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【お寺のよこのマジカルな日】 お寺のよこ 橋本

2011年02月05日 | お寺のよこ

空気が冷たい季節です。気温が低い日が続いていますが、皆さんはお風邪などひかれておりませんか。
お寺のよこでは少し前に風邪が流行して、利用者さん職員とも鼻水を垂らしながら生活をしておりました。現在は、ほぼ緩和されていますが、まだ鼻をぐずぐずさせている利用者さんもおります。
普段は、散歩や買い物などに出かける事を、日常の生活の中でメインの活動にしていますが、このように体調不良者が多い時は、最小限の食材の買い物のみを行い、レモネードや甘酒を飲んで身体を温めながら、体調の回復を心掛けて、ゆっくりと屋内で過ごされています。
そのようなある日の事。物静かなS男さん(風邪をひかれていない数少ない方の一人)に昼食の買い物のお誘いをして一緒に玄関に出たところ、突然その場でランニングの足踏みをされている。「走っていきますか?」と尋ねると、笑顔で頷かれ、そのまま近所のスーパーまでランニング。歩行さえもやや不安定な時がある方なので、一緒に走りつつ私の内なる声は「転ばないで。お願いだから転ばないでね」と、極力ゆっくりと走れるように伴走を行いました。
自ら何かをやりたいといわれる事は殆ど無いので、この時にS男さんの意思表現を見る事ができ、そして一緒に走る機会が持てて嬉しかったです。転倒しないかとドキドキしながらではありましたが。
そして同じ日の事。今度はY子さんの話です。食事中に動き出す事がまったくない方ですが、突然立ち上がって歩き始める。何年か前には見られた尿意による立ち上がりと同じ様子に見えました。そこでトイレに行くと、スカートを捲り上げようとされている。上手には出来ない為にお手伝いし、座って貰うと直ぐに排尿がありました。自ら尿意を、素振りででも知らせる事はもう出来なくなったと思っていたのに、びっくりです。素振りはこの時1回のみでありましたが、普段訴えとして現れなくても、実はまだ尿意が潜んでいるのかもしれません。
またまた同じ日の事。外出欲求のあるT子さん。普段は一人で外に行かれようとするのに、S男さんを「行きましょう」と誘って玄関へ。「この靴履きなさいよ」と他の利用者さんの靴を勧めているが、S男さんは我関せずと玄関の鍵を締めてしまう。お寺のよこでは、個々の性格によるものや認知症の重度化により利用者同士の関わりが少ないのが現状です。この時はそれ以上に関係が発展しなかったとはいえ、利用者さん自らが関係を取ろうとした事が嬉しく感じました。
当日、一緒の勤務だった職員に「今日は、いろいろ驚く事があったね」と言うと、「きっと夜間にでも利用者が密かに集まって職員を驚かせてしまおうという相談をしてたかも」などと冗談が返ってきました。
職員が意図する支援とは別のところで、利用者さん自らの動きが見られた事が、同じ日に続いてしまったのが何だったのかは、実際のところ判りませんが、風邪症状の利用者が多いとはいえ、高熱を出している方もなく、職員も利用者さんもゆったりとしたペースで過ごす事ができていた為かもしれません。職員など居なくとも雰囲気さえ整えば、利用者の力は発揮できるのかもしれないと感じた1日でありました。
こうして認知症の方と関わる仕事をしていると、このように普段とは違った姿を見せてくれる事が、時々あります。その出会いが嬉しくて、楽しくて面白い。この仕事をやっていて良かったと思う瞬間ですね。底知れぬパワーを見せてくださるご老人達に感謝します。

10:13 | Posted by admin

【お元気でしょうか】   お寺のよこ 谷野

2011年01月05日 | お寺のよこ

はじめて働いた介護施設でSさんの担当をさせていただいたのは、Sさんが99歳の時でした。年をとると個性がより強くなるといわれますが、本当に頑固な方でした。
生活習慣の改善…。Sさんは海苔の佃煮は3日くらいで食べきってしまうし、柿の種はあればあるだけ食べてしまうし、カルピスが薄いと「こんなの、飲めねーよ。」と、はぎれのいい口調で言い放ちます。僕の力量では、駄目だと言っても聞き入れてくださるわけもなく、このじいさんはしょっぱいものを必要以上に食べたからってこんなに長生きしている、大丈夫まだまだ長生きするはずだと自分に言い聞かせて、常に逃げ腰でした。
しばらくして、Sさんは足がむくむからと足元に布団を何段にも重ねて眠っていました。上げすぎだったのですが、崩れないように紐で束ねて差し上げたのですが…、それだけの事なのですが、そのことがあってからSさんは、こんないいかげんな自分に、なにかと相談をして下さるようになりました。
100歳をこえた頃には歩行も不安定になりますが、そんなお年で杖を使えと言われても、いつもどこかに置いてきぼりです。奥様を腸閉塞で亡くされたからか、101歳になっても下剤の調節はご自分で考え、カレンダーにしるしを付けてされていました。
Sさんの担当を2年近くさせていただき、その施設を夜勤明けで辞める朝に、Sさんの顔を見に行くと「あんたじゃなくちゃ、だめなんだよ。」と、最上級の気の利いたねぎらいの言葉をかけてくださいました。
あなたの5年以上も前の、さりげない一言におどらされて、今日もなんとか働いています。お元気でしょうか。

10:12 | Posted by admin

【浅草旅行に行って来ました】   お寺のよこ 安藤

2010年12月05日 | お寺のよこ

去る10月29日、延期になっておりましたお寺のよこ秋の日帰り旅行で浅草へ行って来ました。当日は、とても天気に恵まれ、何もかもキラキラしており、10月とは思えない程暖かな日でした。
上野の精養軒にて、ご家族を交え昼食会の後、浅草の浅草寺をバックに皆で集合写真を撮りました。その後は人力車に乗るグループ・ショッピングを楽しむグループ・グルメを楽しむグループ等に別れ、少人数でのグループ行動を行いました。私は人力車に乗るグループを担当しました。私は、密かに学生時代の修学旅行の自由行動を思い出しておりました。
入居者、Tさん・Nさん・Kさん、そしてスタッフ、Sさん・Tさん、私の6名は、皆と別れた後、先におみくじを引きました。私個人、おみくじを引くのはとても大好きで引いてから紙を開けるまでが何とも言えない無心の時です。先に、入居者のKさんとスタッフのTさんが引きました。2人が戻って来ると「2人とも凶でした」と、スタッフTさん。次に、入居者Tさんと私が引きに向かいました。明るい気持ちで引いたつもりでしたが、結果を見ると私も入居者Tさん2人とも凶・・・そして、最後に託されたスタッフSさんと入居者Nさんも・・・結果は凶でした。この日は不思議な事に、悪い結果を引いてしまっていても捕らわれる人はおりませんでした。引いて凶が出る度に皆で、笑っていた程でした。今日は凶でも、最強の日。そんな風にすら思えました。
おみくじを引き終えると、皆で人力車乗り場へ。1台に2人ずつ、計3台の人力車が連なり、人力車の方に浅草を色々と案内して頂きました。私個人は人力車に乗るのが初めてで、少しドキドキしましたが、いざ動き出すと、とても風が心地良く、こんなに風を心地よく感じたのはいつ以来だろう・・・?そんな事を、ふと思ってしまいました。一緒に乗った入居者のTさんも緊張されているのか、私にピッタリくっついていらっしゃいました。少し不安も伝わって来ました。ブランケットの下では、Tさんが私の手をがっちり握っていらっしゃいます。「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ」何度も伝えました。
言葉というものは本当に不思議なもので、時々魔法のような働き方をします。私個人、ネガティブ思考の人間ですが日々この介護の仕事をしながら、不安がる入居者さんに「大丈夫ですよ。大丈夫です。人生は何があっても大丈夫な様に出来ているんですよ」そんな風に偉そうに言ったりします。何度も何度も言い続けているうちに、不思議なもので、実は入居者さんを励ましているつもりが、自分が励まされていたという事がこれまで何度かありました。あれ、そういえば、朝はあんなに落ち込んでいたのに・・・といった感じにです。これは仕事だけに限った事ではありませんが、プライベートも含め、自分が疲れていたりすると人に感謝したり励ましたり、何かを伝えなくちゃならないのにぶっきらぼうになってしまう事があります。これは当たり前の様に、親しい人間ほどそうなります。つまりは感謝しなくちゃいけないところで、つまらない見栄を張ってケチってしまうということです。何かの本に書いてありましたが、どこかの国のことわざだそうですが「行く言葉が美しければ、帰ってくる言葉も美しい」そうです。なるほどなぁと思いました。私の身勝手な想像で自己満足に過ぎないのかも知れませんが「大丈夫ですよ」といって、入居者さんが例え言葉として何も返して頂けなくても私が温かい気持ちになれたのならば、言葉以外の何かを返して頂いているような気がしました。
人力車、30分コースが気付けば、50分も廻って頂き、スタッフの方の紳士的な対応にはとてもありがたい限りでした。集合場所に到着すると、入居者さん皆さんの充実した顔がとても印象的でした。言葉は多くなくとも、入居者さん、スタッフ、感じるものが沢山あった旅行であったと思います。言葉が多い時は頭で考えてしまっているような気がします。でも、目で見て、耳で聞いて、肌で空気を感じている時は、五感で楽しめているような気がしました。美味しいものを食べ、沢山笑い、時々自分や他人とぶつかり合って、旅は人生そのものであると改めて実感しました。
数年前、私の生まれ年は八方塞がりであまり良くなかった様ですが、気にしていますと、父が「いいじゃないか、八方塞がってくれているんなら悪い物が寄ってこれないだろう」と言って笑っておりました。翌年は父が八方塞がりでしたが、全く気にしておりました。
私は親のすねをかじりに、ほぼ毎月帰省しているつもりでしたが、周囲の方々に「親孝行してるね」と言われた時はさすがに驚きました。これから先の人生も、未熟者ではありますが家族や友人、周りの出会った人達を大事にしていける自分であり続けたいと思います。
長くなりました。皆様にとって素敵な1年になります様、心よりお祈り申し上げます。

10:07 | Posted by admin

【秋です。】 お寺のよこ 冨所

2010年11月05日 | お寺のよこ

ついこないだまで「地球の重力がどうかしちゃったのか」と思うほどの、まとわりつくような蒸し暑さだったのが嘘のように、すっかり秋の気配の今日この頃です。この文章が載る頃には、私にとってお寺のよこでの4度目の冬を迎えていると思います。
年末年始の準備という事で、先日、法人の有志で行っている獅子舞研究会の三回目の研修に参加してきました。今年から動画を使った実演研修を行うという事で、今年の正月に、私がお寺のよこで舞った獅子舞の様子を撮影したものを、資料として持参し、研修の冒頭に流しました。私のぎこちない獅子が、居眠りしている入居者さんの前でしきりに頭を揺り動かし、屋内を歩いている入居者さんにぶつかって(獅子舞は視界がすこぶる悪いのです。)、自分が獅子である事をすっかり忘れて入居者さんに謝った後、スタッフに付き添われて、獅子にお賽銭を渡しにきた入居者さんの姿。9月末にご逝去された、Tさんでした。
Tさんは私がお寺のよこに入って数ヶ月経った頃、お寺のよこに来られました。Tさんは視力がだいぶ衰えられていたのですが、巧みな包丁さばきで、目にも止まらぬスピードで、透けて見えるような薄切りを切られたり、カボチャを美味しく煮るコツを教えて下さったりと、それまで生活してこられた力を、私たちに沢山見せてくれました。私の大雑把な料理の味見をお願いすると、指でOKサインを作り、「上等です。」とお世辞で答えてくださったり…。
目がよく見えないことによる不安感からか、外出する事には消極的でした。そんなTさんに何とか外に出てもらえたらと、Tさんの大好きなパンやお菓子を買いに行く事を勧めてみると、その直後は乗り気になるのですが、そこから「ちょっと用事があって…」、「ちょっと具合が悪くて…」などと色々理由をつけて、断られる事もしばしばあり、スタッフを悩ませると同時に、やはりそれまで生活してきた力を感じる瞬間で、微笑ましくもありました。そんなTさんが何とか外出された際には、表の空気や日差しの心地良さを繰り返し訴えられ、素直に「良かったなぁ」と感じる瞬間でした。
食事を残しがちのTさんに、戦時中の食糧難の話を振り、「そうだったわねぇ…」と当時に思いを馳せるようにつぶやいた数秒後に、大きなゲップをされ、思わず私の腰がへなへなと砕けてしまったなんて事もありました。
お寺のよこの入居者の中では最高齢であり、様々な疾患と向き合いながら、最後まで生き抜かれたTさん。多分色々至らない部分のあった私ですが、文句は私がそちらに行った時に聞かせて貰いますので、甘い物でも食べながら、お寺のよこのみんなを見守っていて下さいね。

10:07 | Posted by admin

【はじめまして】 お寺のよこ 田口

2010年10月05日 | お寺のよこ

6月からお寺のよこの職員として働かせていただいている田口と申します。
わたしは現在22歳で、介護の仕事は今回がはじめてです。見ること、やること、全てにおいてわたしにとっては新鮮な毎日。そして大変ですがそれ以上に楽しい毎日を送っているつもりです。
もちろん感謝もしています。自分がお寺のよこ職員として働けてること。頑張って行きたいです。これからもよろしくおねがいします。

10:06 | Posted by admin

【恩師】 お寺のよこ 光岡

2010年09月05日 | お寺のよこ

私が中学1、2年の時の話です。学校の教師ではないのですが、私が信頼を寄せている30過ぎの男性がいました。
中学生といえば世間的に言えば「子供」ということになるのでしょうが、子供は子供なりの世界観であったり悩みは抱えているものです(今思い返してみると他愛のないことだったりしますがその時は切実なことでした)。私はその男性(ここでは仮にUさんとします)に様々な話や相談事を聞いてもらっていました。
ある日、私の家族が「電車内で理不尽な行動をしている乗客を見掛けた」という話をしていました。私は、その乗客のあまりの理不尽さ具合に非常に腹を立ててしまい、怒りの感情を消化することが出来ず、その話をUさんにすることにしました。
Uさんは、ひとしきり私の話を聞いた後に「その人も何か色々と嫌なことがあったんとちゃうか」と言いました。出来事はたったそれだけなのですが、その時私は怒りをシェアしてくれなかった不満と同時にとても恥ずかしい気持ちになったことを憶えています。今思い返してみると、物事の表面だけに囚われるのではなくその裏にあることを見ようとする事、色々な切り口で人や事象に対峙することの大切さをUさんは教えてくれたのだと思います。
Uさんの言葉はその後も私の心にずっと引っ掛かっています。独善的に人を裁こうとした時、事象を一面的にしか捉えようとしなかった時、Uさんの言葉がある地点まで私を引き戻してくれるのです。
仕事や作業をスムーズに進ませる事、自分の中の感情のバランスを取る為に、ある一定の枠の中で物事を捉えたり、人を理解しようとする事はある意味で必要な行為かもしれません。ただ、私(達)は人と濃厚に関わりを持つ職業に就いています。人を簡単に理解したと思い込むこと、自分の価値基準に疑問を持たない事は如何に危険であるかという事は肝に命じていかなければと感じています。
Uさんとは高校を卒業するまで深く関わって頂きました。その後は数年に一度お会いするのみで現在では年賀状のやり取りが主たるものとなっています。普段、「恩師」という存在を意識したことはありませんが、私にとってUさんは「恩師」と言う存在なのかなと思っています(Uさんは「恩師」という響きは非常に嫌がるかと思いますが)。
Uさんも50代半ばになっておられます。ここで話をした時のUさんの年齢を私は4~5年前に追い越してしまいました。その頃のUさんに笑われない大人になっているかな、と自分に問い掛けつつ、多感な時期に信用出来る大人とめぐり合えたことに感謝しています。

10:06 | Posted by admin

【Tさんの谷中】 お寺のよこ 橋本

2010年08月05日 | お寺のよこ

Tさんと4月の誕生日に行く予定だった谷中の散策。延び延びになっていたのが先日の14日にやっと決行!6月に待ち望んでいた新人職員が入職し、勤務体制に余裕ができて、半日の外出の時間が取れた次第で。
Tさんは台東区谷中で生まれ育ったちゃきちゃきの下町江戸っ子。テレビで谷中の様子が放映されると、いつもご存知の地名や店名などを大きな声で教えてくれます。実は、ここ最近、毎年1回谷中に出掛けている。浅草にも一緒に出掛けたことはありますが、やっぱり谷中の町を歩いている時の方が嬉しそうでした。始終柔らかな笑顔を浮かべ(お寺のよこにいる時とは表情が違う!)、いつも以上にお話をされています。
谷中銀座での買い物。といってもおしゃれな小物などを買うのではなく、昔良く行かれていたスーパーで菓子パンを購入と、極々普通の買い物です。谷中銀座と谷中霊園に行くのは毎回の定番ですが、今回はTさんが住まわれていた所にも行ってみようと思い、「谷中初音町の2丁目」教えてくれた地名が、地図で捜しても見当たらない。近所にあるお寺の名前などをTさんから聞き出して、とりあえずこの辺だろうと当りをつけて行ってみました。
すると街角に旧地名としての谷中初音町の看板を見つけた。結局そこまでで、Tさんの住まわれていた番地までは辿りつけなかったのが残念でした。戦前の旧い街並みが残っているといっても、長年の月日でやはり変わってしまっているだろうし、その場所に行ったとしても、懐かしい思いを喚起できたかどうかはわかりませんが。
その日にTさんが話された「銭湯の前にはね、蕎麦屋となんとか(ゴメンナサイ。忘れてしまった)があるよ」の言葉を聞いた時には、Tさんの頭の中にはその頃の街並みが再現されているのだろうなと思い、「銀杏を拾って、洗って炒って食べた。
いつも拾いにきてたんだよ。臭いけどね」では、一面の黄色い落ち葉が目に浮かんでいるのかなと想像する。
「谷中の墓地の五重塔」も随分昔に確か放火で消失してしまっていますが、Tさんには未だ存在する建物となっているようです。きっと、長い年月を通した谷中の町並みがTさんの頭には保存されているのでしょう。
大切な思い出をまた話して聞かせてください。そして、来年もお元気で誕生日を迎え、また谷中に出掛けましょうね。

10:04 | Posted by admin

【遺品】 お寺のよこ 谷野

2010年07月05日 | お寺のよこ

先日、ご近所に住んでいるSさんに、亡くなられたお姉さんの遺品を整理したいので、手伝ってほしいと頼まれました。お姉さんは享年85歳だったそうです。長唄三味線をされていたとの事で着物がたくさんありました。旅行が好きだった方なのか、地方のおみやげがたくさんのガラスケースに山になって飾られてあります。古い宝くじがいろんな所から出てきます。テレビを見ながらのメモ書きなのか、料理のレシピや書き留められた言葉が広告の裏に書かれています。僕自身故人とは、まったく面識もありませんでしたが、たくさんの遺品を見ていると、知り合いだったかのように思えてしまいます。
後日、85年の人生分の遺品が多い事を友人に話したら、「谷野の荷物の量は小学生なみだよね。」と、しみじみ言われました。本当にその通りですが、何かを集める趣味もないし…。それと、今のところに引っ越す前に、女優の沢村貞子さんが書かれた本で、ご本人が80歳を過ぎてから、身軽になって海でも見ながら晩年をおくりたいと、持ち家や家財道具を処分して、ご主人と湘南のマンションに移り住んでからのエッセイ本だと思いますが。そんな影響を受けるような本だったのか内容も忘れてしまったのですが、それを読んでから荷物を減らしたのだと思います。
赤帽さんに、これだけですか、まだまだ入りますよと言われるくらいの荷物しか引越し先には持って行きませんでした。
Sさんは、以前に呉服屋のご主人をしていたので、着物の染め方・織り方の説明を交えながら、これ当時は高かったんだよと言いながらも、故人の着物を、てきぱきとゴミ袋に入れていきます。勿体無いですよと、余計なことを言うと、もう1年以上たったから…、形見分けも終わったし、こんなにたくさんの荷物を置いておいたら、子供たちが大変だからと。僕は荷物を整理しながら、これをいただけませんかと、帯を1枚と、帯紐を2本いただきました。Sさんは、にっこりして「いいですよ。」と。名前も知らない方の遺品をもらって、家に帰りタンスが無いので、押し入れの奥にしまいました。この綺麗な帯と帯紐が、僕の遺品になったら、どう解釈されるのだろうと思いながら。

10:04 | Posted by admin

【グット デイ】 お寺のよこ 安藤

2010年06月05日 | お寺のよこ

少し前のこと、体調を崩してしまい病院へ行った。
待合室で、思いつめた表情でもしてしまっていたのだろう。ボーッとしていると、目の前を車椅子が通り過ぎた。その時「グット ディ~」そんな言葉が私に投げ掛けられた。
穏やかで優しくて、温かい声だった。顔を上げると、そこには小学生の高学年ぐらいの少年がいた。少年の後方を、付き添いだろうか、その少年のお母さんと、おばあちゃんらしき人がいる。とっさに「ありがとう」と少年に伝えた。少年もお母さんもおばあちゃんも3人そろって何だかとてもキラキラしていた。
少年には、手と足が普通の人間の半分程しかなかった。少年には「ないもの」を私は持っていた。そして、私には「ないもの」を少年は持っていた。でも、少年にはそんなことはどうでもいいみたいだった。電動車椅子を自在に操作し、待合室を自由に移動していた。
少年は「あるもの」を見ていた。私は「ないもの」を見ていた。それは、もう長年、私が気付けていないことだった。
それからというもの、私はとても分かった気になって親しい友人にメールを送る際には「○○○ちゃん、グット ディ~」と語尾に決めゼリフの様に使用する様になった。
「グット ディ」=「よい日」という事で、よい1日・素敵な1日をお過ごし下さい。そんな意味が込められているものと思っていた。しかし、実際に現実はどうだろうか?
人生がつまらないと感じた時、疲れている時、嫌なことがあった時、分かっていても自分と他人を比べてしまう時、果たして「今日はとても良い日だな~」と、言えるだろうか?
もしくは1日の終わりに「今日はとても素敵な1日だったなぁ~」と、思えるだろうか?
プラス思考がよしとされている人生でも、不安や心配で心の中がいっぱいの時や疲れている時は、とても前向きには考えられない。以前の私は、それでも前向きに考えようと躍起になっていた時期があった。気付くと肩コリに随分悩まされた(今では前よりも楽になりました)。そもそも、良いことがあった日だけ「グット ディ」なのか?そんな自問自答を繰り返していたある日、携帯電話のネットをいじくりまわしていると「良い日とは、自分にありがとうが言える日」そんな言葉がのっていた。
あれもダメ、これもダメと、長年自分に対してそんな風にしか思えなかった。自分を大事にすることは、わがままになるという事ではなくて、自分という人間を通して世の中や他人を見ているのであるから、とても大切なんだと、あの日、少年に教わった。
新緑の美しい季節となりました。

10:03 | Posted by admin

【春です。】 お寺のよこ 冨所

2010年05月05日 | お寺のよこ

今年に入ってから、病院で二回検査を受けています。最初は健康診断で尿潜血が認められたのを受けて再検査、幸いにして異常は認められませんでした。
二回目は二月の末に、ワイドショーを観ていると、俳優の森本レオさんが、心筋梗塞で倒れた事が報じられていたのですが、その際の森本さんの自覚症状「みぞおちが引きつれるよう」という痛みに覚えがあり、不安になって三月の自分の誕生日に、近所の循環器科で心電図検査を受けて来ました。
健康診断でお馴染みの、ベッドに横たわっての心電図の他、自転車こぎ運動を行って心拍数を高めた後の心電図測定を行いました。検査終了後、待合室で先生の診察を待つ間、色々と悪いイメージが頭の中を飛び交い、「もし深刻な状態だったらどうしよう。家族や職場に迷惑がかかったら…」等と考えながら、手にした雑誌をぱらぱらとめくっていました。やがて名前が呼ばれ、緊張しつつ先生の言葉を待ちます。
「んー、特に心筋梗塞や、狭心症の波形は出てないねぇ。」ひとまず安心はしたものの、それならそれで、あの今まで体験した事のない痛みの正体は?
「逆流性食道炎でも、似たような痛みが起こるんだよね」…………えー逆流性食道炎の原因となる体質、生活習慣ですが、「筋肉質もしくは太っている(腹圧がかかりやすい)」、「喫煙」、「飲酒」、「満腹まで食べる」、「食べてすぐ横になる」、「甘い物好き」、「辛い物好き」、「肉好き」、「脂っこい物好き」、「コーヒー好き」…とまあ大変。「筋肉質」と「喫煙」以外全部当てはまってました。かといって好きな物を完全にやめるのは難しいので、意識して量を控えたり、コーヒーならブラックをやめて牛乳で割ったりと、出来る範囲で改めてみたところ、誕生日から二ヵ月程経ちますが、前述の引き攣るような腹痛は起こっていません。よしよし。この春は高熱でダウンしたり、同い年の巨人軍木村拓哉コーチが亡くなったりと、健康である事の有り難さを改めて感じ、また、人生を一変させてしまうような災厄が、身近な存在になりつつある事を否応なしに感じさせられました。長年に渡りお寺のよこを支えてくれたスタッフのHさんも、現在病気と戦っています。笑顔のHさんに会える日が一日も早く来る事を、お寺のよこ一同願っております。
さて、話は変わりますが、お寺のよこでは、三月末に、芋煮とバケツプリンの昼食会が催されました。お昼前から寺よこ一同一丸となって、せっせとお盆二つ分のおにぎりとずん胴一杯の芋煮を用意して、お招きしたのんびり家の皆さんの到着を待ちました。色々とバタバタして、食事開始が二時近くになってしまいましたが、お腹をぺこぺこにしての、にぎやかな食卓は、美味しくて楽しいものになりました。デザートのバケツプリンは、その大きさと、スプーンで崩すとぷるぷると生き物のように震える様子に、歓声が上がっていました。食後は皆で集合写真を撮り、お開きとなりました。人数が多すぎてフレーム割れしてしまい、残念ながら私は集合写真に入れなかったのですが、やっぱりみんなで集まって撮る写真っていいなぁと素直に思いました。次に集合写真を撮る機会が楽しみな、お寺のよこの春です。

10:02 | Posted by admin

【幸せのストック】 お寺のよこ 光岡

2010年04月05日 | お寺のよこ

私事で恐縮ですが「お寺のよこ」で管理者業務を行うようになってもう少しで1年となります。私にとってこの時間は長かったような短かったような・・・。
楽しいことから大変なことまで様々な出来事がこの1年間にありました。そういった時間の中で管理者になって強く思うようになったこと。それは「人に支えられて生きていることの有り難さ」でした。「お寺のよこ」自体沢山の人達に支えられて存在していると言えます。入居者のご家族、地域住民の方々、福祉・行政関係者の皆さん、何より入居者の方々の逞しい力によって支えられていることは言うまでもありません。
今回はその「お寺のよこ」を支えている要素の一つ、働いている仲間・スタッフのことを書きたいと思います。
「お寺のよこ」では常勤、非常勤含めて10名が仕事をしています。年齢層も様々で20代から60代まであらゆる年代の人がおり、当然のことながら個性や考え方も多様です(男性3名、女性7名)。入居者さんへの関わり方もそれぞれ異なり、時に入居者さんと見事なアンサンブルを奏でることもあれば、歪な不協和音がかき鳴らされることもあり
ます。人間関係は多様ですし、私はその事はさして重要なこととは思っていません。大切なのは調和が取れた時、不協和音であった時、そのいずれの場合でも自らを振り返り見つめ直すこと、入居者さんのその際の姿を再度思い描くことかと思います。そういった振り返りをする事により、入居者さんとより良い関係を作り上げることが出来るかもしれないですし、入居者さんが生活を営む上で適切なお手伝いが出来るかもしれません。何より、その振り返りが人を支えている行為が実は人に支えられていたことに気づく契機になるのではと感じています。
「お寺のよこ」のあるスタッフの話です。そのスタッフが入職して間もなくのこと、今はお亡くなりになられたIさんという入居者さんがいらっしゃいました。居室は2階にあるのですが、足腰の力が低下されており階段の昇降はかなり体力の消耗を要することから起床、就寝時以外は1階の居間で過ごされることが多くなっていました。
ある日、Iさんと仲良しだったTさんが昼下がりの時間に訪問されました(Tさんは以前「お寺のよこ」で仕事をしていたスタッフです)。IさんはTさんとともにIさんの居室に行かれ、昔のアルバムを見たり、一緒に歌を歌う等してとても楽しそうな時間を過ごされていました。その場面を見たスタッフは感銘を受け、自分たちがIさんを如何に限定した枠の中でしか接していなかったかということを話しました。
時間は経過し今年の2月のこと。Mさんという入居者がいらっしゃいます。Mさんは昨年体調を崩され2週間強入院されていました。退院後は体力が少し低下されたご様子で2階にある居室ではなく殆どを1階の居間で過ごされることが多くなりました(階段の昇降もかなり難しくなっていました)。そのMさんも今年に入り少しずつ体力が回復されてきたご様子が見られ始めました。先述のスタッフはMさんの身体の様子を見ながらともに階段を昇って居室に行き、30分程度馴染みのあるものや空間に触れながら時間を過ごしました。居室のMさんはとても嬉しそうなご様子だったそうです。
スタッフの意識の中にIさんとTさんの姿があったかどうかは分かりません。ただ、入居者の方々の望みを考え大切にした関わりが時間を越えて受け継がれていることを私は実感しました。IさんやMさんの嬉しそうな表情に我々スタッフは支えられていることは当然ながら、その表情を導き出すお手伝いをしたスタッフ達に、「お寺のよこ」や自分は支えられているのだと感じました。
先述したようにこの1年は色々なことがありました。その中で入居者さんやスタッフ達の姿から幸せな気持ちになれるようなものを沢山もらいました。私はその「幸せのストック」を時折引っ張りだしては「にやり」と思い出し笑いをしてみたり、自らを奮い立たせる糧として活用させてもらっています。
残念ながら先述のスタッフ・及川はこの春で一身上の都合により「お寺のよこ」を退職します。彼女の中に数多くの「幸せのストック」が存在し、次の一歩を踏み出す上での糧になってくれればと思います。

【退職の挨拶】   お寺のよこ 及川 加菜子

真に勝手ながら、この度一身上の都合により、「お寺のよこ」を退職する事となりました。「どっこいしょ」では、私の地元である岩手県遠野市に語り継がれている「遠野物語」を紹介してきました。
もっと沢山紹介していきたかったのですが、最後になってしまいました。「オシラサマ」というお話を最後に紹介させてください。
「オシラサマ」
昔ある所に、貧乏な百姓がいだったずもな(百姓がいました)。おがだ(妻)早くになくしたども、とっても美しい娘っ子がいだったど。そして一匹のこれまた、めんこい(かわいい)馬っこあづがってらったど(馬を飼っていました)。 娘はこの馬が好きで、いつも馬屋へ行って話しをしていましたが、その内、夜になると馬屋へいって休むようになりました。そして、年頃になると、娘は馬と夫婦になってしまいました。 おど(父)も、おかしいおかしいとおもってらったずが、ある晩、一緒にいるどご見つけてたまげで(びっくり)しまったど。そして、なにもかにもごせやげで(どうにもこうにも腹が立って)馬の事、憎らしくなったんだど。
次の日、娘が居なくなるのを待って、おどは、やんたがる(嫌がる)馬を連れ出したんだど。そして高い桑の木にぶら下げて、ドンガリと殺してしまったんだど。
その晩娘が帰って来て見たところ、可愛い馬が居ないのでおどに尋ねました。おどははじめはごまかしていましたが、とうとう白状してしまいました。娘はたまげで、桑の木へ走って行きました。そして、死んでしまった馬の首さ抱きついで、泣ぐが泣ぐが泣いだんだと。あんまり泣くもんだから、おどはまた憎らしくなって、斧を持ってきて、後ろから馬の首をボッズラと切り落としてしまいました。すると、なんとその馬の首は、娘を乗せたまま、たちまち天に昇ってしまったんだとさ。どんどはれ。
オシラサマとは、この時できた神様で、馬を吊り下げた桑の枝でその神像をつくりました。馬と娘の顔に棒がついているものです。ボンボンの付いた太鼓のばちのような形で、毎年着物を重ねて着せていきます。現在もその習しは代々受け継がれていますので物凄い数の着物を身に付けていて、着膨れしてます。少し気味が悪いですが、なんとも神秘的なオシラサマです。私は、退職後遠野に帰ります。お寺のよこで経験してきた事全てを大切にして、オシラサマの様に毎年ひとつずつ、自分が大きくなっていけるよう、これからもがんばって生きていきます。
皆様、今まで大変お世話になりました。本当に有り難うございました。それでは、またどこかでお会いしましょう。

10:02 | Posted by admin

【10周年と半世紀に思う事】 お寺のよこ 橋本

2010年03月05日 | お寺のよこ

法人ミニケアホームきみさんちの10周年、そして私が福祉の仕事についてからも10周年(お寺のよこでは4年弱ですが)、おまけに私がこの世に生れ出てからもジャスト半世紀となりました。月日が経つのは本当に本当に早いものですね。
特別養護老人ホームで、始めて食事介助をしたこと(時間だけがかかり、コツが分からずに食べて頂けなくて困りました)、始めて排泄介助をしたこと(やはり臭いが辛かったけど、これは3日で慣れました)、先輩の職員に怒られたこと(かなりしょげました。怖い先輩でしたね)、いろいろと相談に乗ってもらったこと(こっちは優しい先輩でした)。
そしてお寺のよこで働き出しても、最初は戸惑う事ばかりでした。それまで働いていた特養とあまりにも違うので。
グループホームの認知症の方への自立支援ってどうするの?と。その後も色々と壁にぶち当たっていますが、利用者の笑顔に支えられて働いている次第です。
漠然と認知症の人と捉えずに、個々の方が先にあってその中の病気としての認知症と捉えるようになったのは、このお寺のよこで働き始めてからです。認知症がかなり進行した方でも、できる事があり(最初は驚きでした)、それは皆それぞれ違います。今まで生きてこられた中での大切にしてきた事や習慣が、今現在も残されているのでしょう。
10年間も認知症の方と関わって来ましたが、まだまだわからない事はたくさんあります。利用者はお寺のよこで生活する中で何を望んでいるのか、意志の疎通が難しい方は、仕草や表情から想像するしかなく、そうやって想像した事は、職員の良かれと思う勝手な思い込みかもしれません。利用者に寄り添う気持ちを大事にしていけば、今後、また少しずつ見えてくる事もあるでしょうか。その様な事に期待しつつ、まだまだこの仕事を続けていくことになりそうです。
今年は10周年と半世紀を記念して、何か一つやりとげよう、理解を深めようと思っています。具体的にはまだ何も決めてはいないのですが。1年後のこの通信でそのことを報告できますように。

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【元気のしるし】 お寺のよこ 谷野

2010年02月05日 | お寺のよこ

最近の母は、テレビや週刊誌を見なくなりました。皇室ネタと瀬戸内寂聴さんが好きで、週刊誌を何度も読み返していたのですが最近は、買っていった雑誌を開く様子もありません。手帳の予定表なども、去年あたりから付けなくなりました。実家に帰ると、「谷野さんは、86歳になりました。」と、ティッシュの箱に書いてあります。往診に来て下さる、医師がいつも書いてくれるそうです。先生がいなかったらこんなに長生きできなかったと、いつも言っています。
その先生も85歳になられるそうで、自分で車を運転して往診してくださる、とても元気な先生です。
最近は、よく家の中で転んでしまう様で、先日も転んでしまい、虫の知らせかのように、家に来た義兄に助けてもらったと。「おまえも、義兄のおかあさんが亡くなったらお葬式に行かなくちゃね。」と、少しズレてるような気がしますが、義兄もまた母のヒーローになっているようです。
よく留守電には母の伝言が入っています。だいたい3件、同じ口調で「もしもし、おかあちゃんだけど、いつ来るんだ。」さだまさしの案山子のような台詞ですが、そんな歌のように健気ではありません。正月すぎに帰ったばかりなのに、もうこの電話です。先日も帰り際に「おかあちゃん目当てに帰って来れるように、まだまだ元気でいるから。」と、微妙に意味合いが違うような気もしますが、確かに母がいなかったら、法事くらいでしか田舎に帰ることはなくなるでしょう。電話で話をしていると「今日は元気がないね。」と、いつも元気ないけど、なぜかいつも当たっています。
この歳になってようやく、着信履歴を埋め尽くす母の名を見て、元気なんだなと思えるようになりました。
お寺のよこで働かせていただき半年になりました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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【バランス】 お寺のよこ 安藤

2010年01月05日 | お寺のよこ

先月、冬休みで実家に帰省した際、朝から晩まで冬眠した熊の様に寝てばかりいると、父が「面白い本があるよ」と、ある本を貸してくれた。「奇跡のりんご」と題された本。
表紙では歯の無い男性が、微笑んでいる。奇跡とは、常識では考えられない出来事である。
一日中寝てばかりで、頭がボーっとしていた。そりゃあ、運の良い人間だったら奇跡の一つや二つ、簡単に起こせるんだろうな。読む前、そんなひがみめいた事を思った。
表紙で微笑んでいる男性は、青森のりんご農家、木村秋則さん。木村さんは、絶対不可能と言われたりんごの無農薬栽培を、10年近い歳月をかけて成功させる。本には、農薬を一切使用しない環境で、りんごが花を咲かせ実を付けるまでの過程が、壮絶に書かれていた。
冷めた気持ちで読み始めた本だったが、何か感じさせられるものがあった。
無農薬栽培に切り替えてから木村さんは、害虫取りや草刈りや、目に見える部分のみ行なう。しかし、木村さんの壮絶な努力なんてお構いなしで何年もりんごは花も実も付けず、しまいには木が枯れそうになる。荒れ果てたりんご畑と共に、木村さんの心も疲れ切って行く。何年も、りんごが実らない為ついには収入も途絶える。そして家族に貧乏な思いをさせてしまう。
世間や周囲からの冷たい目・批判・・・追い詰められた木村さんは、死んでお詫びをしようと山に向かう。首を吊ろうと、木にロープをかけようとするが外してしまう。外したロープを拾おうとした時、木村さんの目に映ったもの。それは、山の中で悠々と生きるりんごの木だった(実際はよく見たら別の木だったそう)。木村さんが死を覚悟した時に見つけたものは、長年捜し求めていた答えだった。
答えは、目に見えている地上部ではなく、目に見えない部分。土や根の部分だった。人の手が入っていない山は土壌が豊かの為、農薬が無くても木や植物は自らの生命力で悠々と生きている。しかし、人間が色々と手を加えた結果、本来の生命体は姿を変えてしまった。目に見えない部分、つまりは土壌を豊かにしてから間もなく、ついに木村さんのりんごが花を咲かせ実を付けた。
木村さんの本を読み終えてから、自分は随分と自然に逆らって生きてしまっているなと考えさせられた。小学生の頃、早起きをして朝顔やヘチマなどの観察日記をつけていた。人として、自然の仕組みやサイクルを理解したつもりになっていたけれど、いつの間にか過程をおろそかにして結果主義の人間になっていた。種を蒔けば、明日にでも芽が出て来いと思ってしまい、思い通りにならなければ家族や友人のせいにして逃げている、そんな自分に気付かされた。
子供の頃の夕食時、家族みんなでホットプレートを囲み、月に何度か焼肉をしていた。父は「せっかくなんだから肉を食べなさい」と肉を勧め、母は「肉ばっかりじゃ体に良くないからもっと野菜を食べなさい」と野菜を勧める。
社会人になり、帰省した際に父と一緒に晩酌をする様になってからは「せっかくなんだから、もっと飲んだら」と父がお酒を勧めてくれ、その傍らで今度は母が、調子に乗って飲み過ぎるなという無言の圧力めいた視線で私を時々見ている(笑)2人で間逆の事を云う両親。2人して、そんなに私を困らせたいのかと思い、一体、私はどちらを信じたら良いのだろうか?と考えてしまった事がある。
に対しての達成感と周りからの評価があり、プロ意識をもの凄く感じる事がありました。
少し前の事、以前勤めていた職場で親しかった歳の離れた友人に、この話をすると友人は急に笑い出した。「だからバランスだよ」と。始めは言われている意味が分からなかったけれど、友人の話を聴いているうちに段々謎が解けてきた。肉好きの父が、肉ばかり食べてしまっていては、健康を害する事になる、そこで、野菜推進派の母がいてくれる事によって、バランスが取れる事になる。私も父も、お酒が大好きだけれど、酒ばかり飲んでいてはこれもまた、健康を害する事になる。そこで、母の無言の圧力(笑)によって「今日はもうやめておこう」という思いが湧きあがり、酒に飲まれ過ぎることなく、バランスが取れる事になる。
一見、マイナスの出来事に大きなプラスが隠れていたり。プラスと思って蓋を開けて見たら、実はマイナスだったり。人生はいつだって、見えている通りとは限らず不思議である。
皆様にとって、素敵な1年になります様、心よりお祈り致します。

09:59 | Posted by admin