log

【三年が過ぎて】 松林

2013年01月23日 | きみさんち

きみさんちに来て、あっという間に三年が過ぎました。自分が一番驚いています。
初めは、当然ながら分からないことばかりで、入居者さん達に迷惑ばかり掛けていたと思います。それまで、デスクワークだったので、身体のあちこちの痛みも絶えませんでした。このまま続けられるのか、不安ばかり感じていました。
でも、三ヶ月を過ぎる頃には、身体的な痛みを克服する事が出来、伸び伸びと動くことが出来る様になりました。
しかし、そこからの一年間、この仕事の本当の難しさに悩む日々を過ごすのでした。
人に動いてもらうには。感情を豊かにしてもらうには。出来る事を伸ばしてもらうには。色々考え、悩みました。
身体的な所とは全く違う部分に痛みを感じ続けました。そして退職すら考えたこともありました。
入居者の皆さん、其々、思いは違いますから、『皆さん×どうしたら?×毎日』の計算式です。答えは無限大です。
ある日「今日はこんな感じで動こうかな」と、自分なりに計算して勤務に入った事がありましたが、見事に裏切られて、その結果の入居者さんが、活き活きとしていた事がありました。自分の計算が間違った為に起こった正解を見た様に思いました。ある程度の計算は必要だけれど、現場は生き物なのだと痛感し、また、主役は誰なのかを実感しました。
我々は、入居者さんの日常を、陰ながら支えて行くのが仕事です。だから、「こんな事をして欲しいな」とか「楽しく過ごしてもらおう」などという先だっての計算は必要無いのかも知れません。むしろ、おこがましい事なのかも知れません。
その時の利用者さんと接して、思いを感じ、それとなくその思いを解消する。そんなスタンスが今は自分なりの仕事かと思っています。
理想と現実は中々合致しませんが、三年という節目を過ぎて、少~しは成長できたのかなと、自分を振り返ってみました。初めて書いたどっこいしょを読み返すと、赤面する事この上ありません。
また、数年後、この記事を読む自分がいたら、赤面する事を願います。

00:42 | Posted by admin

【夢は疲れる】 田中

2012年12月23日 | きみさんち

つい最近こんな夢を見ました。
お役所の様な所でしょうか、数人の男性を相手取りなにやら険しい表情で話し合いをしている代表。それを眺めながら頷いている私。何を話しているのか分からないけれどなぜだか共感し頷いている夢。不思議な夢・・・
目覚めてから普通忘れることが殆どの夢ですが、そのときばかりは忘れられず、今でも何かを力説している代表の顔を思い出します。
仕事の夢はしょっちゅう見ますがここまでリアルに覚えている夢は初めてでした。
「仕事夢」とでも名づけましょうか。
きみさんちを利用している方の夢も良く見ます。
普段走ることなどしない方が突然小走りに階段を登り、「あぶない!!」と叫んでいる自分と、落ちないように支える他のスタッフ等、他多数・・・
「正夢」というものも見るようで、大島三原山の大噴火で全島民本土避難した際も、その当日かぜで学校を休んでしまい、高熱にうなされながら寝ているときに見た夢が、まさしく山の噴火の夢でした。何処だか分からないけれど山が噴火しマグマに追いかけられ、逃げても逃げても後を追うように溶岩が迫ってくるという大変怖い夢で、起きたときには発熱の熱さもさることながら恐怖で飛び起きたといった感じでした。そして夕方になってテレビをつけると「大島三原山噴火全島民東京に避難」というニュースが流れていたのに驚きを感じた事がありました。ニュースレポーターが避難する島民に向かい「東京に避難するお気持ちは?」と言っていたのを思い出し、後々「大島だって東京なのに何言ってんだか」と家族そろって話していたのを覚えています。
良く見る夢は殆どが怖かったり、泣いていたり、逃げていたり、怒っていたり。楽しい夢は全く持って皆無。
こんな夢ばかり見る私は心が病んでいてそれが夢に反映されてしまうのでしょうか・・・?

00:42 | Posted by admin

【暗闇坂の謎】 志寒

2012年11月23日 | きみさんち

有栖川宮公園の高台から麻布方面へ下る細く急な坂道は、暗闇坂と呼ばれています。
都立図書館で活字を詰め込んだ頭を冷やしながらこの急坂を下ると、場所がら様々な国の人たちとすれ違います。雨の夜など傘をかしげて狭い歩道を譲り合い、お互い不確かな発音で「Thank You!」「アリガトー!」と言葉をかけあうと、暗闇の名にそぐわず、ほのか明るい気持ちになる坂道です。
そもそも東京タワーを見ながら六本木ヒルズに抜けるのですから、暗闇はどこへやらというのは現在のお話。高台の北側斜面にあたり、さえぎるビルもなく木枯らしが山にぶつかり、天狗の仕業かざわざわと木々がざわめいていたであろうその昔は、それこそ名に相応しい不穏な坂道だったのだろうなぁと推測するわけです。
それにしても夜を知らない麻布・六本木の「暗闇」に思いを馳せると、なんとも不思議な気分で楽しくなると同時に、一見、そぐわないように思えるものにもしかるべき理由があるのだなぁと感じさせられます。
古い地名の中には意味不明のものや縁起の良くない響きのものも多く、地名を替えてしまうこともあるらしいのですが、こうした不思議や思考の楽しみをむげにしているようで、とてももったいない気がします。私の出身地の石川県にはその名も「猫シタイ」という地名があります。「ねこのしたい」と読むそうです。津波被害のあった女川、小名浜。
どちらも「オナ」が付きますが、一説によると「オナ」は「オナミ」、巨大な波を示しているそうです。なんでかな?どうしてかな?と立ち止まって考えることで得られるものは多いようです。
先日、きみさんちではリビングのテーブルを替えました。古いテーブルは大好物なかぼちゃやサツマイモを入居者さんが切るのに、勢い余って刀傷だらけ(笑)
夜勤で薄暗い中で書類を書いているとあらぬ方向にペン先が走り、書き直しになってしばし突っ伏すテーブルです。ですが、その傷の一つ一つに入居者さんの一撃や眼差しが感じられて、替えるのを迷っていました。けれどもスタッフの「また傷をたくさん作っていってくれますよ」の一言で気持ちが落ち着きました。
テーブルを替えてしばらくしたころ、とある利用者さんが黙々とテーブルをなでていました。はて?何かがこぼれているのではないしと、しばらく見ていたら、ふと気がつきました。数年前はその方は時おり「いい木材ですね~」とテーブル椅子の材質を確かめながらおっしゃっていました。それがいろいろなことが積み重なり、言葉数が少なくなり、手の動きが少なくなり、その言葉もほとんど聴かれなくなりました。「いい木材ですか?」隣に座り、今度は私がつぶやいてみました。ふと一瞬、手が止まり、一息つくと、ゆっくりとうつむかれました。
もちろん、本当に木材を確かめていたのかはご本人でなければわかりません。でも、わからないと切り捨てずに、在りし日に思いを馳せる、その不思議さを受け止めて考える。地名だけのことではないのだなぁと思います。
暗闇坂を通る人々の中には、昨今の関係を懸念する国の方もおられます。でも、天狗がいようが、木枯らしが吹こうが、わかり合えることをあきらめない限り、傘をかしげて笑顔で行きかう気持ちがある限り、暗闇のままではないだろうと願っています。
P.S.先日、きみさんちでは秩父の和銅鉱泉に一泊旅行に行ってきました。和銅鉱泉は古代の通貨、和同開珎が見つかった遺跡があります。宿に付いた途端、ある入居者さんが「会社の慰安旅行で来たことある!」と喜ばれていました。いい思い出を発掘してくださったのかなと思います。

00:32 | Posted by admin

【笑】 堀内

2012年10月23日 | きみさんち

最近の思わず笑ってしまった話をしようと思います。きみさんちでの一コマ。
女性入居者さんOさんです。
暑さもあり、なんだか動くのが億劫な様子が最近よくみられます。この日は買い物に誘うと乗り気。
「よっしゃ!行こうか!」と玄関まで元気に歩いていると急に動きが止まり曇った表情に…
足でも痛いかと心配する私。よくよくOさんの視線の先を見てみると、玄関まで強い日差しが届いていてなんとも暑そうな光景が・・・。
Oさんがふと口にした言葉は「なんだか足がだりぃ。」と。
え?!!つい数秒前まで活発に動いていたのに!(笑)
裸足のOさんに靴下大丈夫?と聞くと嬉しそうに部屋に戻っていきました。
それも足のダルさを感じさせないほど軽快に!!
その後もちろん買い物に行っていましたが、なんだか思わず笑ってしまいました。
それともう一つ。
男性入居者さんのENさん。新聞などに字が読みづらいと老眼鏡を作り届く一週間前の出来事。
外出しないか尋ねると「いやぁ眼鏡がないと見えなくて外は危ない。」と断られてしまいました。
ん??よくよく考えてみると・・・
「今回作ったの老眼鏡だから!!それしても遠くはみえないよ。」と思わず、もう一人のスタッフと突っ込みをいれると満面の笑みで「知ってるよ」と。
うまいこと断ってくるENさんに、いつも頭フル回転させられる堀内でした。

00:31 | Posted by admin

【へっぴりごし】 堀

2012年09月23日 | きみさんち

お久しぶりです!きみさんちの関西の人 堀です。半年経って原稿がまわってきました。なにを伝えたいかと考えたところ、ここ最近の私の出来事を書きたいと思いました。
実は、7月中旬に腰を痛めました。理由が また一般的でないのですが…
休みの日に ちょっと見栄えを良くしようと思って、スキニーパンツで きみさんちの会議に出席したところ、腰や膝が痛くなり、早めにお風呂支援用の半ズボンに履き替えたのですが そのまま悪化してしまい 帰る頃には ほぼ動けなくなったのです。
歩けないのに自転車は乗れて、家の近くの整形外科へ飛び込みました。名前を呼ばれても 立てなくて、レントゲンを撮るにも寝れなくて、なんとか横になっても反対を向けなくて…
「なにこれー」ってずっと言ってました。
家に帰ると すぐリーダーに電話しました。私は翌日 夜勤だったので、相方のリーダーは就寝に介助が必要な方の就寝支援をすべて行ってから帰ってゆきました。
女性入居者さんは、杖を貸してくれました。いつも出来る雑用に苦戦していると、入居者さんが玄関を開けてゴミ袋を外のポリバケツに入れて下さったりしました。
毎日毎日、先輩方の力を借りて、入居者さんに「年寄りだなー!」と心配されて護られながら日に日に出来る事を一つずつ 一つずつ取り戻していきました。
ちょうど1ヶ月が経った今はすっかり痛める前に戻る事が出来ました。身体は、一ヶ月前と同じです。でも、こころは一ヶ月前とは違うのだと思いました。
実は、去年の春あたり同じように腰を痛めた事があったんです。
また理由が一般的でなくて、仰向けのまま寝返りもせずに寝ていたのか朝起きたら、腰がとても痛かったんです。
その時もすぐ夜勤があり、入社して3、4ヶ月の私は やっといろいろ出来るようになってきたところだったのにそれをいっぺんに失って、トイレで入居者さんのお尻をあげる事が出来ずに、入居者さんの居るおトイレで大泣きしていました。今回は、泣きませんでした。
それは、思ったんですが、私は一人ではなくなったんです。
スタッフはチームで動いていて、だからこそ 入居者のみなさんの為に協力し合います。恐らく、去年は まだ入る事が出来ていなかった輪の中に、今 私は居るんだと思います。だから入居者さんの安全の為に「たすけてください。」が言えました。そして、みんな 助けてくれました。
腰バンドを巻いているスタッフも、腕を痛めているスタッフもみんな、助けてくれました。回復できたのは本当に、助けてもらえたからだと感謝しています。今月の きみさんちの会議で お礼を伝えようと思っていました。
でも、どっこいしょ原稿の順番が回ってきましたので こちらで先に書いちゃいました!
この一ヶ月、ご迷惑をかけてしまったけど「本当に私はここに居るんだ」と言うアイデンティティーまで獲得出来た気持ちです。本当に感謝しています。
ありがとう!きみさんち。
これからも成長していけるように、頑張りますのでふつつか者ですが どうぞ宜しくお願い致します。

00:31 | Posted by admin

【子供】 石川

2012年08月23日 | きみさんち

きみさんち石川です。ご報告があります。
嫁が妊娠しました。僕が、親になるみたいです。
きみさんちでこの事をOさんに話しました。
「楽しみだ、でもしっかりしろよ」と言われました。
本当にしっかりしろよと俺はしっかりしてないからな~…
来年3月の終わりから4月頃には、お父さんです。病院でお腹のエコー写真を撮り、まだ5ミリぐらいで小さな種みたいな子供が写ってました。病院の先生から、「おめでとうございます」とよくドラマで言われるシーンです。僕にも訪れました。「ありがとうございます」と夫婦で言っていました。
自分の子供ができるとゆうのは、なんていったらいいかうまく言えませんが、凄く嬉しいものです。これからお腹のエコー写真を撮りながらどんどん大きくなっていくのを見て、親になるという事を実感していくんだと思います。何事もなく成長してくれと願うばかりです。
色々話しましたが、1つ言える事が無事生まれてくれたら、すごい親ばかになると思います。一緒に遊びまわると思います。これから楽しいことも苦しいことも色々あると思いますが、しっかりしろよお父さん。
頑張ります。

00:30 | Posted by admin

【“尊い”という思い】 松林

2012年07月23日 | きみさんち

4月のある日、きみさんちでの何気ない出来事です。
テレビのニュースで“朱鷺の雛が36年振りに誕生した”と報道していました。それを聞いた入居者Oさんが言った一言。
「へ~、尊いな。」
何故か、目頭が熱くなってしまいました。
『尊い』って言葉、中々出てこないと思いますが、その報道にぴったりの言葉だと思いました。
辞書を引くと、『崇高で近寄りがたい。神聖である。また、高貴である。きわめて価値が高い。非常に貴重である。』とあります。
正にそれらを汲んでの的確な一言でした。生命の誕生や死に対して、『尊い』と思う気持ちが言葉で表現できるOさん。どんな命でも、とても尊いものだと、再度、教えられた気がしました。
皆さんの命は勿論ですが、これまでの人生経験、大変尊いものだろうと想像しています。
そんな尊さに、仕事ながらに付き合えている事に感動を覚え、その時、目頭を熱くしてしまったのだと思われます。
そんなちょっとした感動がこの職場にはあります。ちょっとしたものだけど、胸に引っかかる様なもの。大事にしたいなと思います。
私もいずれ入居者さん側になりますが、飾らずに言った一言が誰かを感動させる様な、尊い人物になれたら良いなと思いました。またそんな一言を聞いてみたいなと思います。
Oさんの尊さは、何気ない日常の中にあって、そんな尊さを求めた結果ではありません。死ぬまで一生懸命に生きる過程に起こる普通の出来事の中に尊さが存在しているのです。その歳になったら分かりませんが、今は意識してしまいますね。
尊く生きる為にはどうしたら良いのかを。
意識している内は、尊さとは程遠いのだろうと、うすうす感じながらも。

00:30 | Posted by admin

【身近で起きた大きな事件】 田中

2012年06月23日 | きみさんち

最近のニュースで「孤立死」・「孤独死」等、暗いニュースがよく飛び交っておりますが皆さんの周りやご近所は大丈夫ですか?
田中の近所で2月に悲しい事件が起きてしまいました。それは、私が小さいときから懇意にさせてもらっていた家の旦那さんがお亡くなりになったことです。
そのお宅は86歳になる要介護度4の奥さんと90歳になる要支援2の旦那さんの2人暮らし。地域のケアマネさんや訪問介護・デイなどのサービスを受けつつ生活をされておりましたが、2月のある時私宅に「いつもお父さんが鍵を開けてくれているのだけど今日は開いていないんですが・・・」と訪問介護のスタッフさんが私の家を訪ねてきたのです。
そう言えば・・・
「いつも決まった時間に下駄を履きごみ出しに行く音が聞こえるのに今日は聞こえていなかった。」と伝えると遠くから「助けてー」と小さな声。寝たきりの奥さんが助けを求める声が聞こえたのです。幸いリビングの大きな窓に鍵が掛かっておらず、私が壁をよじ登り鍵を開けヘルパーさんに入ってもらいましたが旦那さんの姿は無く、何かあったら言って下さいとヘルパーさんに伝え退室しました。その直後今度はヘルパーさんの「きゃー」という大きな悲鳴が聞こえ伺うと「お父さんがお風呂場で死んでる。」と。
その後奥さんに聞いたら「一晩中助けてーって叫んだけど誰も来てくれなかったのよ。」と言われたため旦那さんの死亡を報告すると驚いて声も出せず。
そんなテレビの中の出来事がそっくりそのまま私の家の近隣で、しかも家族共々仲良くして頂いていた家で起こるなんて・・・。ショックもひとしをでしたが、今後残された奥さんの身を考えると考えさせられるものがありました。
実際ケアマネさんも奥さんだけでも施設に入って頂いたらと何度も打診をしたそうですが「僕が見るから大丈夫だ」と頑なにお断りしていたそうで、でもご本人も認知症と言う病を患っておりどうすることも
出来なかったのではと、今考えても、もっと早くに考えてあげなければいけない課題だったのだと改めて思うのです。
私は福祉関係という職業柄考えることが出来るとは思いますが、他の方はどうでしょうか?
今ではアパートやマンション暮らしでお隣さんが男なのか女なのかさえも判らないほど、お隣さん同士が疎遠になっている時代ですよね。
もしかしたら皆さんのご近所にもこのような出来事が起こらないとも限らない。
「向こう三軒両隣」「とんとんとんからりんの隣組」昭和のよき時代の気遣いが今になって身にしみる自分なのでありました。

00:30 | Posted by admin

【きみさんちのゴッドマザー】 志寒

2012年05月23日 | きみさんち

凄まじい春の嵐を乗り越えて、今年も武蔵関の桜が満開になりました。
「花は桜木、人は武士」といわれますが、桜は最期のつぼみが開くまでどの花も散らないともいわれます。潔く散るさまよりもそのしぶとさに憧れる今日この頃です。
この桜の語源を調べてみますと、コノハナノサクヤという女神からくるという説、“サ”は神様を表しその神の宿る“座(クラ)”であるとする説、“咲く”という言葉を語源とする説、そのほか諸説あるそうです。あでやかな桜の姿を見ているとどの説もなるほどと頷けますね。
私は桜に限らず、それがどうしてそのように呼ばれるのか、とても興味があります。名というのは、単なる言葉ではなく、そのモノの在り様や、置かれた関係性も指し示すと感じるからです。
たとえば色でも、真っ黒、真っ白、真っ赤、真っ青とは呼ぶのに、なぜ真っ黄、真っ緑とは呼ばないのか、そこから何か日本人の色の感性が感じられるように思います。
たとえば魚でも、フクラギ。大好きです。私の郷里に近い人ならこの名に郷愁を感じられるかもしれません。なぜこうして“ブリ”が大きさや地方によって呼び名が変わるのか、複雑で豊かな関係性があるのでしょうね。
さて、よく認知症にかかわる話題で名前のど忘れが出てきます。
「ほら、あのテレビに出ている俳優さんで・・・誰だっけ?」
「あの人、昨日会った、背の高い、ほら・・・忘れた・・・」
『・・・私も認知症かしら・・・』
でも、大ファンでもない俳優が誰とか、昨日初めて会った人が誰とか名前が出てこなくても問題はありません。これがたとえば「毎朝顔を会わせているあなたの名前は誰だっけ?」とか「昨日会った人?昨日誰にも会ってないわよ?」とならない限りそれほど心配はないでしょう。
本来、無味乾燥な名前というのは覚えづらいものなのでしょう。なにせ、私はまだ、きみさんちに来て入居者さんに名前を呼ばれた記憶がありません。まぁ必要があればその都度「大きいの」「眼鏡」「あの」「ちょっと」「そっちの」と色々に呼ばれていますが、名より実、呼ばれないより呼ばれる関係が大事だねと思っております。「先生」「おじさん」「チーフ」「料理人」「おまわりさん」・・・呼び名の多さは関係性の多さ、その入居者さんの心に色んなシチュエーションの色んな登場人物として自分が居るのだなと、むしろ嬉しくもなります。どうぞお好きにお呼びになって・・・。
その色々な自分の呼び名の中で忘れられない一つがあります。
まだ私がきみさんちに来てそれほど間もないころ、Yさんはきみさんちの前で歩行練習をよくなさっていました。そこに出勤してきた私が近づいていきました。
ご存知かもしれませんが、認知症の方は“新しい出来事、物、人”を記憶するのが苦手です。Yさんもご多分に漏れず。そのYさんが知り合って間もない私を記憶されているのか?・・・果たして私を遠方から見つけ「ああ、あの人ね」と仰いました。
その時点で私は何の関わりも意味も持たぬ他人から、馴染みの「あの人」へと名づけられたのです。記憶に残らない大勢の中の一人ではなく「あの人」へ。私の今までの人生で誇らしい呼び名の一つです。まさしくYさんは、その後きみさんちで働いていく私のゴッドマザー(名付け親)になったのです。
さて、4月は出会いのシーズンでもあります。出会ったクラスメートからの呼び名が、○○さん○○くんから、呼び捨てやあだ名へ変わっていった瞬間。こそばゆいものがありましたね。先輩や上司、意中の人に自分の名が呼ばれる瞬間、どれだけのルーキーが心穏やかならぬ緊張を感じているでしょうか?
そういや、親兄弟以外に“浩二(さん)”などとずいぶん長いこと呼ばれてないなぁと、心の春は名のみの寒さです。

00:29 | Posted by admin

【人は年齢によらず】 堀内

2012年04月23日 | きみさんち

回ってきました。どっこいしょ。自分文章を書くのが苦手な私は原稿をかくのに二週間ほど考えます!
今回はきみさんちでの一コマを書こうと思います。
突然ですが、前月2月26日は何の日だったでしょうか??
答えは…『国際マラソン大会』
いつも通り朝ごはんを入居者さんと食べていたときの話をしたいと思います。
TVをつけると国際マラソン大会スタートするときでした。入居者さんみんなテンションが上がりっぱなし!
この日だけは朝食食べ終えるまで二時間ほどかかりました~。熱中具合がお分かりいただけますかね(笑)

さて。スタッフも交え大盛り上がりしているところで、ふと90歳をこえるお婆ちゃんOさんがとった行動とは何でしょうか??

1、同年代のマラソン大会をやっていないか情報を集めようとする
2、新聞を読んで何キロメートル走るか調べる
3、自分も応募しようと現地に向かう準備をする

答えは……

一番でしたっ!
私自身ビックリしました(笑)
走りたいだろ?!って聞かれた私はOさんの応援で十分だよって伝えると『お前は若いのに私よりバァサンだな!』って笑われてしまいました。

たしかに、何かと二人で体力勝負するけど敗けることも多い私。前に椅子から立って座ってを一分間にどれどけ出来るかを勝負したら、まさかのOさんが圧勝でした。
Oさんの体力年齢→40代
堀内→60代

おかげで今年の目標が出来たから感謝!けど…やっぱりくやしい~(笑)
おしまいっ。

00:29 | Posted by admin

【カインとアベル】 堀

2012年03月23日 | きみさんち

ミニケアホームきみさんち堀でございます。
3回目の執筆。入社と同時に書いたので、半年サイクルで1年!!!!
先輩方、入居者のみなさま、なんにも出来なかった私をここまでにして下さってありがとうございます。
ここまでって、どこまで?1年なんて まだまだで、やっとスタートラインに立った気もしています。
ところで、私は心理学や、心理臨床を学んでいます。今日は それについて書きたいなと思います。
きみさんちにやって来る前から開始していた勉強で、ここに来てから更に私にとって大切だと思う事になりました。入社時「グループホームはこころとこころの向き合う場所」と思ってやって来た私には、もともと繋がりを感じるものだったのですが、しかし、職場の皆さんをみていると「ヘルパー2級」の方、「介護福祉士」の方。「もしかして関係ない?」とハラハラと焦ったりしながらも、やっぱりちゃんと貫いてみようと思い、学習を続けています。
その中から、ひとつだけ紹介させて頂いても良いでしょうか。
~愛情の偏り カインとアベル~について。
カインとアベルは兄弟でアダムとイブの子供だそうです。神が弟アベルをひいきした事によって、兄カインが弟アベルに危害を与えてしまうんです。
神とカインの関係は親と子の家庭環境。また どこにでもある職場環境。
普遍的にどこにでも現れ得る人間関係としてみていく訳なんですが…何故ひいきが起こったのか。
それは、一つの理由として自分の中にある自分では認めたくない部分を持って生まれて来た子供を、受け入れ難い事があるそうです。それは 親子関係に限らず、どんな人間関係にも必ず現れ得るもので、簡単に言うと「合う、合わない。」と同じだと思います。
心理臨床では、大きな柱のひとつとして「無条件の肯定」と言うものがあります。まず、目の前に居る相手に無条件の肯定を向けるんです。そこからすべてが始まる訳です。
心理臨床や心理学の学習は、そこへすべて繋がっているのだと私は思います。
カインとアベルにしても、その背景を知る。また愛情の偏りについても人間に普遍的なものである事を認識していたなら誰を責める事もなく状況を認知する事で「無条件の肯定」に近づく。
それはきっとどんな人間関係にも繋がっていると思うんです。家庭内の人間関係、職場内の人間関係、それからグループホームの入居者のみなさんとも。
たぶん私は、知らないものは疑うし、分からないものは許容しないかもしれない。
でも、ここは未知の世界。どんな事が起こるか、想定はしても、経験の浅い私にはやはり未知の事が起こり得る世界。そんな時「無条件の肯定」と言う姿勢があったなら、かなり私を助けてくれる唯一のものであると思います。
今回のお話はユング心理学と言う枠の中のひとつです。
これからも、入居者のみなさんのこころを大切にする為にも、自身の為にも もっと学習をしようと思います。
誰かを大切にするには、自分や誰かを知ること。なにが好きなのか、何を大切にしているのか、何を見ているのか、なにを見てきたのか。もっともっと見つめて、もっともっと知っていきます。
大切なものを大切にできるように。(長くなって申し訳ございません)

00:28 | Posted by admin

【病気】 石川

2012年02月23日 | きみさんち

ずっと体調が悪く生まれて28年間、謎の胃の痛みに苦しめられてきました。赤ん坊の時もおかあさんの乳さえ拒否したらしいです。
覚えていないですが多分胃が痛かったんだと思います。朝、昼、晩とご飯を食べた後に、胃が焼けるように痛かったのでおかしいとは思っていたのですが、痛い時は物凄く痛い、そんなでもないなとゆう時もあり波が凄くありました。
ちょっと昔に戻るのですが、トヨタの工場で仕事をしていていました。その半年後に23歳の時、突然物凄い痛みで入院して、入院先で胃カメラを飲み先生に何か赤くなってるねと聞いてストレス性胃炎と診断されました。
この胃の痛みと付き合ってきて、自分なりに痛みが和らぐ方法が風呂に入る事だったので、夜間入院先のベッドであまりの痛みで点滴をつけながら、大部屋の横にシングルの個室があって風呂もついていたので夜間あまりに痛いので我慢できず、点滴をつけたまま風呂に入りにいきました。シャワーを浴びていたら、コンコンとノックの音がして夜勤の看護婦さんにビックリされた事があります。いい思い出です。
ずっと胃の痛みと付き合って生活していたので、まあこのまま大丈夫と普通に生活していたのですが、嫁に激怒され私の作ったものをいつも残すあんたの胃はどうなっているんだと怒鳴られ、何処かに食べに行っても残す私が何であんたの胃の心配までしないといけないんだと、病院に行けと去年行って来ました。
病院に行き胃カメラを鼻から入れてなんだかんだで病名が分かりました。ピロリ菌でした。
薬を一週間続けて飲んだらとんとん拍子に胃の痛みが消え食べ過ぎて逆流性食道炎になったり途中しましたが、治りました。
原因は井戸水とか消毒されていない水に菌がいて抵抗力がない1歳~6歳くらいまでの間に感染するようです。おばあちゃん家の井戸水からだと思います。胃が治ったので良い年になればいいなっと思います。改めまして明けましておめでとうございます。

00:27 | Posted by admin

【自分の最期を考える】 松林

2012年01月23日 | きみさんち

重いテーマである。
でも、しかし、頭を過る事、これ少なからず。
今夏、入居者のKさんが病院で亡くなり、それからふとした瞬間に考えたりしている。
生とはなにか、死ぬという事とはどんな事なのか。
現在、精一杯生きている入居者さんと日々を過ごし、自分も生命を感じさせてもらっている。自分には勿体ないほどの素晴らしい職場である。
そして、自宅に帰ると、これまた年老いた友人が迎えてくれる。
人間の年齢で言えば60歳をとうに超えた、吾輩とは決して言わない、猫である。
こいつの方が明らかに先にあの世行きなんだなと、時々悲しく思う事がある。
そうなった時、自分はどうして生きて行けば良いのか。。。
生まれて直ぐにもらい受けたので、私を本当に頼って生きている奴である。
帰ると迎えに来るのは当たり前で、寒い日には帰るなり、早くストーブを点けろとせがんで来る。
そのくせ、出掛ける時は、見送りはしてくれない。
今日は夜勤だと告げると、悲しそうな声で鳴く。
今日はサブだから早く帰れるよと言うと、本当かと疑って鳴く。
私の宝物、めちゃ。
捨てられた子猫を見つけた友人達から、何度もめちゃと一緒に飼って欲しいと連絡を受けるが、毎回、丁重にお断りしている。その理由はめちゃを全うしたいからである。
めちゃ以外の何者かが家に入ってくると、めちゃにどんな影響があるのか。
それはそれで興味はあるが、他の者に少しでも心を寄せてしまうであろう自分をシャットアウトしたいのである。
そんな思いから、私は、このめちゃを全うするまで健康である事を願う。
私の最期は、めちゃの最期を見送った後にやってくる事を強く願う。
Kさんの生活を思い出すと、本当にKさんらしい日常を過ごされたなと思う。
入院直前まで、大好きなタバコを吸いに商店街まで出掛けていたし、Kさんならではの冗談も聞かせてくれていた。
めちゃとKさんを繋げる訳ではないが、生命を全うしたKさんに見習い、私はめちゃを全うして、それから自分の最期を考えてみようと思う。
タイトルから遠く離れてしまったが、、、もっと重い話はもう少し置いておいて、生きる事を考えて行こうと思い直した次第である。

00:26 | Posted by admin

【紙一重な出来事】 田中

2011年12月23日 | きみさんち

この号が出る頃にはもう暮れが押し迫った12月末でしょうか?(この原稿は11月に書いています。)皆さんお身体お変わりなくお過ごしですか?
何を書こうか順番が回って来る度に頭を悩ませてしまうのですが、今回はつい最近田中に起った笑える出来事をお話したいと思います。
一昔前(今もそうだとは思いますが・・・)電車やバスの窓際広告に「お年よりは大切にしましょう」とか「お年寄りや身体の不自由な方に席をお譲りください」と必要以上に書かれていた時がありました。今ではお年寄りを大切に・席を譲るなんて極当たり前の事と皆さん認識されていると思います。
ですが、つい先日電車に乗り座って本を読んでいたところ、目の前にシルバーカーを押し明らかに「お年寄り」と見られる方が来たので席を譲ろうと「どうぞ」と声をかけ立ち上がろうとすると、「けっこうです。私はそんな歳ではございませんので」と断り、キッと私を睨みつけてきた人がいたのです。
10代の頃の私であれば「人の親切をむにして・・・何て婆さんだ」と思っていたに違いありませんが、きみさんちで働くようになってからと言うもの、言われた・おこった出来事を何故か分析してしまう変な癖がつきました。以下上記事柄を簡単に分析してみました。
怒った理由:年寄りと見られたくない。気持ちはお姉さんなのに・・・なんで?
足腰丈夫なのに何で座れというの?
私はまだ若いのよ見た目で判断しないで頂戴!!!
これは私の憶測ですが、親切心がかえって相手の自尊心を傷つけてしまい、結果私を睨みつけると言う行為に繋がってしまったのではないかと考え、「失礼しました」と一言謝りうつむき、再度本を読もうとした時の周りの視線の痛いこと痛いこと・・・
直に下りる駅に着き私は下車しましたが、睨んだ彼女は何処へ行くのやら。でもなんて逞しいお年寄りなんだろうと思ったのも事実。
親切と不親切は紙一重!!皆さんも気をつけてくださいね。

00:25 | Posted by admin

【赤い花が揺れて】 志寒

2011年11月23日 | きみさんち

この原稿を書いている今は金木犀が盛り。甘い香りが街中に溢れています。折々の花は本当に心を和ませてくれますね。
きみさんちの皆さんも花がとてもお好きで、毎日の買い物でもしげしげと愛でておられます。
ご近所にも植物を丹精込めて育てられているお宅が多く、前もって季節の花が盛りのお宅に目を付けて、外出を手伝っている時に「あちらを通ってみませんか?」などとお誘いするときがあります。
そうしてそのお宅の前を『気づいてくださるかな?』と思いながら通りかかると、たいていは目を留めて下さいますが、私の思いを裏切り(?)私が目を付けた花よりも、小さな小さな雑草のような花に興味を示されて、その意外性がまた嬉しかったりします。
ああ、雑草という植物は無いと叱られそうですね。
そうして一緒に花を眺めていると、今夏にお亡くなりになったKさんが、この花を見たら何ておっしゃるだろうという思いがよぎります。
Kさんもとても花がお好きな方でした。夏にはよく、きみさんちの前のサルスベリ並木の赤い花を「同じ赤でも色が少しずつ違うんだよ」と見上げておられました。
夏空の似合う威勢のいいあの赤い花は、いかにもKさんご本人のようです。調べましたらサルスベリの花言葉は「雄弁、愛敬、活動、世話好き」。いやはやなんともピッタリな花ですね。Kさんも旅立たれ、サルスベリも赤い絨毯のように花を散らせ、夏が往きました。ですが、サルスベリの花が咲くたびに、飽くことなく花を見上げるKさんが私の目に浮かぶことでしょう。
私だけではなく、あの光景は夏が来るたび、きっと誰かが思い出すでしょう。
生きものは死を迎えても、誰かの記憶に生き続けることで永年の命を得ると言いますが、個人の具象の記憶を越えて、繰り返す花のように、街の光景の一つとして生き続ける。そんな生き方もあるのかなと思います。
さて、車いすの方と一緒に道ばたに180cmの大男がしゃがみ込んでいるこの光景。誰かがいつか思い返してくれるでしょうか?

00:24 | Posted by admin