東日本大震災から、間もなく(この文章を書いている時点では)二年が経過しようとしています。首都圏では、震災の影は本当に薄くなり、かつては様々な店舗に設置されていた募金箱も、震災に関連したものは少なくなりました。未だに被災地では、多くの方が辛い生活を余儀なくされていると思います。生活や気持ちが、少しずつ上向きになりますよう、御祈り致します。
最近街中で周囲を見てみると、ハガキより一回り小さい位の大きさの、平坦な機械を指先で操作している人が、そこかしこにいると思います。今大流行の「スマートフォン」。まぁ大雑把な私の大雑把な解釈で大雑把に説明すると、「パソコンの機能を持った携帯電話」といったところでしょうか。私も1年ほど前に、永年使用してきた為故障してきた携帯を買い換えたのですが、私が選んだのは、前述のスマートフォンではなく、プッシュボタンのついた、いわゆるフツーの携帯電話。スマートフォンを選ばなかったのは、「値段が高い」とか「楽しさがいまいち良く判らない」というのもあるのですが、一番大きな理由は、「携帯電話のプッシュボタン操作が手に馴染んでいる」からだと思います。私にとって携帯電話は、通信手段よりも、予定表とか手帳の役割が大きくて、仕事とか私用の予定を、携帯のメール機能を利用して書きこんでいる(プッシュボタンを操作して文字を打ち込んでいる) のですが、この操作や感触が手に馴染んで手離しがたいのです。番号さえ覚えていれば、画面を見なくても電話をかけられますし、平仮名だけの文章であれば、画面を見なくても書けます。これらの芸当は、「視覚」、「操作方法」で大きく進歩した代わりに、ボタンの凹凸、配置、感触と言った「触覚」を手放したスマートフォンには、少し難易度が高いのではないかと思います。(まぁスマートフォンはそんな事しなくても、声で電話かけたり文章打ったりできそうですが…)
二年位前から、入居者さんとの関わりの中に、「五感に訴えていく」という事を意識するようになりました。お寺のよこでは、入居者さんが手分けして、片付けものや食事作りを行っていきます。しかし中には、包丁で何かを切ったり、炒めたり、洗濯物を畳んだりといった事を、実際に行うのが難しい方もいらっしゃいます。そのような方にも、雰囲気を分かち合って頂きたくて、関連した物を手に取って頂いたり、匂いを嗅いで頂く事を、意識しています。いよかんの重さと表皮の冷たさ、胡麻油の香ばしさ、洗い立てのタオルの肌触りと匂い、絹豆腐のひんやりした儚い手触り、納豆の臭さ、切り立ての葱類の目にしみる感じなど…楽しいことも嫌なこともいっしょくたにして、入居者さんと分かち合っています。2013年も色んな事を皆さんと分かち合って行きたいと思う、お寺のよこの春です。
追伸 前回の記事で書いた赤べこを模した獅子頭、作成して新春の獅子舞で、福島出身のMさんに披露する事ができました。次は何を作ろうかなぁ…