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【私の仕事】  のんびり家2F 荒野

2019年11月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

今回お話しさせていただく事は、職員の誰しもが一度は経験したであろう「あるある話」です。
ある日の夕飯時、準備が整い入居者さんに「ご飯炊けたようです。」とだけ声を掛けました。この声掛けには、
1、ご飯を今食べるかどうか。2、食べるならば配膳という行動に考えが至るか。3、出来上がった料理を認識し、盛り付けに必要な器の選択と用意が出来るか。Etc…
入居者さんに残された能力を見極め、力を発揮してもらう意図があります。
それはさておき、ある入居者さんがご飯を食べるという意思をもって台所に来たものの、料理をよそう適当な器の選択にとまどい「私わかんないんだから、あんた達がちゃんとやってくれないとダメだよ!」と仰いました。この入居者さんには料理を認識し、それに対する器を選ぶ能力がある事を知っていた私は、「自分の分は自分で用意してください。」とハッキリ言いました。仮にみそ汁椀にご飯を盛ってもいいのです。大事なのは正しい器に盛りつけるという結果ではなく、自分で考えて配膳するという過程です。
結局、「そんなの聞いたことないよ。」と文句言いながらも、お皿にご飯を盛り付けご自分で配膳が出来たのですが、ここからが本題。
私は全介助の方の食事介助を行っていたのですが、それを見た先程の入居者さんがこう仰いました。
「その人はやってもらってるのに、あたしたちはやってもらえないの?そんなのおかしいよ。」
いつかは言われるだろうと思っていました。おそらくほとんどの職員がこの類の事を言われた経験があると思います。正直、至極当然のご意見だと思います。その人の能力に見合った支援を、というこちらの考えをご理解されているかどうかに関わらず、人間だれしも楽を出来る方がいいに決まっています。
口には出さねど同様の事を思っている方が他にもいらっしゃるはずです。
さて、なんと答えるべきなんでしょうか。私はその日の勤務が終わって家に帰ってからも考えました。そして思いました、なんと答えるかではなくて、そもそも入居者さんにそう言わせてしまった事が問題なのではないのかと。
私たちの仕事は可能な限り自立した生活を送れるようにサポートすることです。具体的には入居者さん自身が自発的にやる気を起こすような環境整備、仕掛け、声掛けをするという事が含まれています。
要するにやりたくない、面倒くさい事をやりたくなるようにするという事です。入居者さんが器選びにとまどったあの時、例えば一緒に配膳をする仲間がいたならどうでしょう。二人で協力しあってもっとスムーズに出来ていれば不満を漏らすこともなかったかもしれません。
入居者さんの1つ1つの生活動作にどう関わっていくのか常に考えていくのが私たちの仕事であると再認識させられた出来事でした。

08:41 | Posted by kimisanchi

【繰り返している】  のんびり家2F 石川

2019年10月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

この仕事を始めて3回目の冬を迎えようとしています。
嬉しい出会いもあれば悲しいお別れもあります。
今まで圧倒的に女性に出会う事が多く男性は本当に少ないです。
今から書く事はほんの一例ですし私が感じたことでもあるので全員がそうとは言い切れませんが書かせてください。
出会った頃の女性の入居者さまは夕方になると「家に帰らなきゃ」「子供たちがお腹を空かせて待っている」と言います。
数か月後のある日の夕方に「こんな時間まで外に居たら怒られる」「ご飯作らなきゃ」「お父さんが会いに来た」と言います。この時の「お父さん」は「旦那さん」の事です。また子供の事は勿論ご自分の両親や兄弟姉妹の事も心配したりもしています。
更にその数か月後は「お父さんとお母さんに会いたい」「お父さんが会いに来た」「お姉ちゃんに会いたい」とも言います。この時の「お父さん」は「父親」の事です。
愛情いっぱいに育てられた「娘」は素敵な人と出会って「妻」となり子宝に恵まれて「母」となり毎日を奮闘してきた事と思います。
そして子供たちも独立し大好きな旦那さんも少しだけ先に旅立って行きました。
認知症はあまりいいイメージはないかもしれませんが「母」から「妻」になり そして「妻」から「娘」になって時空を超えて旦那さんに会ったり生まれ育った故郷に帰って両親や兄弟姉妹に会う事が出来るのは少し羨ましいと思ったりもします。
縁があってグループホームで過ごされています。
残りの時間もゆっくりのんびりと大好きな人に沢山会えて そしてまた「娘」として過ごして数十年後にまた私と出会って一緒に過ごす事が出来たらいいな…なんて思ったりしていま
す。
その時はもう少し私は仕事が出来るようになっているといいなぁ…。

08:46 | Posted by kimisanchi

【今日も一日】  のんびり家2F 飛鳥井

2019年09月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

どっこいしょに記事を書くのは久しぶりです。のんびり家2階の飛鳥井です。
今回は、Nさんについて書かせて頂きます。
Nさんは、大正10年生まれで、のんびり家2階では最高齢の97歳の女性です。
ご入居時はとてもお元気で、ご自身で何でもこなされる方でしたが、2018年4月の夜間に廊下で転倒し、左大腿骨を骨折してしまいました。それ以来、車椅子での生活となりました。
元々何でもご自身でされていたこともあり、生活のあらゆる場面、例えば排泄時の介助などをする際にも職員に向かって「申し訳ないね」と仰ることが多々あります。そんな時、私たちは「困っている時は、お互い様ですから」と言うと、Nさんは時に涙ぐみながら「ありがとう」と仰います。
そんな涙脆い一面のあるNさんですが、骨折以来ご自身の思うように利かない身体に対して腹立たしい気持ちがあるご様子で、「悔しいね」と思いの丈を口にされることもあります。
Nさんは、自分のことは自分で。人様の手を煩わせるのは申し訳ないと言う気持ちが人一倍強いように感じます。それは、持って生まれたNさんの気質によるものと、大正生まれできっとご両親から(恐らくご両親は明治生まれでしょう)厳しく躾けられたことも影響しているのではないかなと想像しています。
Nさんを見ていると、「自立心」と言う言葉が浮かんできます。
夜勤の際、Nさんの就寝介助をしますが、車椅子からベッドに移乗する際に、「ほっぽり投げていいよ」と半分笑いながら仰ることがあります。そんな時、私は「本当にほっぽり投げていいんですか」と敢えて聞き返しますが、Nさんは更にいたずらっぽく笑いながら「いいよ」と仰います。そして「あんたのことを恨んだりしないからね」とも仰います。このようにユーモアのあるNさんでもあります。
このようなやり取りをしながら、ベッドに横になって頂きますが、私がNさんの耳元でやや大きな声で(Nさんはやや難聴のため)「Nさん、今日も一日」と言うと、Nさんは必ず「お疲れ様でした。ありがとう。」と言って下さいます。そして「おやすみなさい」と言うと、「あんたも早く休んでね」と労って下さいます。Nさんがご入居された当初はこのようなやり取りをしていた記憶がありませんが、いつの頃からか自然にこのようなやり取りをするようになりました。
そして、特に最近思うのですが、いつまでNさんとこの「今日も一日」と言うやり取りが出来るのだろうか?と。残念なことですが、Nさんとの時間は永遠ではありません。限りのある時間、Nさんと共に過ごせるこの瞬間、一日一日を大切に過ごさなければならないなと改めて思います。

09:29 | Posted by kimisanchi

【後ろ・・・・とは】  のんびり家2F 石井

2019年08月16日 | のんびり家::のんびり家 2F

先日、入居者Tさんの入浴対応をしていた時の事です。入浴後に衣類を着ている姿を見ていつも思う事がありました。現在はリハビリパンツを着用されているのですが、どうして前後を間違えないで履いているのかという素朴な疑問です。確かにリハビリパンツの後方には「うしろ」とシールが貼ってあります。椅子に腰かけながらリハビリパンツを手に取り前後を交互に何度も見ているTさんを見ていると、私たちは「うしろ」と記載されているシールを見てそれを「うしろ」に反対側を「前」にと考えます。しかし、Tさんの様子を入浴の度に見ていると私たちと同じように判断を下しているだけではないような感じを受けました。なぜかというと、毎回リハビリパンツを入念に触り何度もひっくり返していることがあるためです。そして、ある時の入浴対応時の仕草でどのようにリハビリパンツの前後を間違えないで履いているのかはっきりとわかりました。
Tさんはリハビリパンツを履く際に前後を頻繁にひっくり返していました。それは リハビリパンツの表面積を確認されていたようでした。単純な話で通常女性の下着は前よりも後方、つまりお尻側がしっかり隠れるように設計されています。Tさんはリハビリパンツの前後をよく確認して表面積が大きい方をご自身の後方にして履いているようでした。そのため、毎回リハビリパンツの前後を間違えることなく履くことが出来ていたのです。日頃から「頭がパーになっちゃったからわからない。」ということが口癖のようになっているTさんですが、垣間見せる姿はとても逞しいお姿です。今後も日常に溢れる些細な事を注視していきながら立ち留まり考えていきたいと思います。
一度は1月をもって退職をしましたが紆余曲折あり、ありがたいことに再度のんびり家で働かせて頂くことになりました。また、頑張りますのでよろしくお願いします。

07:49 | Posted by kimisanchi

【読書の夏】  のんびり家2F 佐藤

2019年07月27日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは。皆さまご無沙汰しております。
ファイル 449-1.jpeg私事ですが、2016年12月に次男を出産し、18年4月にのんびり家に復帰しました。次男は今、いわゆる「イヤイヤ期」でまだまだ手が掛かりますが、おかげさまで元気に成長しています。
さて、今回は一冊の本にまつわる話をさせていただきたいと思います。
7年使用しているスマートフォンの調子がいよいよ悪くなり、何となくスマートフォンを眺めている時間を読書する時間にしようと思い立ち、久しぶりに本を購入することにしました。
購入したのは、鴻上尚史氏の「不死身の特攻兵」。少し前に新聞や書店で取り上げられていて知ったのですが、選んだ理由は、母方の祖父の弟が特攻で亡くなったことを数年前に知り、特攻というものがどういうものだったのか深く知りたくなっていたからです。
大叔父が特攻で亡くなったことを知ったのは、映画が先に公開されていましたが、偶々ドラマ「永遠の0」を見た事がきっかけでした。私の中での特攻のイメージは、国や大切な人を守る為に勇んで出撃したイメージが大きかったのですが、ドラマの中では、上官や周囲の特攻兵に批判されながらも、生きて返る道を探している一人の特攻兵の姿がありました。
フィクションではありますが、自分が特攻の事実を捉えられていないのではないかという想いが沸いてきた中、母から大叔父の話を聞きました。
著書の中には、9回出撃して9回帰ってきた佐々木友次さんの特攻の詳細な描写に始まり、特攻が始まった経緯、特攻が続いた理由、友次さんへのインタビュー等が詳細に書き綴られています。
そして、最後に、現代の問題にも置き換え、「みんななんとなく問題だと思っているのに、誰も言い出さないから『ただ続けることが目的』となっていることが、この国ではとても多いのじゃないかと僕は思っているのです。論理的に分析して、何が必要かを堂々と言えるようになりたいと思います。」と締め括られていました。
子どもの頃、母方の墓参りに行くと、大きくて立派な墓が一つありました。大叔父の墓です。大叔父は、どんな気持ちで出撃したのでしょう。特攻で息子を亡くした曾祖母は、どんな気持ちだったのでしょう。
二人の息子の母となった今、戦争や特攻について自分なりに調べ、考え続けながら、現代の問題にも目を逸らさず向き合っていきたいと思っています。

17:02 | Posted by kimisanchi

【心と体】  のんびり家2階 荒野

2019年06月15日 | のんびり家::のんびり家 2F

心と体は密接に関係している。良く言われている事ですが、最近この言葉を実感する出来事がありました。
私の担当するTさんは以前はとにかく外に出たがらない方でした。口癖は「めんどくさい、腰が痛い。」或いは「やってください。お願いします。」です。そんなTさんの一日は居間でTVを眺める毎日。好物の甘い物で外出意欲を高めてもらおうと「おやつ一緒に買いに行きませんか。」などと誘ってみますが、それもその内に「めんどくさい、腰が痛い。」と外出する動機にはならなくなってきました。
そんな折、運営推進会議でご家族とお話する機会があり、以前Tさんが買い物に出掛けた時に他の入居者さんが使っていたシルバーカーを見て「私も昔はあれ使ってた。」と仰っていた事を思い出しました。そこでご家族に確認すると、今でもご自宅に使っていたシルバーカーが残っているという事なのでお持ち頂くことに。正直、「これで少しは歩行時の腰の痛みが和らいでくれればな。」程度に考えていました。
さて、ご家族からシルバーカーが届きました。早速、試運転がてら昼食を買いに一緒に外へ…。
嗚呼、素晴らしき哉シルバーカー。歩行時の姿勢、安定性、持続可能時間、全てにおいて改善が見られます。Tさんもシルバーカーの操作感は覚えていらしたようで、道の段差もハンドルを捻るように動かし前輪を浮かして難なく進みます。うーん、これは凄い。果たして、今のTさんはどこまで行けるのか。
ある日、白山下の天丼屋までお昼を食べに行くことになりました。この天丼屋、今までの日常生活圏の5倍ほど距離が離れています。途中で休憩を挟みながらと思いきや、Tさん「だいじょうぶ。」「平気。」、結局一度も休憩で座る事無く往復の道のりを踏破したのです。あの時は、私の方が「これ本当に大丈夫なんだろうか。」と不安に駆られたほどです。
シルバーカーを手に入れ無敵になったTさん。ここで話はタイトルに戻ります。
外出機会と活動量の増えたTさん、その変化が身体以外の部分にも現れだしました。
他の入居者さんの世話を焼いたり、テーブルに残っている食器を片したり、さらには片した食器を洗い出したり。元々、きれい好きな方ではありましたが、職員が何を言うわけでもなく、自発的にこういった行動をする事が多く見られるようになったのです。身体を動かすことで生活に張りとやる気が出る事に繋がっているのではないでしょうか。
シルバーカーがあればどこにだって行けるようになったTさん、これからどんな所へ行き、どんな生活を送られるのか、これからが楽しみで仕方ありません。

08:15 | Posted by kimisanchi

【いち にの さん よいしょ】  のんびり家2F 石川

2019年05月28日 | のんびり家::のんびり家 2F

2月でのんびり家に異動してきて1年が過ぎましたが未だに戸惑うことばかりです。
この1年でも入居者様も入れ替わりがありました。
出会いがあれば別れもあるのは分かっていますがどんな状況でも別れは寂しいです。

今回はAさん(女性)の事を書かせてください。
異動したての頃入居者様の事が把握出来ていない状況での介助がとても不安でした。
でも介助はしなくては入居者様が生活出来ません。
支えれば一緒に歩けるAさんを立ってお手洗いまで行っていただくにはどうしたらいいか?
思いついた事は立ち上がりのときに「Aさん 立ちますよ いち にの さん  よいしょ」と掛け声をする事でした。
ポイントは「さん」と「よいしょ」の間に一呼吸入れる事です。
最初は戸惑っていたAさんも私がしつこく言っていたからか「Aさん 立ちますよ いち にの さん よいしょ」に合わせてくださるようになりました。
立ち上がる前のAさんの掴まっている手の位置がちょうど私のおしりの位置になると私の
おしりで「ポンポン」と一緒にカウントしたりズボンの後ろポケットに入れているメモ帳やボールペンを握ったりしながら立ち上がっていただき歩いて席に戻ったりしていました。
南瓜の煮物が好きなようで食事介助の時に「美味しいですか?」と伺うと「美味しいねぇ!」と嬉しそうに答えてくれました。
今年の始めにテレビのニュースでだるま市の事を伝えていたので何となく「だるま市に行ったことありますか?」と聞くと「ないね」とはっきりと即答!(都内からは少し遠いからですかね?)
そのAさんとは私がシフトの関係で休んでいる間に体調を悪くして入院。
そのままのんびり家へ帰ってくる事はありませんでした。

Aさんは元教師だったそうですがスタッフの問いかけに時々ジョーク混じりの返答をしたりととても楽しい方でした。
街中でだるまを見つけるとAさんを思い出します。
新しい世界でもかわいい子供たちに囲まれて教師をしているといいなぁ…
そして 「いち にの さん よいしょ」 でまたお会いしましょう!

16:49 | Posted by kimisanchi

【こんにちは】  のんびり家2F 池田

2019年05月06日 | のんびり家::のんびり家 2F

この業界に入ってからもう2年になりました。最近は自分が担当の入居者さんを持つことが出来ました。最近入ったばかりのNさんを担当しています。
担当は初めてで、まだ持ったばかりなので今なお分からないことがたくさんあり緊張していますが、頑張りたいと思います。
担当のNさんは、最近まで歩いていた方で、最近は車椅子なのですが、晴れている時は決まって外を見て散歩などをしたいと言ってくるお方なので、出掛けています。食事は和食しか食べず、食べたことのない物や洋食や中華などは食べないと仰ったりと、食事にはとてもこだわりがあります。
最近は新しい人でKさんと言う男性の方が入ってきました。このお方もとても元気なお方で食事はおかわりをしたり、外食をしたり散歩などをしたりととても元気なお方です。特に食事のおかわりはすごく、他の入居者さにも見習っていただきたいところです。
散歩も自分から行きたいと行ってくることもあります。時には自身の体調を管理して自分から病院に行きたいといってくることもあります。とても健康に気を使っているお方でもあります。
これからも頑張っていきますので、温かい目で見て頂ければ幸いです 。

08:23 | Posted by kimisanchi

4月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2019年04月05日 | のんびり家::のんびり家 2F

4月号の「のんびり家2F」の記事はありません

09:00 | Posted by kimisanchi

【考える・・・】  のんびり家2F 石井

2019年03月08日 | のんびり家::のんびり家 2F

私がこの仕事に転職したのは2005年でしたが、前職を退職し大学時代の友人に転職の相談をした時のことを事あるごとに思い出します。当時、何も知識がなかったのですが漠然と「福祉の仕事に就こう。」と決めていました。
しかし、そのことを友人に相談すると「福祉なんて、年とってからも出来るから他の仕事にした方がいいよ。」と言われてしまいました。その時は「それもそうだな。」くらいにしか考えていませんでした。しかし、一旦立ち止まり考えてみると「一般的なイメージはその通りかもしれないけど、本当にそうなんだろうか。」と考えるようになっていました。そこから、旧ヘルパー2級の講習を受け特別養護老人ホームやデイサービスなど研修時に体感し、その後偶然にのんびり家に辿り着きました。最初は変な名前だなくらいにしか思っていませんでした。(本当にごめんなさい)
のんびり家での勤務を始めると2、3日で退職を考えました。それは、素人の自分が務まるような仕事ではなく命が懸かっているという恐怖心すらありました。しかし、そこでも何故か立ち止まり考えました。その結果「数日で退職してしまうとこの仕事のことがよくわからないままではないか。」と考え、「もう少しやってみよう。」と仕事を続けていって1ヶ月が半年になり1年になり、そのうちに数年が経過しのんびり家の引越しに伴い2階の管理者を務めることになりました。今思うと当時ののんびり家の職員に支えられ、入居者にも支えられていたので退職をしなかったのだろうと思います。
勤務してから1年が経過した際、ふと考えてみると何も理解していなんじゃないかという思いが強くなっていきました。その時に1番最初に代表と面接したことを思い出しました。「石井君、生活することはどういうことだかわかる?」と質問がありました。その時、私は何も経験がなかったため「わけがわからない、変なことを言う人だな。」と思っていました。(再度、本当にごめんなさい。)そして、1年くらいが経過した時に「生活」という言葉に引っかかっていました。「自分は生活をしているんだろうか、生活をさせられているのだろうか。」と答えのないようなことを考えるようになりました。そうすると普段の何でもないことでもいちいち気にするようになっていました。そして、時間をかけながらこの仕事の本当の楽しさや難しさなどを少しづつ意識して感じられるようになってきました。この仕事に就いて何年経過しても、管理者になってもまだまだ考えることに十分ということはありません。ずっと続いていくものだと思います。入居者の方々からその都度教えていただきながら、職員同士での学びも沢山あります。入居者の自立支援についてチームとして向き合っていく中で試行錯誤していく日々です。その入居者との一瞬、瞬間がとても尊くとてもキラキラに見えるそんな素敵な仕事に様々な偶然が重なってめぐり合えたことにとても感謝をしています。

13:57 | Posted by kimisanchi

2月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2019年02月15日 | のんびり家::のんびり家 2F

2月号の「のんびり家2F」の記事はありません

08:20 | Posted by kimisanchi

1月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2019年01月22日 | のんびり家::のんびり家 2F

1月号の「のんびり家2F」の記事はありません

12:58 | Posted by kimisanchi

12月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2018年12月27日 | のんびり家::のんびり家 2F

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17:15 | Posted by take

11月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2018年11月30日 | のんびり家::のんびり家 2F

11月号の「のんびり家2F」の記事はありません

13:40 | Posted by kimisanchi

10月号の「のんびり家2F」の記事はありません

2018年10月31日 | のんびり家::のんびり家 2F

10月号の「のんびり家2F」の記事はありません

08:25 | Posted by kimisanchi