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【3年目のきみさんち】  きみさんち 田中

2022年07月31日 | きみさんち

コロナ感染が流行し、緊急事態宣言が発令され、3年目に入りやっと解除された物の、また、増加の一途を辿っている状態です。
マスク着用も義務づけられているわけではありませんが、取るのが怖いと言った現状が続き、遠くに外出したり、楽しみのため外に出て行く機会が減少しています。
それでも、外気に触れることは精神的にも身体的にも必要であり、また歩行能力の維持にも必要不可欠になってきています。
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幸いきみさんちでは感染する人こそ出てはいませんが、この3年と言う外出ブランクが持てる力を発揮するにはとても困難な状況になっており、以前にも増し見守りが必要となってきている現状があります。
それでも、利用者さんの笑顔と笑い声を聞くたびに、今皆さんが持っている力、そしてその笑顔を見守りつつ日々生活を皆さんと共に過ごしています。
この3年間で、3名の方がご退去され、7月現在1名新しくご入居され、また下旬にはもう1名ご入居を予定している方がいらっしゃいます。
どちらの方も、きみさんちの生活が始まり本当に良かったと思って頂ける様、コロナと言う病に負けないような環境を整えていけたらと思っています。

10:55 | Posted by kimisanchi

【どくだみに誘われて】  きみさんち 志寒

2022年06月30日 | きみさんち

ファイル 615-1.jpegこの二年間、コロナ禍のため、ご入居者さんに買い物を控えていただいていました。その代わりに、じっくりとスーパーのチラシを見ながらあれこれと頭を悩ませ、ご自分で買い物内容を決める『買い物会議』を丁寧に行っています。チラシの特売品からも季節を感じておられ「らっきょうが出てるよ」「枇杷がきれいだね」と、お話も盛り上がります。
その買い物会議中、Tさんが「じゃあ行かなきゃ」「バスのところに」と慌て始めました。どうやら、帰らなきゃいけないという気持ちに切り替わったようです。
おそらく『買い物=お金を使う=私はお金がない=ここにいられない』とつながってしまったのかもしれません。不安そうに立ち上がったTさん。敢えて誤解であることを説得しようとせず、様子を見ていると外に出られました。
外に出たところでどう行っていいものやら戸惑っておられましたが、神社の境内にある枇杷が見事に実をつけているのに気が付いたようです。枇杷の方に歩み寄り、鮮やかなたわわな実を眺めています。そしてなにやら境内に手を伸ばしはじめました。枇杷を拾っているのかと思いきや、手には白い花がついたどくだみが。
そして摘んだどくだみを自分の杖に飾っていきます。
しばらく後、帰らなきゃという気持ちは、『手が臭い』という気持ちにすり替わり、手の匂いを嗅いで「臭い!」と笑顔になられたTさん。少し外に居たいという気持ちになられたのか、ベンチでしばし日光浴。その気持ちが続いたまま、マスクをつけて買い物に行かれました。
外に出ることの良い影響を、改めて感じました。

10:36 | Posted by kimisanchi

【これからとこれまでの色んなこと】  きみさんち 松林

2022年05月31日 | きみさんち

息子が2歳半を過ぎて、色んな事が出来る様になり、面白い時期になっている様に思います。
泣く時に自分の欲求を訴える様になりました。
歌が歌える様になりなりましたが、何故か『赤とんぼ』の3番と4番を歌っています。
勝手にテレビを点けて、YouTubuを観ています。
こうしてどんどん成長して、学校に通う様になり、友達が出来たり、気になる女の子が出来たり、勉強に頭を悩ませたり、音楽や映画など興味のあるものが増えたりと、世界が広がって行き、自分の人生を築いて行くのでしょうね。
そんな、これからの息子の人生に於ける出来事を、これまでの私自身の人生の出来事に重ね合わせて想像すると、それは、途轍もなく長い年月なんだと思います。
私には過ぎてしまった年月ですが、息子にとってはこれからの年月。どんな未来が待っているのでしょうか?ワクワクしながら生きていって欲しいと思います。
息子への希望が多く、忘れてしまいそうになりましたが、勿論、私にもこれからの人生が待っています。
仕事はどうなっているのか、定年まで続くのか、定年後は何をやっているのか、趣味は増えているのか、友人は生きているのか、、、。
息子のこれからに比べると輝きが全くありませんが、きみさんちの入居者さん達を見て思う事は、80代や90代の皆さんにも、それぞれの輝かしいこれまでが確かにあったのだろうという事です。
今ではきみさんちで生活をされていますが、思い出話の時に見せてくれる誇らしげな笑顔や張りのある声に触れると、これまで逞しく生きて来られたんだなと感じて、私のこれからにも希望が湧いてくる気がします。
そして、入居者さん達は、まだまだ続く人生のこれからを、きみさんちで逞しく過ごしていらっしゃいます。
そんな先輩達の様な長い長いこれからになるかどうかは分かりませんが、今という時間をしっかり見据えて、私のこれからと家族のこれからを、精一杯生きていこうと思います。

10:35 | Posted by kimisanchi

【憂い、今後の行く末】  きみさんち 田中

2022年04月30日 | きみさんち

そういえば遠出してないなー…!!
ある時の夜勤で、きみさんちのアルバムを眺めふと思った。
コロナ前のきみさんちでは毎年のように皆でどこかに出かけていた。
精進湖湖畔の宿へ1泊旅行。秩父までぶどう狩り。横浜に出向き中華街でお食事等々・・・。
コロナの波に抗えず、自粛自粛の2年間、そして今年で3年目である。
巷で流れるニュースも暗い話題が多い中、唯一ホッとさせてくれるのが春の便り、桜の話題が出てくれた事か。
この原稿をかいている時はまだ4月だと言うのに、もうすでに台風1号が日本の横を通過、小笠原諸島を直撃している。
きみさんちの皆さんはこの3年間で大きく体調を崩す人もおらず元気なのだが、なにせこのご時世、バスに乗ったり電車に乗り遠出をすることが難しい。
皆さんの元気が空回りしているように見えてしまう。
何とかしないと…と思ってみても外は雨だったりして手付かずの花壇に雑草が生い茂っている。
地球の今後はどうなって行くのだろう。コロナは休息に向かうのだろうか?
憂いていても仕方ないので、出来る事をこつこつときみさんちの皆さんと一緒に模索しようと思う今日この頃なのです。

10:30 | Posted by kimisanchi

【芽吹きのとき】 きみさんち 志寒

2022年03月31日 | きみさんち

「え~、できないよぉ」とTさんは仰います。しかし、台所まで来ていただき、実際にごぼうと包丁を手にとってもらうと、自然に包丁の背で皮をこそげ始めました。身体で覚えた動作は認知症が進行しても覚えていることが多いと言われています。料理はその代表的なものです。ですが、やり通せるか自信が無かったり、作業を頭の中で構成することが難しかったり、調理をスタートする踏ん切りがつかなかったりと、尻込みして動けなくなってしまうこともしばしば。そんな時にはどんな言葉を掛けるよりも、食材を手に取り、具体的な手がかりを感じてもらうのが良いきっかけになることが多いようです。
ファイル 605-1.jpg特に、ごぼうは皮をこそげた後ささがきにする、じゃが芋は洗うと皮をむき芽を取る、キュウリは小口切りにして塩で揉むなど、食材によって特有のお馴染みの動作が呼び起こされることがあります。そうして呼び起こされた動作の流れは止まることなく、ごぼうのささがきなら金平ごぼうに、キュウリの塩もみなら酢の物にと、少しのヒントと手助けで完成までたどり着いたときの、入居者さんの晴れ晴れとした表情にこちらも笑顔を誘われます。
ちょっとしたきっかけを手がかりに、次々と巧みな手作業が引き出されていく。それはまるで春先の芽生えから枝葉や花が生まれていく、そんな瞬間です。

09:04 | Posted by kimisanchi

【ザッピング】 きみさんち 松林

2022年02月28日 | きみさんち

『昨日は良いお天気でしたが、今日はどうでしょう。それでは、各地の天気予報を伝えてもらいましょう』
きみさんちの居間にあるテレビは、スタッフルームに背中を向けているため、そこで事務作業をしてると、映像は見えずに音声のみ聞こえてきます。
どうやら、居眠りから覚めたMさんが、リモコンを使ってテレビの電源を入れたようです。
『西日本は概ね晴れますが、東日本は、、、』 『、、、んな目にあっても僕はあの人が、、、』 『、、、クリームがこんなに乗って、美味しそうな、、、』 『ザーーーーー』
観たい番組が決まらずに、チャンネルを変えているようですが、スタッフルームには中途半端な音声情報しか聞こえて来ないため、気になって気になって、デスクワークに集中できません。
関東地方の天気は?ドラマなのかな、あの人が何?クリーム沢山の美味しそうな物は何?修行が足りないのは自覚していますが、そればかりでは無いと思います。
最後の『ザーーーーー』は、未登録のチャンネルか入力切替ボタンを押したみたいです。
そして、『ザーーーーー』が暫く続くと、「すみません、テレビがおかしくなっちゃったみたいよ」と、助けを求められます。
それを期に、さっきまでの途中番組を探してみますが、時既に遅く、天気予報はニュースに変わり、気になるあの人はCMに変わり、美味しそうな何やらは露天風呂に変わっていました。
「映るようになりましたよ。お好きな番組を観て下さい」リモコンを手渡すと「ありがとう」と言って、再度、チャンネルのザッピングをされています。
お気に入りの番組が無かった様で、暫くすると、リモコンでテレビの電源を切って、テーブルに額を付けて寝てしまいました。
そっとしておきますか、と思ったのと同時に、リモコンを使いこなしている事に、少々の驚きを感じたのです。
今となっては、日常の当たり前の行動ですが、高齢の入居者さんにもリモコンの操作というものが浸透しているん
だなぁと思いながら、ブラウン管じゃないから、ダイヤル式のチャンネルが無いから、アンテナが無いから、テレビ
じゃないなんていう認識は、もう無いんだなぁと、今更ながら気付いたのです。
テレビがリモコンで操作出来る様になって随分経ちますから、当たり前と言えばそうなんですけど、テレビの普及率と順応性の高さに改めて感心させられました。
何故なら、私は、時々言ってしまう一言があります。
「チャンネル回してよ」って。

08:58 | Posted by kimisanchi

【季節の節目を皆さんと】  きみさんち 田中

2022年01月31日 | きみさんち

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新年、明けましておめでとうございます。
寒さも一段と厳しくなりましたが、皆さんお元気でしょうか??
きみさんちでは毎年恒例のおせち料理を食べながら駅伝を楽しみ、普段と変わらぬお正月を迎えることができました。
お正月といえば、こたつに潜りみかんを食べながら届いた年賀状を振り分け手渡すというのが田中家では定番の1日の過ごし方でした。
きみさんちの皆さんはどうでしょう?
駅伝を見ながらご飯の準備はまだかしらと心配するMさん。歌詞本を片手に歌を歌っているAさん。お部屋で過ごされたKさんOさん。正月だというのに台所仕事に勤しむTさん。
5人5色、色々な過し方をされております。
ご飯はと言うとやっぱりおせち料理。年末から皆さんと何が食べたいか、おせち料理は何をいれるか考え材料を購入。手作りできる物は作り食べています。
おせち料理人気NO1は栗きんとん・黒豆といった甘いもの。これは皆さんお好きなようで、目前に出されると一番最初に食べて無くなってしまいます。
後は食べやすいものであるかどうか皆さんの食べ具合をスタッフが見極めながらお出しします。そう言えば、食の細いMさんも味付けがいつもと違うためかあまり残している様子がなかったなぁ!などと思いつつ、2022年の幕が明けたきみさんちでありました。
皆様本年もよろしくお願いいたします。

11:18 | Posted by kimisanchi

【心をこめた贈り物】  きみさんち 志寒

2021年12月31日 | きみさんち

緊急事態宣言の間、外出されない入居者さんをご近所の皆さんが気に掛けて下さり、このところ果物や野菜などを頂くことが幾度かありました。まことにありがとうございます。
先日、国産のキウィを『よく熟れてから食べてください』と頂きました。食器棚に置いて熟すのを待っていたのです
が、Aさんがそのキウィを見つけて持ってきました。慣れた手つきでスルスルと皮を剥くと、一切れ食べて「まだ酸っぱいわね」と。そして、残りの分をBさんに「これ良かったら。まだ酸っぱいんだけどね」と渡されました。その手渡されたキウィを一口食べて、Bさんも「酸っぱいねぇ」と笑顔。
しばらくして、再びAさんがキウィを持ってきました。先ほどのことは忘れたのでしょう。また皮を剥き「酸っぱいね」と。そして再びBさんに残りを手渡そうとしたところ、Bさんは先ほどの事を覚えておられたのでしょう。「まだあるから!」と皿に残るキウィを指し示しました。それでもAさんは「遠慮しないで」と皿に追加。
このように物を交換したり、やり取りしたりするのは、人類の本質的な行為であると聞いたことがあります。Aさんとて空腹であるといったわけではなく、自分の見つけた収穫を分かち合いたいという気持ちなのだと思います。とても心和むやりとりです。キウィが極めて酸っぱいのをのぞけば。
そう思いながら眺めていると、なんとAさんがまたキウィを剥いています。しかも今度は二つ同時に。それを見てBさんが目を見開いています。そしてAさんが皮を剥き終わりBさんの方を見るや否や、Bさんはなんと「あ!あのお兄さんにもあげましょうよ!」と私の方を指し示しました。今度は私がピンチです。するとAさん、ナイスプレイ!「たくさんあったのよ、あの人の分もあるから、まずはあなたから」とBさんの皿に再び追加しました。
その隙に私はこっそり残りのキウィを隠します。「甘い紅茶でもいかがですか?」とお口直しをおすすめしながら。ごゆるりとお楽しみ下さい。

10:49 | Posted by kimisanchi

【幻覚と介護職】  きみさんち 松林

2021年11月30日 | きみさんち

「○○さんの幻覚や幻聴って、実は、本当に見えていたり聞こえていたりしないんでしょうか?」
一緒に働いている派遣社員さんからの質問でした。

入居者○○さんの生活記録には、
「あの人に連れて行かれそうになった」と、誰もいない廊下を指差している。
というものや、
「女の人の声で待っててと言われたから」と、階段途中で立ち止まっている。
というものがあって、それを読んでの疑問だったらしいのです。

「それは本人にしか分からないですね」と答えるしかありませんでした。
しかし、私は超常現象否定派ではないので、「でも、我々が見えたり聞こえたりしないから幻覚や幻聴だと片付けてしまうのも一方的な気もしますよね」と続けました。
すると「そうなんですよね、僕には霊感は無いんですが、知り合いにはそういうのを感じる人が居るんですよ。だから、○○さんも幻覚じゃない可能性もありますよね」と、派遣社員さん。
なので、「もしもそんな能力が私達に備わっていたら、幻覚かそうでないか分かりますし、その対処法も変わってくるかもしれないですね。少し羨ましいですね」と、その話題を終わらせました。
終わらせたのですが、何か釈然としないものが胸に残った状態になりました。

そして、後日、「あそこに猫が居るけど何処から来たのかな」と、スタッフルームの方を指差す入居者○○さん。
「何処からですかね?近所に住み着いている野良ちゃんかな。玄関開けておけば出て行くかな」と、席を立って玄関のドアを開けると「あ~、出てった出てった。可愛かったな」と見えない猫を見送る入居者○○さん。

その瞬間、先の釈然としない思いがどうしてなのかが分かった気がしました。

我々介護職は、入居者さんの言動を全面的に否定する事は、基本的にしません。
何故なら、入居者さんにとっての言動は、殆どが現実だから、それを否定するという事は、入居者さん自体を否定する事になるからです。(※)

だから、幻覚や幻聴の言動には、本当に見えたり聞こえていたりしていると考えて対応するものであり、今までもそうしてきたつもりです。
だから、我々に特別な能力が備わっていてもいなくても、対処法は変わらない筈なのです。
だから、特別な能力を羨ましいと思うのは、ナンセンスな表現だったのです。
釈然としなかった思いが腑に落ちた感覚でした。
めでたし、めでたし。

いやいや、本当にそうでしょうか?
もうひとつ、釈然としない思いがありました。
誰も居ない筈の廊下に人が立っていたら?
階段の途中で女の人の声が聞こえたら?
そんな能力が備わっていたとしたら、対処の仕方が変わるどころか、対処すら出来ずに、一目散に逃げちゃうかもしれないですね。

(※)他にも入居者さんが居る場合は、対応が変わる場合があります。

08:49 | Posted by kimisanchi

【1世紀生きている高齢者のつぶやき】  きみさんち 田中

2021年10月31日 | きみさんち

うちの祖母が一言。
「長生きってするもんじゃないね」
どうしてと聞くと淋しいじゃないかと神妙な面持ちで話してくる。
兄弟(姉妹)も娘も皆いなくなっちゃうじゃない、淋しいと。
今はどうなのと聞き返すと「・・・・・」言葉に詰まる。
デイケアに今現在通っているが、そのとても仲が良かった人がつい最近お亡くなりになったらしい。そんな事も落ち込みの原因なのじゃないかと思う。
全国ひきこもり状態が続いていたため、外での状況が全く掴めず、ふと気がつくと周りにいた自分より歳が低い親友が次々といなくなり、孤独感で一杯、と言うよりも自分だけ取り残された感が強いように感じる。
巷では、独居老人の孤独死などが問題視されているが、一人でなくとも、家族がいたとしても歳をとると淋しい思いをするものなんだなと思いました。
今まで出来ていた事が出来なくなる不安。人の手を借りてまで何かをしなくてはいけない自分、かえって足手まといなんじゃ・・・と言う不安。
不安だらけの中生活していたらやはりそう思うしかなくなってしまうのだろう。
大正・昭和・平成・令和と生き抜いている人の「長生きってするもんじゃないね」と言う言葉の重み。今現在きみさんちで新しくご入居されたMさんの
「ここに来てあなたに会えてよかった。だって一人は淋しいんだもの」と言う言葉と重ねるとこの文章を綴っている自分でさえ心に刺さるものがある。
長生きが良いのか悪いのか私には分からない。心理学者でもなければ医者でもない。
何が今の祖母にとって良いのか悪いのか、きみさんちの理念を参考に考えていきたいと思う。

12:08 | Posted by kimisanchi

【大根のリレー】  きみさんち 志寒

2021年10月10日 | きみさんち

ファイル 578-1.jpeg「さあて、油炒めにしようかね」大根を野菜室から取り出し、Kさんが張り切っておられます。醤油と砂糖でこってりと味付けをした大根の油炒めは、Kさんの得意料理でもあり、大好物です。油炒めにするときには皮を剥かないのがKさん流。そして包丁を持ち「このまま千六本に切るんだよ」と。恥ずかしながらあまり千六本という言葉が耳慣れなかった私。気になったのは千六本ってなんだろうということ。「Kさん、千六本って何で言うんだろうね?」「さぁ、昔から言うんだよ」「千切りってあるじゃない。じゃあ、あとの六本はどこから来たんだろう?」と私。「よけいな六本、食べちゃえば良いんだよ」とKさん。
さて、その語源を調べると千六本は“繊蘿蔔(せんろふ)”であり、中国から渡ってきた言葉とのこと。繊は繊維に沿って細く切る調理法。蘿蔔とは大根のことを指すそうです。つまり、千六本(繊蘿蔔)は細く切った大根そのもの。それがいつの間にか、繊維に沿った細切りをそう呼ぶようになったようです。大根の栽培種は中央アジア原産。その大根が世界中に広まる中で中国に渡り、奈良時代に日本に入ってきたらしいのですが、きっとその中で繊維に沿った細切りは歯ごたえもあっておいしいとなり、繊蘿蔔という大根専用の言葉ができ、それを現代の日本のおばあちゃん、Kさんが「千六本にすると美味しいよ!」と話している。
とても厳かのような、不思議なような気分になります。
千六本が耳慣れなかった私、中央アジア~中国~奈良時代の日本~そしてKさん。
こうして大根の伝統がリレーされました。そういえば、ここは練馬大根で有名な土地。そのリレーは運命だったのでしょうか。

06:20 | Posted by kimisanchi

【生きる力】  きみさんち 松林

2021年09月23日 | きみさんち

夏休みが終わると、自ら命を絶つ少年少女が増えると聞きます。
とても切ない話です。
ましてや、コロナ禍の現在、生活に行き詰まってしまい、その道を選ぶ人も増えているという話も聞こえてきます。
そんな話を聞くと、途轍もなくやるせない気持ちになってしまいます。
そんな選択肢を選ぶ前に、何とかならなかったのだろうかと。
きっと、何とかなった筈だと思いたいですが、選択肢という言葉すらも見えなくなっていたのだろうと想像するしかありません。
父親となった現在、この事を考えると、胸が張り裂ける思いです。
そんな思いを抱きながらきみさんちに出勤すると、入居者さんのいつもと変わらぬ姿にほっとさせられます。
一生懸命何十年も生きてきたけれど、これからも変わらずに生きて行きますよと、言っているかのような皆さんです。
折りしも、これを書いているのは、終戦の日です。
戦後を生き抜いた方達には、“何とか生きていくしかない”という選択肢しかなかった様で、94歳から82歳まで
の入居者の皆さん、とてもお元気で生活されています。
ベッド上での生活が主になってしまった入居者さん、食事が殆ど摂れずに栄養補助食品が主食になってしまった入居者さん、歩行が困難になり外出が難しくなった入居者さん。皆さんそれぞれの活気を感じます。
その活気から、生きる力を頂いている様に感じています。

09:37 | Posted by kimisanchi

【疑問に思うこと】きみさんち 田中

2021年08月30日 | きみさんち

今回のコロナの件で一つ疑問に思うことがありました。
それは、発熱者のタクシー乗車拒否。
お一人、原因不明の発熱に見舞われ、検査をしたいから連れて来て欲しいという医師からの指示で、通院のため介護タクシーの予約を入れようと電話したところ、発熱が・・・と言うと、ことごとく断られてしまい、1時間ほどして、
ようやく見つかったタクシー会社にお願いしたという経緯がきみさんちでは有りました。
タクシーの予約係の方も、親切にここに掛ければ見つかるかもしれないと言われ、言われた所に掛けると同じく、発熱がある方はお断りさせて頂いていますとの返答が帰ってくるのです。
もちろん、タクシー会社のスタッフさんの身の安全を考えての事だという事は重々承知はしておりますが、この時勢だからこそ需要は大きくあるはずなのになぜこんなに断られるのだろうという疑問がついてまわりました。
使いたいのに使えない今の状況が早くなくなりますように・・・!

22:20 | Posted by kimisanchi

【この2年間】  きみさんち 田中

2021年08月30日 | きみさんち

コロナの脅威も一進一退を続けるばかりで一向に改善される気配もありません。
この号が皆さんの手元に届く頃にはオリンピックも終了している事と思いますが、無観客で行うスポーツの祭典に何の意味があるんだろうと思いながら、日々増加する感染者人数をニュースや速報で見ています。
巷では、ワクチン接種を終え、一息ついている方々がいらっしゃるとは思いますが、ワクチンを打ったから100%安全ではない、感染する確率が減るだけで、現にワクチンを打った方に陽性反応が出たとの事例もでていると、往診の医師から報告を受けました。
この我慢がいったいいつまで続くのか、現在2年目の夏に突入し、改めて思うことは、日々の何気ない生活が如何に幸せであるか。本当に不便な今の世の中で、散歩に出かけたり、買い物に出かけられることがなんと幸せなことだったかと、その幸せをかみしめている所存です。
個人で何が出来るのか、マスク着用・不要な外出は避ける・3密は避ける・・・
簡単な、そしてとても重要な事です。
皆で守って早くこの事態が休息する事を願うばかりです。

22:20 | Posted by kimisanchi

【ただ肩を並べて】 きみさんち 志寒

2021年08月10日 | きみさんち

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肩を並べてだらだらよもやま話をしながら、ただ並んで流し仕事をしています。
どちらも誰かのためにするのではなく、ただ頭や手が動くままに、自分がやりたいから。

もちろん、手助けがあった方がいいときもあります。さっきまで手に持っていたスポンジを見失ったり、食器洗剤のプッシュ容器の使い方を忘れたり、同じものを何度も何度も洗っていたり。そんなときでも「あれ」「そっかそっか」で通じます。余計なものは足さない、大切なものは引かない。ただそれだけのやり取り。
信頼しているから、それで通じるのでしょう。

自分がやりたいことをやってるだけなので、取り立てて「ありがとう」の感謝の言葉も、ましてや「よくできました」と大げさに喜ぶ必要もありません。
そうして、流し仕事がすすんでいきます。介護や支援と名付けるのも烏滸がましすぎる、そんなどうでもよさそうな生活のひととき。

そんなひとときが、一番好きです。

08:29 | Posted by kimisanchi