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【私の仕事】  のんびり家2F 荒野

2019年11月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

今回お話しさせていただく事は、職員の誰しもが一度は経験したであろう「あるある話」です。
ある日の夕飯時、準備が整い入居者さんに「ご飯炊けたようです。」とだけ声を掛けました。この声掛けには、
1、ご飯を今食べるかどうか。2、食べるならば配膳という行動に考えが至るか。3、出来上がった料理を認識し、盛り付けに必要な器の選択と用意が出来るか。Etc…
入居者さんに残された能力を見極め、力を発揮してもらう意図があります。
それはさておき、ある入居者さんがご飯を食べるという意思をもって台所に来たものの、料理をよそう適当な器の選択にとまどい「私わかんないんだから、あんた達がちゃんとやってくれないとダメだよ!」と仰いました。この入居者さんには料理を認識し、それに対する器を選ぶ能力がある事を知っていた私は、「自分の分は自分で用意してください。」とハッキリ言いました。仮にみそ汁椀にご飯を盛ってもいいのです。大事なのは正しい器に盛りつけるという結果ではなく、自分で考えて配膳するという過程です。
結局、「そんなの聞いたことないよ。」と文句言いながらも、お皿にご飯を盛り付けご自分で配膳が出来たのですが、ここからが本題。
私は全介助の方の食事介助を行っていたのですが、それを見た先程の入居者さんがこう仰いました。
「その人はやってもらってるのに、あたしたちはやってもらえないの?そんなのおかしいよ。」
いつかは言われるだろうと思っていました。おそらくほとんどの職員がこの類の事を言われた経験があると思います。正直、至極当然のご意見だと思います。その人の能力に見合った支援を、というこちらの考えをご理解されているかどうかに関わらず、人間だれしも楽を出来る方がいいに決まっています。
口には出さねど同様の事を思っている方が他にもいらっしゃるはずです。
さて、なんと答えるべきなんでしょうか。私はその日の勤務が終わって家に帰ってからも考えました。そして思いました、なんと答えるかではなくて、そもそも入居者さんにそう言わせてしまった事が問題なのではないのかと。
私たちの仕事は可能な限り自立した生活を送れるようにサポートすることです。具体的には入居者さん自身が自発的にやる気を起こすような環境整備、仕掛け、声掛けをするという事が含まれています。
要するにやりたくない、面倒くさい事をやりたくなるようにするという事です。入居者さんが器選びにとまどったあの時、例えば一緒に配膳をする仲間がいたならどうでしょう。二人で協力しあってもっとスムーズに出来ていれば不満を漏らすこともなかったかもしれません。
入居者さんの1つ1つの生活動作にどう関わっていくのか常に考えていくのが私たちの仕事であると再認識させられた出来事でした。

08:41 | Posted by kimisanchi

【脳と身体の不思議な関係】  のんびり家3F 松山

2019年11月30日 | のんびり家::のんびり家 3F

ある日の夜勤明けの朝の出来事です。
Kさんは、左麻痺で左手が石のように全く動きません。
ですので、いつも就寝支援の際には、衣服の袖を通すのに細心の注意を払います。
私は、パートという立場にかまけて不勉強なこともあり、Kさんの腕は固まってしまってもう全く動かないものだと思い込んでいました。

いつもより早めに目覚めて起床されたKさんは、早番の吉田さんが出勤時刻には、朝食の途中にもかかわらず、ぐっすり眠ってしまっていらっしゃいました。

ところが「松山さん、ほら、こっちにきてKさんの腕をさわってごらん。」と熱心に促され、Kさんの腕を触ってみました。なんと驚きです。「わあ!軽い、柔らかい、ブラブラだ!動く!」と感嘆の声をあげてしまいました。

腕が動かないのは、脳からの信号が、そういう命令を発しているからで、熟睡している場合はその信号がでないので、腕の硬直が無くなるのだそうです。
だから腕を触ることで、熟睡しているか否かの判別ができるとのこと。

実は以前、私は様々な難病も改善できる!という不思議な整体の先生に支持して学んでいたことがあます。先生から「殆んどは脳からなんだよ。動かないとか痛いとかは思い込みや錯覚だ。」とのお話しを伺っていました。時間的に余裕がなくなってしまい、全く体得できないまま、足が遠退いてしまいましたが…。今回の体験で、あれは本当なのだなと納得することができました。

事故による怪我や手術で、肉体が衝撃を受けた時の記憶や、お医者様から何らかの病名を言われた時の刷り込みが、肉体の不調や痛みを招いている原因であるとしたなら、現代の対処療法的な医療のアプローチ以外に、もっと有効な方法があるに違いない!と心身の真の健康の追求をライフワークとしている代替療法大好き人間としては、とてもわくわくした体験でした。先輩の皆様、いつもご指導ありがとうございます!

08:40 | Posted by kimisanchi

【小さなお子さんはいるの?】  のんびり家3F 吉田

2019年10月31日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家3階の吉田です。
タイトルの質問ですが、ある入居者さんに連日質問されます。場合によっては数分おきに質問されます。
そのたびに、いないですと答えるのですが
続けて「あらぁ、作りなさい一人ぐらい」と残念そうな口調で諭されます。
さて、ここからは質問される入居者さんとは直接関係のない話しなのですが、私は結婚して7年になります。
7年間、意図的に子供を作ってきませんでした。最初に話しておきますが、これは私個人の話しでして皆さんが同じような環境なわけではないと思います。
30歳を過ぎて介護の仕事を始めて来年で10年になりますが、月に6回前後ある夜勤の手当がなかったら給料は18万程度です。最初の5年間は毎年昇給がありましたが、それ以降はありません。
頼みの綱は月額にすると1万円程度になる処遇改善手当だけです。退職金もなく、体が壊れたら終わりのお仕事です。
妻は事情があって働くことが難しい状況でもあったので、夫婦2人で楽しく暮らすことができればいいと思って7年間過ごしてきました。
そんな中、一昨年ぐらいから月額8万円程度の特別処遇改善手当の話が出てきました。
月額8万などという大きな金額であったので、眉唾物だと思っていたのですが現実的になりました。
そもそも8万という設定は、介護職の平均給与が全国の平均給与より8万程度少ないということから来ていたそうで、しかも該当する介護士は勤続10年以上の介護福祉士資格を持って働いているという条件でした。
これが現実のものとなったのですが、施行されるものは条件の大幅に緩くなったもので、介護福祉士資格を持っていて勤め先で能力があると判断されている。だけで良くなってしまいました。
8万円という金額も、最低一人だけ8万円程度の増額を行えば他は問われない仕組みですので、おそらく管理者かそれに準ずる方が対象になる事業所が多いと思います。
しかも会社もそれなりの金額を負担することになりますので、のんびり家のようなNPO法人だったり、小さな会社では生活が楽になるような金額は見込めないかも知れません。
しかし、手当てが増えるのは間違いないと思います。
そこで最初の話しに戻るのですが、「小さなお子さんはいるの?」
この質問に最近はこう答えています。
来年からお給料が上がりそうだから、作ろうと思ってます。
「そうよ作りなさい、一人ぐらい」と凄く嬉しそうに返されます。
実際子供を作れるとしたら、自分と妻の年齢的に後一二年だと思います。今年の夏は妻の両親にも事情を話し、年齢も35を越えているし高齢出産になるから、もし子供が出来ても最悪は娘さんの体がどうにかなってしまうリスクもある。それでもいいかと相談しました。
応援すると言ってもらえました。
ずっと諦めていましたが、頑張ってみようと思います。そして一年後か二年後か
「小さなお子さんはいるの?」と聞かれたら今年生まれましたと答えることが出来たらいいなと思っています。
この入居者さんは91歳になられましたが、私の迷っている背中を間違いなく少し押してくれました。その時まで元気でいてくださいね。

08:46 | Posted by kimisanchi

【繰り返している】  のんびり家2F 石川

2019年10月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

この仕事を始めて3回目の冬を迎えようとしています。
嬉しい出会いもあれば悲しいお別れもあります。
今まで圧倒的に女性に出会う事が多く男性は本当に少ないです。
今から書く事はほんの一例ですし私が感じたことでもあるので全員がそうとは言い切れませんが書かせてください。
出会った頃の女性の入居者さまは夕方になると「家に帰らなきゃ」「子供たちがお腹を空かせて待っている」と言います。
数か月後のある日の夕方に「こんな時間まで外に居たら怒られる」「ご飯作らなきゃ」「お父さんが会いに来た」と言います。この時の「お父さん」は「旦那さん」の事です。また子供の事は勿論ご自分の両親や兄弟姉妹の事も心配したりもしています。
更にその数か月後は「お父さんとお母さんに会いたい」「お父さんが会いに来た」「お姉ちゃんに会いたい」とも言います。この時の「お父さん」は「父親」の事です。
愛情いっぱいに育てられた「娘」は素敵な人と出会って「妻」となり子宝に恵まれて「母」となり毎日を奮闘してきた事と思います。
そして子供たちも独立し大好きな旦那さんも少しだけ先に旅立って行きました。
認知症はあまりいいイメージはないかもしれませんが「母」から「妻」になり そして「妻」から「娘」になって時空を超えて旦那さんに会ったり生まれ育った故郷に帰って両親や兄弟姉妹に会う事が出来るのは少し羨ましいと思ったりもします。
縁があってグループホームで過ごされています。
残りの時間もゆっくりのんびりと大好きな人に沢山会えて そしてまた「娘」として過ごして数十年後にまた私と出会って一緒に過ごす事が出来たらいいな…なんて思ったりしていま
す。
その時はもう少し私は仕事が出来るようになっているといいなぁ…。

08:46 | Posted by kimisanchi

【今日も一日】  のんびり家2F 飛鳥井

2019年09月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

どっこいしょに記事を書くのは久しぶりです。のんびり家2階の飛鳥井です。
今回は、Nさんについて書かせて頂きます。
Nさんは、大正10年生まれで、のんびり家2階では最高齢の97歳の女性です。
ご入居時はとてもお元気で、ご自身で何でもこなされる方でしたが、2018年4月の夜間に廊下で転倒し、左大腿骨を骨折してしまいました。それ以来、車椅子での生活となりました。
元々何でもご自身でされていたこともあり、生活のあらゆる場面、例えば排泄時の介助などをする際にも職員に向かって「申し訳ないね」と仰ることが多々あります。そんな時、私たちは「困っている時は、お互い様ですから」と言うと、Nさんは時に涙ぐみながら「ありがとう」と仰います。
そんな涙脆い一面のあるNさんですが、骨折以来ご自身の思うように利かない身体に対して腹立たしい気持ちがあるご様子で、「悔しいね」と思いの丈を口にされることもあります。
Nさんは、自分のことは自分で。人様の手を煩わせるのは申し訳ないと言う気持ちが人一倍強いように感じます。それは、持って生まれたNさんの気質によるものと、大正生まれできっとご両親から(恐らくご両親は明治生まれでしょう)厳しく躾けられたことも影響しているのではないかなと想像しています。
Nさんを見ていると、「自立心」と言う言葉が浮かんできます。
夜勤の際、Nさんの就寝介助をしますが、車椅子からベッドに移乗する際に、「ほっぽり投げていいよ」と半分笑いながら仰ることがあります。そんな時、私は「本当にほっぽり投げていいんですか」と敢えて聞き返しますが、Nさんは更にいたずらっぽく笑いながら「いいよ」と仰います。そして「あんたのことを恨んだりしないからね」とも仰います。このようにユーモアのあるNさんでもあります。
このようなやり取りをしながら、ベッドに横になって頂きますが、私がNさんの耳元でやや大きな声で(Nさんはやや難聴のため)「Nさん、今日も一日」と言うと、Nさんは必ず「お疲れ様でした。ありがとう。」と言って下さいます。そして「おやすみなさい」と言うと、「あんたも早く休んでね」と労って下さいます。Nさんがご入居された当初はこのようなやり取りをしていた記憶がありませんが、いつの頃からか自然にこのようなやり取りをするようになりました。
そして、特に最近思うのですが、いつまでNさんとこの「今日も一日」と言うやり取りが出来るのだろうか?と。残念なことですが、Nさんとの時間は永遠ではありません。限りのある時間、Nさんと共に過ごせるこの瞬間、一日一日を大切に過ごさなければならないなと改めて思います。

09:29 | Posted by kimisanchi

【外食】  のんびり家3F 永辻

2019年09月30日 | のんびり家::のんびり家 3F

ある日のお昼に入居者さんのKさんと近くの中華料理屋に行って来ました。
席に着いてメニューを見るとたくさんの料理に迷ってしまい、「これなんだ?」などと分からない物には説明しながら、注文を決めましたが、頼んでからも料理が気になる様子で真剣にメニューを見ていらっしゃいました。いざ料理が運ばれてくると写真よりも量が多く、食べられるかなと心配しましたが、自分のペースで、ゆっくりとほぼ全部食べられました。
お店を出ると「ご馳走になってすみません。また行こう。」と言ってくれました。その言葉だけで一緒に外にご飯を食べに来て良かったと思いました。
のんびり家で食事をしている様子とやはり違う表情が見られて、私も楽しかったです。
こちらこそありがとうございました。

09:28 | Posted by kimisanchi

【後ろ・・・・とは】  のんびり家2F 石井

2019年08月16日 | のんびり家::のんびり家 2F

先日、入居者Tさんの入浴対応をしていた時の事です。入浴後に衣類を着ている姿を見ていつも思う事がありました。現在はリハビリパンツを着用されているのですが、どうして前後を間違えないで履いているのかという素朴な疑問です。確かにリハビリパンツの後方には「うしろ」とシールが貼ってあります。椅子に腰かけながらリハビリパンツを手に取り前後を交互に何度も見ているTさんを見ていると、私たちは「うしろ」と記載されているシールを見てそれを「うしろ」に反対側を「前」にと考えます。しかし、Tさんの様子を入浴の度に見ていると私たちと同じように判断を下しているだけではないような感じを受けました。なぜかというと、毎回リハビリパンツを入念に触り何度もひっくり返していることがあるためです。そして、ある時の入浴対応時の仕草でどのようにリハビリパンツの前後を間違えないで履いているのかはっきりとわかりました。
Tさんはリハビリパンツを履く際に前後を頻繁にひっくり返していました。それは リハビリパンツの表面積を確認されていたようでした。単純な話で通常女性の下着は前よりも後方、つまりお尻側がしっかり隠れるように設計されています。Tさんはリハビリパンツの前後をよく確認して表面積が大きい方をご自身の後方にして履いているようでした。そのため、毎回リハビリパンツの前後を間違えることなく履くことが出来ていたのです。日頃から「頭がパーになっちゃったからわからない。」ということが口癖のようになっているTさんですが、垣間見せる姿はとても逞しいお姿です。今後も日常に溢れる些細な事を注視していきながら立ち留まり考えていきたいと思います。
一度は1月をもって退職をしましたが紆余曲折あり、ありがたいことに再度のんびり家で働かせて頂くことになりました。また、頑張りますのでよろしくお願いします。

07:49 | Posted by kimisanchi

【好きな物は好きなんです】  のんびり家3F 伊藤

2019年08月16日 | のんびり家::のんびり家 3F

みなさんお久しぶりです、のんびり家3階の伊藤です。暑い季節がやってまいりました、熱中症には、みなさん十分に注意して下さい。梅雨が明ければ、本格的に夏ですよー。海や花火、祭りやら楽しみですねー。クーラーのきいた部屋でコロコロしてんのも好きですけど、みなさん十分に楽しんで下さいね。
さて、今回のお話しですが、自分が担当しているEさんとお買い物に行ってきたお話をしようと思います。
暑い季節も近づき、新しい夏物衣類を買いに、いざ、オリンピックへ。まずは夏物のシャツやTシャツなどを見てみる事に。Eさんと一緒に見ていると「この服なんてどうですか?」と黒のシャツを渡してみると、「あかん、暗すぎる」との事。そうして本人が選んだのが白のボーダーのシャツです。大人コーデで落ち着いた感じだわーと感じました。昔、デザインの仕事をしてらっしゃったのでピカイチのセンスです。さすがです。続いて、ズボン選びです。自分がいい感じのズボンを渡すと「あかん、高すぎる」そうです、買い物は値段も大切です。そして吟味し、本人が納得して選んだ服を購入し、Eさんもご満悦です。帰りにお茶して帰ってきました。
買い物は、服だけでなく、食べ物や小物などでも好きな色やデザインなど楽しく納得し、購入する事は、当たり前だけどとても大事なことだと感じました。生活にもメリハリができていいと感じました。でも一番は、本人の笑顔がとても良かったです。こういう時間を一緒に楽しめる仕事が出来てうれしいです。この仕事の醍醐味だと感じました。これからも元気に楽しく生活していきましょうね。

07:43 | Posted by kimisanchi

【早いですね】  のんびり家3F 新宮

2019年07月27日 | のんびり家::のんびり家 3F

5月に、2017年10月にご入居されました、素敵な女性Qさんのお誕生日お祝いで、谷中銀座に出かけ、ドライブや、お蕎麦屋さんで食事、笑吉で指人形劇をみたりして、共に楽しみました。Qさんの息子さんもご一緒でしたので、そこはかとなく安心されているご様子もあり、その夜は、すやすやと穏やかな寝顔がみられました。
Qさんは、言葉でのコミュニケーションが難しく、また耳も聞こえ辛い方です。今回の、外出先について、色々と、写真を見てもらったり、筆談で身振り手振りで表現されたりしてOKサインで教えて頂き、谷中銀座に決まり行くことになりました。当日、息子さんから、谷中に馴染みがあることを話され、そうだったんだ、と深く頷きました。あれこれ選択肢を出すことはよろしくないと感じることもありますが、「これ好き」とはっきりと感じる何かあったのだと思い、ほっとしました。
どこの家族でも、私の両親も含め、家族のあいだには、優しさだけしかないんだなあと、しみじみ感じた時間でした。離れて暮らされている入居者さんのご家族は、どんな些細な事でも話したいし聴いてもらいたい気持ちが常に心にあるのだと、改めて大切さを感じました。
わたしは、両親に思いやりから、あれこれ口うるさい感じで言ってしまうので気を付けたいと思います。

17:02 | Posted by kimisanchi

【読書の夏】  のんびり家2F 佐藤

2019年07月27日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは。皆さまご無沙汰しております。
ファイル 449-1.jpeg私事ですが、2016年12月に次男を出産し、18年4月にのんびり家に復帰しました。次男は今、いわゆる「イヤイヤ期」でまだまだ手が掛かりますが、おかげさまで元気に成長しています。
さて、今回は一冊の本にまつわる話をさせていただきたいと思います。
7年使用しているスマートフォンの調子がいよいよ悪くなり、何となくスマートフォンを眺めている時間を読書する時間にしようと思い立ち、久しぶりに本を購入することにしました。
購入したのは、鴻上尚史氏の「不死身の特攻兵」。少し前に新聞や書店で取り上げられていて知ったのですが、選んだ理由は、母方の祖父の弟が特攻で亡くなったことを数年前に知り、特攻というものがどういうものだったのか深く知りたくなっていたからです。
大叔父が特攻で亡くなったことを知ったのは、映画が先に公開されていましたが、偶々ドラマ「永遠の0」を見た事がきっかけでした。私の中での特攻のイメージは、国や大切な人を守る為に勇んで出撃したイメージが大きかったのですが、ドラマの中では、上官や周囲の特攻兵に批判されながらも、生きて返る道を探している一人の特攻兵の姿がありました。
フィクションではありますが、自分が特攻の事実を捉えられていないのではないかという想いが沸いてきた中、母から大叔父の話を聞きました。
著書の中には、9回出撃して9回帰ってきた佐々木友次さんの特攻の詳細な描写に始まり、特攻が始まった経緯、特攻が続いた理由、友次さんへのインタビュー等が詳細に書き綴られています。
そして、最後に、現代の問題にも置き換え、「みんななんとなく問題だと思っているのに、誰も言い出さないから『ただ続けることが目的』となっていることが、この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。論理的に分析して、何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。」と締め括られていました。
子どもの頃、母方の墓参りに行くと、大きくて立派な墓が一つありました。大叔父の墓です。大叔父は、どんな気持ちで出撃したのでしょう。特攻で息子を亡くした曾祖母は、どんな気持ちだったのでしょう。
二人の息子の母となった今、戦争や特攻について自分なりに調べ、考え続けながら、現代の問題にも目を逸らさず向き合っていきたいと思っています。

17:02 | Posted by kimisanchi

【心と体】  のんびり家2階 荒野

2019年06月15日 | のんびり家::のんびり家 2F

心と体は密接に関係している。良く言われている事ですが、最近この言葉を実感する出来事がありました。
私の担当するTさんは以前はとにかく外に出たがらない方でした。口癖は「めんどくさい、腰が痛い。」或いは「やってください。お願いします。」です。そんなTさんの一日は居間でTVを眺める毎日。好物の甘い物で外出意欲を高めてもらおうと「おやつ一緒に買いに行きませんか。」などと誘ってみますが、それもその内に「めんどくさい、腰が痛い。」と外出する動機にはならなくなってきました。
そんな折、運営推進会議でご家族とお話する機会があり、以前Tさんが買い物に出掛けた時に他の入居者さんが使っていたシルバーカーを見て「私も昔はあれ使ってた。」と仰っていた事を思い出しました。そこでご家族に確認すると、今でもご自宅に使っていたシルバーカーが残っているという事なのでお持ち頂くことに。正直、「これで少しは歩行時の腰の痛みが和らいでくれればな。」程度に考えていました。
さて、ご家族からシルバーカーが届きました。早速、試運転がてら昼食を買いに一緒に外へ…。
嗚呼、素晴らしき哉シルバーカー。歩行時の姿勢、安定性、持続可能時間、全てにおいて改善が見られます。Tさんもシルバーカーの操作感は覚えていらしたようで、道の段差もハンドルを捻るように動かし前輪を浮かして難なく進みます。うーん、これは凄い。果たして、今のTさんはどこまで行けるのか。
ある日、白山下の天丼屋までお昼を食べに行くことになりました。この天丼屋、今までの日常生活圏の5倍ほど距離が離れています。途中で休憩を挟みながらと思いきや、Tさん「だいじょうぶ。」「平気。」、結局一度も休憩で座る事無く往復の道のりを踏破したのです。あの時は、私の方が「これ本当に大丈夫なんだろうか。」と不安に駆られたほどです。
シルバーカーを手に入れ無敵になったTさん。ここで話はタイトルに戻ります。
外出機会と活動量の増えたTさん、その変化が身体以外の部分にも現れだしました。
他の入居者さんの世話を焼いたり、テーブルに残っている食器を片したり、さらには片した食器を洗い出したり。元々、きれい好きな方ではありましたが、職員が何を言うわけでもなく、自発的にこういった行動をする事が多く見られるようになったのです。身体を動かすことで生活に張りとやる気が出る事に繋がっているのではないでしょうか。
シルバーカーがあればどこにだって行けるようになったTさん、これからどんな所へ行き、どんな生活を送られるのか、これからが楽しみで仕方ありません。

08:15 | Posted by kimisanchi

【親孝行】  のんびり家3階 松山

2019年06月15日 | のんびり家::のんびり家 3F

もう5月中旬というのになかなか暖かくならないですね。
にもかかわらず奄美大島は本日梅雨入りだそうでびっくりです。
さて、今日は、明るくて、人懐こいUさんについてお話しさせていただきます。
Uさんは、とてもお話し好きです。そして話題はいつも決まってお子さんのこと。
就寝前に、自室で着替えをしながら、ふとお話しを始めると、まったく止まる様子がありません。そのお話しからは、如何に息子さんや娘さんの成長を楽しみに一生懸命、子育てをされてきたのかが伝わってきます。ご自分は、幼い頃、お勉強が大好きだったそうです。でもお家に余裕がなくて進学させてもらえなかったとのこと。(現在90歳でいらっしゃいますから、あまり女性は進学されなかった時代だった気は致しますが)それで、子供達には、充分な教育をしてあげたいという強い思いがあったそうです。その甲斐があってか、まずは、ご長男さんが、日本有数の進学校に入学されました。とても嬉しく自慢に思ったことを、幸せそうな笑顔で話してくださいました。Uさんのお話しを伺っておりますと、親というのは本当に有難い存在なのだなと改めて感じます。うちの両親も、そろそろ介護が必要になってきています。生きているうちに、出来る限り親孝行しなくては!と自分に誓ってみるのでした。

08:14 | Posted by kimisanchi

【いち にの さん よいしょ】  のんびり家2F 石川

2019年05月28日 | のんびり家::のんびり家 2F

2月でのんびり家に異動してきて1年が過ぎましたが未だに戸惑うことばかりです。
この1年でも入居者様も入れ替わりがありました。
出会いがあれば別れもあるのは分かっていますがどんな状況でも別れは寂しいです。

今回はAさん(女性)の事を書かせてください。
異動したての頃入居者様の事が把握出来ていない状況での介助がとても不安でした。
でも介助はしなくては入居者様が生活出来ません。
支えれば一緒に歩けるAさんを立ってお手洗いまで行っていただくにはどうしたらいいか?
思いついた事は立ち上がりのときに「Aさん 立ちますよ いち にの さん  よいしょ」と掛け声をする事でした。
ポイントは「さん」と「よいしょ」の間に一呼吸入れる事です。
最初は戸惑っていたAさんも私がしつこく言っていたからか「Aさん 立ちますよ いち にの さん よいしょ」に合わせてくださるようになりました。
立ち上がる前のAさんの掴まっている手の位置がちょうど私のおしりの位置になると私の
おしりで「ポンポン」と一緒にカウントしたりズボンの後ろポケットに入れているメモ帳やボールペンを握ったりしながら立ち上がっていただき歩いて席に戻ったりしていました。
南瓜の煮物が好きなようで食事介助の時に「美味しいですか?」と伺うと「美味しいねぇ!」と嬉しそうに答えてくれました。
今年の始めにテレビのニュースでだるま市の事を伝えていたので何となく「だるま市に行ったことありますか?」と聞くと「ないね」とはっきりと即答!(都内からは少し遠いからですかね?)
そのAさんとは私がシフトの関係で休んでいる間に体調を悪くして入院。
そのままのんびり家へ帰ってくる事はありませんでした。

Aさんは元教師だったそうですがスタッフの問いかけに時々ジョーク混じりの返答をしたりととても楽しい方でした。
街中でだるまを見つけるとAさんを思い出します。
新しい世界でもかわいい子供たちに囲まれて教師をしているといいなぁ…
そして 「いち にの さん よいしょ」 でまたお会いしましょう!

16:49 | Posted by kimisanchi

【育った場所】  のんびり家3F 吉田

2019年05月28日 | のんびり家::のんびり家 3F

お久しぶりです。のんびり家3階の吉田です。
普段は所属しているのんびり家でのエピソードをご紹介しているのですが、今日はぶなの実のBユニットでの話を紹介させていただきます。
なぜにぶなの実かと言いますと、3月でBユニットが一時休止となったからです。
10年近く前、私はぶなの実のオープニングスタッフとしてこの仕事をスタートさせていただきました。
管理者以外は全員未経験者で、毎日がてんてこ舞いだったことを覚えています。
隣の建築会社に乗り込み「うちの旦那出しなさいよ」と受付の方に怒鳴りつけてみたり、着物を持って質屋に行き、買い取れないと言われて憤慨して戻ってきたりと思い出が満載のAさん。
全盲であん摩マッサージを営んでいて、肩の調子を見てもらうと毎回のように「過労で手遅れだけど、俺のところに来れば良くなるよ」と営業トークを欠かさず、或る時はプレイボーイでもあったMさん。
散歩が大好きで、軍歌を歌いながら連日近所の公園で日向ぼっこを楽しんでいたTさん。
編み物を教えてくれたり、琴を弾いたりして楽しませてくれたNさん。
歌うことが大好きで、いつもちゃんちゃんこを着てムードメーカーだったMRさん。
染井のプチセレブで、季節の行事の度に自宅やご家族の世話だったり、仕事だったりを忘れずに思い出していたSさん。
どじょうが大好きでその話となると覚醒し、「どじょう食べないなんてもったいない人生だよ」と毎回のように話され、いつも並んで座っていたFさんとのコンビが絶妙だった、薬局の看板娘のIさん。
Iさんとのやり取りが絶妙で、近所の図書館に本を借りに行って寝る前には連日読書を楽しんでいたり、一緒に完成直後のスカイツリーに行ったりしたFさん。
IさんとFさんのコンビと連日の口喧嘩、キューピーちゃんが大好きで、三分クッキングに登場するキューピーちゃんを見ていつも喜んでいた、アンティークショップの奥様SMさん。
こちらは板橋のセレブで電気屋さんのおかみさん。
おちょぼ口ですごく小食だったのに、手毬寿司がよほど美味しく見えたのか一口でほおばってのどに詰まらせ、みなが青ざめたことが忘れられないKさん。
他にも、都合により一カ月程度しかご一緒できなかったのに、お世話になりましたと丁寧にあいさつしてくださったお医者さんのMGFさん。
たくさんの入居者さんが私を育ててくれました。
5年後も10年後も、私はぶなの実の入居者さんを忘れないと思います。
入居者さんの中には、目の前で死というものを見せてくれた方もいます。
その時の映像、かけた言葉、取った行動、至らなかった能力、全て鮮明に思い出せます。
こういう入居者さんの力を借りて、今の私たちがあります。
そして今は今まで関わった方々に返せなかったものを、のんびり家の入居者さんに一生懸命関わることでお返ししているつもりです。
そうなるとのんびり家の入居者さんに借りた力はお返しできませんね。
せめて利息がつかないように、以前より多めにお返しできるよう頑張ります。
今までありがとうございました。
今後もよろしくお願いします。

16:47 | Posted by kimisanchi

【久しぶりに】  のんびり家3F 永辻

2019年05月06日 | のんびり家::のんびり家 3F

入居者さんのKさんと久しぶりに一緒に美容院へ行って来ました。
天気も良く春の訪れを感じるような暖かさがありましたが、日陰はまだ寒く感じる道のりをゆっくりと歩いて行って来ました。美容院に着いてシャンプーを終えて、鏡の前に座ると表情が少し硬く、辺りをキョロキョロしていました。
少し心配になりましたが、カットが始まると少しづつ顔の表情も柔らかくなっていきました。最後の方は美容師さんに話し掛けたり、髪の毛をドライヤーで乾かしている時は雑誌を読んでいて、やはり女性だなと思いました。帰りにお蕎麦を食べましたが、いつもより食の進みが良かったので、美味しかったのかなと思い、外食が出来て良かったです。
寒い季節が終わり、これから暖かく、そして暑くなりますが、暑さに負けずに出掛けて、これからも一緒に思い出を作って行きましょうね。

08:23 | Posted by kimisanchi