私は小学校のころから、成績表の講評欄に“マイペース”とよく書かれていました。自身では別に人と違うようにありたいと思って、マイペースであるわけでもなく、ただ“他人と同じようにやりなさい”という場面になると、意識しすぎるのか、なんだか疲れ果ててしまうのです。
小学校入学のときなど、いわゆる知能検査的な意味合いだったと思うのですが、あまり説明も無く、事情も分からないまま、皆と同じテストをやらされ、ただでさえ緊張してしまっているのに、そのテスト問題のうち確か『下の絵にあるものとおなじなかまを○でえらびましょう』という問題にこたえられずに、そこから先へ進めず、検査に引っかかってしまいました。まあ、たとえば下の絵が「犬」ならば、「猫」「本」「鳥」「魚」のうち、猫に○をつければ良かったのでしょうが、私は『仲間であるかどうかなんて、それぞれに尋ねてみないとわからないだろうに、勝手にこちらが判断できるものではないだろう』と考え込んでしまったのを覚えています。
そんな私も、それなりに年を重ね、経験を重ね、ボロが出ない程度には、“他人と同じようにする”ことを覚えました。しかし、今でも、納得できるほどのたいした意味も無い同じ事を、自分がやらされるのも、他人がやらされているのも、生理的な拒否感が出てしまいます。
ですので、きみさんちでも、入居者さんがてんでバラバラに、気ままに生活している様子が好きです。たとえば、ここに一枚の写真があります。『何だ、皆で同じ、食事の盛り付けをしているのではないか?』と思うかもしれません。もちろん、手前の男性が“我、関せず”と言うかのように、新聞を読んでいるのが目を引きますが、そのくせ、ちゃっかり自分の箸は用意しているのがたまりません。味噌汁を盛っているKさんは、自分の分はお椀でなく、マグカップによそっているのも興味深い。右側のAさんは基本、“皆と同じように”するのがお好きな方ですが、そのAさんもひとつだけ、種類の違う食器を用意しています。その奥のSさんは黙々とご飯をよそっているようで、しゃもじに付いたご飯粒をどうにかすることに集中しています。皆、ひとくせも、ふたくせもあり、マイペースです。それでも、たぶん、10分後には、皆、食事を始めているのでしょう。
てんでバラバラのリズムやメロディが集まって、それでも、なんだか楽しそうな音楽になっている。そんな不思議なマイペースな空間。そんな職場だからこそ、私も勤務が続いているのだろうなと思っています。