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【違うリズムが、合わさって】  きみさんち 志寒

2020年03月13日 | きみさんち

私は小学校のころから、成績表の講評欄に“マイペース”とよく書かれていました。自身では別に人と違うようにありたいと思って、マイペースであるわけでもなく、ただ“他人と同じようにやりなさい”という場面になると、意識しすぎるのか、なんだか疲れ果ててしまうのです。
小学校入学のときなど、いわゆる知能検査的な意味合いだったと思うのですが、あまり説明も無く、事情も分からないまま、皆と同じテストをやらされ、ただでさえ緊張してしまっているのに、そのテスト問題のうち確か『下の絵にあるものとおなじなかまを○でえらびましょう』という問題にこたえられずに、そこから先へ進めず、検査に引っかかってしまいました。まあ、たとえば下の絵が「犬」ならば、「猫」「本」「鳥」「魚」のうち、猫に○をつければ良かったのでしょうが、私は『仲間であるかどうかなんて、それぞれに尋ねてみないとわからないだろうに、勝手にこちらが判断できるものではないだろう』と考え込んでしまったのを覚えています。
そんな私も、それなりに年を重ね、経験を重ね、ボロが出ない程度には、“他人と同じようにする”ことを覚えました。しかし、今でも、納得できるほどのたいした意味も無い同じ事を、自分がやらされるのも、他人がやらされているのも、生理的な拒否感が出てしまいます。
ファイル 491-1.jpgですので、きみさんちでも、入居者さんがてんでバラバラに、気ままに生活している様子が好きです。たとえば、ここに一枚の写真があります。『何だ、皆で同じ、食事の盛り付けをしているのではないか?』と思うかもしれません。もちろん、手前の男性が“我、関せず”と言うかのように、新聞を読んでいるのが目を引きますが、そのくせ、ちゃっかり自分の箸は用意しているのがたまりません。味噌汁を盛っているKさんは、自分の分はお椀でなく、マグカップによそっているのも興味深い。右側のAさんは基本、“皆と同じように”するのがお好きな方ですが、そのAさんもひとつだけ、種類の違う食器を用意しています。その奥のSさんは黙々とご飯をよそっているようで、しゃもじに付いたご飯粒をどうにかすることに集中しています。皆、ひとくせも、ふたくせもあり、マイペースです。それでも、たぶん、10分後には、皆、食事を始めているのでしょう。
てんでバラバラのリズムやメロディが集まって、それでも、なんだか楽しそうな音楽になっている。そんな不思議なマイペースな空間。そんな職場だからこそ、私も勤務が続いているのだろうなと思っています。

15:00 | Posted by kimisanchi

【前世は姉妹?】  きみさんち 金井

2020年02月24日 | きみさんち

Aさんは食事前にOさんの箸を自分のものと一緒に持ってきて下さったり、食欲がなさそうだと「もうちょっと食べな」と声をかけてくださったり、Oさんのことをよく気にかけて下さいます。体調が悪いと聞けば涙ぐみ、元気になったと聞けばうれし涙を流されます。
ある時、「Oさん、こんなに気にかけてもらえて幸せですね」とお話しすると、横にいたAさんがすかさず「そんなことないのよ、Oさんがいてくれるだけで私はうれしいんですもの」とわらっていらっしゃいました。
「いてくれるだけで、私は助けてもらっているんですよ」
Oさんもその言葉に照れていらっしゃいました。
いろいろな事情で同じ屋根の下、並んでテーブルにつく仲になられたお二人が、姉妹のように自然に過ごされていらっしゃることがうれしい新年のある日です。

09:12 | Posted by kimisanchi

【物を慈しむ心】  きみさんち 田中

2020年01月10日 | きみさんち

2年ほど前きみさんちをご退去されたOさん。
生前の彼女は花や人、動物などあらゆる物に対し、「可愛いね、綺麗だね」と賞賛をする方でした。
風で折れた枝や秋に公園でひろったどんぐりなどそっとポケットに忍ばせ、かわいそうだから植えてやったと、自室の横にある小さなお庭にせっせと土を掘り起こし植え込んでいる姿が今でも目に浮かびます。
神社の縁日ですくった金魚もえさをやりつつ、可愛いねと賞賛し、亡くなるとかわいそうだとお庭に埋め、墓作ってやったよと手を合わせる。
どんな物事にも慈しみ自愛に満ちた言葉が返ってきていました。
そんなOさんがあるとき何処からともなく拾ってきた椿の枝。
これもかわいそうだとお庭に埋めると見事に根がつきました。
それでも植えてから約4年の月日が流れOさんとお別れをした後に入る利用者のためにお庭を整理した時に捨てるかどうか迷いましたが、せっかく根がついたものを捨てるのはどうかとOさんの意思に沿わないのでは・・・と思い残すことに決めました。
ファイル 480-1.jpeg2019年12月花芽のついた枝にやっと見事なピンク色の花を咲かせ、道行く人の目の保養になっています。
天国で見ているOさんやっぱりそこでも「綺麗だな、見事だな、やっと咲いたのか」とぼやかれているのでしょうね。
本当に自愛に満ちる何事も敬意を表すOさんの精神を私も見習わねばと思う今日この頃です。

17:53 | Posted by kimisanchi

【背中の表情】  きみさんち 志寒

2019年12月18日 | きみさんち

夏も過ぎ、疲れからか、このところKさんはスランプになっています。
お得意の料理をしようとしても、記憶が続かず、スムーズに行程が進みません。
食材を選び、洗い、切り、火にかけ、調味する。その流れがひとつひとつ止まってしまい、作業が次につながらない。Kさん自身もそんな状況がいたたまれないのか、やるせない表情でその場を離れることが多くなってきました。

そんなときのKさんの気分転換が外出。特に外のベンチに座り、風の薫りや心地よい木漏れ日を味わい、ご近所の方との語らううちに、心のもやもやが晴れるのか、表情もすっきりと「どっこい、どっこい」などと呟きながら、何か自分に出来ることはないかと、台所に戻られます。

そんなベンチで過ごしているひととき、「あれはひどいねえ」とKさんが指差しました。
ファイル 472-1.jpeg ファイル 472-2.jpeg少し離れたゴミ集積所に、収集日でもない日に出されたゴミがあり、それにカラスが集まり、ゴミが道の真ん中にまで多量に散乱していました。
「やってきましょ」とやおら立ち上がると、Kさんは竹箒を手にゴミ集積所に向かいます。私もゴミ袋と竹箒を持って後を追います。

かくして10分後、見事にきれいになったゴミ集積所。Kさんは誰にそれを見せ付けるわけでもなく、満足げに竹箒を手に、ベンチに戻っていきます。
安堵しているような、誇らしいような、輝いているその無言の背中。そんな背中をKさんだけではなく、他の入居者さんからも、たくさん見てきたような気がします。そして、そんな背中があるうちは、まだまだ、まだまだ、大丈夫。たくさんの背中が教えてくれました。

さて、いま、私がきみさんちで働いているとき。私の背中は、どんな表情をしているのでしょうか。

08:07 | Posted by kimisanchi

【男の子ですよ】  きみさんち 松林

2019年11月30日 | きみさんち

私事ですが、きみさんちに来て10年が経ちました。
何も知らずに飛び込んだこの業界で、年数だけはいつの間にかベテランになってしまいましたので、仕事もベテランの域に達すべく、これからも精進して参ります。
もうひとつ私事を言いますと、10月に父親になりました。
勤続10年目にして父親になるという、記念すべき令和元年となりました。
関係者の皆様には、感謝の言葉しかありません。今後とも宜しくお願い致します。

きみさんちのリビングにて。
「この写真見て下さい、私の子供です。この間生まれたんですよ」
「あらあらあら~、なんて可愛いんでしょう。いつ生まれたの?」
10月3日に生まれたばかりの子供の写真を入居者さんにお見せしたところ、私の手から写真を奪い取って、満面の笑みを浮かべて下さいました。
「男の子?女の子?」「男の子です」「しっかりしたお顔をしてるから、そうかなと思ったけど、寝ながら笑って、女の子みたいに可愛いわね」「ありがとうございます」
「いつ生まれたの?」「10月3日です」「可愛いわね~。男の子?女の子?」「男の子です」
そんなやり取りが聞こえたらしく、傍で悶々と過ごしていた入居者さんが「何?どうしたの?」とこちらを気にされたところ、先の入居者さんが「お子さんが生まれたんですって」と、私から奪い取った写真をその方に手渡しました。「え~!あんたの子供なの?本当に?可愛いね~」と仰って、悶々としていた眉間の皺が無くなり、破顔されていました。

今年3月に、妻が妊娠しているのを知らされた時は、本当に驚きました。
結婚しているわけですから、そうなっても当然なのですが、年齢的なことや妻の身体の事情などがあったために、そうなる事を思ってもいませんでした。
そして次に、毎日の不摂生な生活や高齢であるという事が、無事な出産に繋がらないのではないかという思いがありました。
しかし、命の話。人生の話です。
沢山話をして、色々調べて、悩んで、その結果、運を天に任せる事にしたのです。

日毎に大きくなってくる妻のお腹を労わりながら、どんな子供が生まれるだろうか、立派な親になれるだろうかなど、不安と希望を胸に抱いて出産当日までの毎日を過ごしました。

その結果、元気な男の子が誕生したのです。

20年か30年後の老後を迎えるまで、夫婦二人で慎ましく暮らして行くものだとばかり思っていましたが、子供を養い育てて行くという人生が始まろうとは、想像を絶するばかりです。
経験や知識は勿論ありませんので、不安ばかりが襲ってきますが、恐れていては何も始まらないし、子供は育ちません。そして、親として成長はしませんね。
不安の先には必ず光が見える筈。そう信じてこれからの人生を楽しんで行こうと思っています。
そして、現在、生まれてから一月が経ちましたが、忙しく楽しい、大変で喜ばしい日々を送っています。
人生は、いつ何が起こるか分かりません。だから、面白いのかもしれないですね。

ファイル 469-1.jpegファイル 469-2.jpeg
写真の行方は、先の入居者さんの手に戻り「本当に可愛いね~。食べちゃいたいくらい。」
「そうはさせません(笑)」
「いつ生まれたの?」「10月の3日ですよ」
「男の子?女の子?」

08:41 | Posted by kimisanchi

【夕涼みで】  きみさんち 金井

2019年10月31日 | きみさんち

やっと夕方に涼しい風を感じられるようになった今日この頃。
数人の入居者さんと玄関先で花火をやりました。
私は途中から色が変わったり、勢いよく飛び出したりする炎の花に少しどきどきしながら楽しんでいらっしゃるみなさんの様子に嬉しくなったりしていました。
でも皆さんがいちばんの笑顔を見せて下さったのは、通りかかった小学生の女の子が花火を持ってくれて、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せてくれた時でした。それまでいろんなと
ころを見ていた皆さんが一斉にその子のほうを向き、よかったねー、楽しかった?と話しかけ、ちょっと自慢げに花火を掲げている姿に表情を崩していらっしゃいました。

08:47 | Posted by kimisanchi

【猫に牡丹餅】  きみさんち 松林

2019年09月30日 | きみさんち

特にすることもなく、ぼんやりとリビングに座っているOさんに「犬も歩けば、、、?」と言って、マイクを突き出す真似をしてみました。
するとOさん、少し考えて「棒に当たるぅ!」と、私の右手に握った架空のマイクに向かって答えて下さいました。
「素晴らしいですね、正解です」と言うと、「良かったぁ」と嬉しそうです。
「それでは、猿も木から、、、?」と架空のマイクを口元に向けると「落ちる!」と、即答しました。
「では、次は、弘法も、、、?」と、マイクを突き出すと、「弘法?う~ん、弘法」と悩んでいます。
それを隣で見ていたAさんが、「おばあちゃん、これだよ」と言って、テーブルに何かを書く素振りをして、その手に持った架空の筆を指差して「これこれ」と言っています。
Oさんには、その、これ、が分からず「弘法も、、、何だ?」と考えているので、痺れを切らしたAさんは「筆だよ、筆の誤り、だよ」と、声に出して教えてしまいました。
それを聞いたOさんは「筆の誤りだぁ」と私に向かって答えました。
「じゃあ、豚に?」とOさんにマイクを向けると、「おばあちゃん、これだよ」と、首元に指で線を描きながら「真珠だよ」と、AさんがOさんに教えています。
Oさんは「真珠かぁ」と、少し表情が曇ります。
「じゃあ、これはどうかな?猫に?」
両手の親指と人差し指を楕円形に合わせて「おばあちゃん、これだよ」とAさん。
それを見たOさんは元気な声で「牡丹餅だぁ」と。
それを聞いたAさんは大笑い。
Oさんは、どうしたのという表情をしていますので、間髪入れずに「じゃあ、棚から?」と聞いてみると「牡丹餅!」と嬉しそうに答えた後「あれ?なんだ??可笑しいな」と、猫には牡丹餅では無かった事に気付き「そうかぁ、牡丹餅は棚からかぁ」とOさんは照れて、皆は笑いました。
そして、私は思うのです。
Oさんの間違いは、Aさんのヒントが牡丹餅に見えたからではないかと。それは、お昼前の時間帯であったこともあり、空腹感が牡丹餅を連想させたからではないかと。
しかし、空腹だったからといって、どうして『牡丹餅』という言葉が出てきたのでしょうか?Aさんの作った楕円形のヒントから想像できる食べ物は他にもある筈です。
卵、コロッケ、ハンバーグ、、、、、。
諺の問題をやっているという認識があり、諺の中で使用されている楕円形の食べ物という検索結果で『牡丹餅』という言葉が出てきたのでしょうか。
正解は、Oさんにしか、いや、Oさんにも、誰にも分からない事でしょう。
『猫に牡丹餅』。
その笑いを切っ掛けに、皆さんでお昼ご飯の準備に取り掛かる事になりました。
牡丹餅は棚から落ちてきませんからね。

09:30 | Posted by kimisanchi

【Kさんのコミュニティーのおかげで】  きみさんち 田中

2019年08月16日 | きみさんち

毎朝外の空気を吸ってくるねと外にお出かけになり、きみさんちのベンチでくつろぎ戻ってくるKさん。道行く見知らぬ方にもしっかりと「お早うございます」「元気だね」と挨拶をされ、時にはベンチで一緒に話し込みにこやかに受け答えをしているKさんの姿を見ていると、本当に頭が下がる思いになる。ごく当たり前の挨拶、自分は見知らぬ人には出来ないよなと。
そんなある時、近くにお住まいの高齢女性が、息子に暴力を振るわれると涙ながらにきみさんちを訪ねられ、電話も息子に切られちゃったから警察を呼んでほしいと駆け込んで来た事があった。その時、Kさんの姿が目に入ると「あなたが何時も楽しそうに声を掛けてくれるからもう頼る所はここしかないと思ったのよ」とKさんの手をとり泣きながら話をしていると、Kさんも「ここはだいじょうぶだよ」「皆いるから安心しな」と優しい言葉を掛けていらっしゃる。
警察の方がいらっしゃり、一旦その女性はおまわりさんにお願いし、Kさんに何処のどなたなのかお聞きした所、「何時も話している人」「だけど名前はしらない」と仰る。
知らない人でも困った方に優しい手を差し伸べ言葉を掛けられるKさんのコミュニティー能力の高さを垣間見た瞬間でありました。
女性の方は家に帰られ今も一人暮らしをされているようだが、地域に貢献するとはこういう事を言うんだなと改めて思い知らされる出来事でした。
Kさんのコミュニティーって、きみさんちにはなくてはならないものになりつつあるのかもしれません。

07:51 | Posted by kimisanchi

【待ち人きたらず】  きみさんち 志寒

2019年07月27日 | きみさんち

ファイル 450-1.jpegきみさんち前のベンチには、さまざまな人が立ち寄って下さいます。
ご近所さんがふらりと顔を見せて下さったり、坂を上りきった高齢者が少し休んでおられたり。時にはワンちゃんを連れて、散歩の途中に立ち寄ってくれます。
立ち寄る皆さんとの交流をご入居者さんも心待ちにしておられ、その中でもKさんは暑さ、寒さにも負けず、1日に長いときには数時間、誰かを待つかのようにベンチに腰掛けながら、のんびりと過ごしておられます。
ファイル 450-2.jpeg梅雨に入りかけたシトシトと雨が降る、ある夕暮れのことでした。
食事を終えたKさんが外のベンチを見ながら、おっしゃいました。
「ねぇ!暗いよ、こんなに暗いのは生まれて初めてだね。見てごらんよ」Kさんは外のベンチを指差しています。確かにうす暗がりはうす暗がりなのですが、驚くような暗さでもありません。街灯に照らされたベンチが雨に濡れ、白く光っているばかりです。
『もしかして、時間を勘違いしているのかな?』そう私は思いました。
認知症の症状には時間の見当をつけることが難しくなる症状、時間の見当識障害というものがあります。もしかして夕方の6時過ぎという時間を、もっと昼間の時間帯と勘違いして、なぜこんなに暗いのかと驚いているのではと考えたのです。もちろん、そんなことをご本人に指摘することはありませんが。
しかし、一緒に外を見ていて気がつきました。雨が降り続き、私たちの話し声も濡れた暗がりに吸い込まれていきそうな雰囲気です。その中で白いベンチだけがぼんやりと街灯を反射して、いかにも寂寞とした光景です。
私は、あぁ、五月闇という季語があったなと思い出しました。陰暦の5月は丁度、梅雨の時期にあたります。その陰鬱とした梅雨空の下の、昼の暗がりや夜の闇のことを五月闇と呼ぶのです。Kさんにとっては社交の場であるベンチが、たずねる人もなく、雨の夜の暗がりにただ浮かんでいる。それはKさんにとっては、まさしく“暗い”光景に間違いありません。そう気がつくと同時に、見当識障害などと小賢しいことを考えていた自分が恥ずかしくなりました。あぁ、私は表面的な浅いものの見方をしていたなと。
そう気がついたのちは「そうですね、暗いですよね」と、二人、暫くベンチを眺めていました。
ベンチには待ち人も来ず五月闇

17:04 | Posted by kimisanchi

【Oさんのこと】  きみさんち 金井

2019年06月15日 | きみさんち

とある午後、不安に思っていることを一生懸命Oさんに聞いてもらっていたSさん。
しゃべり疲れたか、ちょっと席を離れて一服休憩。
その間にOさんも聞き疲れたかお部屋に休憩にいってしまいました。
Sさんはまた話そうと戻ってきて、先程の人がいないと私に訴えにきました。
どんなひとでしたか?と聞くと、「頼りなさそうだけど、やさしい人」と答えました。
椅子にちょこんと座った自分より年配の小さいOさんが頼りない人に見えたのかもしれません。
でも真剣に頷いてきちんと自分の話を聞いてくれたOさんは「やさしい人」だったようです。
私の友人に多い名前がゆうこ「優子」です。親は娘にやさしい人になってほしいと願いこの名前をつけるのでしょう。
でもなかなか人からやさしいと言われたことがある人は少ないのではないのでしょうか。
Oさんは私が知り合った中でもとびっきりのやさしい人で、いつもやさしさで和ませて下さいます。

08:15 | Posted by kimisanchi

【大晦日の夜】  きみさんち 松林

2019年05月28日 | きみさんち

昨年の大晦日。
日勤の勤務を終え、帰り支度をしていると、テレビに映っている紅白歌合戦を入居者の皆さんがご覧になっていました。しかし、そんな和やかな風景を尻目に、一人玄関で煙草をふかしている入居者さんが目に入りました。
煙草を吸い終えるとリビングに戻ってきて、手持ち無沙汰にラックから歌の本を取り出して、紅白歌合戦の皆さんが居るテーブルから少し離れた椅子に座って、歌本を広げて、一人歌い始めました。
「上野発の夜行列車降りた時から~、青森駅は雪の中~」
胸が締め付けられて、泣きそうになりました。
数日前に、その方の息子さんと電話で話したのですが、「今年はお正月に顔を出す事が出来ないので、宜しくお願いします。蟹を送りますので、皆さんで食べて下さい。お母さんをお願いします」と。
ご本人は、本日が大晦日だという事も、息子さんが送ってくれた蟹を食べた事も、息子さんがお正月に来ない事も分かってはおりませんが、それらの事実を理解して寂しさ紛れに歌を歌っているのだとしたらと想像してしまい、急に侘しさが込み上げてしまったのです。
歌っている歌詞も寂しさを増長させるに充分でした。
「凍えそうな鴎みつめ泣いていました、ああ~、津軽海峡冬景色~」
私がスタッフルームで目頭を熱くしていると、今度はさっきとはま逆の歌が聞こえてきました。
「ぼくらはみんな生きている~、生きているから歌うんだ~」
そして、どんどんと声量が上がって行きます。
「手のひらを太陽に~すかしてみれば~」
そして、今度は、紅白歌合戦を観ていたある方が、その歌声に乗り始めました。
すると、もう一人、もう一人と、最後には、全員で「みんなみんな~生きているんだ友達なんだ~」と、大合唱になっていました。
私の目頭には、さっきのものとは違う種類の涙が溢れていました。
人間というものの本当の逞しさを垣間見た様な気がしたのです。
戦争などを体験されたり、子育てが大変だったり、仕事がキツかったり、病気に罹ったり、人との別れを悲しんだり、、、想像を遥かに超える苦労をされてこられたと思いますが、大きな声を出して明るく歌っている皆さんの表情は、これからはもっと楽しんで生きていくぞとでも言っている様な、とても輝かしいものでした。
2018年の大晦日という日に、そんな瞬間に立ち会う事が出来て、一年間の疲れが吹き飛ぶのを感じました。
そんな瞬間に出会えた時、この仕事を選んで良かったと思えるのです。
そして、その後、きみさんちの紅白歌合戦は夜更けまで続いたそうです。

16:51 | Posted by kimisanchi

【平成最期のひな祭り】  きみさんち 田中

2019年05月06日 | きみさんち

きみさんちのご入居者は5:1の割合で女性人が占めております。
雛人形を飾ると綺麗だね、素敵だねと人形を愛でるその姿に、歳を重ねてもやはり女性だなと感じるものがありました。
前日から夕飯の献立を決めたり、献立にあわせて皆で手助けをしながら、夕飯を作る姿に感心させられます。
季節行事は、やはり皆さんの今までの生活に根付いているものであり、それは忘れる事のない思い出として心に残っているものなんだなーと感じながら、皆さんの夕飯作りのお手伝いをさせて頂きました。
ある人がぼそりと「今日でひな祭りは終わりね」とつぶやく姿に切なさを感じることも。
その一方で「人形をしまい忘れるとお嫁に行きそびれるのよ」と、田中にはきつーい一言も!そんなこんなできみさんち平成最期のひな祭りが終了したのでした。
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08:23 | Posted by kimisanchi

【我が心の武蔵関】  きみさんち 志寒

2019年04月05日 | きみさんち

きみさんちは練馬区の武蔵関にあります。私がこの武蔵関にご縁をいただいてから、10年以上の月日が流れました。
その間に街並みも変わりました。古くからのお店が商売をたたみ、その後に新しい店舗ができ、一軒家がマンションになり、目を楽しませてくれた石神井川沿いの桜の古木も、何本か寿命を迎えました。もちろん、きみさんちの入居者も職員も幾人かが去り、その分だけ新しく出会いがありました。
なじみの人々とのかかわりや、ボロ市の賑わいなど町のにおいは変わりませんが、いざ振り返ってみると、その変化がさびしいような切ないような、それでいて、確かに未来へ歩み続けている息遣いを感じて、心が沸き立つような気分になります。
足しげく通っていた店がふっと消え、それにいささかの感傷を覚えながらも、それでも今度は何の店が建つのだろうかとわくわくする、そんな気持ちに似ているでしょうか。そして、新しい店が好みの商売をしていると、それをすっかり新しく町の光景として受け入れてしまって、あれ?ここに前は何があったんだっけ?と、思い出すのも難しくなってしまう、そんなげんきんな面も、人の心理は持ち合わせているように思います。
一方で、一旦なじんだ心の町並みはなかなか消えないもので“あれならあそこの店に売っていたはずだ”とか、“あのバラのお宅の角を曲がると近いはずだ”などと確信していて、ふと、いや、あそこはもう無くなったんだと気がつくこともあります。そして先ほどの自分の確信具合を思い出して、不思議やらおかしいやら。ああ、認知症状態にある人はこうして道に迷うこともあるのかもしれないなと、思いもします。
変わるものも変わらぬものも包み込んで、この武蔵関は未来へと時を重ね続けていきます。そして私自身も、変わらぬと思いたがっていても歳を重ねていくわけで、良くも悪くも変わっていくのでしょう。
そしていつか、10+α 年後、この武蔵関を私が去り、それからまた時が流れたとき、この武蔵関の風景、きみさんちのたたずまい、そして同じときを過ごしてきた入居者や職員、地域の人々の顔を、どんな頻度で、どんなふうに思い返すのでしょうか。心の地図帳、アルバムにどんな町並みが、人々が残っているのでしょうか。
寒さもひときわ厳しい時季ですが、よく観ると桜の芽は気持ちばかり大きくなっているようです。桜も数本、欠けてしまいましたが、今年もまた、桜の花とそれに目を輝かせている入居者さんの顔を、心に焼き付けたいと思います。

09:02 | Posted by kimisanchi

【三人の共通点?】  きみさんち 金井

2019年03月08日 | きみさんち

ファイル 425-1.jpeg
きみさんちに新しく入居されたAさん、おととし入居されたOさん、そして私。
共通点が多いのです。
生まれは雪国、N県の中越地方。
誕生年はさすがに違いますが、12月生まれ。
三人とも長女。
若干残るなまりまじりの標準語で話していると、地元に戻って近所の顔なじみのおばあちゃん達といるようです。
お二人がひとつだけ私と違うのは、懐メロに詳しく歌詞帳を見ながら楽しそうに歌っていること。美空ひばり、古賀正男、越路吹雪のリサイタルが連日繰り広げられいます。
もともと歌の好きなSさんも、今まで歌なんて嫌いなんて言っていたKKさんまでにこにこと一緒に歌いだす、にわか歌声喫茶「きみさんち」は、ほぼ毎日の営業になってます。

14:06 | Posted by kimisanchi

【365歩のマーチ】  きみさんち 松林

2019年02月15日 | きみさんち

夜勤中、ある方の居室から何か聞こえてきました。
居室のドアを少しだけ開けて耳を澄ましてみると、「可愛いやりんご~♪」と、歌声が聞こえてきたのです。
居室に失礼して、顔を覗いてみると、寝ています。歌の寝言だったのでしょうか?
またある夜勤の時は、「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで2歩下がる~♪」と『365歩のマーチ』が聞こえてきました。
きみさんちでは、皆さんで良く歌を歌いますので、その時の事を夢に見ていたのでしょうか?
それからは、夜中に出てくる歌は、ずっと『365歩のマーチ』ばかりです。
「幸せは~歩いてこない、だ~から歩いて行くんだね~♪」
真夜中に流れる元気な寝言です。
その方は、今年の四月に、急に腰痛を訴える様になり、暫く、ベッドから起きられなくなりました。
昔は陸上の選手だったと言われるだけに、何時もお元気に過ごされていたのですが、それまでの生活とは180度変わった生活を送る事になりました。
痛みがあるから起きたくないと仰って、動かないから食欲も落ちて、どんどん痩せていきました。
ですが、少し厳し目にお願いをして、湿布を貼ってコルセットを締めて、少量でも栄養価の高い食事を摂って頂き、、、すると、少しずつ元気を取り戻して行かれました。
そして、今では、食べて歌って出掛けて寝て、、、すっかりお元気になられました。
ご自身の幸せは、ご自身で歩いて掴んだ様です。
体調を崩された時は、2歩下がる~♪だったのでしょうか。
何時も明るく元気なその方は、これからも、汗かきべそかき歩いて行かれる事でしょう。
そして、その足跡には、綺麗な花が咲く事でしょう。

08:52 | Posted by kimisanchi