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【宜しくお願いします】 お寺のよこ 草村

2011年08月05日 | お寺のよこ

お寺のよこ 草村です。
あっという間にもうすぐ3ヶ月になろうとしています。日々覚える事、学ぶ事、失敗、嬉しさや楽しさを繰り返しています。
お寺のよこの入居者さんは、皆さん個性豊かで性格もバラバラ。それぞれの入居者さんが何が好きで、何が嫌いで、どんな時に笑ってくれるのか・・毎日試行錯誤しながら過ごしています!
長い間パチンコ屋さんに勤めていた私は腕力は強いはず…ドル箱4箱は一度に持てます!!笑
こんな私ですが、これからもがんばっていきますのでご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いします!

10:23 | Posted by admin

【外出の楽しみ】 お寺のよこ 谷野

2011年07月05日 | お寺のよこ

随分前のことですが、2月にkさんと誕生日の外出企画で大井競馬場に行ってきました。この企画は以前より先輩職員に「kさんは競馬が好きだから、競馬場に行くといいよ。」とアドバイスがあり、kさんも行きたいとのことで実現しました。
競馬場に着いて、先に昼食にしました。食事を終えて、パドックに馬を見に行くと、食事中はにこやかだったkさんの笑顔がなくなり真剣な表情になりました。当日は、寒かったので室内からの観戦を勧めましたが「外で見ます。」と、寒空の中、パドックとレース場を行き来されています。
パドックでは人ごみをすり抜けて見やすい位置から、お一人で馬を見ています。どの馬が良いか伺うと何番と選ばれて馬券を購入しました。レースまで時間があり、途中でコーヒーを買っていると、kさんが「早くしないと始まっちゃうよ。」と怒っています。初めてkさんの怒っている表情を見て、思わずにやりとしてしまいました。
いよいよレースが始まり、向こう上面から馬がゴールに向かって来る時です、kさんが立ち上がり「行けー。」とばかりに拳を突き上げています。今日はkさんの色々な表情を見せていただき大満足だったのに、僕はこの瞬間にkさんのこの姿が本当は見たかったのだと気付きました。
3レースを見て競馬場を後にしました。馬券は当たりませんでしたが、競馬場を出ると、kさんの表情がまたにこやかに戻りました。
この企画の後日ころより、僕の勝手な思い込みかもしれませんが、kさんの表情が少しですが豊かになったのではと思えることがあります。
先日は、400メートル以上ある散歩コースをジョギングで1周されました。益々元気になられて、今度の外出は一緒に何処に行ってくださるのか今から楽しみです。

10:22 | Posted by admin

【母】 お寺のよこ 安藤

2011年06月05日 | お寺のよこ

私の人生、全てのはじまりはいつも母だった。
母の名は正子(まさこ)といい、今年の7月で還暦を迎える。今ではもうはっきり覚えていないが、いつの頃からか、私は母を「お母さん」ではなく親しみを込めて「正子さん」と呼んでいる。母は私が介護の道に進むきっかけを作ってくれた人でもある。
9人兄弟の8番目として生まれた母は、あまりにも純粋で、曲がったことが大嫌い。そしてテキパキと家事をこなし、恐ろしいほどに良く動く人だ。専業主婦の母は、その身に甘んじたくはなかったのだろう。
私が小学生だった頃「ただいま」と家に帰ると、母はいつも家にいてくれた。一緒にお茶を飲み、その日にあったことを互いに話し合った。その後、母は、私に留守番を任せ、家の近くにある家庭菜園に毎日のように出かけた。ナス、キャベツ、じゃがいも、大根・・・・ありとあらゆる野菜を母は毎年、心を込めて作っていた。その姿は今現在も何一つ変わらない。
順風満帆に行って欲しいと願えど、人生は中々そうもいかない。中・高校生の反抗期には「どうせ分かってくれない」と話す前から決めつけ、小学生の頃の素直さはどこへやら。
母との会話はほとんどなくなった。たまに会話をしても直ぐぶつかってしまう。そんな時、決まって母は「あなたを相手にしているより、野菜を相手にしている方が素直だし、よっぽどいい」と、そんなセリフを言って畑に出かけていった。母が畑に出掛けると、1人部屋に閉じこもり、所詮自分は野菜以下のダメ人間だと落ち込んだりした。些細な事で落ち込んでばかりいると、学校でも自分のダメな部分ばかり目についた。どうしても友人と比べてしまう。何をやっても劣等感ばかり募り、その原因をいつしか親のせいにする様になった。親が厳しすぎるんだと。
確かに母は厳しかった。時々、納得がいかない時があった。
友人の親が、ますます羨ましく思えた。でも、非難してばかりでも仕方ないので、ある日、母を私の理想の母にしようと決心した。
しかし、結果は散々で、逆に私が疲れてしまった。
その時初めて「自分は変えられるけれど、他人は変えられない」という、世に言われている格言を知った。ならば自分が変わるしかないのだと、今度は母の観察を始めた。そして、母の観察を始めて、直ぐ意外な発見があった。
それまで、姉達とつるんでぶざけてばかりで気付けないでいたが、母は来る日も来る日も、自宅で祖父の介護をしていた。そして、祖父が亡くなってから数年後、今度は祖母の介護をしていた。母が祖母の介護をし始めた頃、またようやく、母と素直に向き合える様になった。ただそっと手伝える様になった。
そんな私の姿を見て母は「自分の時間が持てないとついつい、イライラしちゃってゴメンネ」と言った。そこに辿り着くまで、私も苦しかった。そして母もまた苦しかったのだ。
祖母が亡くなって今年で9年経った。母は今、近所との繋がりをとても大事にしている。
高齢者の1人暮らしのお宅に、お茶飲みに出掛けたり、野菜が沢山とれた時に「どうぞ」とおすそ分けをしている。それは、ただ単に高齢者を思いやるという事だけではなく、不安や心配や孤独感がいとも簡単に人間を死に追いやってしまったり、生きる希望をも失わせてしまうものだから、人との繋がりは大事にしなくちゃダメなんだよという母の教えでもある。
私は、いつの頃からか、心を月に例えるようになった。満月の日もあるけれど、たいてい月は欠けている。昔は、その欠けていた部分がカッコ悪くてとても嫌だった。
でも、だからこそ生きていけるのではないかと最近思える様になった。欠けている部分を満たそうとするから人は生きていけるのだと思った。
長くなりました。この度、一身上の都合により4年間お世話になったお寺のよこを退職させて頂くことになりました。
皆様のお陰で、とても濃い4年間を過ごす事が出来ました。
世間一般では、介護はキツいし大変な仕事だと、もしかしたらそう思われているのかも知れません。何を隠そう、私がそう思い込んでいました。でも、ある作家が「王様でさえ他の仕事を夢見るものだ」という言葉を残しています。この言葉を知ってから少しずつ介護や仕事に対する「向き合い方」や「考え方」が変わりました。未熟者ですので、失敗も多々ございますが、お寺のよこで学んだことや思い出を大事に、また田舎に帰ってもがんばって行きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。

10:18 | Posted by admin

【春です。】   お寺のよこ 冨所

2011年05月05日 | お寺のよこ

なかなか進展が見えず、深刻な環境汚染が懸念される原発問題、連日報道されている被災地の苦境、首都圏でも未だ解消されない物品不足など、今回の震災の余波、不安感が大きく尾を引いている春ですが、そんな中でも桜の花は、例年と同じように美しく咲いて儚く散り、私達の心を癒してくれました。
本当に月並みな事しか思いつかないのですが、私たち一人ひとりが、出来る範囲で出来る事をしていくしかないんじゃないかと思っています。私自身が意識している事は、まず自分が栄養や休息をしっかりとって、社会における自分の役割(仕事)を果たして行く事。極端な自粛はせず、楽しみや自分へのご褒美は継続する事。その中で無理のない範囲で、節電、募金など、出来る事を継続して行っていく事です。
今回の震災は、未曾有の規模の被害をもたらした最悪の災害ですが、そんな中、日本人の強さ、慎ましさ、思いやりといったものをかいま見る事が出来て、誇らしく思いました。復興への道のりは永く険しいと思いますが、この国難を乗り越えたら、日本は必ず震災前よりも良い国になると信じて、日々出来る事をしていきます。
さて、お寺のよこの様子ですが、入居者さん達は震災当日もそれ以降も、落ち着いたご様子で日々過ごされており、半世紀以上~一世紀近く生活してこられた逞しさを感じさせられました。
お寺のよこでは、三月末に、ベリーダンス鑑賞会を企画していて、私も立案した職員橋本の補佐という立場で、企画の実現に向けて準備を行って参りました。そんな中で起こった今回の震災。開催か中止か悩みましたが、このような時だからこそ、是非実現させたいという結論に達し、その旨をベリーダンスサークルの皆様にお伝えしたところ、改めて慰問を快諾して頂けました。
慰問当日、カーテンを閉めて照明を落とした中で、幻想的な音楽に乗って、艶やかな衣装で舞い踊るベリーダンスを、入居者さんもスタッフ(特に男性)も一緒になって楽しみました。締めのディスコタイムでは、ダンサーの方と手を取って踊るTさんや、ダンサーの方に誘われて踊りだすKさんの姿が。かく言う私も、Mさんの手を取って踊り出しました。
実現する事が出来て、本当に良かったと思いました。スタッフの皆さん、入居者の皆さん、そしてこのような情勢の中、素晴らしいダンスを披露して下さった(何かを表現するという事は、その時のこころの影響を大きく受けると思うので、大変だったのではと思います。)ベリーダンスサークル・ハピネスの皆様、本当にありがとうございました。

10:17 | Posted by admin

【こんにちは】 お寺のよこ 田口

2011年04月05日 | お寺のよこ

こんにちは。今回がどっこいしょ二回目の寺よこの田口です。お寺のよこで働きはじめそろそろ10ヶ月が経ちもう春の季節。単純に時間が経つのは早いね、そう感じているのん気なこの頃と花粉症が煩わしい日々です。
この文章を作成する二週間程前に、東日本大震災が起こりました。多数の方が亡くなられとても悲しく残念な想いです。現在でも揺れは不定期に起こり、放射線物質等の不安、電気ガソリン食材の不足等、様々な問題・・自分には何が出来るか?これからどうすればいいか?
きっと多くの方が不穏な日々の中そう考え囁かれている昨今だと思います。東京でもいつどんな想定外が訪れるかはわかりませんが、どんな状況でも地域の皆さんと協力し合い支えあっていければ幸いです。

10:17 | Posted by admin

【繋】 お寺のよこ 光岡

2011年03月05日 | お寺のよこ

Kさんはお風呂に入るのをあまり好まれません。入ってしまうと気持ち良さそうにされていますが、お風呂に入るという行為が面倒なのかスタッフ側から入浴の声掛けをしても進んでお風呂に入ろうとされる事はありません。いつも「いいです」「入りません」と言葉少なに仰られたり、表情が硬くなったりします。そんなKさんの意思を尊重・・・したいのはやまやまですが、Kさんの身体のこと、衛生面のことも気掛かりです。スタッフは無理強いはしないながらも、あれやこれやで何とか入浴まで漕ぎつけます。言葉のやり取りで分かって頂くというよりも、何となく雰囲気や流れで入って頂く事が殆どかと思います。
ある日のことKさんに入浴の声掛けをしたところいつもの如く「入りません」との答え。時間を置いて再度声を掛けても同様でした。ただ、その「入りません」という言葉の返し方がいつもと違う・・・というかいつもよりご自分の意志を明確に仰られていたように感じた為、何故入りたくないのか私は尋ねてみました。
「入りたくないんだよ」「勝手だろ」やや語気を強めに言われます。確かにお風呂に入りたくないのは個人の自由、勝手は勝手なのですが、普段見せない表情と言葉に(こう書いてしまうと失礼にあたりますが)この時のKさんに俄然私は興味を持ってしまいました。
結局お風呂に入らないと身体が良くないこと、臭いが身体についてしまうこと等を何度も伝えると憮然としながらも「じゃ、入るよ」と服を脱ぎ始められました。あんなに入るのを嫌がっていたのに入る前には湯温を確認して「よし」とご満悦のご様子。その後は気持ち良さそうに入浴をされていました。
書いてしまうとたったこれだけの出来事かもしれませんが私はとても嬉しくなりました。ただ入浴されたから嬉しかったのではありません。いつもは硬い表情で黙り込んだり、言葉少なく入らないことを表現されていたKさんがこれまであまり聞いたことのないような言葉で明確に意思表示された事や、その時の力強い表情。Kさんと時間を掛けて会話をし、憮然とではあるもののご本人が納得されて入浴されたことが嬉しかったのです。いや、結果入浴されなかったとしてもあの時のKさんの意思的な言葉や表情が見られたことが何より嬉しかったのだと思います。
以前きみさんちの志寒さんが「どっこいしょ」の記事で、入居者さんに次に何を行なうか(選ぶか)選択肢を与えているようでスタッフ側の都合の良い方に答えを誘導してしまうことの危険性と、その際に入居者から明確にNOを突きつけられる事の有り難さを書かれていました。今回のKさんのことがそれに当てはまるかどうか分かりませんが、ふとその記事のことを思い出しました。
また、以前のんびり家3階の福田さんが法人内の研修で「入居者さんが見せる貴重な瞬間を逃さないように」と仰られていたことも思い出しました。
「繋がる」とはこういうことなのかと思います。以前誰かが言っていた(書いていた)印象的な言葉、その時は感覚的に捉えていたり、意味が分からなかったことが、ある体験を基に明確に繋がる時。それはとてもダイナミックな瞬間です。今回は同一法人内他事業所スタッフの方の言葉ではありますが、お寺のよこでも至らない私を指導して下さった先輩スタッフや、現在ともに働いているスタッフの言葉からも同様の「繋がる」体験はしています。勿論入居者さんの言葉や生活しておられる姿からも。
「繋がる」ことは言葉と体験が繋がることでもあるし、それが基になり自分がここに居る意味に繋がることでもあるし、自分と他者、社会が繋がることでもあるのかなと思います。
何故Kさんが今回のような表情、言葉を表出されたのか分かりません。ただ、Kさんの言動から私は色々なことが「繋がり」ましたし、「繋がる」ことの大切さを教えて頂いた気がしました。もしかしたらKさんも何らかの「繋がり」を欲しておられたのかもしれません。
今後もこの「繋がる」ということを大切に出来るよう、自分の中の引き出しを多種多様にしていければと思います。

10:13 | Posted by admin

【お寺のよこのマジカルな日】 お寺のよこ 橋本

2011年02月05日 | お寺のよこ

空気が冷たい季節です。気温が低い日が続いていますが、皆さんはお風邪などひかれておりませんか。
お寺のよこでは少し前に風邪が流行して、利用者さん職員とも鼻水を垂らしながら生活をしておりました。現在は、ほぼ緩和されていますが、まだ鼻をぐずぐずさせている利用者さんもおります。
普段は、散歩や買い物などに出かける事を、日常の生活の中でメインの活動にしていますが、このように体調不良者が多い時は、最小限の食材の買い物のみを行い、レモネードや甘酒を飲んで身体を温めながら、体調の回復を心掛けて、ゆっくりと屋内で過ごされています。
そのようなある日の事。物静かなS男さん(風邪をひかれていない数少ない方の一人)に昼食の買い物のお誘いをして一緒に玄関に出たところ、突然その場でランニングの足踏みをされている。「走っていきますか?」と尋ねると、笑顔で頷かれ、そのまま近所のスーパーまでランニング。歩行さえもやや不安定な時がある方なので、一緒に走りつつ私の内なる声は「転ばないで。お願いだから転ばないでね」と、極力ゆっくりと走れるように伴走を行いました。
自ら何かをやりたいといわれる事は殆ど無いので、この時にS男さんの意思表現を見る事ができ、そして一緒に走る機会が持てて嬉しかったです。転倒しないかとドキドキしながらではありましたが。
そして同じ日の事。今度はY子さんの話です。食事中に動き出す事がまったくない方ですが、突然立ち上がって歩き始める。何年か前には見られた尿意による立ち上がりと同じ様子に見えました。そこでトイレに行くと、スカートを捲り上げようとされている。上手には出来ない為にお手伝いし、座って貰うと直ぐに排尿がありました。自ら尿意を、素振りででも知らせる事はもう出来なくなったと思っていたのに、びっくりです。素振りはこの時1回のみでありましたが、普段訴えとして現れなくても、実はまだ尿意が潜んでいるのかもしれません。
またまた同じ日の事。外出欲求のあるT子さん。普段は一人で外に行かれようとするのに、S男さんを「行きましょう」と誘って玄関へ。「この靴履きなさいよ」と他の利用者さんの靴を勧めているが、S男さんは我関せずと玄関の鍵を締めてしまう。お寺のよこでは、個々の性格によるものや認知症の重度化により利用者同士の関わりが少ないのが現状です。この時はそれ以上に関係が発展しなかったとはいえ、利用者さん自らが関係を取ろうとした事が嬉しく感じました。
当日、一緒の勤務だった職員に「今日は、いろいろ驚く事があったね」と言うと、「きっと夜間にでも利用者が密かに集まって職員を驚かせてしまおうという相談をしてたかも」などと冗談が返ってきました。
職員が意図する支援とは別のところで、利用者さん自らの動きが見られた事が、同じ日に続いてしまったのが何だったのかは、実際のところ判りませんが、風邪症状の利用者が多いとはいえ、高熱を出している方もなく、職員も利用者さんもゆったりとしたペースで過ごす事ができていた為かもしれません。職員など居なくとも雰囲気さえ整えば、利用者の力は発揮できるのかもしれないと感じた1日でありました。
こうして認知症の方と関わる仕事をしていると、このように普段とは違った姿を見せてくれる事が、時々あります。その出会いが嬉しくて、楽しくて面白い。この仕事をやっていて良かったと思う瞬間ですね。底知れぬパワーを見せてくださるご老人達に感謝します。

10:13 | Posted by admin

【お元気でしょうか】   お寺のよこ 谷野

2011年01月05日 | お寺のよこ

はじめて働いた介護施設でSさんの担当をさせていただいたのは、Sさんが99歳の時でした。年をとると個性がより強くなるといわれますが、本当に頑固な方でした。
生活習慣の改善…。Sさんは海苔の佃煮は3日くらいで食べきってしまうし、柿の種はあればあるだけ食べてしまうし、カルピスが薄いと「こんなの、飲めねーよ。」と、はぎれのいい口調で言い放ちます。僕の力量では、駄目だと言っても聞き入れてくださるわけもなく、このじいさんはしょっぱいものを必要以上に食べたからってこんなに長生きしている、大丈夫まだまだ長生きするはずだと自分に言い聞かせて、常に逃げ腰でした。
しばらくして、Sさんは足がむくむからと足元に布団を何段にも重ねて眠っていました。上げすぎだったのですが、崩れないように紐で束ねて差し上げたのですが…、それだけの事なのですが、そのことがあってからSさんは、こんないいかげんな自分に、なにかと相談をして下さるようになりました。
100歳をこえた頃には歩行も不安定になりますが、そんなお年で杖を使えと言われても、いつもどこかに置いてきぼりです。奥様を腸閉塞で亡くされたからか、101歳になっても下剤の調節はご自分で考え、カレンダーにしるしを付けてされていました。
Sさんの担当を2年近くさせていただき、その施設を夜勤明けで辞める朝に、Sさんの顔を見に行くと「あんたじゃなくちゃ、だめなんだよ。」と、最上級の気の利いたねぎらいの言葉をかけてくださいました。
あなたの5年以上も前の、さりげない一言におどらされて、今日もなんとか働いています。お元気でしょうか。

10:12 | Posted by admin

【浅草旅行に行って来ました】   お寺のよこ 安藤

2010年12月05日 | お寺のよこ

去る10月29日、延期になっておりましたお寺のよこ秋の日帰り旅行で浅草へ行って来ました。当日は、とても天気に恵まれ、何もかもキラキラしており、10月とは思えない程暖かな日でした。
上野の精養軒にて、ご家族を交え昼食会の後、浅草の浅草寺をバックに皆で集合写真を撮りました。その後は人力車に乗るグループ・ショッピングを楽しむグループ・グルメを楽しむグループ等に別れ、少人数でのグループ行動を行いました。私は人力車に乗るグループを担当しました。私は、密かに学生時代の修学旅行の自由行動を思い出しておりました。
入居者、Tさん・Nさん・Kさん、そしてスタッフ、Sさん・Tさん、私の6名は、皆と別れた後、先におみくじを引きました。私個人、おみくじを引くのはとても大好きで引いてから紙を開けるまでが何とも言えない無心の時です。先に、入居者のKさんとスタッフのTさんが引きました。2人が戻って来ると「2人とも凶でした」と、スタッフTさん。次に、入居者Tさんと私が引きに向かいました。明るい気持ちで引いたつもりでしたが、結果を見ると私も入居者Tさん2人とも凶・・・そして、最後に託されたスタッフSさんと入居者Nさんも・・・結果は凶でした。この日は不思議な事に、悪い結果を引いてしまっていても捕らわれる人はおりませんでした。引いて凶が出る度に皆で、笑っていた程でした。今日は凶でも、最強の日。そんな風にすら思えました。
おみくじを引き終えると、皆で人力車乗り場へ。1台に2人ずつ、計3台の人力車が連なり、人力車の方に浅草を色々と案内して頂きました。私個人は人力車に乗るのが初めてで、少しドキドキしましたが、いざ動き出すと、とても風が心地良く、こんなに風を心地よく感じたのはいつ以来だろう・・・?そんな事を、ふと思ってしまいました。一緒に乗った入居者のTさんも緊張されているのか、私にピッタリくっついていらっしゃいました。少し不安も伝わって来ました。ブランケットの下では、Tさんが私の手をがっちり握っていらっしゃいます。「大丈夫ですよ。大丈夫ですよ」何度も伝えました。
言葉というものは本当に不思議なもので、時々魔法のような働き方をします。私個人、ネガティブ思考の人間ですが日々この介護の仕事をしながら、不安がる入居者さんに「大丈夫ですよ。大丈夫です。人生は何があっても大丈夫な様に出来ているんですよ」そんな風に偉そうに言ったりします。何度も何度も言い続けているうちに、不思議なもので、実は入居者さんを励ましているつもりが、自分が励まされていたという事がこれまで何度かありました。あれ、そういえば、朝はあんなに落ち込んでいたのに・・・といった感じにです。これは仕事だけに限った事ではありませんが、プライベートも含め、自分が疲れていたりすると人に感謝したり励ましたり、何かを伝えなくちゃならないのにぶっきらぼうになってしまう事があります。これは当たり前の様に、親しい人間ほどそうなります。つまりは感謝しなくちゃいけないところで、つまらない見栄を張ってケチってしまうということです。何かの本に書いてありましたが、どこかの国のことわざだそうですが「行く言葉が美しければ、帰ってくる言葉も美しい」そうです。なるほどなぁと思いました。私の身勝手な想像で自己満足に過ぎないのかも知れませんが「大丈夫ですよ」といって、入居者さんが例え言葉として何も返して頂けなくても私が温かい気持ちになれたのならば、言葉以外の何かを返して頂いているような気がしました。
人力車、30分コースが気付けば、50分も廻って頂き、スタッフの方の紳士的な対応にはとてもありがたい限りでした。集合場所に到着すると、入居者さん皆さんの充実した顔がとても印象的でした。言葉は多くなくとも、入居者さん、スタッフ、感じるものが沢山あった旅行であったと思います。言葉が多い時は頭で考えてしまっているような気がします。でも、目で見て、耳で聞いて、肌で空気を感じている時は、五感で楽しめているような気がしました。美味しいものを食べ、沢山笑い、時々自分や他人とぶつかり合って、旅は人生そのものであると改めて実感しました。
数年前、私の生まれ年は八方塞がりであまり良くなかった様ですが、気にしていますと、父が「いいじゃないか、八方塞がってくれているんなら悪い物が寄ってこれないだろう」と言って笑っておりました。翌年は父が八方塞がりでしたが、全く気にしておりました。
私は親のすねをかじりに、ほぼ毎月帰省しているつもりでしたが、周囲の方々に「親孝行してるね」と言われた時はさすがに驚きました。これから先の人生も、未熟者ではありますが家族や友人、周りの出会った人達を大事にしていける自分であり続けたいと思います。
長くなりました。皆様にとって素敵な1年になります様、心よりお祈り申し上げます。

10:07 | Posted by admin

【秋です。】 お寺のよこ 冨所

2010年11月05日 | お寺のよこ

ついこないだまで「地球の重力がどうかしちゃったのか」と思うほどの、まとわりつくような蒸し暑さだったのが嘘のように、すっかり秋の気配の今日この頃です。この文章が載る頃には、私にとってお寺のよこでの4度目の冬を迎えていると思います。
年末年始の準備という事で、先日、法人の有志で行っている獅子舞研究会の三回目の研修に参加してきました。今年から動画を使った実演研修を行うという事で、今年の正月に、私がお寺のよこで舞った獅子舞の様子を撮影したものを、資料として持参し、研修の冒頭に流しました。私のぎこちない獅子が、居眠りしている入居者さんの前でしきりに頭を揺り動かし、屋内を歩いている入居者さんにぶつかって(獅子舞は視界がすこぶる悪いのです。)、自分が獅子である事をすっかり忘れて入居者さんに謝った後、スタッフに付き添われて、獅子にお賽銭を渡しにきた入居者さんの姿。9月末にご逝去された、Tさんでした。
Tさんは私がお寺のよこに入って数ヶ月経った頃、お寺のよこに来られました。Tさんは視力がだいぶ衰えられていたのですが、巧みな包丁さばきで、目にも止まらぬスピードで、透けて見えるような薄切りを切られたり、カボチャを美味しく煮るコツを教えて下さったりと、それまで生活してこられた力を、私たちに沢山見せてくれました。私の大雑把な料理の味見をお願いすると、指でOKサインを作り、「上等です。」とお世辞で答えてくださったり…。
目がよく見えないことによる不安感からか、外出する事には消極的でした。そんなTさんに何とか外に出てもらえたらと、Tさんの大好きなパンやお菓子を買いに行く事を勧めてみると、その直後は乗り気になるのですが、そこから「ちょっと用事があって…」、「ちょっと具合が悪くて…」などと色々理由をつけて、断られる事もしばしばあり、スタッフを悩ませると同時に、やはりそれまで生活してきた力を感じる瞬間で、微笑ましくもありました。そんなTさんが何とか外出された際には、表の空気や日差しの心地良さを繰り返し訴えられ、素直に「良かったなぁ」と感じる瞬間でした。
食事を残しがちのTさんに、戦時中の食糧難の話を振り、「そうだったわねぇ…」と当時に思いを馳せるようにつぶやいた数秒後に、大きなゲップをされ、思わず私の腰がへなへなと砕けてしまったなんて事もありました。
お寺のよこの入居者の中では最高齢であり、様々な疾患と向き合いながら、最後まで生き抜かれたTさん。多分色々至らない部分のあった私ですが、文句は私がそちらに行った時に聞かせて貰いますので、甘い物でも食べながら、お寺のよこのみんなを見守っていて下さいね。

10:07 | Posted by admin

【はじめまして】 お寺のよこ 田口

2010年10月05日 | お寺のよこ

6月からお寺のよこの職員として働かせていただいている田口と申します。
わたしは現在22歳で、介護の仕事は今回がはじめてです。見ること、やること、全てにおいてわたしにとっては新鮮な毎日。そして大変ですがそれ以上に楽しい毎日を送っているつもりです。
もちろん感謝もしています。自分がお寺のよこ職員として働けてること。頑張って行きたいです。これからもよろしくおねがいします。

10:06 | Posted by admin

【恩師】 お寺のよこ 光岡

2010年09月05日 | お寺のよこ

私が中学1、2年の時の話です。学校の教師ではないのですが、私が信頼を寄せている30過ぎの男性がいました。
中学生といえば世間的に言えば「子供」ということになるのでしょうが、子供は子供なりの世界観であったり悩みは抱えているものです(今思い返してみると他愛のないことだったりしますがその時は切実なことでした)。私はその男性(ここでは仮にUさんとします)に様々な話や相談事を聞いてもらっていました。
ある日、私の家族が「電車内で理不尽な行動をしている乗客を見掛けた」という話をしていました。私は、その乗客のあまりの理不尽さ具合に非常に腹を立ててしまい、怒りの感情を消化することが出来ず、その話をUさんにすることにしました。
Uさんは、ひとしきり私の話を聞いた後に「その人も何か色々と嫌なことがあったんとちゃうか」と言いました。出来事はたったそれだけなのですが、その時私は怒りをシェアしてくれなかった不満と同時にとても恥ずかしい気持ちになったことを憶えています。今思い返してみると、物事の表面だけに囚われるのではなくその裏にあることを見ようとする事、色々な切り口で人や事象に対峙することの大切さをUさんは教えてくれたのだと思います。
Uさんの言葉はその後も私の心にずっと引っ掛かっています。独善的に人を裁こうとした時、事象を一面的にしか捉えようとしなかった時、Uさんの言葉がある地点まで私を引き戻してくれるのです。
仕事や作業をスムーズに進ませる事、自分の中の感情のバランスを取る為に、ある一定の枠の中で物事を捉えたり、人を理解しようとする事はある意味で必要な行為かもしれません。ただ、私(達)は人と濃厚に関わりを持つ職業に就いています。人を簡単に理解したと思い込むこと、自分の価値基準に疑問を持たない事は如何に危険であるかという事は肝に命じていかなければと感じています。
Uさんとは高校を卒業するまで深く関わって頂きました。その後は数年に一度お会いするのみで現在では年賀状のやり取りが主たるものとなっています。普段、「恩師」という存在を意識したことはありませんが、私にとってUさんは「恩師」と言う存在なのかなと思っています(Uさんは「恩師」という響きは非常に嫌がるかと思いますが)。
Uさんも50代半ばになっておられます。ここで話をした時のUさんの年齢を私は4~5年前に追い越してしまいました。その頃のUさんに笑われない大人になっているかな、と自分に問い掛けつつ、多感な時期に信用出来る大人とめぐり合えたことに感謝しています。

10:06 | Posted by admin

【Tさんの谷中】 お寺のよこ 橋本

2010年08月05日 | お寺のよこ

Tさんと4月の誕生日に行く予定だった谷中の散策。延び延びになっていたのが先日の14日にやっと決行!6月に待ち望んでいた新人職員が入職し、勤務体制に余裕ができて、半日の外出の時間が取れた次第で。
Tさんは台東区谷中で生まれ育ったちゃきちゃきの下町江戸っ子。テレビで谷中の様子が放映されると、いつもご存知の地名や店名などを大きな声で教えてくれます。実は、ここ最近、毎年1回谷中に出掛けている。浅草にも一緒に出掛けたことはありますが、やっぱり谷中の町を歩いている時の方が嬉しそうでした。始終柔らかな笑顔を浮かべ(お寺のよこにいる時とは表情が違う!)、いつも以上にお話をされています。
谷中銀座での買い物。といってもおしゃれな小物などを買うのではなく、昔良く行かれていたスーパーで菓子パンを購入と、極々普通の買い物です。谷中銀座と谷中霊園に行くのは毎回の定番ですが、今回はTさんが住まわれていた所にも行ってみようと思い、「谷中初音町の2丁目」教えてくれた地名が、地図で捜しても見当たらない。近所にあるお寺の名前などをTさんから聞き出して、とりあえずこの辺だろうと当りをつけて行ってみました。
すると街角に旧地名としての谷中初音町の看板を見つけた。結局そこまでで、Tさんの住まわれていた番地までは辿りつけなかったのが残念でした。戦前の旧い街並みが残っているといっても、長年の月日でやはり変わってしまっているだろうし、その場所に行ったとしても、懐かしい思いを喚起できたかどうかはわかりませんが。
その日にTさんが話された「銭湯の前にはね、蕎麦屋となんとか(ゴメンナサイ。忘れてしまった)があるよ」の言葉を聞いた時には、Tさんの頭の中にはその頃の街並みが再現されているのだろうなと思い、「銀杏を拾って、洗って炒って食べた。
いつも拾いにきてたんだよ。臭いけどね」では、一面の黄色い落ち葉が目に浮かんでいるのかなと想像する。
「谷中の墓地の五重塔」も随分昔に確か放火で消失してしまっていますが、Tさんには未だ存在する建物となっているようです。きっと、長い年月を通した谷中の町並みがTさんの頭には保存されているのでしょう。
大切な思い出をまた話して聞かせてください。そして、来年もお元気で誕生日を迎え、また谷中に出掛けましょうね。

10:04 | Posted by admin

【遺品】 お寺のよこ 谷野

2010年07月05日 | お寺のよこ

先日、ご近所に住んでいるSさんに、亡くなられたお姉さんの遺品を整理したいので、手伝ってほしいと頼まれました。お姉さんは享年85歳だったそうです。長唄三味線をされていたとの事で着物がたくさんありました。旅行が好きだった方なのか、地方のおみやげがたくさんのガラスケースに山になって飾られてあります。古い宝くじがいろんな所から出てきます。テレビを見ながらのメモ書きなのか、料理のレシピや書き留められた言葉が広告の裏に書かれています。僕自身故人とは、まったく面識もありませんでしたが、たくさんの遺品を見ていると、知り合いだったかのように思えてしまいます。
後日、85年の人生分の遺品が多い事を友人に話したら、「谷野の荷物の量は小学生なみだよね。」と、しみじみ言われました。本当にその通りですが、何かを集める趣味もないし…。それと、今のところに引っ越す前に、女優の沢村貞子さんが書かれた本で、ご本人が80歳を過ぎてから、身軽になって海でも見ながら晩年をおくりたいと、持ち家や家財道具を処分して、ご主人と湘南のマンションに移り住んでからのエッセイ本だと思いますが。そんな影響を受けるような本だったのか内容も忘れてしまったのですが、それを読んでから荷物を減らしたのだと思います。
赤帽さんに、これだけですか、まだまだ入りますよと言われるくらいの荷物しか引越し先には持って行きませんでした。
Sさんは、以前に呉服屋のご主人をしていたので、着物の染め方・織り方の説明を交えながら、これ当時は高かったんだよと言いながらも、故人の着物を、てきぱきとゴミ袋に入れていきます。勿体無いですよと、余計なことを言うと、もう1年以上たったから…、形見分けも終わったし、こんなにたくさんの荷物を置いておいたら、子供たちが大変だからと。僕は荷物を整理しながら、これをいただけませんかと、帯を1枚と、帯紐を2本いただきました。Sさんは、にっこりして「いいですよ。」と。名前も知らない方の遺品をもらって、家に帰りタンスが無いので、押し入れの奥にしまいました。この綺麗な帯と帯紐が、僕の遺品になったら、どう解釈されるのだろうと思いながら。

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【グット デイ】 お寺のよこ 安藤

2010年06月05日 | お寺のよこ

少し前のこと、体調を崩してしまい病院へ行った。
待合室で、思いつめた表情でもしてしまっていたのだろう。ボーッとしていると、目の前を車椅子が通り過ぎた。その時「グット ディ~」そんな言葉が私に投げ掛けられた。
穏やかで優しくて、温かい声だった。顔を上げると、そこには小学生の高学年ぐらいの少年がいた。少年の後方を、付き添いだろうか、その少年のお母さんと、おばあちゃんらしき人がいる。とっさに「ありがとう」と少年に伝えた。少年もお母さんもおばあちゃんも3人そろって何だかとてもキラキラしていた。
少年には、手と足が普通の人間の半分程しかなかった。少年には「ないもの」を私は持っていた。そして、私には「ないもの」を少年は持っていた。でも、少年にはそんなことはどうでもいいみたいだった。電動車椅子を自在に操作し、待合室を自由に移動していた。
少年は「あるもの」を見ていた。私は「ないもの」を見ていた。それは、もう長年、私が気付けていないことだった。
それからというもの、私はとても分かった気になって親しい友人にメールを送る際には「○○○ちゃん、グット ディ~」と語尾に決めゼリフの様に使用する様になった。
「グット ディ」=「よい日」という事で、よい1日・素敵な1日をお過ごし下さい。そんな意味が込められているものと思っていた。しかし、実際に現実はどうだろうか?
人生がつまらないと感じた時、疲れている時、嫌なことがあった時、分かっていても自分と他人を比べてしまう時、果たして「今日はとても良い日だな~」と、言えるだろうか?
もしくは1日の終わりに「今日はとても素敵な1日だったなぁ~」と、思えるだろうか?
プラス思考がよしとされている人生でも、不安や心配で心の中がいっぱいの時や疲れている時は、とても前向きには考えられない。以前の私は、それでも前向きに考えようと躍起になっていた時期があった。気付くと肩コリに随分悩まされた(今では前よりも楽になりました)。そもそも、良いことがあった日だけ「グット ディ」なのか?そんな自問自答を繰り返していたある日、携帯電話のネットをいじくりまわしていると「良い日とは、自分にありがとうが言える日」そんな言葉がのっていた。
あれもダメ、これもダメと、長年自分に対してそんな風にしか思えなかった。自分を大事にすることは、わがままになるという事ではなくて、自分という人間を通して世の中や他人を見ているのであるから、とても大切なんだと、あの日、少年に教わった。
新緑の美しい季節となりました。

10:03 | Posted by admin