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【こんにちは。のんびり家3階です。】 3F 福田

2010年09月23日 | 未分類

のんびり家が引越しをして1か月が経ちました。入居者さん、スタッフともに新しい生活にもようやく慣れてきたところであります。
引っ越しに伴い、勤務体制が代わり新人スタッフが加わるなど生活環境だけではなく、生活を支えるスタッフも変わり、今まで以上に一層頑張っていこうと思っているところです。
ちょうど、10年前の夏。私は今まで勤めて来た介護老人保健施設を退職しのんびり家に入職をしました。 10年前ものんびり家の新規立ち上げで関わらせて頂きましたが、移転をし新たにオープンとなるとまた違った思いがあります。そして10年後、新たなオープンという貴重な時を経験することができました。
今まで行ってきた10年という積み重ねはとても大きく重いものでもあります。そういった大きなものを持っての引越しは字の通り荷が重いものであります。これからは、その重い荷を捨てずに、なくさずに、落とさずにしていかなくてはいけません。生活環境や支えるスタッフが変わり、今まで通りに行かない部分もありまた、入居者さんの要介護度数も高くなっており「出来る事の支援」をどう支えるか、スタッフの手腕が試される時でもあると考えております。
すこし、堅苦しくなってしまいましたがこれからも今まで行ってきた質を落とさず、入居者さんの有する能力に柔軟にかつ適切に支援できるようにしていきたいと思っています。
のんびり家の入居者さんは、環境が変わりましたが今まで同様、元気に生活をされており早速、のんびり家の前の公園で行われた納涼祭りに出かけたり暑い夏の中、お買い物にも毎日出かけています。
地域の皆様にはこれからたくさん支えていただく事になると思います。今までのんびり家が成長出来たのも地域の皆様のご理解とご協力があっての物でした。
これから新たな地域で支えていただくだけでなく、私たち地域を支える一員として生活をしていきたいと思っております。
皆さま、のんびり家を今後ともよろしくお願いいたします。

01:47 | Posted by admin

【新規のんびり家スタート】 2F 石井

2010年09月23日 | のんびり家::のんびり家 2F

【新規のんびり家スタート】 石井
家が2フロアになり新しくスタートしました。引越し準備で何かとバタバタしてしまい、入居者の方、ご家族の方、地域の方や引越しに伴い尽力された方々にはこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
さて、2階のんびり家は7月15日より徐々に入居者の方が入居され8月15日に定員8名の入居が完了しました。引越しの経験が少ない職員が多く要領が悪かったことは否定できません。調理器具の不足など些細なこともありました(苦笑)その度に「どうしようもないね。」「なんとかなるでしょう。」と入居者の方の激励を頂きました。職員が包丁を使っている姿を見て「なんて、やり方するの。何も知らないんだね。どうしようもないね。見てられないよ。貸して。」と口も滑らかなYさんの呆れ顔を拝見する機会が徐々にではありますが増えてきています。(職員が怒られている姿を見て、他の入居者も少々呆れ顔です。)その度に、職員は入居者の力の前に屈するわけです。そして、まだまだ若造には負けないという入居者の方の力を感じることができます。
7月某日近くの公園にて町内会のお祭りがありました。2階、3階合同で参加をさせていただきました。しっかりベストのポジションをとり、親切にあずかりながら美味しい焼きそば、とうもろこし、枝豆、スイカを頂きました。「ほら、せっかくなんだからもっと食べなさい。」と職員に促す入居者の姿がありました。
そんな逞しい姿を見せてくれる入居者を日々知り続けながら、少しでもさりげなく日々の生活をささえていくことができたらと思っています。そのためにも職員同士声を上げながら入居者の方と一緒にの
んびり家を盛り上げていけたらと思います。
まだスタートを切ったばかりの2階のんびり家ではありますが、どうかよろしくお願い致します。

01:14 | Posted by admin

【有難うございました】 宮崎

2010年09月22日 | きみさんち

この度家庭の事情で退職することになりました。
“きみさんち”で働き始めて1年4ヶ月。なんだか、あっと言う間の日々でした。
介護をする人と、介護される人という関係と言うよりも、1人の人として、お付き合いをさせて頂けたようにおもいます。今まで介護業界で働いていて、入居者が不機嫌、気難しい性格だったりすると、気を静めようとしたり、嫌な(いらいら等)雰囲気を漂わせる前に、介護者(スタッフ)が、触らぬ神に祟り無しとばかりに、関わりを敬遠したり、「とっつき難い人」という認識のもと怒らせ無い様に怒らせ無い様にと、その人とのかかわりの幅を狭くする関わりが多かったと思いますし、新人で入るときには必ずといっていいほど施設の要注意人物だから、対応には気をつけるようにと、植えつけられて育ちました。
きみさんちに来て、不機嫌だって感情の一つ。必要以上に、スタッフが先回りして機嫌を取ったり、不機嫌さを回避する対応をする事はないんだなと気付かされました(しなくてはいけないときも有りますが)。
そっと、入居者さんの様子を見ていると、不機嫌さを、自分でうまく解消したり、気分転換をされていて、入居者の出来ないところ探しではなく、出来るところ探しという視点を変えるだけで随分かかわり方が違ったように思います。
きみさんちにくるまで福祉関係は、きみさんちで最後にしようと思っていたのですが、まだ福祉の仕事に関わっていたいなとおもっています。介護業界、介護スタッフの接遇の事や、スタッフの質等問題は多いですが、どっしりと構えて介護を必要としている人を支えているという、プライドを持っていたいと思います。

23:28 | Posted by admin

【こんにちは。のんびり家3階です。】  のんびり家3F 福田

2010年09月05日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家が引越しをして1か月が経ちました。入居者さん、スタッフともに新しい生活にもようやく慣れてきたところであります。
引っ越しに伴い、勤務体制が代わり新人スタッフが加わるなど生活環境だけではなく、生活を支えるスタッフも変わり、今まで以上に一層頑張っていこうと思っているところです。
ちょうど、10年前の夏。私は今まで勤めて来た介護老人保健施設を退職しのんびり家に入職をしました。 10年前ものんびり家の新規立ち上げで関わらせて頂きましたが、移転をし新たにオープンとなるとまた違った思いがあります。そして10年後、新たなオープンという貴重な時を経験することができました。
今まで行ってきた10年という積み重ねはとても大きく重いものでもあります。そういった大きなものを持っての引越しは字の通り荷が重いものであります。これからは、その重い荷を捨てずに、なくさずに、落とさずにしていかなくてはいけません。生活環境や支えるスタッフが変わり、今まで通りに行かない部分もありまた、入居者さんの要介護度数も高くなっており「出来る事の支援」をどう支えるか、スタッフの手腕が試される時でもあると考えております。
すこし、堅苦しくなってしまいましたがこれからも今まで行ってきた質を落とさず、入居者さんの有する能力に柔軟にかつ適切に支援できるようにしていきたいと思っています。
のんびり家の入居者さんは、環境が変わりましたが今まで同様、元気に生活をされており早速、のんびり家の前の公園で行われた納涼祭りに出かけたり暑い夏の中、お買い物にも毎日出かけています。
地域の皆様にはこれからたくさん支えていただく事になると思います。今までのんびり家が成長出来たのも地域の皆様のご理解とご協力があっての物でした。
これから新たな地域で支えていただくだけでなく、私たち地域を支える一員として生活をしていきたいと思っております。
皆さま、のんびり家を今後ともよろしくお願いいたします。

18:36 | Posted by admin

【恩師】 お寺のよこ 光岡

2010年09月05日 | お寺のよこ

私が中学1、2年の時の話です。学校の教師ではないのですが、私が信頼を寄せている30過ぎの男性がいました。
中学生といえば世間的に言えば「子供」ということになるのでしょうが、子供は子供なりの世界観であったり悩みは抱えているものです(今思い返してみると他愛のないことだったりしますがその時は切実なことでした)。私はその男性(ここでは仮にUさんとします)に様々な話や相談事を聞いてもらっていました。
ある日、私の家族が「電車内で理不尽な行動をしている乗客を見掛けた」という話をしていました。私は、その乗客のあまりの理不尽さ具合に非常に腹を立ててしまい、怒りの感情を消化することが出来ず、その話をUさんにすることにしました。
Uさんは、ひとしきり私の話を聞いた後に「その人も何か色々と嫌なことがあったんとちゃうか」と言いました。出来事はたったそれだけなのですが、その時私は怒りをシェアしてくれなかった不満と同時にとても恥ずかしい気持ちになったことを憶えています。今思い返してみると、物事の表面だけに囚われるのではなくその裏にあることを見ようとする事、色々な切り口で人や事象に対峙することの大切さをUさんは教えてくれたのだと思います。
Uさんの言葉はその後も私の心にずっと引っ掛かっています。独善的に人を裁こうとした時、事象を一面的にしか捉えようとしなかった時、Uさんの言葉がある地点まで私を引き戻してくれるのです。
仕事や作業をスムーズに進ませる事、自分の中の感情のバランスを取る為に、ある一定の枠の中で物事を捉えたり、人を理解しようとする事はある意味で必要な行為かもしれません。ただ、私(達)は人と濃厚に関わりを持つ職業に就いています。人を簡単に理解したと思い込むこと、自分の価値基準に疑問を持たない事は如何に危険であるかという事は肝に命じていかなければと感じています。
Uさんとは高校を卒業するまで深く関わって頂きました。その後は数年に一度お会いするのみで現在では年賀状のやり取りが主たるものとなっています。普段、「恩師」という存在を意識したことはありませんが、私にとってUさんは「恩師」と言う存在なのかなと思っています(Uさんは「恩師」という響きは非常に嫌がるかと思いますが)。
Uさんも50代半ばになっておられます。ここで話をした時のUさんの年齢を私は4~5年前に追い越してしまいました。その頃のUさんに笑われない大人になっているかな、と自分に問い掛けつつ、多感な時期に信用出来る大人とめぐり合えたことに感謝しています。

10:06 | Posted by admin

【新のんびり家が開所しました!】 林田

2010年08月23日 | のんびり家

昨年の9月から取り掛かりましたのんびり家の移転と開所が、やっと7月で開所できました。2000年にのんびり家を開所させて、ちょうど10年目の一大イベントでした。
新しい引越し先を紹介してくださった幸和クリニックの大和師長や、私どものことを信用して家を貸してくださったオーナーの方、補助金でご尽力いただいた区役所の皆さんなど、あげれば切りがないぐらいの方々のご協力でここまでくることができました。
そして何よりも、引越しという大きな出来事を乗り越えていただいた入居者さんたちとご家族の皆さまへ心からお礼を申し上げます。また、入居者さんたちを支えてくれたスタッフたちにも大変感謝しています。
すでに、新しくできた8室は入居者の方々が生活を始めていらっしゃいます。これからは、新しい地域の方々のご理解をいただき、私たちも地域への貢献を行い、新しいのんびり家をまた素敵な場所にしていきたいと思っています。

01:14 | Posted by admin

【自己紹介】 石川

2010年08月22日 | きみさんち

初めまして、石川と言います。きみさんちに就職して、一ヶ月になります。よろしくお願いします。
自分のちょっと前の過去を話させてください。
お笑い芸人になりたくて、東京に出てきました。4年前に芸人の養成学校に入りまして、色々ありまして芸人になったのは良いのですが、月に一回のライブと浅草でのビラ配り、先輩芸人のライブに進んでお手伝いに行き、事務所に頑張ってますよー!アピール!アピールの甲斐あって、テレビのオーディションがくるものの、自分の実力がたりなかったのか見事に落ちる。
理由があってアピールはするものの練習をあまりしない、その番組でどんなものが受けているのか、あまりリサーチしない・・・受かるわけありません。
偏差値の高い学校に努力もしないで受けに行くようなものです。ここに、僕達はいるよー!と自己主張だけは強い3人組でした。トリオでやっていました。このことにいち早く気がついた相方の一人がもう限界だよ・・・と辞めていきました。
自分はまだ芸人を続ける気でいたのですが、その時ずっと続けていたアルバイトを辞めて、新しいバイト先を探していたのですが、見事に落ち続けこれまで夢を追いかけてきて、何の成果もあげられなかった僕への神様からのいましめなのか、2ヶ月程職もなく家でぼーっとしていました。芸人のお手伝いをしつつ、その間一緒に住んでいる(同棲)していた彼女に生活を支えてもらい、その彼女を見ていたら自分がこのままでいいのか、このまま続けていたら苦労しかかけない。よく芸人の言葉で「苦労掛けるかも知れないけど芸人は長い宝くじをかったようなものだから、当たるまで待っていて」という言葉があるんですが、ダメだこのまま待たせていたら本当にダメだと思いまして、芸人を辞めて、これから何をしようかと二人で話しあって、ちゃんとした職業につきなとアドバイスをもらい、この仕事を選びました。
人の為になる仕事でやりがいがある仕事だと思い、きみさんちに来ました。入居者さん達と笑いあり楽しい時間をすごしています。若輩者ではありますが、以後よろしくお願いします。

23:27 | Posted by admin

【Tさんの谷中】 お寺のよこ 橋本

2010年08月05日 | お寺のよこ

Tさんと4月の誕生日に行く予定だった谷中の散策。延び延びになっていたのが先日の14日にやっと決行!6月に待ち望んでいた新人職員が入職し、勤務体制に余裕ができて、半日の外出の時間が取れた次第で。
Tさんは台東区谷中で生まれ育ったちゃきちゃきの下町江戸っ子。テレビで谷中の様子が放映されると、いつもご存知の地名や店名などを大きな声で教えてくれます。実は、ここ最近、毎年1回谷中に出掛けている。浅草にも一緒に出掛けたことはありますが、やっぱり谷中の町を歩いている時の方が嬉しそうでした。始終柔らかな笑顔を浮かべ(お寺のよこにいる時とは表情が違う!)、いつも以上にお話をされています。
谷中銀座での買い物。といってもおしゃれな小物などを買うのではなく、昔良く行かれていたスーパーで菓子パンを購入と、極々普通の買い物です。谷中銀座と谷中霊園に行くのは毎回の定番ですが、今回はTさんが住まわれていた所にも行ってみようと思い、「谷中初音町の2丁目」教えてくれた地名が、地図で捜しても見当たらない。近所にあるお寺の名前などをTさんから聞き出して、とりあえずこの辺だろうと当りをつけて行ってみました。
すると街角に旧地名としての谷中初音町の看板を見つけた。結局そこまでで、Tさんの住まわれていた番地までは辿りつけなかったのが残念でした。戦前の旧い街並みが残っているといっても、長年の月日でやはり変わってしまっているだろうし、その場所に行ったとしても、懐かしい思いを喚起できたかどうかはわかりませんが。
その日にTさんが話された「銭湯の前にはね、蕎麦屋となんとか(ゴメンナサイ。忘れてしまった)があるよ」の言葉を聞いた時には、Tさんの頭の中にはその頃の街並みが再現されているのだろうなと思い、「銀杏を拾って、洗って炒って食べた。
いつも拾いにきてたんだよ。臭いけどね」では、一面の黄色い落ち葉が目に浮かんでいるのかなと想像する。
「谷中の墓地の五重塔」も随分昔に確か放火で消失してしまっていますが、Tさんには未だ存在する建物となっているようです。きっと、長い年月を通した谷中の町並みがTさんの頭には保存されているのでしょう。
大切な思い出をまた話して聞かせてください。そして、来年もお元気で誕生日を迎え、また谷中に出掛けましょうね。

10:04 | Posted by admin

【私たちの取り組み】 伸居

2010年07月22日 | きみさんち

社内状況になりますが、現在NPOミニケアホームきみさんちと(有)自在の管理者5人(蔵田、光岡、福田、村松、伸居)が集まり、4月以降の新規スタッフへの基礎研修を段階的に担当しております。これには事業所数の拡大と、それに要する人材の育成という背景もあるのですが、それぞれの管理者達が人前で話す、経験や知識を伝える練習をするという意味合いも含まれています。
研修プログラムの作成から講義資料の作成と色々と準備をしてきました。今は講義という形態の持つ独特の難しさの様な物を感じています。
例えば自分ではハキハキと喋っているつもりが実は抑揚の無い声でゴニョゴニョ喋っていたり、すご~~く無表情だったり。と第三者の視点を聞けたりします。それはそれで結構落ち込んだりもするのですが、これには文字通り訓練が必要なのだと思います。
対して会話であれば、相手の返答、間、呼吸、表情そう言った物からお互いの意思を辿り合う事が出来ると思います。聞くところに拠ると人間は言葉では35%だけしか伝達する事が出来ず、残りの65%は言葉意外のジェスチャー、身振り手振り、声の大小、で伝えているそうです。興味のある方はバーバルコミュニケーションという言葉を調べてみてください。(パーセンテージは文献により差異があります)
これって実は僕達がホームで入居者さんをケアする際に重要視している事柄であったりします。言葉を上手く扱う事が困難になっている方と接する時、全身の色々な部分をそっと観察します。顔はもちろんの事、背筋、首筋、肩、腕、掌、そんな箇所も表情を持っています。そういった物から相手の気持ちや意思を知ろう、知っていこうとする訳です。意外にこれが熟練すると的を得始めてくるのが不思議です。ですが、大抵の場合、可能な場合において僕はまず目、目線を見ることが多いです。
話を講義の難しさに戻しますと、まず目を見られることが多いのでは?と考え、今後目の表情を良くしていけば講義を受ける人の印象も大分変わるのではと考えている最中です。

23:26 | Posted by admin

【遺品】 お寺のよこ 谷野

2010年07月05日 | お寺のよこ

先日、ご近所に住んでいるSさんに、亡くなられたお姉さんの遺品を整理したいので、手伝ってほしいと頼まれました。お姉さんは享年85歳だったそうです。長唄三味線をされていたとの事で着物がたくさんありました。旅行が好きだった方なのか、地方のおみやげがたくさんのガラスケースに山になって飾られてあります。古い宝くじがいろんな所から出てきます。テレビを見ながらのメモ書きなのか、料理のレシピや書き留められた言葉が広告の裏に書かれています。僕自身故人とは、まったく面識もありませんでしたが、たくさんの遺品を見ていると、知り合いだったかのように思えてしまいます。
後日、85年の人生分の遺品が多い事を友人に話したら、「谷野の荷物の量は小学生なみだよね。」と、しみじみ言われました。本当にその通りですが、何かを集める趣味もないし…。それと、今のところに引っ越す前に、女優の沢村貞子さんが書かれた本で、ご本人が80歳を過ぎてから、身軽になって海でも見ながら晩年をおくりたいと、持ち家や家財道具を処分して、ご主人と湘南のマンションに移り住んでからのエッセイ本だと思いますが。そんな影響を受けるような本だったのか内容も忘れてしまったのですが、それを読んでから荷物を減らしたのだと思います。
赤帽さんに、これだけですか、まだまだ入りますよと言われるくらいの荷物しか引越し先には持って行きませんでした。
Sさんは、以前に呉服屋のご主人をしていたので、着物の染め方・織り方の説明を交えながら、これ当時は高かったんだよと言いながらも、故人の着物を、てきぱきとゴミ袋に入れていきます。勿体無いですよと、余計なことを言うと、もう1年以上たったから…、形見分けも終わったし、こんなにたくさんの荷物を置いておいたら、子供たちが大変だからと。僕は荷物を整理しながら、これをいただけませんかと、帯を1枚と、帯紐を2本いただきました。Sさんは、にっこりして「いいですよ。」と。名前も知らない方の遺品をもらって、家に帰りタンスが無いので、押し入れの奥にしまいました。この綺麗な帯と帯紐が、僕の遺品になったら、どう解釈されるのだろうと思いながら。

10:04 | Posted by admin

【3月のある日、夜勤明けで帰る時にこんな光景を見ました】 福田

2010年06月23日 | のんびり家

4、5歳くらいの子供が自転車に乗る練習をしていました。あと1歩で乗れそうな様子でした。
私は、小学校2年の終わりまで自転車の乗る事ができませんでした。
小学校2年と言えば、ほとんどの友達は自転車の乗る事が出来ます。公園に行く時や友達の家に行く時は自転車は必需品です。そんな中、私だけ自転車に乗る事が出来なかったのですが、友達は「私、自転車押して行くから一緒にあるこう」と言って歩いてくれたり、時には二人乗り(駄目ですね…)をしたり、時には「先に行って待っているよ」と歩いてくる私を先に行って待っていてくれる事もありました。
そんな私に早く自転車デビューをさせようと、必死だったのは親と親戚です。親と親戚が教えるとなるとどうしても感情的になってしまい、泣きまくる私を「これでもか!」と言うくらい厳しい言葉を浴びせます。そうなると自転車に乗れない+怒られるでますます嫌になってきます。
ある時は数名の友達が自転車に乗れるようにと私に教えてくれました。転ぶ事が怖い私に怖くない乗り方など、あれこれ優しく教えてくれましたが応える事が出来ませんでした。
まぁ、自転車なんて乗れなくても良いか、と思っていたある日。今は亡き弟が颯爽と自転車に乗り「乗れたよ~」と私の目の前を通り過ぎました。
その時、とっても悔しい気持ちでいっぱいになり、親戚から教わった「坂道で練習すると乗れるようになる」という言葉を思い出しいざ坂道へ。あの時は転ぶ事も怖くなく、ただ3歳年下(当時5歳)の弟に先を越された悔しさだけがいっぱいでした。
坂道を下ること数十回。何回目かは忘れましたが気がつくとペダルを漕ぐことができ遅咲きの自転車デビューを果たしました。
有する能力に応じた支援を日々行っていますが、この経験こそ『有する能力に応じた支援』だったのかな、とふと思い出しました。
最近、以前より長い距離を歩けなくなってきている入居者さん、いろんな事に対し認識力が低下してきている入居者さんに対し、自分が支えてきてもらって出来た事を思い出してみようと思った出来事でした。

01:12 | Posted by admin

【マナーについて】 松林

2010年06月22日 | きみさんち

電車に乗っていると誰かの着メロが鳴り出しました。20代と思える女性の携帯電話だったようで、「うん、大丈夫、電車ん中だからヒマ」と言って電話に出て話し始めました。
電車の騒音で電話が遠いのでしょう、結構、大きな声で話しています。よく見ると座っているのは優先席。少し離れた扉の所に杖をついたオジサンが立っています。周りの人たちは見てみぬ振り、聞いて聞かぬ振り------。
こんな状況に遭遇したらどうでしょう?電車内での携帯電話、ましてや優先席での使用であることを注意できるでしょうか。
電車内のアナウンスで、携帯電話の使用云々が流れていますが、このアナウンス、聞いている人はいるのでしょうか? BGMのように聞き流されていませんか。
BGMと言えば、最近ではあまり聞かれる事のなくなった、ヘッドフォンからの音洩れ。聴きたくもない音楽を聞かされている迷惑感があります。どうして洩れてくる音はあんなに神経を逆撫でするのでしょうか?
罪のない迷惑は、電車内で騒いでいる小さな子供たち。狭い電車内で飽きてしまうのは仕方ないなぁと我慢していますが、親の叱り方の方が気になってしまいます。「騒いでいたら、あそこのおじさんに怒られるわよ!」あなたが怒りなさい、と言いたい。
路上では、歩きながらの喫煙がまだまだ見かけられます。
喫煙できる飲食店が減っている事もあるとは思いますが、喫煙できる場所も増えているように思います。どうしてそこまでの我慢というか迷惑を考えないのでしょうか?
携帯電話に話は戻りますが、歩きながら、自転車に乗りながら使っている人を多く見かけます。こちらとぶつかりそうになるギリギリまで携帯を見ています。
もしも私の視力が低下していたらどうでしょう。こちらは避ける事が出来ませんから注意のしようがありません。
マナーって人を思いやる事。他人の事を想像して、やらないように、またやっておく様にする事だと思うのですがどうでしょう。
先生に言われたから、アナウンスで流れているから、他人に怒られるから、そんな理由でやるものではないですね。その時は怒られるからマナーを守ったとしても、どうしてそれがマナーとして言われているのか、色々想像して考える事がもっとも大事だと思います。
どうして歩きタバコはいけないのか。
電車内で騒いだら誰に迷惑なのか。
優先席での携帯電話は何故電源を切らなければいけないのか。
BGMのように聞き流されがちな車内アナウンスですが、もう一度よく聞いてみてください。こんなにマナーについて言っているんだと感心しますよ。
ヘッドフォンで耳を塞ぎ、携帯電話に視線を落し意識はメールの中。個人を守るのも大事ですが、同じ人間同士、近くにいる人に思いやりをもって、もう少し周りを見ながら行けないかなあと、いつも感じています。

23:26 | Posted by admin

【グット デイ】 お寺のよこ 安藤

2010年06月05日 | お寺のよこ

少し前のこと、体調を崩してしまい病院へ行った。
待合室で、思いつめた表情でもしてしまっていたのだろう。ボーッとしていると、目の前を車椅子が通り過ぎた。その時「グット ディ~」そんな言葉が私に投げ掛けられた。
穏やかで優しくて、温かい声だった。顔を上げると、そこには小学生の高学年ぐらいの少年がいた。少年の後方を、付き添いだろうか、その少年のお母さんと、おばあちゃんらしき人がいる。とっさに「ありがとう」と少年に伝えた。少年もお母さんもおばあちゃんも3人そろって何だかとてもキラキラしていた。
少年には、手と足が普通の人間の半分程しかなかった。少年には「ないもの」を私は持っていた。そして、私には「ないもの」を少年は持っていた。でも、少年にはそんなことはどうでもいいみたいだった。電動車椅子を自在に操作し、待合室を自由に移動していた。
少年は「あるもの」を見ていた。私は「ないもの」を見ていた。それは、もう長年、私が気付けていないことだった。
それからというもの、私はとても分かった気になって親しい友人にメールを送る際には「○○○ちゃん、グット ディ~」と語尾に決めゼリフの様に使用する様になった。
「グット ディ」=「よい日」という事で、よい1日・素敵な1日をお過ごし下さい。そんな意味が込められているものと思っていた。しかし、実際に現実はどうだろうか?
人生がつまらないと感じた時、疲れている時、嫌なことがあった時、分かっていても自分と他人を比べてしまう時、果たして「今日はとても良い日だな~」と、言えるだろうか?
もしくは1日の終わりに「今日はとても素敵な1日だったなぁ~」と、思えるだろうか?
プラス思考がよしとされている人生でも、不安や心配で心の中がいっぱいの時や疲れている時は、とても前向きには考えられない。以前の私は、それでも前向きに考えようと躍起になっていた時期があった。気付くと肩コリに随分悩まされた(今では前よりも楽になりました)。そもそも、良いことがあった日だけ「グット ディ」なのか?そんな自問自答を繰り返していたある日、携帯電話のネットをいじくりまわしていると「良い日とは、自分にありがとうが言える日」そんな言葉がのっていた。
あれもダメ、これもダメと、長年自分に対してそんな風にしか思えなかった。自分を大事にすることは、わがままになるという事ではなくて、自分という人間を通して世の中や他人を見ているのであるから、とても大切なんだと、あの日、少年に教わった。
新緑の美しい季節となりました。

10:03 | Posted by admin

【だから私は雪が好き】 熊谷

2010年05月23日 | のんびり家

今年の春は、桜が散った後も冬のような寒さが続き、5月になった途端、夏のような暑さとなりました。
皆様、体調など崩されておりませんでしょうか?
初めまして。私、熊谷多恵(クマガイタエ)と申します。私は、1年3ヶ月の間、のんびり家でアルバイトとして勤務させて頂き、この春4月から、同じくのんびり家にて、常勤職員として勤務させて頂くことになりました。
初めてこのような記事を書かせて頂くことになり、正直ドキドキしています。
まず、今回の記事では、初めましてのご挨拶として、自己紹介と、私が産まれた時のお話をさせて頂きたいと思っています。
私の家族は父、母、兄2人の5人家族です。父、母、長兄は自宅で居食屋(食堂家兼居酒屋)を営んでいます。
次兄は都内でバーテンダーをしており、私以外は皆、飲食店関係の仕事をしています。熊谷家3番目、待望の?長
女の私は、24年前の3月も終わる頃、春の大雪の日に都内で生まれました。
その日、母は朝6時半頃に陣痛を起こし、病院へ行くことになりました。その頃、まだ雪はちらほら。父はタクシーを止めると、おもむろに「じゃ、行って来い!」と一言言い放ったそうです。母は怒り心頭!「えー!嘘でしょ!一緒に行ってくれないの!!」と応戦。すると父は渋々・・・という感じでタクシーに同乗してくれました。
病院には15分ほどで着きましたが、朝の検温などで院内は忙しい時間帯。母は雪の中、大きなお腹を抱えて暫し待っていたそうです。それから約6時間後、私は産声をあげました。
こんな大変な日に産まれた私に両親がつけてくれた名前は“多恵”。誰もが迷わず読んでくれる字で、込められた願いは「多くの恵みがありますように。そして、多くの恵みを与えられる人間になりますように。」
今のところ、“恵み”は与えられることが多い人生です。
これからは、多くの方々に“恵み”を与えられるようになりたいです。
記念すべき第一筆目。最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いいたします。

01:12 | Posted by admin

【心の休日】 宮崎

2010年05月22日 | きみさんち

新年度も、半月早くも過ぎてしまい、桜もすっかり散ってしまいましたが、4月半ばになっても寒暖の差が激しく、体調の管理も大変ですが体調を崩されてはいないでしょうか?
春になると木の芽時や、五月病という言葉があるように、自律神経が崩れ、イライラしたり、必要以上に気分が落ち込んだりする事があると思います。
体の不調は比較的すぐに病院へ行ったり、身体を休めて、大事になる前にメンテナンスをする方が多いと思いますが、心のメンテナンスはどうでしょうか?
自律神経が崩れ、頭に血が上ってカッカしたり、イライラして、イライラしてる自分に、なんて心に余裕のない人間なんだと、へこたれて、もー嫌!と再度イライラと言う悪循環に入り込んでしまう事はあ
りませんか?
こういう気持ちが荒れている時の、メンテナンスは結構仕方がないや、忙しいから休めないし(涙)と二の次になりやすい所だと思いますが、病は気からという言葉があるように、心と体は密接な関係にあるので、気持ちが疲れると体調を崩しやすかったりします。
(例を挙げると緊張しすぎるとお腹が痛くなったりするのもそうですよね。)気持ちが疲れたら、心が風邪を引く前に、心を休める日を作って、ストレス発散をしてみては如何でしょうか?

23:25 | Posted by admin