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【想】 堀内

2011年10月23日 | きみさんち

どっこいしょの原稿を書いている今は残暑厳しい日が続いていますが。。。皆様の手元に届く頃には涼しくなっていますでしょうか??
なっていることを願いつつ、ここ半年を振り返ってみたいと思います。
きみさんちで働きはじめて一年になり本当にあっという間でした!その中で初めて入居者さんとの別れを経験しました。初めての経験だったのに冷静に受け止められたのは一年間しか一緒にいられなかったけど、その一年間のKさんの生き方をみて本当にKさんらしく生活していたように勝手ながら感じたからだと思います。
私から見たKさんは頑固だけど、とーっても優しくて楽しいことが大好き。私が悲しい顔をしてれば、いつも大丈夫か??辛いことあったら言えよと声をかけてくれて何度励まされたかわかりません。でも喧嘩も沢山して言い合って、わたしが元気なくなると『おーい!大丈夫か?』とKさんのことで落ち込んだのに結局Kさんに励まされ元気になる。だからKさんとの喧嘩好きでした(笑)
まだ日も浅いからかお亡くなりになられた実感がありません。
毎日、商店街を散歩していたKさん。商店街にいけば、いつものベンチにいるような気がしたり、きみさんちにいても、いつも近くにいる気がします。
以前、住職さんが『人には二回の死があります。一度目は息をひきとったとき。二回目は忘れられてしまったとき。二回目が本当の死で、これほどの孤独はありません。』と話していたのを鮮明に思い出しました。。。
Kさんに教えてもらったことや沢山の想いを感じつつ、これからもKさんと共に、きみさんちで過ごしていきたいと思います。

00:23 | Posted by admin

【買い物の風景から】 のんびり家2F 石井

2011年10月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

早いものでのんびり家2階が開設され1年が経ちました。1年の中で入居者の入れ替わりもあり、8月下旬に再び8名の入居者が揃いました。そして、8月下旬某日での買い物での出来事です。
昼食の買い物に入居したばかりのTさん、元先生のYさん、新潟ご出身のYさん、4点杖をお持ちのYさんの4名で出かけました。その買い物中に色々な入居者の表情が垣間見えとても素敵な買い物風景でした。
買い物に出る際のんびり家では階段を下りなければ玄関にはたどり着けません。そこで、いつも「あなた梯子しかないの。どうしようもないね。」など4点杖のYさんはごもっともなことを他の入居者に話します。そこで、私が「でも、・・・・・。」とまさに言いかけた瞬間にTさんが「私だってフワフワしているんだから大丈夫よ。」と言うと「うまいこと言うね。」といつものように階段で下りて買い物に出かけました。そして、いざお店に向かうのですが、もちろん4名の入居者の歩行状態が異なります。杖を使う方もいればスタスタと歩く方もいます。そこで、入居者の方の職員を見極める力に職員は「凄いな。」と感心してしまいます。4点杖のYさんはいつも「足元がユラユラするから少し掴まらせて。」と必ずといっていいほど職員に助けの手を差し伸べてきます。この日もまったく同じでした。しかし、私はYさんには自分の力で歩く力を少しでも長く持ち続けて頂きたいために、あえて荷物を片手に持つと、Yさんは諦めた様子で、その歩行状態を心配したTさんがYさんの近くで歩き時には「自転車が来ますよ。気をつけて。」と他の入居者に注意を促します。もちろん、私は入居者の歩行状態、体調、表情、移動距離、転倒などのリスクなど考慮しながら1歩1歩入居者の様子を確認しながら歩いているのですが、Tさんの言動やそれに呼応するように反応する他の3名の買い物風景を眺めながら逞しいなと感じました。まるで、職員が異分子のようにさえ感じることが出来ました。
お店に到着すると「そういえばお腹空いたね。」と4点杖のYさん、それに呼応するように「そういえば私も空きました。」と元先生のYさん。そこから、昼食の相談が始まり、何とかまとまり会計になりました。会計を済ませた際に店員さんが荷物を分けますかと職員の私に向かって聞いてきました。(顔なじみのお店のため事情はご存知なのです。)少しの沈黙の後に、Tさんが「大丈夫です。私が持っていきます。」と力強く店員さんに答えていました。そして、のんびり家までそれぞれのペースで帰路に着きました。
こののんびり家に勤めて6年半が過ぎてしまいましたが、「生活するとはどういうことか。」「入居者を知るとはどういうことか。」と新人の頃に問いかけられました。それは今でも自分の中でもっともっと突
き詰めていくべきことだと思っています。支えあっている入居者の力を奪うことのないようにするためには日々入居者の方を「知ること」だと思います。入居者の今を大切に「入居者の生活」ということを考え続けながら今後ものんびり家で頑張りたいと思います。

06:37 | Posted by admin

【祭りの秋!】  のんびり家3F 熊谷

2011年10月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

9月・・・暑い夏が終わろうとしています。
しかし、これからアツイのが、のんびり家のある、白山・向丘地域!祭りや、イベントが目白押しです!
3、4日は白山祭り。17日は根津神社でお祭り。18日は学園祭!(IN都立向丘高校)
のんびり家3階の男性入居者Dさんはお祭りや、人の集まるイベントが大好き!買い物の途中や、散歩途中に街の掲示板を見て、こうしたイベント情報をチェック!
そしてのんびり家のカレンダーに書き込み、「○日はどこそこで、お祭りだね!」とカレンダーを見るたびワクワク・ドキドキ!
白山祭りでは盆踊りを4曲踊られ、根津神社では露店めぐりを楽しまれ、向丘高校の学園祭では、高校生にまじり、お茶を・・・。(昼食を食べに行ったのですが売り切れだったそうです・・・残念!)
祭りの後はお風呂に入り、ご機嫌な鼻歌を歌われており、本当に大好きなんだなぁ・・・と、こちらまで楽しい気分になります。9月はいつも以上に毎日をすごく楽しまれていたように思います。
そんなこんなで9月のカレンダーは祭りやイベントの予定が沢山書き込まれ、赤く染まっておりました。
10月も地域の運動会や、学園祭が目白押しです。紅葉の如く、9月以上にカレンダーが真っ赤に染まるのではないでしょうか・・・。

06:37 | Posted by admin

【日本の夏・盆踊り】 お寺のよこ 橋本

2011年10月05日 | お寺のよこ

夏の楽しみの一つ。8月末には近隣の大観音の境内で行われた盆踊りに行ってきました。
普段、買い物には面倒臭がって中々行こうとしないM子さん。買い物のお誘いをしても、「行けない」「買って来てちょうだいよ」と断られる事が多く、やっと外に出てお店に向う時には、「歩くのは好きでね、昔は何処でも歩いて行ったのよ」「もう歩けなくなっちゃって」と言われている。職員に言われて、仕方が無く買い物に出てきたという感じです。お寺のよこでは最高齢の94歳で、外に出るのが面倒な気持ちはわかりますが。
明日の朝食用のコッペパンを買った帰りに盆踊りのポスターに目を留めて、「盆踊りだって」「一緒に行こうね」と嬉しいお誘いを受ける。
当日となり、夕食を早めに済ませて、盆踊りに行こうとの職員からの声掛け。
M子さんも当然、参加メンバーに入っています。食器や席の取り合いやらで、口げんか、たまに手が出て掴み合いをする(ケンカもお元気な証拠ですか)、決して仲が良くはないN子さんにも「あんたは行かないの?行かないなら止めようか」とお誘いをしている。珍しい事もあったものです。
暗くなった会場ではいよいよ盆踊りの時間となりました。
M子さんは「踊れないよ。やった事ないからわからない」と言いつつも、身体を押すと、躊躇しながら輪の中に入っていく。会場で配られた団扇を手にし、隣について回る私の真似をする。私は全く踊れません。何となくそれっぽい振りをしているだけなので、「上手な人の真似をする事!」「あの人の踊りを真似てください!」と促すと、前を向いて踊り始める。テンポは遅れながらも、それなりに様になっているような、ちょっと違うような…。疲れた様子も無く楽しそうに3周を踊りました。
買い物に行くのは嫌だけど、このようなお祭りやらイベントは大好き。太鼓の演奏にはリズム
を取って縦のりをしているし。歩く事はできないと言われるが、踊ることは十分に出来るではないですか!やっぱりお好きな事は違いますね。でも買い物に行くのも大切な事の一つなのですけど。
このようなはれの日としてのイベントは、利用者だけではなく職員も楽しみ。普段とは違う利用者さんの表情や行動などを見ることが出来ると、とても嬉しいものです。
来月も文化祭や小学校の運動会、根津神社のお祭りと地域のイベントが目白押し。時間を作って行きましょうね。
そして、5日にはお寺のよこ・上野日帰り旅行の計画もあります(夕食が豪華な会席料理!)。現在、企画をした田口が最後の詰めで奮闘中です。来月のどっこいしょでは楽しかったとのご報告ができるかと思います。お楽しみに。

10:24 | Posted by admin

【「お待たせ致しました!ミニケアホームきみさんち堀でございます。」】 堀

2011年09月23日 | きみさんち

12月25日に面接、見学をした1月25日入社のクリスマスの奇跡のスタッフ堀でございます。
この8月でもうじき入社7ヶ月になるので。。えらいこっちゃなんです。
7ヶ月いろんな事がありましたよ!
まず、大阪から来た私は土地勘が皆無。電車通勤は、乗り越したり、乗り間違えたり。それから、今まで接客業しかしてこなかった私は「接客のプロ」としての経験はあったけど、「福祉のプロ」として働くのは初めて。。
自立支援ってなに?
なんで、起きてきた人に おはよー!って言っておこられたんだ?
なんで構い過ぎって言われるんだろう?
真ん中の基本のき が無い私は致命傷で、福祉のプロ意識の高い女性スタッフに4ヶ月が経った頃にブチ切れられてしまい。。そこで初めて「基本のき」を手に入れた訳で それから間もなく企業内新人研修にも最古株新人?として参加できてちょっと自分でも安心できました。
でも、基本のき は 基本のき。7ヶ月は7ヶ月。
ケアは難しい。自立支援はまた難しい。「有する能力」を知る事の大切さ。尊厳の大切さ。でもついでに仲良くもなりたい。願いも叶えたい。お風呂もたくさん入って欲しい。しかし、自分がどんくさいので、思ったように時間をケアに使いきれないジレンマ!入居者さんの為に時間を使う事の難しさ。
「みんな家族!」「たのしいうれしい!」から まず始まってしまった私には、恥ずかしながら ようやくこちらでのプロ意識が意識できるようになってきました。(なんて言うと、きみさんちスタッフから まだまだやん!って突っ込まれそうですが。。)
夜勤も、実はこないだ やっと時間内に終わって理想の状態で朝イチのスタッフを迎えられたんです!
夜勤も「ひとり」と言うプレッシャーに耐えきれず、入居者さんが「足が痛いって言ってます」って管理者に電話をかけたりしました。初めての夜勤か2回目の夜勤が地震の当日だったりで、変に度胸だけはついたりしました。
いまは、安全に。たのしく。元気に。
プロとして大切な「自立支援」を行う能力を少しずつやしないながら、毎日奮闘しながら、入居者のみなさんと一緒に成長してゆきたいと思います。
入社した時は、「はい、きみさんち 堀でございます。」と電話にでる時が、きみさんちの一員である事を許された唯一の瞬間であるような気がしていました。
いまは、すこし違った気持ちで電話をとっています。
「お待たせ致しました!ミニケアホームきみさんち、堀でございます。」
まだまだですが、これからプロになっていきます。ご家族のみなさま、地域のみなさま、きみさんちスタッフのみなさん、どうかよろしくお願いいたします。
自立支援=自立支援
うまれたばかりの緑の蝉を入居者さんと見ました!一生忘れない新しい想いをもって入居者さんとの毎日を大切にしていきます。

00:23 | Posted by admin

【一年経って】 石川

2011年09月23日 | きみさんち

きみさんち石川です。きみさんちに来て早いもので一年経ちました。
きみさんちに来てまずこまった事は料理に困りました。料理に関しては本当に何もしてこなかったので、一人暮らしのときはいつも100円均一で魚の缶詰さばを買ってきておかずに、愛知にいるばあちゃんの送ってくるお米を炊いて食べる。鳥の胸肉を安いので買って塩コショウを振る。焼く。あとはばあちゃんの米。米を炊くのもめんどくさいとポテトチップスとサバ缶、レタスを買ってとりあえずマヨネーズとすごい食生活を送っていました。
朝昼晩サバ缶です。健康には良さそうですが。。。
嫁と二人暮しになった時でも全部嫁任せで、飲食店で働いた経験があるらしく帰ったら食べ物が出てきたので、本当に料理や洗濯家事もろもろは、正直どうしようと何をすればいいんだと最初の頃はあたふたしていました。
助けは先輩スタッフが料理本をたくさん持ってきて下さったり、入居者のOさんKさんに包丁の使い方をおしえてもらったり、やればなれるんだよ。と言ってくれて、本当に何も出来なかった僕ですが、きみさんちに来て入居者のみなさんスタッフのみなさんのお陰で、逆に料理はそこまで苦になる事も無く帰って嫁と一緒にご飯を作ったり洗濯したり普通の事が普通にできる様に成長しました。
きみさんちのおかげです。ありがとうございます。
これからも頑張ります。

00:22 | Posted by admin

【お初でございます(^-^)/】 のんびり家2F 新山

2011年09月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは~。
今年の6月16日から、のんびり家2階に入社した新山です。働いて、間もなく2ヶ月目に突入しようとしています。
私自身、介護職の経験は2年以上ありましたが、グループホームでのお仕事は初体験。今年に入り介護ヘルパー2級を取得した際に色々な事を学びました。命の尊さ、高齢者に対する尊敬の意、生老病死、思いやりの心の大切さなど…。
実は、資格もなく初めて介護の仕事についた時の話しになりますが、高齢者に対する言葉遣いや扱い方が「人間」とは思えないほどのものでした。
不信感を抱き上司に相談しましたが、「資格もない、新人が生意気だ。」と一言。
そして月日が流れて、現在にいたります。
今は、縁があって「のんびり家2階」で働いています。
林田さんを初め、石井さん、木村さん、角田さん、飛鳥井さん、依田さん、千葉さん、入居者様方との出逢いが私にとってプラスになりました。こんな自分に優しく時には厳しく接してくれる皆さんと、これから一緒に働き学び成長していきたいです。そして、入居者の一人一人を知り、自立支援を支えられる「人間」に成長していきたいとの決意でございます。
以上、新人の新山でした。

06:36 | Posted by kimisanchi

【Nさんありがとうございました】 のんびり家3F 福田

2011年09月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

8月6日、のんびり家3階に入居されていたNさんがのんびり家でお亡くなりになられました。98歳でした。
Nさんは2000年にのんびり家が本駒込にてオープンしてまもなく入居されました。
私はNさんが入居されたその日は夜勤で出勤するとNさんの姿がありました。その日の夕食はお誕生日が近いと言うこともあり、お寿司の出前を取りビールで乾杯をした思い出があります。
Nさんとは約11年間という長い間お付き合いをさせていただきました。初めてお会いした頃は私も23歳でしたが、現在では34歳になってしまいました。
当時の私は人を「知る」事すらできなかった私がのんびり家で働き自立支援を行なうようになり人を様々な方法で「知る」ようになっていましたが、自立支援をきちんと理解しない私は結果「やらせている」になっていました。
その中でNさんは、のんびり家の最年長、人生の大先輩。関東大震災、太平洋戦争と教科書で習ってきた出来事を乗り越えてきています。23歳の小娘が言う事なんか何てことありません。
私は必死でNさんを椅子から立っていただくために、あの手この手を使いますがNさんは椅子から立ちません。あの当時はNさんはどうすれば椅子から立つのか…を考えてばかりいたような気がします。
生意気な事を言う小娘にたいして「あんたはきつい事ばかり言うから結婚できないんだよ」と一番言われたくない言葉を私に言い「フン」と笑った時のNさんの顔。あの時は「いいもん。別に結婚だけが人生じゃないし」と強がっていたもののかなり動揺していたのは今だから言える話です。Nさんうるさい小娘をぴしゃりと黙らせる一言を用意していたのですね。
旅行に出かける直前になると「私はお留守番しています…」とスタッフが困惑したり、眼科の先生に「なんだか目が見えなくて…」と言ったところ「まぁ、おばぁちゃんとても視力が良いですよ」とほめられた事、「手が動かない」とスタッフを頼りにしようとおもいきや目の前に大好物のお饅頭があると手が良く動いていた事、スーパーで買ってきた鰻の蒲焼をカセットコンロに網を載せて大量の煙の中鰻を温めていた事、長期の入院から医療的支援が必要になりながらも最期までNさんはのんびり家で生活をされていたこと。どれもこれも、私の中で消えない思い出でもありますし、特に医療的支援が必要になった6年間は不可能と思われた旅行への参加を実現など可能性の幅が広げる事ができました。Nさんからは本当に多くのことを学ばせていただき私も大きく成長し育てていただいたと感謝しております。
Nさん、本当に有難うございました。

06:36 | Posted by admin

【初めまして】 お寺のよこ 大木

2011年09月05日 | お寺のよこ

お寺のよこ 大木です。勤務して4ヶ月が経とうとしています。毎日が日々勉強することばかりですが、とても充実している毎日で楽しく過ごしています。
利用者さんにはいつも教えてもらうことが多くて、とても勉強になっています。私は料理が苦手なので利用者さんの手際のよさや起用さには驚きました。出来ない自分がとても恥ずかしいと思いました。もっと自分を磨かなくては・・・と思っています。
毎日違った表情やお話をしてくれる利用者さんと一緒に過ごせるのは全員が経験することではないのでとても幸せに感じます。これからも多くのことを経験し感じていけたらいいなと思っています。
まだまだ未熟者でははありますがよろしくお願いします。

10:23 | Posted by admin

【一年経って】 石川

2011年08月23日 | きみさんち

きみさんち石川です。きみさんちに来て早いもので一年経ちました。
きみさんちに来てまずこまった事は料理に困りました。料理に関しては本当に何もしてこなかったので、一人暮らしのときはいつも100円均一で魚の缶詰さばを買ってきておかずに、愛知にいるばあちゃんの送ってくるお米を炊いて食べる。鳥の胸肉を安いので買って塩コショウを振る。焼く。あとはばあちゃんの米。米を炊くのもめんどくさいとポテトチップスとサバ缶、レタスを買ってとりあえずマヨネーズとすごい食生活を送っていました。
朝昼晩サバ缶です。健康には良さそうですが。。。
嫁と二人暮しになった時でも全部嫁任せで、飲食店で働いた経験があるらしく帰ったら食べ物が出てきたので、本当に料理や洗濯家事もろもろは、正直どうしようと何をすればいいんだと最初の頃はあたふたしていました。
助けは先輩スタッフが料理本をたくさん持ってきて下さったり、入居者のOさんKさんに包丁の使い方をおしえてもらったり、やればなれるんだよ。と言ってくれて、本当に何も出来なかった僕ですが、きみさんちに来て入居者のみなさんスタッフのみなさんのお陰で、逆に料理はそこまで苦になる事も無く帰って嫁と一緒にご飯を作ったり洗濯したり普通の事が普通にできる様に成長しました。
きみさんちのおかげです。ありがとうございます。
これからも頑張ります。

00:22 | Posted by admin

【身近なことから】 のんびり家2F 依田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

東日本震災一口で言うのも震災に遭われた方々には失礼にあたるかもしれませが、一言で、(大変でしたね。)
私は、丁度、その日はお休みでした。家で過していたのですが、そろそろ、お買い物にでも出かけようかと支度をしている最中にグラグラと揺れてきました。いつもの事で直ぐ収まるだろうと、気楽に構えていたのですが、だんだん揺れは激しくなるばかりで怖くなり、トイレに逃げ込みました。
トイレに逃げ込んだのは、何時か何かで、多分情報番組だと思いますが、トイレは四方に柱があるので意外に頑丈にできているので、地震の時は一番安全な場所だ。との事を思い出したからです。逃げ込んだは、いいですが、一向に揺れは、収まらず、壁は迫ってくるようで思わず壁を、手で押さえてしまいました。私は、もう、これで一貫の終わりだと覚悟いたしましたが、それにしても、まだやり残した事があるどうしたものかと、神や仏にお祈りを唱えてしまいました。(自分の都合に合わせて、お願いしてもいけないのですが)そうこうしているうちに、揺れは収まり、本当に収まって(ありがとう)と感謝で一杯になりました。でも、興奮冷めやらず、頭は、ぐるぐる、身体は、へなへなの状態です。住まいも、取りあえず壊れていない、と、頭に浮かんで来たものは、(おばあちゃんたち、大丈夫かしら、こんな、大変な揺れの中で、怪我をしていないかしら)と、家が、職場に近いものですから、すぐ、自転車を飛ばし、のんびり家に!
階段を駆け上がり、ドアを開け、中へ、(大丈夫ですか)?
入居者の方々は、以外にも平然とされていて、何事もなかったようです。(何か、自分が間違った行動をしてしまったような気がしたものです)ですが、これも、一重に、スタッフの迅速な対応によって、入居者の方々の安全が守られた事を喜びつつ、労いの言葉をかけ帰途に着きました。
それから、もう何か月もたちますが、いまだ復興は、スムーズではないようですね。今、忍ばずの池のところで、東北地方の物産が、販売されています。伺ったところによると、政府の支援を待っていると、来年になるそうです。
それまでは、待てないので、自分たちで何とかしようと芸能人の方、コロッケさんなどを中心に活動され、銀行の融資もおりて、がんばってやっていこうという気運が高まっているそうです。伺った方の顔も明るかったです。私に、出来ることは、と考えたときに、いろいろ、問題もありますが、家庭の中に震災に合われた地域の商品を取り入れていき支援に繋がればと思っております。小さいことですが、私の気持ちを表して行きたいと思っております。まず、身近な事から、こつこつとやってゆこうと思います。
また、私くしも、3月に怪我をいたしまして、暫くの間お休みを頂きました。この場を借りて、入居者の方々、入居者のご家族、代表取締役、管理者、スタッフの面々にお詫びと、お礼を申し上げます。

06:35 | Posted by admin

【ご紹介】 のんびり家3F 福田

2011年08月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

6月下旬、のんびり家3階に新しい入居者さんがご入居されました。
Mさんです。昭和8年生まれの78歳。山形県出身です。
Mさんは無口な方ですが、お買い物の際にスタッフが荷物を沢山持っている姿を見て、ポンポンとスタッフの肩を叩き「持ちますよ」と言葉には出さずにジェスチャーで伝えて下さったり、道にゴミが落ちていればゴミを拾い、植木鉢が倒れていれば直すなどとても優しい方です。
そして、Mさんといえば、指パッチンです。『パチン♪』と鳴らす音はとても軽快な音でスタッフも入居者さんも真似をしてみるものの、なかなか良い音が出ません。そして指パッチンは両手で連続して鳴らす事が出来るのです。
とある日、買い物の帰り道にふと無言になってしまった時に私の顔を覗き込みパチン♪と指を鳴らしにっこり笑ってくださるMさん。きっと、私を楽しませようと思い鳴らしてくださったのでしょう。
のんびり家3階の入居者さんは男性2名女性4名となりました。Mさんがご入居された事により生活に広がりが出る事でしょう。そして、気付いた頃には『のんびり家指パッチン隊』を結成している…かな。

06:35 | Posted by admin

【宜しくお願いします】 お寺のよこ 草村

2011年08月05日 | お寺のよこ

お寺のよこ 草村です。
あっという間にもうすぐ3ヶ月になろうとしています。日々覚える事、学ぶ事、失敗、嬉しさや楽しさを繰り返しています。
お寺のよこの入居者さんは、皆さん個性豊かで性格もバラバラ。それぞれの入居者さんが何が好きで、何が嫌いで、どんな時に笑ってくれるのか・・毎日試行錯誤しながら過ごしています!
長い間パチンコ屋さんに勤めていた私は腕力は強いはず…ドル箱4箱は一度に持てます!!笑
こんな私ですが、これからもがんばっていきますのでご指導・ご鞭撻のほど宜しくお願いします!

10:23 | Posted by admin

【私が思う思いやり】 松林

2011年07月23日 | きみさんち

震災から4カ月経ちましたが、まだまだ復興には時間が掛かるようです。被災した人達には、心からお悔やみをお送ります。
その震災当初、TVではACのCMばかりが流れていましたが、そのCMの中に「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える。」というコピーのものがありました。
それを見て私は、「思いやりは誰にでも見えるけれど、本当の思いやりは見えないようにするものじゃないかなぁ」と感じました。
CMのように直接手を貸すと相手はありがたく思うだろうし、周りの人も「あの人は思いやりがあって立派な人だ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないね」などと思うかもしれません。手を貸すことは何も悪い
事ではありません。手を貸さないよりは差し出した方が良いでしょう。
でも、我々介護職は、あまり手を出しません。
利用者さんの生活を支えるのが我々の仕事ですので、手を出さないと言うと矛盾を感じるかも知れません。
「それが本当の思いやりだ」とまでは言い切りませんが、本人の有する能力を奪う可能性があるからというのが理由です。一歩引いたところで、利用者さんの生活を支えて行くのが、我々の仕事だと考えています。
もっと言うなら、私は利用者さんにとって「空気のような存在」になりたいと思っています。
「空気のような存在」、良い意味にも悪い意味にも取れますが、私の場合、利用者さんが今やりたいのではないかと思っている事を察し、さりげなく導く事。自分では出来ない事を、押しつけがましくない程度にする。こういう空気になれたら良いなと思っています。
「やってあげる」という事は、その人に出来ないという事を認識させてしまい、落ち込ませかねません。
更に回数が増えて行くと依存的になり、自分では何もしない、出来ないようになってしまうかもしれません。
「ありがとう」と言われない空気のような存在になりたいのです。仕事ですから、「思いやり」とは別物ですが、こんな考えから世間に対する思いやりも、さりげなく出来れば良いなと考えています。
以上、伊達直人でした。

00:21 | Posted by admin

【Yさんのこと】 のんびり家2F 飛鳥井

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。梅雨のこの時期、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場2回目の、のんびり家2階の飛鳥井です。
この仕事を始めて早や1年になろうとしていますが、今回はYさんのことをお話したいと思います。
Yさんは、先日入院先の病院でご逝去されました。享年80歳でした。Yさんとの出会いは、昨年の7月、のんびり家の新規開業の時でした。Yさんの印象は、小柄で笑顔の可愛らしい方で、ひ孫さんがいるようには見えない若々しい感じでした。
ご入居当初から余命宣告をされていて、ご家族は「最期はのんびり家で」と覚悟を決められていたようですが、ご病気を抱えてはいるものの、ご本人は比較的お元気で生活されていました。とは言え、昨年末頃から徐々に体調が悪くなり、検査や治療のための入退院を余儀なくされていました。そして、今月の上旬に、高熱のため緊急搬送され、入院をしていたのですが、残念ながらお亡くなりになりました。
ご入居以来のYさんとの間の出来事を色々と思い返してみました。甘いパンが大好きで、「そんなに慌てて食べなくても」とこちらが思う位、急いでパンに齧り付いていた姿。深夜、トイレから戻り「何か飲みますか?」と尋ねると、飲み物の種類は答えず「いっぱい下さい」と答えたこと。とても気を遣う性格で「(居間に)皆といるよりは、自分の部屋にいる方が気楽でいい」と言っていたこと。何か上手く出来ないことがあると、ご自身の出身地の言葉で「私は、ずくがない(根性がない、意気地がないと言う意味)から」と悔しそうに言っていたこと等々。
思い出と呼ぶにはあまりにも記憶が生々し過ぎて、まだYさんが亡くなったという実感が湧きません。入院先の病院から、ひょっこり帰ってくるような気がします。Yさんの体調が少しずつ悪くなり、ADLが低下してきても、私は割りと厳しい態度で接していたように思います。実際に、Yさんから「あなたは意地悪ね」と言われたこともあります。傍から見れば、「そこまで厳しくしなくても」と思われていたかもしれませんが、少しでもYさんにのんびり家での生活を全うして頂きたいという思いからでした。
Yさんが亡くなってしまった今、果たして自分の支援の方法が正しいものであったのかと自問自答してみますが、答えが見つかりません。Yさんの為と言いながら、単なる自己満足でしかなかったのではないか?とも思いますし、答えはこれから仕事を続けて行く中で見つけるしかないのかも知れませんね。本当に、介護の仕事は奥が深い仕事だなと改めて考えさせられました。
Yさん、今頃は天国でご主人と再会していることと思います。大好きな甘いパンを今度はゆっくり味わって食べてください。Yさんの笑顔と声はいつまでも忘れません。最後になりましたが、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。

06:34 | Posted by admin