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【私が思う思いやり】 松林

2011年07月23日 | きみさんち

震災から4カ月経ちましたが、まだまだ復興には時間が掛かるようです。被災した人達には、心からお悔やみをお送ります。
その震災当初、TVではACのCMばかりが流れていましたが、そのCMの中に「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える。」というコピーのものがありました。
それを見て私は、「思いやりは誰にでも見えるけれど、本当の思いやりは見えないようにするものじゃないかなぁ」と感じました。
CMのように直接手を貸すと相手はありがたく思うだろうし、周りの人も「あの人は思いやりがあって立派な人だ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないね」などと思うかもしれません。手を貸すことは何も悪い
事ではありません。手を貸さないよりは差し出した方が良いでしょう。
でも、我々介護職は、あまり手を出しません。
利用者さんの生活を支えるのが我々の仕事ですので、手を出さないと言うと矛盾を感じるかも知れません。
「それが本当の思いやりだ」とまでは言い切りませんが、本人の有する能力を奪う可能性があるからというのが理由です。一歩引いたところで、利用者さんの生活を支えて行くのが、我々の仕事だと考えています。
もっと言うなら、私は利用者さんにとって「空気のような存在」になりたいと思っています。
「空気のような存在」、良い意味にも悪い意味にも取れますが、私の場合、利用者さんが今やりたいのではないかと思っている事を察し、さりげなく導く事。自分では出来ない事を、押しつけがましくない程度にする。こういう空気になれたら良いなと思っています。
「やってあげる」という事は、その人に出来ないという事を認識させてしまい、落ち込ませかねません。
更に回数が増えて行くと依存的になり、自分では何もしない、出来ないようになってしまうかもしれません。
「ありがとう」と言われない空気のような存在になりたいのです。仕事ですから、「思いやり」とは別物ですが、こんな考えから世間に対する思いやりも、さりげなく出来れば良いなと考えています。
以上、伊達直人でした。

00:21 | Posted by admin

【Yさんのこと】 のんびり家2F 飛鳥井

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。梅雨のこの時期、如何お過ごしでしょうか?
どっこいしょ登場2回目の、のんびり家2階の飛鳥井です。
この仕事を始めて早や1年になろうとしていますが、今回はYさんのことをお話したいと思います。
Yさんは、先日入院先の病院でご逝去されました。享年80歳でした。Yさんとの出会いは、昨年の7月、のんびり家の新規開業の時でした。Yさんの印象は、小柄で笑顔の可愛らしい方で、ひ孫さんがいるようには見えない若々しい感じでした。
ご入居当初から余命宣告をされていて、ご家族は「最期はのんびり家で」と覚悟を決められていたようですが、ご病気を抱えてはいるものの、ご本人は比較的お元気で生活されていました。とは言え、昨年末頃から徐々に体調が悪くなり、検査や治療のための入退院を余儀なくされていました。そして、今月の上旬に、高熱のため緊急搬送され、入院をしていたのですが、残念ながらお亡くなりになりました。
ご入居以来のYさんとの間の出来事を色々と思い返してみました。甘いパンが大好きで、「そんなに慌てて食べなくても」とこちらが思う位、急いでパンに齧り付いていた姿。深夜、トイレから戻り「何か飲みますか?」と尋ねると、飲み物の種類は答えず「いっぱい下さい」と答えたこと。とても気を遣う性格で「(居間に)皆といるよりは、自分の部屋にいる方が気楽でいい」と言っていたこと。何か上手く出来ないことがあると、ご自身の出身地の言葉で「私は、ずくがない(根性がない、意気地がないと言う意味)から」と悔しそうに言っていたこと等々。
思い出と呼ぶにはあまりにも記憶が生々し過ぎて、まだYさんが亡くなったという実感が湧きません。入院先の病院から、ひょっこり帰ってくるような気がします。Yさんの体調が少しずつ悪くなり、ADLが低下してきても、私は割りと厳しい態度で接していたように思います。実際に、Yさんから「あなたは意地悪ね」と言われたこともあります。傍から見れば、「そこまで厳しくしなくても」と思われていたかもしれませんが、少しでもYさんにのんびり家での生活を全うして頂きたいという思いからでした。
Yさんが亡くなってしまった今、果たして自分の支援の方法が正しいものであったのかと自問自答してみますが、答えが見つかりません。Yさんの為と言いながら、単なる自己満足でしかなかったのではないか?とも思いますし、答えはこれから仕事を続けて行く中で見つけるしかないのかも知れませんね。本当に、介護の仕事は奥が深い仕事だなと改めて考えさせられました。
Yさん、今頃は天国でご主人と再会していることと思います。大好きな甘いパンを今度はゆっくり味わって食べてください。Yさんの笑顔と声はいつまでも忘れません。最後になりましたが、Yさんのご冥福をお祈り申し上げます。

06:34 | Posted by admin

【9年2ヶ月】 のんびり家3F 福田

2011年07月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

4月16日にのんびり家3階の入居者Sさんがお亡くなりになりました。
Sさんがのんびり家に入居されたのは2002年の2月なので9年2ヶ月間、のんびり家で生活をされていました。
Sさんと思い出はここには書ききれないほどの思い出があります。特に私は入居時からSさんと共に生活をしてきたので本当に色々な事がありました。いくつか挙げてみると
・入居後、生活に慣れるまでの間ご家族様との約束で電話を使っていただくのを止めていただいたのですが、電話が使えずに不安になるSさん。電話を使いたくて近所の交番、商店に駆け込みますが使えず。困ったSさんが出た行動は「手紙を書く!」と。不安定な歩行も切手の購入やポストまでの往復ですっかり安定されました(Sさん、私はこの出来事で『有する能力に応じる』ことに気付かされました)
・のんびり家の入居者さんが最も重度化していた時。スタッフが買い物にすら出かけられない状況で困っていると「私が行くよ」と。元々買い物がお好きだった事と、台所を自分で守りたいという思いからの発言でしたが、古傷が痛む肩や歩き続けると痛くなってしまう膝なのにもかかわらず重い荷物を持って帰ってきてくださいました。(あの時は本当に助かりました。)
・ダイエットの為、食事の量を少なくしたある日。雨の日はお一人での散歩に出掛けないSさん。雨が降っているのにもかかわらず「ちょっと出掛けてくるね」と言いお出かけになったSさん。「もしや…」と思ったスタッフは後ろからこっそりついていったところ、案の定、出来たばかりの回転すしの店へ。カウンターに座ったSさん。満足そうに帰ってきました。
・「福田さんは、言いたい事をばーって言うし強いけど、男の人はちゃんと立てなくちゃ駄目よ」(ごめんなさい。言いたい事も言わなくて良いことも言ってしまいます)
・お亡くなりになる数週間前に「福田さん、おばあちゃん元気?」と。(数年前まで日光から電車を乗り継ぎ、東京まで来ていた今年89歳になる私の祖母のことです。度々、祖母の話をしていたのですが、近況をお伝えすると「元気だね。えらいね。」といつも言ってくださいます。)
・若かった私は指輪をして出勤(仕事中は外していたのですが)すると「結婚もしていないのに指輪なんかしているとお嫁にいけないわよ!」(Sさん、大当たりです)
等など、ここでは書ききれないほどの思い出がたくさんあります。
Sさんとの思い出はただの思い出ではありません。ここに書いてあるだけでもたくさん学ばせていただきました。
私はSさんとの出会いが無ければこの仕事の面白さや、深さに気付かされませんでした。
Sさん、ありがとうございました。Sさんが残してくださった言葉や、出来事を皆に伝え語り継いで行きたいと思います。

06:34 | Posted by admin

【外出の楽しみ】 お寺のよこ 谷野

2011年07月05日 | お寺のよこ

随分前のことですが、2月にkさんと誕生日の外出企画で大井競馬場に行ってきました。この企画は以前より先輩職員に「kさんは競馬が好きだから、競馬場に行くといいよ。」とアドバイスがあり、kさんも行きたいとのことで実現しました。
競馬場に着いて、先に昼食にしました。食事を終えて、パドックに馬を見に行くと、食事中はにこやかだったkさんの笑顔がなくなり真剣な表情になりました。当日は、寒かったので室内からの観戦を勧めましたが「外で見ます。」と、寒空の中、パドックとレース場を行き来されています。
パドックでは人ごみをすり抜けて見やすい位置から、お一人で馬を見ています。どの馬が良いか伺うと何番と選ばれて馬券を購入しました。レースまで時間があり、途中でコーヒーを買っていると、kさんが「早くしないと始まっちゃうよ。」と怒っています。初めてkさんの怒っている表情を見て、思わずにやりとしてしまいました。
いよいよレースが始まり、向こう上面から馬がゴールに向かって来る時です、kさんが立ち上がり「行けー。」とばかりに拳を突き上げています。今日はkさんの色々な表情を見せていただき大満足だったのに、僕はこの瞬間にkさんのこの姿が本当は見たかったのだと気付きました。
3レースを見て競馬場を後にしました。馬券は当たりませんでしたが、競馬場を出ると、kさんの表情がまたにこやかに戻りました。
この企画の後日ころより、僕の勝手な思い込みかもしれませんが、kさんの表情が少しですが豊かになったのではと思えることがあります。
先日は、400メートル以上ある散歩コースをジョギングで1周されました。益々元気になられて、今度の外出は一緒に何処に行ってくださるのか今から楽しみです。

10:22 | Posted by admin

【きみさんちの利用者さんってすごい!!】 田中

2011年06月23日 | きみさんち

ある時の田中とOさんの会話
Oさん:他の利用者さんに、「あんた歳いくつだい?」
Tさん:「・・・・・」(ニコニコ笑顔)
田中 :そう言うOさんはいくつになったの?
Oさん:「わかんねーや」(一同笑い)
本当になにげない会話の中に実は凄いことが隠れているのです。
きみさんちの6名の利用者さんのうち、4名が90代と言う事実。しかもとてもお元気。
90代の年齢別に言いますと、7月の誕生日が来ると99歳になられるEさん。先日目の前にある神社で白寿のお祝いを白いちゃんちゃんこと頭巾をかぶり行いました。
そして、2月生まれ御年95歳のYさん。せんじつ(5/2)誕生日を迎えられた90歳のIさん。わかんねーやと答えていたOさんも実は92歳。
何気ない1日を、何気なく過ごしている私。この利用者さん達の90年と言う人生の歴史は必ずしも明るい物ばかりではなかったとおもいます。でも、昔があるから今がある。今が楽しく過ごせるよう、お互い楽しくやって行きましょう!!
人の歳ばかり言って田中は?って・・・昭和40年代生まれとだけ言っておきましょう(笑)
PS.そう言えばEさんはたまに、「冬に兵隊さんが一杯来て恐かったー。」と歴史の教科書に載っている2・26事件の話をして下さいます。

00:21 | Posted by admin

【季節は巡り…】 のんびり家3F 永辻

2011年06月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家で働き始めてもうすぐで1年になろうとしています。時間が過ぎるのは早いなと改めて感じています。
去年の夏は猛暑でとても暑く汗だくだったことを思い出します。それと同時に右も左も分からずに、ただがむしゃらだった自分の姿も思い出します。
秋、暑い日が続き秋らしい秋が感じられず、一気に季節を飛び越え寒くなり、衣替えを慌ててやった秋。
冬、例年より雪がたくさん降り積もり凍えるほど寒かったが、ホットコーヒーが美味しかった冬。
春、開花が遅くなったが綺麗に咲いたサクラを見て、やっと春が訪れたかと思い、少し眠気を感じる春。
この1年間、日本の四季を感じながら過ごして来ました。自分がどれだけ変わり成長したかは分かりませんが、今年の春にサクラを見ていて、ふと少しは成長出来たかなと思えた自分がいました。来年のサクラの季節にまた思えるように、日本の四季を大事にしながら、また1年頑張りたいと思います。

06:33 | Posted by admin

【今、思うこと】 のんびり家2F 千葉

2011年06月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

日頃、時間の合間にこの先について考え事をします。
今考えてもどうなるかわからないことですが、時々心配になったり、気分転換に新しいことを始めてみようかなと楽しい気持ちになったりします。そう考えてみると、不思議と未来のことは今の自分を知ることが大事なのだなという所に落ち着きます。自分は何したいのだろう、自分は何を大事にしたいのだろうと思います。そうして最初に思いつくのが家族の顔です。
家族の一番ほっとする所は、いつでも許してくれるところです。それから変わらないところです。そのような所をみてやっぱり、すごいなと思いますし、ありがたいなとも思います。
この先何が起きるのか、何が待っているのかわかりませんが、これからもずっと家族とは自然に付き合っていきたいです。
親孝行ができたらいいですが、家族は何も自分に求めていませんでした。私も今まで通りたまに家に帰ったり、たまに連絡したりして、そういう時間を大事にしていこうと思います。
またのんびり家でも日々色々な小さな出来事があり、調子が良い時もあれば優れない時、怒ったり喧嘩したり、黙っていてもイライラしていたり、人間私もそうですが入居者様もそのような時がありま
す。そんなとき自分はどうしたいのか、もちろん入居者様の気持ちを考えることも大事ですが、自分の気持ちを行動に移すことを優先できるようにしたいなと思います。それから入居者様の反応から何を感じとられるのか、考えていけたらいいなと思います。

06:32 | Posted by admin

【母】 お寺のよこ 安藤

2011年06月05日 | お寺のよこ

私の人生、全てのはじまりはいつも母だった。
母の名は正子(まさこ)といい、今年の7月で還暦を迎える。今ではもうはっきり覚えていないが、いつの頃からか、私は母を「お母さん」ではなく親しみを込めて「正子さん」と呼んでいる。母は私が介護の道に進むきっかけを作ってくれた人でもある。
9人兄弟の8番目として生まれた母は、あまりにも純粋で、曲がったことが大嫌い。そしてテキパキと家事をこなし、恐ろしいほどに良く動く人だ。専業主婦の母は、その身に甘んじたくはなかったのだろう。
私が小学生だった頃「ただいま」と家に帰ると、母はいつも家にいてくれた。一緒にお茶を飲み、その日にあったことを互いに話し合った。その後、母は、私に留守番を任せ、家の近くにある家庭菜園に毎日のように出かけた。ナス、キャベツ、じゃがいも、大根・・・・ありとあらゆる野菜を母は毎年、心を込めて作っていた。その姿は今現在も何一つ変わらない。
順風満帆に行って欲しいと願えど、人生は中々そうもいかない。中・高校生の反抗期には「どうせ分かってくれない」と話す前から決めつけ、小学生の頃の素直さはどこへやら。
母との会話はほとんどなくなった。たまに会話をしても直ぐぶつかってしまう。そんな時、決まって母は「あなたを相手にしているより、野菜を相手にしている方が素直だし、よっぽどいい」と、そんなセリフを言って畑に出かけていった。母が畑に出掛けると、1人部屋に閉じこもり、所詮自分は野菜以下のダメ人間だと落ち込んだりした。些細な事で落ち込んでばかりいると、学校でも自分のダメな部分ばかり目についた。どうしても友人と比べてしまう。何をやっても劣等感ばかり募り、その原因をいつしか親のせいにする様になった。親が厳しすぎるんだと。
確かに母は厳しかった。時々、納得がいかない時があった。
友人の親が、ますます羨ましく思えた。でも、非難してばかりでも仕方ないので、ある日、母を私の理想の母にしようと決心した。
しかし、結果は散々で、逆に私が疲れてしまった。
その時初めて「自分は変えられるけれど、他人は変えられない」という、世に言われている格言を知った。ならば自分が変わるしかないのだと、今度は母の観察を始めた。そして、母の観察を始めて、直ぐ意外な発見があった。
それまで、姉達とつるんでぶざけてばかりで気付けないでいたが、母は来る日も来る日も、自宅で祖父の介護をしていた。そして、祖父が亡くなってから数年後、今度は祖母の介護をしていた。母が祖母の介護をし始めた頃、またようやく、母と素直に向き合える様になった。ただそっと手伝える様になった。
そんな私の姿を見て母は「自分の時間が持てないとついつい、イライラしちゃってゴメンネ」と言った。そこに辿り着くまで、私も苦しかった。そして母もまた苦しかったのだ。
祖母が亡くなって今年で9年経った。母は今、近所との繋がりをとても大事にしている。
高齢者の1人暮らしのお宅に、お茶飲みに出掛けたり、野菜が沢山とれた時に「どうぞ」とおすそ分けをしている。それは、ただ単に高齢者を思いやるという事だけではなく、不安や心配や孤独感がいとも簡単に人間を死に追いやってしまったり、生きる希望をも失わせてしまうものだから、人との繋がりは大事にしなくちゃダメなんだよという母の教えでもある。
私は、いつの頃からか、心を月に例えるようになった。満月の日もあるけれど、たいてい月は欠けている。昔は、その欠けていた部分がカッコ悪くてとても嫌だった。
でも、だからこそ生きていけるのではないかと最近思える様になった。欠けている部分を満たそうとするから人は生きていけるのだと思った。
長くなりました。この度、一身上の都合により4年間お世話になったお寺のよこを退職させて頂くことになりました。
皆様のお陰で、とても濃い4年間を過ごす事が出来ました。
世間一般では、介護はキツいし大変な仕事だと、もしかしたらそう思われているのかも知れません。何を隠そう、私がそう思い込んでいました。でも、ある作家が「王様でさえ他の仕事を夢見るものだ」という言葉を残しています。この言葉を知ってから少しずつ介護や仕事に対する「向き合い方」や「考え方」が変わりました。未熟者ですので、失敗も多々ございますが、お寺のよこで学んだことや思い出を大事に、また田舎に帰ってもがんばって行きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。

10:18 | Posted by admin

【言霊(ことだま)】 志寒

2011年05月23日 | きみさんち

言葉は単なる記号ではなく、不思議な力=言霊が宿るといわれています。結婚式で「切れる」、葬式で「重なる」、受験生に「落ちる」・・・言霊の力が本当にあるかどうかは神のみぞ知るですが、そうした言葉を不適切に使うと、運勢のような、運気のようなものが逃げていく気がします。私は迷信深いのでしょうか(苦笑)。
その言霊のせいでしょうか?まったく同じ意味でも、ちょっとした言葉の使い方しだいでその言葉がもたらす感情がまったく違ってくる場合があります。
今回の震災において、避難所での高齢者の状況を伝える報道で「生活不活発病」という言葉が頻繁に使われました。これは生活が不活発になることで、さまざまな心身の機能が低下し引き起こされる症状を指しています。
たとえば歩く能力をお持ちなのに歩かずにいると、足腰の筋力など歩く能力自体が失われていくことがあげられます。(実は歩く能力だけではなく、心や循環器など全身に深く影響してしまうのですが・・・)
ご存知かもしれませんが、専門用語としてはこの生活不活発病に対し「廃用症候群」という言葉が使われています。これは英語ではdisuse syndromeでdisuseは「不使用」という意味です。しかし、それを「廃」という言葉にしてしまうと廃墟、廃棄、廃れるなど、とても印象の悪い単語が連想されてしまいます。
また、辞書には「廃」は「使えなくなる」「だめになる」「やめにする」という意味とありますから、それを体の一部分に対してでも人間に使うのは、特にその言葉を言われてしまう側にとっては、とても納得のいかない言葉でしょう。そこで生活不活発病という言葉が使われているようです。
廃という言葉にはそうしたネガティブなイメージ、言霊がついています。だからもちろん、廃用症候群を生活不活発病と言い換えることについて何ら異存はありません。言霊は脇においても、たとえ無味乾燥な学術用語だとしても、それを言われる側が気分を害するなら使うべきではないと思います。
しかし、一方でその「廃用症候群」の言葉のどぎつさとショックを、特に私たちのような職業は心に刻み続けるべきだろうと思います。廃用になるのではなく廃用させてしまう。廃れて用いなくなるのではなくて、用のないものとして廃れさせてしまう。手が動かない、歩けない状態にさせておいて「生活が不活発だったから」では痛みが足りない。
それは私たちが「廃用させてしまったから」。その言葉の重みはそれこそ言霊として意識し続けねばいけないと思います。
話は変わって、廃用症候群という言葉で思い出されるものに、この「廃用」をタイトルに冠した久坂部羊氏の「廃用身」という小説があります。タイトルに負けず劣らずショッキングな内容で、特に介護を考える上でかなり悩ましい作品です。もし興味をもたれたらご一読ください。
ところで、私の苗字は「志寒」。「志が寒い」と書くのですが・・・言霊的にはどうなのでしょうね?(笑)
最後に言霊の力を信じて。
「被災地がいっときでも早く復興し、被災された方が心からの笑顔で暮らし続けることができますように」

00:20 | Posted by admin

【私事ですが・・・】 のんびり家3F 熊谷

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

私事ですが、去る3月に無事25歳の誕生日を迎える事が出来ました。しなくてもいいのに、四捨五入して30かぁ・・・などと一人考えてしまいます。
20歳そこそこの時は30歳くらいの知人・友人を捕まえては「三十路?ねぇ、三十路?」などからかっていた私。
それからあっという間もなく、25歳!この5年を振り返ると、いろんなことがありました。
専門学校時代。何かにつけ「食事会」という名の飲み会を開催していた事。
卒業式。慣れない振袖に疲れ、会場を映していたカメラの映像にとんでもないアホ面を写され、全校生徒に見られてしまった事。
卒業してすぐに、実家兼食堂が小火騒ぎを起こした事。
冷蔵庫も何もないプチ避難生活の間に、父は酔っ払って倒れ、母はぎっくり腰で倒れ(しかも引越し直前に)、私はストレス?でブクブクと太った事。新装開店から5ヶ月。店を手伝いながら介護の仕事が出来る、と、のんびり家に入職。初めは1日4時間、月10日程度の勤務でしたがのんびり家の魅力に惹かれ、徐々に勤務を増やしていただき、去年の今頃には、ついに常勤デビュー。夜勤デビュー。
この間に10数キロやせたのは、決してストレスのせいではありませんよ!決して!!
いろんなことが昨日のことのように思い出されます。だからきっと、30歳なんて恐ろしいくらい早く迎えてしまうのでしょうね・・・。
25歳までには結婚!なんていう野望は、無常に過ぎる「時間」に儚く打ち砕かれたわけですが、まだまだこれから!!25だけにニコニコと、これからの毎日を楽しくにこやかに過ごしていきます!

06:32 | Posted by admin

【思うこと】 のんびり家2F 田中

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護という仕事は自分が正しいと思ってやっている事でも他人から見れば間違って見えてしまっている事が非常に多い仕事だと最近思います。だからこそ、良く考えて行動する事が大事なのですが、スタッフ同士の意思疎通も大事なのだと思います。少なくとも「自分はこう考えている」という事を相手に主張し伝える事は必要だと思います。
入居者の方達との意思疎通も大事ですが、スタッフ同士の意思疎通も同じぐらい大事なのだと思います。
自分の考え、他の人の考えを照らし合わせて客観的に考える事も大事だと思います。
色々な事を考えていき少しでも入居者にとって意味のある介護が出来ればと思います。今後も宜しくお願いします。

06:31 | Posted by admin

【春です。】   お寺のよこ 冨所

2011年05月05日 | お寺のよこ

なかなか進展が見えず、深刻な環境汚染が懸念される原発問題、連日報道されている被災地の苦境、首都圏でも未だ解消されない物品不足など、今回の震災の余波、不安感が大きく尾を引いている春ですが、そんな中でも桜の花は、例年と同じように美しく咲いて儚く散り、私達の心を癒してくれました。
本当に月並みな事しか思いつかないのですが、私たち一人ひとりが、出来る範囲で出来る事をしていくしかないんじゃないかと思っています。私自身が意識している事は、まず自分が栄養や休息をしっかりとって、社会における自分の役割(仕事)を果たして行く事。極端な自粛はせず、楽しみや自分へのご褒美は継続する事。その中で無理のない範囲で、節電、募金など、出来る事を継続して行っていく事です。
今回の震災は、未曾有の規模の被害をもたらした最悪の災害ですが、そんな中、日本人の強さ、慎ましさ、思いやりといったものをかいま見る事が出来て、誇らしく思いました。復興への道のりは永く険しいと思いますが、この国難を乗り越えたら、日本は必ず震災前よりも良い国になると信じて、日々出来る事をしていきます。
さて、お寺のよこの様子ですが、入居者さん達は震災当日もそれ以降も、落ち着いたご様子で日々過ごされており、半世紀以上~一世紀近く生活してこられた逞しさを感じさせられました。
お寺のよこでは、三月末に、ベリーダンス鑑賞会を企画していて、私も立案した職員橋本の補佐という立場で、企画の実現に向けて準備を行って参りました。そんな中で起こった今回の震災。開催か中止か悩みましたが、このような時だからこそ、是非実現させたいという結論に達し、その旨をベリーダンスサークルの皆様にお伝えしたところ、改めて慰問を快諾して頂けました。
慰問当日、カーテンを閉めて照明を落とした中で、幻想的な音楽に乗って、艶やかな衣装で舞い踊るベリーダンスを、入居者さんもスタッフ(特に男性)も一緒になって楽しみました。締めのディスコタイムでは、ダンサーの方と手を取って踊るTさんや、ダンサーの方に誘われて踊りだすKさんの姿が。かく言う私も、Mさんの手を取って踊り出しました。
実現する事が出来て、本当に良かったと思いました。スタッフの皆さん、入居者の皆さん、そしてこのような情勢の中、素晴らしいダンスを披露して下さった(何かを表現するという事は、その時のこころの影響を大きく受けると思うので、大変だったのではと思います。)ベリーダンスサークル・ハピネスの皆様、本当にありがとうございました。

10:17 | Posted by admin

【感受性】 堀内

2011年04月23日 | きみさんち

きみさんちに入社してから早半年が経ち今回が2回目のどっこいしょとなります。
この半年間で入居者さんと共に過ごして自分の変化に気付きました。一番大きく変わったことは喜怒哀楽が素直に出るようになったことです。
今までは喜怒哀楽を表現することが苦手でしたが日々入居者さんに刺激されて、とっても素直になった気がします。入居者さんは空を眺めれば「良いねぇ。綺麗だねぇ。こんな日に外に散歩するなんて最高に贅沢だ!」と言います。太陽を見たら「日向は暖かくて最高だな!お天道様に感謝しなくちゃ!」と。大好きなカボチャを食べると「うまい~!うまいよ~~!!」と満面の笑みに。
悲しいニュースを見れば涙を流し相手のことを考え嫌なことがあれば嫌だ!とスゴく怒ります。
どれも毎日当たり前におきることで当たり前の感情。入居者さんと一緒に過ごすことによって改めて気付かせてもらえること。毎日すごく当たり前になりすぎてるけれど身近なことに感謝することや逆に《怒》の気持ちを出すことの大切さを知りました。
今から半年後に変化→成長するべく日々頑張っていきたいと思います。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。

00:20 | Posted by admin

【転職して2年】 のんびり家3F 新城

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

月日が経つのは早いもので、のんびり家に勤め始め2年が経ちました。
この2年間で沢山の事を経験し学ぶ事が出来ました。初めは料理も出来ず入居者さん方に教えてもらい支援の仕方をスタッフの方たちに教えてもらい充実した2年間でした。のんびり家で働く前は、ベビーシッターをしたり保育士の仕事などをしていました。まったく違う職種からの転職だったので、働いてすぐの頃は毎日が緊張でしたが凄く楽しく過ごしていました。2年経った今でも引越しなどして雰囲気はかわりましたが、入居者さんやスタッフのみんな優しくて毎日が楽しくのんびり家で働けて本当に幸せだなと思う日々です。
昨年、初めて宿泊研修に参加したのですが仕事の事について色々なグループホームの方々と一緒に2日間勉強をしました。講義を聞いたり、グループワークを行ったりと初めての経験ですごく色々なことを学びこの仕事の楽しさを改めて感じる事が出来た研修でした。また機会があれば参加したいと思っています。
今年で25歳・・・のんびり家に勤め始めた時は22歳だったのに早いですね(笑)
25歳、もっと大人な女性になれるよう頑張っていきます(^^)

06:31 | Posted by admin

【8ヶ月】 のんびり家2F 角田

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護の仕事をして8ヶ月が過ぎました。始めの1ヶ月~6ヶ月位はあまり何も分からず、日々仕事をこなしていくだけの毎日でした。そして7ヶ月~8ヶ月この2ヶ月の間にある事がきっかけで、考え方や、行動が変わり、何か、こう、ええ感じになってきて、この仕事がもっともっと楽しくなってきました。
ある事とは、内緒ですが・・・・・
今は人(人間・入居者)を知るという事を考えながら仕事をしています。これから9ヶ月、10ヶ月・・・・・何時まで続くかは分かりませんが、1日、1日悔いの残らぬよう仕事、私生活を過ごせたらと思います。
話はかわり・・・・・、
僕達は、入居者さんのケアプランを立てて日々の生活を支援しています。
今度は自分自身のケアプランを自分で立てて自分も支援していきたいとも思います。

06:30 | Posted by admin