらスタッフルームを訪ねていらっしゃいました。
理由を伺うと、既に亡くなられている旦那さんですが、現在、病院に入院しているという思いになってしまったらしく、早く会いに行きたいと泣きながら訴えられています。
どんな病気なのか、何時から入院しているのかなど、一通り話を伺い、明日、朝一番に後見人の方に連絡をしますと話をしました。
すると、とても安心された様子で居室に戻って行かれました。
さて、その時、どうして安心されたと分かったのでしょうか。それは、もうお分かりでしょう。その後姿からハミングが聞こえてきたからです。
「んーんーんー、んーんーんー」
私は、その後姿を見届けながら、思わず笑ってしまい、笑いながら安心して夜勤の仕事に戻りました。
心の安定はとても大切なものですね。

10:21 | Posted by kimisanchi