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【家の婆さんと共に】 田中

2014年01月01日 | きみさんち

母が亡くなり1周忌が過ぎた。その辺りから私の家の94歳になる祖母がおかしな事を言い始めるようになった。
精神科に通い、ついた病名がアルツハイマー病。
娘(母)の死から1年余り。緊張の糸がほどけた様に症状が出始めた。
その例を上げてみると・・・
ある日の午後
婆 「・・・」1点を見ている
私 「どうしたの」
婆 「あそこに子どもを抱いた人がいるんだけど声をかけてもうんともすんとも言わないんだよ。」
私 「・・・」 「どこにいるの?」
婆 「あー いなくなっちゃった」
ある日の深夜部屋より大きな物音がするので行ってみると、
婆 「お客さんが来たから布団敷いてやってるんだ」
と押入れからありとあらゆる布団を出し、床に引いている。
こんな幻覚・妄想が毎日繰り返されている。
夜眠れないからと廊下をうろうろするのは日常茶飯事。
危ないからと止めに入ると一旦は止める物の、10分後には同じ事を繰り返す。
これが続くと今度は父がイライラし始め怒鳴り始める。
怒鳴り声を聞くと今度はばあさんがふてくされ部屋から出てこない。と悪循環が続き、これではいけないと思っていたところ、ばあさんの方からデイケアに通って友達を作りたいと言ってきて、現在週2日通所施設に通っている。
居ない間は私・父のホッとできる瞬間でもあり、婆さんもデイケアでの出来事を笑顔で話してくれる。(詳しくはきみさんちHP行きはよいよい帰り路をご参照下さい。)
こんな婆さんでも氷川キヨシの事となると頭が冴える。
今度の中野(サンプラザ)は○月だ。切符とらなきゃなとカレンダーに印をつけ、それを目標に楽しそうに準備を始めるのである。
きみさんちの出来事が婆さんにリンクしてしまう時がある。「あっ!この発言家のばあさんもいってた。」「おなじことをしている。」など等。きみさんちで勉強させてもらっている事がことごとく当てはまり、家の婆さんで実践させてもらっている。
こんな毎日を繰り返していると介護の知識が少しでもあって良かったなあーとつくづく思う今日この頃なのであります。
認知症との付き合い方、玄人・素人問わず、とても重要になってきている時代なのかもしれないですね。

23:03 | Posted by admin

【健康診断】 石川

2013年12月23日 | きみさんち

11月になり、今年ももう終わりだなと思っていたら、年に1回の健康診断の季節になりました。入居者さん達スタッフ共々も病院で検査です。
健康診断なので、血圧上昇や血糖値をあげてはいけないので、朝食を抜かなければいけません。
車でKさんAさんと病院行きました。採血を採ったり、レントゲンを撮り、インフルエンザの予防注射をしたり、いつもとは違った環境もあるかも知れませんが、朝食を抜く事でお腹空いたんですよね。二人ともイライラしてきました。
Kさんが、お腹が空いた~と朝抜いたから~
Aさんが健診だから我慢はしないと、我慢が足らないんですよ、あなたは。とケンカになってしまいました。
一度は止めに入りましたが、白熱してしまい、しばらく2人で口論をしていました。
これもお腹が空いたからいけないんだと思います。
僕もこの1ヶ月前くらいに健康診断に行ったんですが、食事を抜き、久し振りに山の手線にのり駒込にお腹が空きすぎて、一人でやっぱりいらいらして早く終わらないかな~と、必要以上に思っていました。
でもその後の、我慢した分ご飯が美味しいこと、直ぐに無くなってしまいました。
2人の入居者さんも、我慢した分だけ美味しいご飯が食べれたと思います。

00:57 | Posted by admin

【私に出来ること。】   きみさんち 高橋

2013年11月23日 | きみさんち

きみさんちで仕事をするようになり、2ヶ月が過ぎました。本当に考えさせられる事が多く、まだ慣れない毎日です。
介護の仕事は初めてではありません。若い頃には、特養・デイサービス・有料老人ホームでも働いていた事があります。
その後、数年は事務の仕事をやっていました。子供たちに手がかからなくなり、そろそろまた介護の仕事を始めようかなと思ったのが今年の春でした。
知人の紹介で、看護助手の仕事を始めました。一日が忙しく、お昼休み以外は座る時間もありませんでした。朝から退勤まで時間に追われ、おむつ交換・食事・入浴・シーツ交換など時間と曜日で決まっているスケジュールをこなすのがやっとでした。
その病院にも、認知症の患者さんがいらっしゃいました。私の顔をみて頼みごとをしてくれるのですが、ゆっくり話を聞いてあげることが出来ませんでした。
私を頼ってくれているのに・・・なぜ時間を作ってあげられないのか?こんな毎日、こんな仕事って何なんだろうと思うようになりました。もっと一人の方とじっくり話したい、話に耳を傾けてあげる事は出来ないのか?と考えるようになりました。
そして今、きみさんちで働いています。
忙しく時間が過ぎていた毎日が、今ではまったく時間の流れ違います。まだその違いについていけてないのが正直なところです。
利用者さん主体の生活、利用者さんのペースに合わせる、あくまでも中心は利用者さんということを忘れないように仕事に励みたいと思っています。
きみさんちには、6人の利用者さんがいらっしゃいます。皆さんそれぞれの歴史、好み、嗜好などを理解し、その方にあった支援が出来るように、そして私らしい支援が出来るようになりたいと思います。
そうなれるには、まだまだ時間がかかりますが、どうぞよろしくお願い致します。

00:57 | Posted by admin

【きみさんち Who am I?】 志寒

2013年10月23日 | きみさんち

Who am I?・・・「私はだあれ?」という英語のゲームを、遥か昔、中学校の外国人の英語講師に教えてもらいました。簡単なゲームで、ある人がとある「誰か」になったと設定して、その人がその「誰か」の特徴をヒントとして出していき、他の人は質問をしながら、それが「誰か」を当てるというものです。
例えば、『私は泳げます』『あなたは魚ですか?』『いいえ違います』『日本に住んでいますか?』『野生では住んでいません』『淡水、海水、陸地、どこにいますか?』『・・・たいてい海水と陸地ですかね。ただし、凍った淡水の上にも。』『あなたには羽根がありますか?』『あります』『あなたはペンギンですね!』という具合。
そのヒントと質問が英語でなされるため、楽しみながら英語のトレーニングが出来るという遊びでした。また、なるべく早く当てるには、上手く対象を絞れる質問を考える必要があって、推理力が鍛えられ、頭の体操になった覚えがあります。
認知症には見当識障害という症状があります。私たちは時間や場所や人間関係を、客観的な現実に従い認識する能力があります。見当識障害になるとその認識が現実から離れてしまい、夜中なのに昼間だと思っていたり、馴染みのはずの家や道が見知らぬ場所になったり、自分の子どもを自分の親と思っていたり。その状況や程度はとても変動しやすいのですが、それが強く出ている時には、現実からかなり離れた主観的なその人だけの世界に浸っておられることもあります。ですが、あくまでもその人にとっては、その世界が紛れも無い現実。それが強い不安や社会との軋轢など害を及ぼさなければ、最大限尊重されるべきだと思っています。(一方で環境調整やさりげない声かけなどで、客観的な認識を手助けすることもあります)
さて、支援の中で時折、その人だけの世界に“参加”することがあります。
例えばお風呂をお勧めしたいときに、きみさんちは旅館だと思われているときには、即席に旅館の従業員になってお風呂の用意ができたことをお知らせしたり・・・。そうした場合、その方の世界を邪魔せず壊さないように尊重し、その中で情報を集め、自分はその中でどういう存在であるか、いかにさりげなく把握できるかが鍵になります。
ああ、今は旧姓を使っておられるので、多分、女学生に戻られているから、きっと私のことを先生と思っているな?とか、掃除道具を持った私に「あら、遅くまでごくろうさま。もうお休みください」と仰ったので、ここはご実家で、私はそこの従業員と認識されているなとか。
それはまるで、台本も渡されず即興劇に立たされ、私はだれ?と問いかけられているような・・・。そしてそれは、私にとってはとてもとても楽しいひとときなのです。
なにせその方の、大事な舞台に抜擢されたわけですから。
どなたかのエッセイで読んだのですが、その方が美輪明宏さんにお会いするたびに、美輪さんは去り際に突然「愛しているわ」と仰るそうです。そしてその瞬間に、現実から引き離され、美輪さんの豪華絢爛の舞台に突然立たされたような気分になると。
「私はだれ?」と利用者さんに問いかけられるとき、その見当識障害と呼ばれる現象に飛び込んだとき、私はその美輪さんの「愛しているわ」を心の片隅で思い出すのです。
さて、パソコンがお好きな方はご存知かもしれませんが「アキネイター」と検索してみてください。ランプの魔人相手に「Who am I?」とできますよ?

00:56 | Posted by admin

【力。】 堀内

2013年09月23日 | きみさんち

入居者さんがそれぞれ持っている力。極一部ですが書きたいと思います。
今月はTさん。きみさんち新聞に写真載せてもいいですか?と尋ねると、最初はハニカミ→ゆっくりではありますが徐々に顔がカメラの方に→そして最後は決め顔!→良い写真が撮れましたよと声をかけると、ホッと一息の笑顔。普段はご自分の思った方に顔を向けることや表情を作る事がやや難しい方ではありますが、写真を撮る。そして新聞に載ると意識されて普段以上の力を発揮されました。
そして歩いている時も、少し疲れてきてフラフラと不安定になってきたころに「さすが!80歳とは思えない良いバランス!!姿勢も最高に良いですよ」と声を掛けるとニッコリと笑顔になり足取りも姿勢も自然と良くなるんですね。
頑張ってくださいと声をかけるよりも遥かに頑張ってくれます。(時と場合によりますが・・・) 些細なことで当たり前の様なことですが少しの事で、こんなにも力を発揮してくれます。
色々見つけて更に毎日を楽しみたいと思います。

00:56 | Posted by admin

【最近の出来事】 石川

2013年08月23日 | きみさんち

今の時代、みなさんアイフォンやアイパットを使っています。
ずっと旧携帯を使っていたので、今に追いつこうと、嫁はアイフォンを購入しました。僕は、携帯をあまり使わず、友達が少ないので、ネットを見るときは大きな画面の方がよいとの店員さんの助言と、アイフォン1台持つよりは~アイパットと携帯両方持っていても同じ値段なんですよ。と言う言葉にのり僕はアイパットを購入しました。
契約の時に色々と説明を受けました。結構長い時間だったので4ヶ月になるうちの息子がダダをこね始めました。泣くは泣くはで大変でした。
家の息子は何故か電波に反応してよく泣きます。嫁が携帯を近くで操作していて、もの凄く熟睡していても突然起き泣きます。携帯の電波にネットにつないだ時に、微弱電流を感知して泣くので携帯ショップならなおさらなきます。
外にでるとピタと泣き止みます。最初泣かなかったので我慢の限界に達したようで早々に戻ってきました。
店員さんの説明をあまり聞けず家に戻ってきました。
夕食を食べ子供を寝かせた後、よしやろうと、今時の人に近づくぞと意気込み、操作を開始しました。
僕は説明書を見ない人なので、我流でどんどん進めていきました。嫁は説明書を見る人なので、ちょっとずつアプリをダウンロードしたりしていました。以外に簡単と思っていたら、嫁がここが分からないからやってと渡され、説明書をみないんで何を思ったか適当に操作したら、嫁の携帯のアドレスを全部消してしまいました。
まあ怒る怒る、偉い目にあいました。
説明書はみましょう。

記念に写真一枚貼っておきます
ファイル 68-1.jpg

00:50 | Posted by admin

【感動×∞(無限大)】 松林

2013年07月23日 | きみさんち

仕事中にふと思った事がありまして。

綺麗な椿の花を見ている利用者さんが、私に声を掛けてくれました。
「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。
「本当に綺麗だね、こんな綺麗な色に咲くんだね」と私。

その数分後に「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。

その後も何度も声を掛けられ、その都度、綺麗な花の事を告げられている。

私がきみさんちに来たばかりの頃であれば、その声掛けに、ずっと付き合っていたかもしれません。
慣れてきた頃には、その思いを違う所に切り替えていたかもしれません。
そして、今、その言葉に、ずっと付き合っている私がいます。

それはどうしてなんだろうと、ふと、考えてみました。

認知症の利用者さん、言動を直ぐに忘れてしまいます。
ですが、そのときは、単に忘れて何度も同じ事を言っている様に聞こえなかったのです。
そして、そこに感じたものは、綺麗な花に向けた感動でした。
言動を忘れてしまうという事実は、さぞや驚異を伴うことでしょう。
しかし、ひとつの出来事を何度も体験できるという『特権』もあるのかもしれないな、と思いました。
何時も新鮮な思い。何度も感動できる出来事。

そんな思いでその方の言葉に付き合っていたら、本当に何度も良い笑顔を向けて「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と言っています。

忘れてしまうことは残念な事かもしれませんが、忘れるがために楽しめる現実は山ほどあります。
そんな現実を作って行くのが、私の仕事なのかなと、深く思った「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」のセリフでした。

そのセリフを5・6回聞いた後、急に「最近、あの人見掛けないな。どうしたんだ?」と、数ヶ月前に亡くなられた利用者さんの事を聞かれました。
「どうしたんだろうね?」で良いのかも知れませんが、事実を述べました。
するとまた数分後、「最近、あの人見掛けないな。どうしたんだ?」と聞かれます。

マイナスイメージに対しては、流石に話を切り替えました。
「この花、綺麗に咲いたね。蕾もまだまだあるから楽しみだね」
「ホントだな、綺麗だな」

するとまたまた数分後「見てみろ、この花、綺麗だぞ!」と。

感動とは至る所に存在致します。

00:49 | Posted by admin

【お勧めマンガ…『ペコロスの母に会いに行く』】 田中

2013年06月23日 | きみさんち

マンガが大好きな私。 ふと書店を覗くと1冊のマンガが目に留まった。
62歳の漫画家が描く、認知症の母との可笑しくも切ない日々「ペコロスの母に会いに行く」
最初は興味本位で手にしたが、何故か読まずにはいられなかった。
主人公のみつえさんは夫が亡くなった直後から認知症にかかり、その息子(作者)が介護施設に母を預け、その施設での日々を4コマ漫画調に仕立てているといった感じの漫画である。
介護職についているからなのか、実話を元にされているからなのか定かではないが、凄く共感すると共に、読み進めるうちに泣けてくるすばらしい漫画だと思った。
その一部をご紹介します。

「エンドレスシアター春」
義弟(以下義) 義姉さんあん人はどげんしとんなっですか?
みつえ(以下み) あん人・・・どん人
義 あん人ですよ。 ほら・・あの。
み ああ! あん人。 あん人はあげん目におうて。
あげんなってしもうたもんネ。 あいで良かったとかしらん。
・・・・・・しばし間・・・・・
義 そん人は誰ですか?
み 誰って・・あん人ですよ。 ほら・・あの
義 ああ、あん人! あん人はあげん目におうて
み 誰そい?・・・・・こんな会話がエンドレスに春夏秋冬続くのです。しかも長崎弁で・・・

1番心にしみたみつえさんの一言は冊子の帯にありました。認知症状が進行してきた時の一言。
「さっき父ちゃんが尋ねて来なったばい。うちがボケたけん父ちゃんが現れたとならボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」

亡くなった旦那さんが目の前に現れる。幻覚・幻聴・妄想といった類は見えない側にとっては否定的になりがち。
しかも相手が認知症を患っているとなれば「変なこと言うんじゃない」と一言で終わってしまうかもしれません。でも、母の思いに耳を傾け、日々介護にあたっている息子さんはすばらしいなと思うと同時に自分もきみさんちの皆さんの言葉に耳を傾け思いに応えられるよう努力しなければいけないんだなと、改めて思うものもありました。この一言泣けてくると思いませんか?私は読み返す度に目が潤んでいます。
この記事では絵がお見せできないのが本当に残念です。可愛いみつえさんにご興味のある方はぜひ書店に足を運んでみてください。書店に無い場合は貸し出しますよ(笑)!!

追伸・・・きみさんちのM氏に貸し出したところ、なんか泣けるねーと言うお言葉が返ってきました。

00:49 | Posted by admin

【夢の季節】 志寒

2013年05月23日 | きみさんち

厳冬もどこへやら、あっという間に桜の季節が過ぎていきましたね。
今年はとちの実と合同で所沢の航空公園にお花見を計画しておりました。ですが、まだ肌寒いころに立てた日程でしたので、当日は見事に葉桜見物と相成ってしまいました。
とはいえ、久々の入居者さん全員での外出。電車に乗って広々とした航空公園。ある入居者さんは歓声を上げつつ、芝生に大の字にゴロリ。「本当に気持ち良いわー!このまま寝ちゃおうかしら!」と。初夏を思わせるような陽光の中、皆さん新緑の景色を思う存分楽しまれたようです。
私も芝生に大の字とまではいいませんが、このところ、非常に眠くてしかたがありません。春眠暁を覚えずとはよく言ったものです。本を読めばウトウト、電車に座ればウトウト。そんなときにはしばしば、入居者の皆さんの夢を見ます。
先日はこんな夢を見ました。とある言葉を発するのが難しい入居者さんの横に座っていると、突然、その方がこちらに振向き「それでね・・・」と話し始めるのです。驚いて私が細い眼を丸くすると、『あ、話せない振りをしてるんだっけ!』とでもいうように、シマッタ!という顔をなさって慌てて口をつぐまれました。その途端、あまりの驚きに眼が覚めて、夢が終わってしまいました。
私はその入居者さんは表情や目線、首の向きや息の吐き出し方まで、とても表現豊かだなあと感じていて、いつも季節の話や、夜勤には(恐らくは興味のない上に迷惑であろう)愚痴じみたことまでグダグダと話しています。その関係が夢に表れたのでしょうか?
今でも「それでね・・・」の続きが聞きたくて仕方ありません。
桜も夢もはかないものの例え、人間五十年も夢幻の如くなりといいますが、「それでね・・・」の続きが、「桜きれいだったわ。きみさんちの暮らしは楽しいわね」だったら良いなぁと夢見ています。

00:48 | Posted by admin

【嘘のような本当の話】 堀内

2013年04月23日 | きみさんち

半年に一回書く、どっこいしょ。
6ヶ月の間には色々ありました。
ひどい肺炎にかかったけど奇跡的な回復をみせたYさん。
髪を短く切ると起きている時間が長くなり活気が出てきたEさん。
お亡くなりになられたENさん。
なぜか黒髪が増えてきた90歳半ばのOさん。
身体が思うように動かせなくなっているけれど、どら焼つぶあんのところ私が食べちゃうよーと声をかけると、さっとどら焼を手に取り笑顔をみせるTさん。
スタッフですら重たいと思う鉢植えを、ササっと持ち上げて片付け上手なKさん。
と色々ある中、きみさんちでの一コマをご紹介します。
入居者さん6人全員居間にいたときのこと。その日は皆さんお元気で寝てる方もいなかったのですが、ふとアロマを焚こうと思いつきリラックス効果があると言われてるアロマを焚いてみました。
その5~10分後、眠いなぁなんて私が思い始めた頃、入居者さん4人眠りにおちているんです。
何とも気持ち良さそうに(笑)
アロマの効果なのか偶然なのかは分かりませんが6人中4人は凄い確率ですよね。
以来、わたしも家でアロマを焚いてます。
頭痛薬を飲むと、より一層ひどくなっていた頭痛が全くなくなりました。
アロマの効果?恐るべし。

00:48 | Posted by admin

【ありがとうございました。】 堀

2013年02月23日 | きみさんち

きみさんちで2年と1ヶ月経ちました。夢中であっという間でした。なにか変われたか、なにか違う視点を持てたかなと思います。
入社した時は、右も左もどころか本当に何も分からなくて何も出来ませんでした。
手引き歩行も、体位交換も、トイレ支援も、入浴支援も、自立支援も。何もかも ここでゼロから教えて貰いました。今も遅いけど、教わった時なんて、どれだけ時間がかかっていたかと思うと、メンバーにも入居者の皆さんにも申し訳ないです。
最近、通信でリハビリテーションなどの科目を受講しました。ADLとかQOLとか出てきました。今までは、文字とその意味は雰囲気で分かると言ったくらいでしたがQOLがクオリティー・オブ・ライフという言葉になると一気にイメージが湧きました。本当に、入居者の皆さんにとって この2つが全てだったのではないかと。そこだけをどれだけ入居者さんの為に考えて差し上げられるかが全てだったのではないかと思いました。
恐らく、来たばかりの頃は同じ科目を受講したとしても分からなかったかも知れません。今だからきっと深く「これだったのだ」と実感したのだと思いました。入社した時が今だったなら、きっともっと考えられた筈。入居者さんのADLとQOLをどう楽しみながら展開できるかと考える筈と悔しくもあります。2年前には、確実に私の中にはなかったのですから。
とても大きな経験を致しました。勉強させて頂きました。失敗もしました。怖さも本当にたくさん学びました。入居者さんに本当にたくさんのことを教えて貰いました。そばに居て、一緒に生きられて本当に嬉しかったです。
面接してくださった上司にも、管理者にもチームだと言ってくれたスタッフにも、研修でお世話になった同期の皆さんにも、そして勿論 入居者さんとご家族の皆様にも本当に感謝しています。3月で退職させていただく事になりました。この場を借りて 本当にありがとうございました。

00:47 | Posted by admin

【去年】 石川

2013年02月23日 | きみさんち

改めまして明けましておめでとうございます。きみんち石川です。
平成24年も終わってしまいました。思い起こせば去年は私事ではありますが、大変めまぐるしい1年でした。
嫁が妊娠した事から始まり、めでたいな~とついに父親だな~と物思いに、ふけっていたら、自分の祖母がもう入籍して2年にもなるのだから、これを機に結婚式を早く挙げなさい私も80になるのし、あなたの晴れ姿を見たいのよと結婚式を挙げることになりました。
結婚式の用意が大変で、嫁も妊婦なのに結婚式場に行ったり来たり、招待状や座席表作り、ブーケも手作りしたり、全て手作りで作りますとプランナーさんに言った事を後悔しました。本番1週間前から作るものが終わっていなくて、徹夜でがんばりました。
ついに本番、12月15日に挙式をしました。
バージンロードを歩く練習、当日1回だけで段取りを口頭で伝えられ、覚えれない、無理ですと話すと、神父に「ホンバンハーホローシマスカラ」と言われ直ぐに始まりました。緊張はしていましたが一生に一度だし練習が無し、式場の人に大丈夫ですかと尋ねられ大丈夫の分けないでしょと即答しました。とりあえずゆっくり堂々と歩いてくださいと、ドアが開き始まりました。はい頑張ってと送り出されました、神父のフォローが本当に的確で、どうするのと小声で話すと、もうちょっとゆっくり歩いて、右に立ってオッケーここでストップ的確です。
新婦入場、音楽が流れ、足取りがおかしい何だかカクカクしている。お父さんが緊張していてドレスを踏みながら歩いてきました。僕よりアップアップしている人がここにいました。後から嫁に聞いたのですが、石が乗っているかのように重かったと、顔があがらないのと話していました。その後妊婦なので指輪が浮腫んで無理に僕が押し込むなど、ハプニングは色々ありましたが、その後は神父のホローが見事で滞りなく終わりました。
披露宴も問題なく進み、最後のあいさつで自分が考えていた話を忘れ、アドリブで締めましたすごく短い言葉になってしまい、「来年3月には子供もできます、頑張らないといけません。未熟なので助けてください、短いですがこれで終わりますありがとうございました」とこんな事を言ってそうそうに終わってしまい皆さんに短っと誰もが思ったと思います。失敗しました。。。。。
それでもなんとか無事結婚式は終えることができました。
次は子供の名前を考えないと、眠れない日はまだ続きます。
入居者のENさんにまだ名前決めてないと話すと、「ゆっくり考えればいいからまだ時間あるし一生物だから、でもりっぱな名前をつけないほうがいいよ、名前負けするから」とアドバイスをもらいました。今年も仕事に子育てと大変な1年になりそうです。頑張ります。

00:46 | Posted by admin

【三年が過ぎて】 松林

2013年01月23日 | きみさんち

きみさんちに来て、あっという間に三年が過ぎました。自分が一番驚いています。
初めは、当然ながら分からないことばかりで、入居者さん達に迷惑ばかり掛けていたと思います。それまで、デスクワークだったので、身体のあちこちの痛みも絶えませんでした。このまま続けられるのか、不安ばかり感じていました。
でも、三ヶ月を過ぎる頃には、身体的な痛みを克服する事が出来、伸び伸びと動くことが出来る様になりました。
しかし、そこからの一年間、この仕事の本当の難しさに悩む日々を過ごすのでした。
人に動いてもらうには。感情を豊かにしてもらうには。出来る事を伸ばしてもらうには。色々考え、悩みました。
身体的な所とは全く違う部分に痛みを感じ続けました。そして退職すら考えたこともありました。
入居者の皆さん、其々、思いは違いますから、『皆さん×どうしたら?×毎日』の計算式です。答えは無限大です。
ある日「今日はこんな感じで動こうかな」と、自分なりに計算して勤務に入った事がありましたが、見事に裏切られて、その結果の入居者さんが、活き活きとしていた事がありました。自分の計算が間違った為に起こった正解を見た様に思いました。ある程度の計算は必要だけれど、現場は生き物なのだと痛感し、また、主役は誰なのかを実感しました。
我々は、入居者さんの日常を、陰ながら支えて行くのが仕事です。だから、「こんな事をして欲しいな」とか「楽しく過ごしてもらおう」などという先だっての計算は必要無いのかも知れません。むしろ、おこがましい事なのかも知れません。
その時の利用者さんと接して、思いを感じ、それとなくその思いを解消する。そんなスタンスが今は自分なりの仕事かと思っています。
理想と現実は中々合致しませんが、三年という節目を過ぎて、少~しは成長できたのかなと、自分を振り返ってみました。初めて書いたどっこいしょを読み返すと、赤面する事この上ありません。
また、数年後、この記事を読む自分がいたら、赤面する事を願います。

00:42 | Posted by admin

【夢は疲れる】 田中

2012年12月23日 | きみさんち

つい最近こんな夢を見ました。
お役所の様な所でしょうか、数人の男性を相手取りなにやら険しい表情で話し合いをしている代表。それを眺めながら頷いている私。何を話しているのか分からないけれどなぜだか共感し頷いている夢。不思議な夢・・・
目覚めてから普通忘れることが殆どの夢ですが、そのときばかりは忘れられず、今でも何かを力説している代表の顔を思い出します。
仕事の夢はしょっちゅう見ますがここまでリアルに覚えている夢は初めてでした。
「仕事夢」とでも名づけましょうか。
きみさんちを利用している方の夢も良く見ます。
普段走ることなどしない方が突然小走りに階段を登り、「あぶない!!」と叫んでいる自分と、落ちないように支える他のスタッフ等、他多数・・・
「正夢」というものも見るようで、大島三原山の大噴火で全島民本土避難した際も、その当日かぜで学校を休んでしまい、高熱にうなされながら寝ているときに見た夢が、まさしく山の噴火の夢でした。何処だか分からないけれど山が噴火しマグマに追いかけられ、逃げても逃げても後を追うように溶岩が迫ってくるという大変怖い夢で、起きたときには発熱の熱さもさることながら恐怖で飛び起きたといった感じでした。そして夕方になってテレビをつけると「大島三原山噴火全島民東京に避難」というニュースが流れていたのに驚きを感じた事がありました。ニュースレポーターが避難する島民に向かい「東京に避難するお気持ちは?」と言っていたのを思い出し、後々「大島だって東京なのに何言ってんだか」と家族そろって話していたのを覚えています。
良く見る夢は殆どが怖かったり、泣いていたり、逃げていたり、怒っていたり。楽しい夢は全く持って皆無。
こんな夢ばかり見る私は心が病んでいてそれが夢に反映されてしまうのでしょうか・・・?

00:42 | Posted by admin

【暗闇坂の謎】 志寒

2012年11月23日 | きみさんち

有栖川宮公園の高台から麻布方面へ下る細く急な坂道は、暗闇坂と呼ばれています。
都立図書館で活字を詰め込んだ頭を冷やしながらこの急坂を下ると、場所がら様々な国の人たちとすれ違います。雨の夜など傘をかしげて狭い歩道を譲り合い、お互い不確かな発音で「Thank You!」「アリガトー!」と言葉をかけあうと、暗闇の名にそぐわず、ほのか明るい気持ちになる坂道です。
そもそも東京タワーを見ながら六本木ヒルズに抜けるのですから、暗闇はどこへやらというのは現在のお話。高台の北側斜面にあたり、さえぎるビルもなく木枯らしが山にぶつかり、天狗の仕業かざわざわと木々がざわめいていたであろうその昔は、それこそ名に相応しい不穏な坂道だったのだろうなぁと推測するわけです。
それにしても夜を知らない麻布・六本木の「暗闇」に思いを馳せると、なんとも不思議な気分で楽しくなると同時に、一見、そぐわないように思えるものにもしかるべき理由があるのだなぁと感じさせられます。
古い地名の中には意味不明のものや縁起の良くない響きのものも多く、地名を替えてしまうこともあるらしいのですが、こうした不思議や思考の楽しみをむげにしているようで、とてももったいない気がします。私の出身地の石川県にはその名も「猫シタイ」という地名があります。「ねこのしたい」と読むそうです。津波被害のあった女川、小名浜。
どちらも「オナ」が付きますが、一説によると「オナ」は「オナミ」、巨大な波を示しているそうです。なんでかな?どうしてかな?と立ち止まって考えることで得られるものは多いようです。
先日、きみさんちではリビングのテーブルを替えました。古いテーブルは大好物なかぼちゃやサツマイモを入居者さんが切るのに、勢い余って刀傷だらけ(笑)
夜勤で薄暗い中で書類を書いているとあらぬ方向にペン先が走り、書き直しになってしばし突っ伏すテーブルです。ですが、その傷の一つ一つに入居者さんの一撃や眼差しが感じられて、替えるのを迷っていました。けれどもスタッフの「また傷をたくさん作っていってくれますよ」の一言で気持ちが落ち着きました。
テーブルを替えてしばらくしたころ、とある利用者さんが黙々とテーブルをなでていました。はて?何かがこぼれているのではないしと、しばらく見ていたら、ふと気がつきました。数年前はその方は時おり「いい木材ですね~」とテーブル椅子の材質を確かめながらおっしゃっていました。それがいろいろなことが積み重なり、言葉数が少なくなり、手の動きが少なくなり、その言葉もほとんど聴かれなくなりました。「いい木材ですか?」隣に座り、今度は私がつぶやいてみました。ふと一瞬、手が止まり、一息つくと、ゆっくりとうつむかれました。
もちろん、本当に木材を確かめていたのかはご本人でなければわかりません。でも、わからないと切り捨てずに、在りし日に思いを馳せる、その不思議さを受け止めて考える。地名だけのことではないのだなぁと思います。
暗闇坂を通る人々の中には、昨今の関係を懸念する国の方もおられます。でも、天狗がいようが、木枯らしが吹こうが、わかり合えることをあきらめない限り、傘をかしげて笑顔で行きかう気持ちがある限り、暗闇のままではないだろうと願っています。
P.S.先日、きみさんちでは秩父の和銅鉱泉に一泊旅行に行ってきました。和銅鉱泉は古代の通貨、和同開珎が見つかった遺跡があります。宿に付いた途端、ある入居者さんが「会社の慰安旅行で来たことある!」と喜ばれていました。いい思い出を発掘してくださったのかなと思います。

00:32 | Posted by admin