「○○さんの幻覚や幻聴って、実は、本当に見えていたり聞こえていたりしないんでしょうか?」
一緒に働いている派遣社員さんからの質問でした。
入居者○○さんの生活記録には、
「あの人に連れて行かれそうになった」と、誰もいない廊下を指差している。
というものや、
「女の人の声で待っててと言われたから」と、階段途中で立ち止まっている。
というものがあって、それを読んでの疑問だったらしいのです。
「それは本人にしか分からないですね」と答えるしかありませんでした。
しかし、私は超常現象否定派ではないので、「でも、我々が見えたり聞こえたりしないから幻覚や幻聴だと片付けてしまうのも一方的な気もしますよね」と続けました。
すると「そうなんですよね、僕には霊感は無いんですが、知り合いにはそういうのを感じる人が居るんですよ。だから、○○さんも幻覚じゃない可能性もありますよね」と、派遣社員さん。
なので、「もしもそんな能力が私達に備わっていたら、幻覚かそうでないか分かりますし、その対処法も変わってくるかもしれないですね。少し羨ましいですね」と、その話題を終わらせました。
終わらせたのですが、何か釈然としないものが胸に残った状態になりました。
そして、後日、「あそこに猫が居るけど何処から来たのかな」と、スタッフルームの方を指差す入居者○○さん。
「何処からですかね?近所に住み着いている野良ちゃんかな。玄関開けておけば出て行くかな」と、席を立って玄関のドアを開けると「あ~、出てった出てった。可愛かったな」と見えない猫を見送る入居者○○さん。
その瞬間、先の釈然としない思いがどうしてなのかが分かった気がしました。
我々介護職は、入居者さんの言動を全面的に否定する事は、基本的にしません。
何故なら、入居者さんにとっての言動は、殆どが現実だから、それを否定するという事は、入居者さん自体を否定する事になるからです。(※)
だから、幻覚や幻聴の言動には、本当に見えたり聞こえていたりしていると考えて対応するものであり、今までもそうしてきたつもりです。
だから、我々に特別な能力が備わっていてもいなくても、対処法は変わらない筈なのです。
だから、特別な能力を羨ましいと思うのは、ナンセンスな表現だったのです。
釈然としなかった思いが腑に落ちた感覚でした。
めでたし、めでたし。
いやいや、本当にそうでしょうか?
もうひとつ、釈然としない思いがありました。
誰も居ない筈の廊下に人が立っていたら?
階段の途中で女の人の声が聞こえたら?
そんな能力が備わっていたとしたら、対処の仕方が変わるどころか、対処すら出来ずに、一目散に逃げちゃうかもしれないですね。
(※)他にも入居者さんが居る場合は、対応が変わる場合があります。