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【母】 お寺のよこ 安藤

2011年06月05日 | お寺のよこ

私の人生、全てのはじまりはいつも母だった。
母の名は正子(まさこ)といい、今年の7月で還暦を迎える。今ではもうはっきり覚えていないが、いつの頃からか、私は母を「お母さん」ではなく親しみを込めて「正子さん」と呼んでいる。母は私が介護の道に進むきっかけを作ってくれた人でもある。
9人兄弟の8番目として生まれた母は、あまりにも純粋で、曲がったことが大嫌い。そしてテキパキと家事をこなし、恐ろしいほどに良く動く人だ。専業主婦の母は、その身に甘んじたくはなかったのだろう。
私が小学生だった頃「ただいま」と家に帰ると、母はいつも家にいてくれた。一緒にお茶を飲み、その日にあったことを互いに話し合った。その後、母は、私に留守番を任せ、家の近くにある家庭菜園に毎日のように出かけた。ナス、キャベツ、じゃがいも、大根・・・・ありとあらゆる野菜を母は毎年、心を込めて作っていた。その姿は今現在も何一つ変わらない。
順風満帆に行って欲しいと願えど、人生は中々そうもいかない。中・高校生の反抗期には「どうせ分かってくれない」と話す前から決めつけ、小学生の頃の素直さはどこへやら。
母との会話はほとんどなくなった。たまに会話をしても直ぐぶつかってしまう。そんな時、決まって母は「あなたを相手にしているより、野菜を相手にしている方が素直だし、よっぽどいい」と、そんなセリフを言って畑に出かけていった。母が畑に出掛けると、1人部屋に閉じこもり、所詮自分は野菜以下のダメ人間だと落ち込んだりした。些細な事で落ち込んでばかりいると、学校でも自分のダメな部分ばかり目についた。どうしても友人と比べてしまう。何をやっても劣等感ばかり募り、その原因をいつしか親のせいにする様になった。親が厳しすぎるんだと。
確かに母は厳しかった。時々、納得がいかない時があった。
友人の親が、ますます羨ましく思えた。でも、非難してばかりでも仕方ないので、ある日、母を私の理想の母にしようと決心した。
しかし、結果は散々で、逆に私が疲れてしまった。
その時初めて「自分は変えられるけれど、他人は変えられない」という、世に言われている格言を知った。ならば自分が変わるしかないのだと、今度は母の観察を始めた。そして、母の観察を始めて、直ぐ意外な発見があった。
それまで、姉達とつるんでぶざけてばかりで気付けないでいたが、母は来る日も来る日も、自宅で祖父の介護をしていた。そして、祖父が亡くなってから数年後、今度は祖母の介護をしていた。母が祖母の介護をし始めた頃、またようやく、母と素直に向き合える様になった。ただそっと手伝える様になった。
そんな私の姿を見て母は「自分の時間が持てないとついつい、イライラしちゃってゴメンネ」と言った。そこに辿り着くまで、私も苦しかった。そして母もまた苦しかったのだ。
祖母が亡くなって今年で9年経った。母は今、近所との繋がりをとても大事にしている。
高齢者の1人暮らしのお宅に、お茶飲みに出掛けたり、野菜が沢山とれた時に「どうぞ」とおすそ分けをしている。それは、ただ単に高齢者を思いやるという事だけではなく、不安や心配や孤独感がいとも簡単に人間を死に追いやってしまったり、生きる希望をも失わせてしまうものだから、人との繋がりは大事にしなくちゃダメなんだよという母の教えでもある。
私は、いつの頃からか、心を月に例えるようになった。満月の日もあるけれど、たいてい月は欠けている。昔は、その欠けていた部分がカッコ悪くてとても嫌だった。
でも、だからこそ生きていけるのではないかと最近思える様になった。欠けている部分を満たそうとするから人は生きていけるのだと思った。
長くなりました。この度、一身上の都合により4年間お世話になったお寺のよこを退職させて頂くことになりました。
皆様のお陰で、とても濃い4年間を過ごす事が出来ました。
世間一般では、介護はキツいし大変な仕事だと、もしかしたらそう思われているのかも知れません。何を隠そう、私がそう思い込んでいました。でも、ある作家が「王様でさえ他の仕事を夢見るものだ」という言葉を残しています。この言葉を知ってから少しずつ介護や仕事に対する「向き合い方」や「考え方」が変わりました。未熟者ですので、失敗も多々ございますが、お寺のよこで学んだことや思い出を大事に、また田舎に帰ってもがんばって行きたいと思います。皆様、本当にありがとうございました。

10:18 | Posted by admin

【言霊(ことだま)】 志寒

2011年05月23日 | きみさんち

言葉は単なる記号ではなく、不思議な力=言霊が宿るといわれています。結婚式で「切れる」、葬式で「重なる」、受験生に「落ちる」・・・言霊の力が本当にあるかどうかは神のみぞ知るですが、そうした言葉を不適切に使うと、運勢のような、運気のようなものが逃げていく気がします。私は迷信深いのでしょうか(苦笑)。
その言霊のせいでしょうか?まったく同じ意味でも、ちょっとした言葉の使い方しだいでその言葉がもたらす感情がまったく違ってくる場合があります。
今回の震災において、避難所での高齢者の状況を伝える報道で「生活不活発病」という言葉が頻繁に使われました。これは生活が不活発になることで、さまざまな心身の機能が低下し引き起こされる症状を指しています。
たとえば歩く能力をお持ちなのに歩かずにいると、足腰の筋力など歩く能力自体が失われていくことがあげられます。(実は歩く能力だけではなく、心や循環器など全身に深く影響してしまうのですが・・・)
ご存知かもしれませんが、専門用語としてはこの生活不活発病に対し「廃用症候群」という言葉が使われています。これは英語ではdisuse syndromeでdisuseは「不使用」という意味です。しかし、それを「廃」という言葉にしてしまうと廃墟、廃棄、廃れるなど、とても印象の悪い単語が連想されてしまいます。
また、辞書には「廃」は「使えなくなる」「だめになる」「やめにする」という意味とありますから、それを体の一部分に対してでも人間に使うのは、特にその言葉を言われてしまう側にとっては、とても納得のいかない言葉でしょう。そこで生活不活発病という言葉が使われているようです。
廃という言葉にはそうしたネガティブなイメージ、言霊がついています。だからもちろん、廃用症候群を生活不活発病と言い換えることについて何ら異存はありません。言霊は脇においても、たとえ無味乾燥な学術用語だとしても、それを言われる側が気分を害するなら使うべきではないと思います。
しかし、一方でその「廃用症候群」の言葉のどぎつさとショックを、特に私たちのような職業は心に刻み続けるべきだろうと思います。廃用になるのではなく廃用させてしまう。廃れて用いなくなるのではなくて、用のないものとして廃れさせてしまう。手が動かない、歩けない状態にさせておいて「生活が不活発だったから」では痛みが足りない。
それは私たちが「廃用させてしまったから」。その言葉の重みはそれこそ言霊として意識し続けねばいけないと思います。
話は変わって、廃用症候群という言葉で思い出されるものに、この「廃用」をタイトルに冠した久坂部羊氏の「廃用身」という小説があります。タイトルに負けず劣らずショッキングな内容で、特に介護を考える上でかなり悩ましい作品です。もし興味をもたれたらご一読ください。
ところで、私の苗字は「志寒」。「志が寒い」と書くのですが・・・言霊的にはどうなのでしょうね?(笑)
最後に言霊の力を信じて。
「被災地がいっときでも早く復興し、被災された方が心からの笑顔で暮らし続けることができますように」

00:20 | Posted by admin

【私事ですが・・・】 のんびり家3F 熊谷

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

私事ですが、去る3月に無事25歳の誕生日を迎える事が出来ました。しなくてもいいのに、四捨五入して30かぁ・・・などと一人考えてしまいます。
20歳そこそこの時は30歳くらいの知人・友人を捕まえては「三十路?ねぇ、三十路?」などからかっていた私。
それからあっという間もなく、25歳!この5年を振り返ると、いろんなことがありました。
専門学校時代。何かにつけ「食事会」という名の飲み会を開催していた事。
卒業式。慣れない振袖に疲れ、会場を映していたカメラの映像にとんでもないアホ面を写され、全校生徒に見られてしまった事。
卒業してすぐに、実家兼食堂が小火騒ぎを起こした事。
冷蔵庫も何もないプチ避難生活の間に、父は酔っ払って倒れ、母はぎっくり腰で倒れ(しかも引越し直前に)、私はストレス?でブクブクと太った事。新装開店から5ヶ月。店を手伝いながら介護の仕事が出来る、と、のんびり家に入職。初めは1日4時間、月10日程度の勤務でしたがのんびり家の魅力に惹かれ、徐々に勤務を増やしていただき、去年の今頃には、ついに常勤デビュー。夜勤デビュー。
この間に10数キロやせたのは、決してストレスのせいではありませんよ!決して!!
いろんなことが昨日のことのように思い出されます。だからきっと、30歳なんて恐ろしいくらい早く迎えてしまうのでしょうね・・・。
25歳までには結婚!なんていう野望は、無常に過ぎる「時間」に儚く打ち砕かれたわけですが、まだまだこれから!!25だけにニコニコと、これからの毎日を楽しくにこやかに過ごしていきます!

06:32 | Posted by admin

【思うこと】 のんびり家2F 田中

2011年05月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護という仕事は自分が正しいと思ってやっている事でも他人から見れば間違って見えてしまっている事が非常に多い仕事だと最近思います。だからこそ、良く考えて行動する事が大事なのですが、スタッフ同士の意思疎通も大事なのだと思います。少なくとも「自分はこう考えている」という事を相手に主張し伝える事は必要だと思います。
入居者の方達との意思疎通も大事ですが、スタッフ同士の意思疎通も同じぐらい大事なのだと思います。
自分の考え、他の人の考えを照らし合わせて客観的に考える事も大事だと思います。
色々な事を考えていき少しでも入居者にとって意味のある介護が出来ればと思います。今後も宜しくお願いします。

06:31 | Posted by admin

【春です。】   お寺のよこ 冨所

2011年05月05日 | お寺のよこ

なかなか進展が見えず、深刻な環境汚染が懸念される原発問題、連日報道されている被災地の苦境、首都圏でも未だ解消されない物品不足など、今回の震災の余波、不安感が大きく尾を引いている春ですが、そんな中でも桜の花は、例年と同じように美しく咲いて儚く散り、私達の心を癒してくれました。
本当に月並みな事しか思いつかないのですが、私たち一人ひとりが、出来る範囲で出来る事をしていくしかないんじゃないかと思っています。私自身が意識している事は、まず自分が栄養や休息をしっかりとって、社会における自分の役割(仕事)を果たして行く事。極端な自粛はせず、楽しみや自分へのご褒美は継続する事。その中で無理のない範囲で、節電、募金など、出来る事を継続して行っていく事です。
今回の震災は、未曾有の規模の被害をもたらした最悪の災害ですが、そんな中、日本人の強さ、慎ましさ、思いやりといったものをかいま見る事が出来て、誇らしく思いました。復興への道のりは永く険しいと思いますが、この国難を乗り越えたら、日本は必ず震災前よりも良い国になると信じて、日々出来る事をしていきます。
さて、お寺のよこの様子ですが、入居者さん達は震災当日もそれ以降も、落ち着いたご様子で日々過ごされており、半世紀以上~一世紀近く生活してこられた逞しさを感じさせられました。
お寺のよこでは、三月末に、ベリーダンス鑑賞会を企画していて、私も立案した職員橋本の補佐という立場で、企画の実現に向けて準備を行って参りました。そんな中で起こった今回の震災。開催か中止か悩みましたが、このような時だからこそ、是非実現させたいという結論に達し、その旨をベリーダンスサークルの皆様にお伝えしたところ、改めて慰問を快諾して頂けました。
慰問当日、カーテンを閉めて照明を落とした中で、幻想的な音楽に乗って、艶やかな衣装で舞い踊るベリーダンスを、入居者さんもスタッフ(特に男性)も一緒になって楽しみました。締めのディスコタイムでは、ダンサーの方と手を取って踊るTさんや、ダンサーの方に誘われて踊りだすKさんの姿が。かく言う私も、Mさんの手を取って踊り出しました。
実現する事が出来て、本当に良かったと思いました。スタッフの皆さん、入居者の皆さん、そしてこのような情勢の中、素晴らしいダンスを披露して下さった(何かを表現するという事は、その時のこころの影響を大きく受けると思うので、大変だったのではと思います。)ベリーダンスサークル・ハピネスの皆様、本当にありがとうございました。

10:17 | Posted by admin

【感受性】 堀内

2011年04月23日 | きみさんち

きみさんちに入社してから早半年が経ち今回が2回目のどっこいしょとなります。
この半年間で入居者さんと共に過ごして自分の変化に気付きました。一番大きく変わったことは喜怒哀楽が素直に出るようになったことです。
今までは喜怒哀楽を表現することが苦手でしたが日々入居者さんに刺激されて、とっても素直になった気がします。入居者さんは空を眺めれば「良いねぇ。綺麗だねぇ。こんな日に外に散歩するなんて最高に贅沢だ!」と言います。太陽を見たら「日向は暖かくて最高だな!お天道様に感謝しなくちゃ!」と。大好きなカボチャを食べると「うまい~!うまいよ~~!!」と満面の笑みに。
悲しいニュースを見れば涙を流し相手のことを考え嫌なことがあれば嫌だ!とスゴく怒ります。
どれも毎日当たり前におきることで当たり前の感情。入居者さんと一緒に過ごすことによって改めて気付かせてもらえること。毎日すごく当たり前になりすぎてるけれど身近なことに感謝することや逆に《怒》の気持ちを出すことの大切さを知りました。
今から半年後に変化→成長するべく日々頑張っていきたいと思います。
これからも、どうぞ宜しくお願いします。

00:20 | Posted by admin

【転職して2年】 のんびり家3F 新城

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

月日が経つのは早いもので、のんびり家に勤め始め2年が経ちました。
この2年間で沢山の事を経験し学ぶ事が出来ました。初めは料理も出来ず入居者さん方に教えてもらい支援の仕方をスタッフの方たちに教えてもらい充実した2年間でした。のんびり家で働く前は、ベビーシッターをしたり保育士の仕事などをしていました。まったく違う職種からの転職だったので、働いてすぐの頃は毎日が緊張でしたが凄く楽しく過ごしていました。2年経った今でも引越しなどして雰囲気はかわりましたが、入居者さんやスタッフのみんな優しくて毎日が楽しくのんびり家で働けて本当に幸せだなと思う日々です。
昨年、初めて宿泊研修に参加したのですが仕事の事について色々なグループホームの方々と一緒に2日間勉強をしました。講義を聞いたり、グループワークを行ったりと初めての経験ですごく色々なことを学びこの仕事の楽しさを改めて感じる事が出来た研修でした。また機会があれば参加したいと思っています。
今年で25歳・・・のんびり家に勤め始めた時は22歳だったのに早いですね(笑)
25歳、もっと大人な女性になれるよう頑張っていきます(^^)

06:31 | Posted by admin

【8ヶ月】 のんびり家2F 角田

2011年04月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

介護の仕事をして8ヶ月が過ぎました。始めの1ヶ月~6ヶ月位はあまり何も分からず、日々仕事をこなしていくだけの毎日でした。そして7ヶ月~8ヶ月この2ヶ月の間にある事がきっかけで、考え方や、行動が変わり、何か、こう、ええ感じになってきて、この仕事がもっともっと楽しくなってきました。
ある事とは、内緒ですが・・・・・
今は人(人間・入居者)を知るという事を考えながら仕事をしています。これから9ヶ月、10ヶ月・・・・・何時まで続くかは分かりませんが、1日、1日悔いの残らぬよう仕事、私生活を過ごせたらと思います。
話はかわり・・・・・、
僕達は、入居者さんのケアプランを立てて日々の生活を支援しています。
今度は自分自身のケアプランを自分で立てて自分も支援していきたいとも思います。

06:30 | Posted by admin

【こんにちは】 お寺のよこ 田口

2011年04月05日 | お寺のよこ

こんにちは。今回がどっこいしょ二回目の寺よこの田口です。お寺のよこで働きはじめそろそろ10ヶ月が経ちもう春の季節。単純に時間が経つのは早いね、そう感じているのん気なこの頃と花粉症が煩わしい日々です。
この文章を作成する二週間程前に、東日本大震災が起こりました。多数の方が亡くなられとても悲しく残念な想いです。現在でも揺れは不定期に起こり、放射線物質等の不安、電気ガソリン食材の不足等、様々な問題・・自分には何が出来るか?これからどうすればいいか?
きっと多くの方が不穏な日々の中そう考え囁かれている昨今だと思います。東京でもいつどんな想定外が訪れるかはわかりませんが、どんな状況でも地域の皆さんと協力し合い支えあっていければ幸いです。

10:17 | Posted by admin

【「はいミニケアホームきみさんち堀でございます。」】 堀

2011年03月23日 | きみさんち

そう言って電話をとる瞬間が好きな新人堀です!
皆さま初めまして。クリスマスの奇跡で きみさんちにやって参りました!1月25日入社で右も左も分かりませんが手近な事がやっと分かってきました。
私は33歳で1月19日まで関西空港で長く勤務していて、この職種は全くの初めてです。
性格はやたらと真面目で真っ直ぐで、冷静な顔をしつつハートはめちゃめちゃ熱い…ともすればめんどくさい奴でございます。でも 誰かのために何かしたり、自分が誰かの力になれる事に本当に喜びを感じるし 何かしたいと願うみたいです。だから、「要領がいい」と言う名目で楽な方へ楽な方へ 簡単にズルっ子をする傾向が見られる昨今、心と心の繋がりの元、ズルっ子の成立しない このお仕事を魅力に思いました。
入社面接の際に、お会いした方は「私達の仕事はね…」と言って心構えを話して下さったのですが、それで益々嬉しく思いました。彼の目は、本当に想いがこもっていて、汚れなく純粋で、真っ直ぐだと思いました。
この世の中で まごころ だけで生きている人間が居るんだと驚いたのと共に、「私はここで大丈夫。」と安心しました。その面接の日の午後に訪問した きみさんち のホーム見学で、おうちスタッフ長の方が迎えてくれて1時間ほど見学したり、入居者の方とお話しさせて頂いたり、スタッフ長の方の入居者の方との関わりを見て…益々 絶対きみさんちがいい!と思いました。
それで、前の会社を説得し、両親を説得して、大阪→→東京へと単身やって参りました。
友達も知り合いも居なくて大丈夫⁇とみんなに心配されました。だけど不安は微塵もありませんでした。
今、毎日を過ごして実感しています。
「もし自分がグループホームに入るとしたら きみさんち がいい。」
それは心と心の繋がり、また心を本当に大切にしている場所だからです。スタッフの私から見て…そうかも知れませんが、もしかしたら入居者の方から見たら 本当はまだまだ色んな読み間違いがあるかも知れません。
だから私も、私の少ない体験と心をフル活用して、この きみさんち のスタッフの一員としてカウントしてもらえるように また私だから出来る事もみつけて「入居者の皆さんお一人お一人が自分らしく」また私という人間も私らしく、みなさんと共に生活し、生きていこうと思います。
という訳で、今日も元気に行ってまいりまーーーす!

00:19 | Posted by admin

【言葉の使い方】 のんびり家2F 石井

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

のんびり家が引越しをしまして早いもので半年が経過しました。2ユニットになり新しい職員が増え日々入居者の方と様々な時間を悪戦苦闘しながら過ごしています。半年が経ち入居者の方々ものんびり家の生活に徐々に慣れてきたご様子です。日々、色々なことを教えていただいています。
先日、無意識に「全然・・・・・・・ですね。」と話していると、それを聞きつけたYさんが「あなた、それは日本語になっていないじゃないの。おかしいわよ。全然というのはね、否定するときに使うものなのよ。若い人はどうしようもないね。」とご指導いただきました。その後改めて広辞苑で「全然」という言葉について調べてみました。何気なく日々無意識に使ってしまう言葉ですが、接続詞や語尾などで意味合いが変わってしまったり、意味をなしていないこともあるのだと改めて認識することが出来ました。
日々、入居者とのやりとりで言葉を交わします。その時に「今の言葉は適切であったのだろうか。」「もっと良い表現はなかったのだろうか。」「今の声かけは先回りしすぎてしまっていないか。」と振り返ることが度々あります。入居者それぞれに合わせた言葉かけが出来ているだろうかとその一瞬を振り返ること、考え続けていくことがとても大切なことだと思っています。のんびり家に入社した際に「入居者をよく知ること」と何度も教えていただきました。「知る」とはどういうことなのか、どうやって「知っていくのか」と日々考え支援を行っています。自分たちの支援の在り方を振り返りながら入居者との時間を大切に共有できたらと思います。

06:28 | Posted by admin

【私が学生だった頃】 のんびり家3F 福田

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家には2月上旬から福祉専門学校から実習生さんが来ています。皆さん緊張されている様子が伝わってきます。しかし、緊張の中にも「まじめさ」や「誠実さ」「一生懸命」という気持ちを皆さんどれも持たれている事が共通しています。
私も遡ること16年前…実習生さんと同じく都内の専門学校に通っておりちょうど1年生のこの時期に3週間の実習がありました。
実習場所は町田市内の山の中、ということで宿泊の実習でしかも自炊をしなくてはいけない状況。帰れるのは週末。宿泊先は特養と繋がる職員寮の1室。しかも、同時に実習をする他校の学生と同室(3校一緒でした)当時は携帯電話ではなくポケベルの時代。しかし、ポケベルに連絡が入っても連絡が出来ないという、「ええーーーー」という状況での実習でした。
しかし、若さゆえの特権なのか他の学校の実習生ともすぐに仲良くなり最後の夜は鍋パーティを行いその後一度、皆でお泊り会を開くまでに仲良くなり、日々の食事については当時の私はまともに料理が出来なかったので、一緒に実習を受けたクラスメイトに助けられ乗り切りました。
で、実際の実習はというと…「まじめさ」「誠実さ」「一生懸命」で取り組みました。ただ実習記録をみると反映されているのか、と聞かれるとそうとは言い難い内容なのですが…。強く思い出に残っているのはあまりの緊張に外出付き添いの帰りに職員さんの運転する車に酔い、降りた途端に車を飛び出したのは言うまでもありません…。
私が実習を受けた頃は、ある程度業務を覚えたらいかにその業務に気づいて動くかがポイントだと言われていて少し立っているだけで「実習生!」と注意を受けることがありました。
のんびり家では早く気づいて、業務を行われてしまうと入居者さんの生活の妨げになることもあるので、一緒にのんびりと過ごすことが多いのですがのんびりと過ごす中で入居者の皆様からいろいろ学んでいただきたいと思っています。
学生時代の実習は今後、この仕事に就く上で良い影響、悪い影響、自分の仕事に対する考えなど様々な影響があると思います。残るのであればもちろん「良い影響」であって欲しいのですが、実習生さんの皆さんがのんびり家の入居者さんの生活を知って何か一つでも響けるよう、私たちも伝えることが出来るようにしていきたいです。と言うのも実は私自身、学生時代のこの時の実習が一番心に響き今に繋がっているのです。

06:28 | Posted by admin

【私が学生だった頃】 のんびり家3F 福田

2011年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

のんびり家には2月上旬から福祉専門学校から実習生さんが来ています。皆さん緊張されている様子が伝わってきます。しかし、緊張の中にも「まじめさ」や「誠実さ」「一生懸命」という気持ちを皆さんどれも持たれている事が共通しています。
私も遡ること16年前…実習生さんと同じく都内の専門学校に通っておりちょうど1年生のこの時期に3週間の実習がありました。
実習場所は町田市内の山の中、ということで宿泊の実習でしかも自炊をしなくてはいけない状況。帰れるのは週末。宿泊先は特養と繋がる職員寮の1室。しかも、同時に実習をする他校の学生と同室(3校一緒でした)当時は携帯電話ではなくポケベルの時代。しかし、ポケベルに連絡が入っても連絡が出来ないという、「ええーーーー」という状況での実習でした。
しかし、若さゆえの特権なのか他の学校の実習生ともすぐに仲良くなり最後の夜は鍋パーティを行いその後一度、皆でお泊り会を開くまでに仲良くなり、日々の食事については当時の私はまともに料理が出来なかったので、一緒に実習を受けたクラスメイトに助けられ乗り切りました。
で、実際の実習はというと…「まじめさ」「誠実さ」「一生懸命」で取り組みました。ただ実習記録をみると反映されているのか、と聞かれるとそうとは言い難い内容なのですが…。強く思い出に残っているのはあまりの緊張に外出付き添いの帰りに職員さんの運転する車に酔い、降りた途端に車を飛び出したのは言うまでもありません…。
私が実習を受けた頃は、ある程度業務を覚えたらいかにその業務に気づいて動くかがポイントだと言われていて少し立っているだけで「実習生!」と注意を受けることがありました。
のんびり家では早く気づいて、業務を行われてしまうと入居者さんの生活の妨げになることもあるので、一緒にのんびりと過ごすことが多いのですがのんびりと過ごす中で入居者の皆様からいろいろ学んでいただきたいと思っています。
学生時代の実習は今後、この仕事に就く上で良い影響、悪い影響、自分の仕事に対する考えなど様々な影響があると思います。残るのであればもちろん「良い影響」であって欲しいのですが、実習生さんの皆さんがのんびり家の入居者さんの生活を知って何か一つでも響けるよう、私たちも伝えることが出来るようにしていきたいです。と言うのも実は私自身、学生時代のこの時の実習が一番心に響き今に繋がっているのです。

06:28 | Posted by admin

【繋】 お寺のよこ 光岡

2011年03月05日 | お寺のよこ

Kさんはお風呂に入るのをあまり好まれません。入ってしまうと気持ち良さそうにされていますが、お風呂に入るという行為が面倒なのかスタッフ側から入浴の声掛けをしても進んでお風呂に入ろうとされる事はありません。いつも「いいです」「入りません」と言葉少なに仰られたり、表情が硬くなったりします。そんなKさんの意思を尊重・・・したいのはやまやまですが、Kさんの身体のこと、衛生面のことも気掛かりです。スタッフは無理強いはしないながらも、あれやこれやで何とか入浴まで漕ぎつけます。言葉のやり取りで分かって頂くというよりも、何となく雰囲気や流れで入って頂く事が殆どかと思います。
ある日のことKさんに入浴の声掛けをしたところいつもの如く「入りません」との答え。時間を置いて再度声を掛けても同様でした。ただ、その「入りません」という言葉の返し方がいつもと違う・・・というかいつもよりご自分の意志を明確に仰られていたように感じた為、何故入りたくないのか私は尋ねてみました。
「入りたくないんだよ」「勝手だろ」やや語気を強めに言われます。確かにお風呂に入りたくないのは個人の自由、勝手は勝手なのですが、普段見せない表情と言葉に(こう書いてしまうと失礼にあたりますが)この時のKさんに俄然私は興味を持ってしまいました。
結局お風呂に入らないと身体が良くないこと、臭いが身体についてしまうこと等を何度も伝えると憮然としながらも「じゃ、入るよ」と服を脱ぎ始められました。あんなに入るのを嫌がっていたのに入る前には湯温を確認して「よし」とご満悦のご様子。その後は気持ち良さそうに入浴をされていました。
書いてしまうとたったこれだけの出来事かもしれませんが私はとても嬉しくなりました。ただ入浴されたから嬉しかったのではありません。いつもは硬い表情で黙り込んだり、言葉少なく入らないことを表現されていたKさんがこれまであまり聞いたことのないような言葉で明確に意思表示された事や、その時の力強い表情。Kさんと時間を掛けて会話をし、憮然とではあるもののご本人が納得されて入浴されたことが嬉しかったのです。いや、結果入浴されなかったとしてもあの時のKさんの意思的な言葉や表情が見られたことが何より嬉しかったのだと思います。
以前きみさんちの志寒さんが「どっこいしょ」の記事で、入居者さんに次に何を行なうか(選ぶか)選択肢を与えているようでスタッフ側の都合の良い方に答えを誘導してしまうことの危険性と、その際に入居者から明確にNOを突きつけられる事の有り難さを書かれていました。今回のKさんのことがそれに当てはまるかどうか分かりませんが、ふとその記事のことを思い出しました。
また、以前のんびり家3階の福田さんが法人内の研修で「入居者さんが見せる貴重な瞬間を逃さないように」と仰られていたことも思い出しました。
「繋がる」とはこういうことなのかと思います。以前誰かが言っていた(書いていた)印象的な言葉、その時は感覚的に捉えていたり、意味が分からなかったことが、ある体験を基に明確に繋がる時。それはとてもダイナミックな瞬間です。今回は同一法人内他事業所スタッフの方の言葉ではありますが、お寺のよこでも至らない私を指導して下さった先輩スタッフや、現在ともに働いているスタッフの言葉からも同様の「繋がる」体験はしています。勿論入居者さんの言葉や生活しておられる姿からも。
「繋がる」ことは言葉と体験が繋がることでもあるし、それが基になり自分がここに居る意味に繋がることでもあるし、自分と他者、社会が繋がることでもあるのかなと思います。
何故Kさんが今回のような表情、言葉を表出されたのか分かりません。ただ、Kさんの言動から私は色々なことが「繋がり」ましたし、「繋がる」ことの大切さを教えて頂いた気がしました。もしかしたらKさんも何らかの「繋がり」を欲しておられたのかもしれません。
今後もこの「繋がる」ということを大切に出来るよう、自分の中の引き出しを多種多様にしていければと思います。

10:13 | Posted by admin

【布団】 石川

2011年02月22日 | きみさんち

年も明けて寒さが骨身に染みます。毎日布団から出るのがきつい日が続いています。まだ眠い、後5分‥10分‥なんだかんだでそろそろ出勤しなくてはいけない時間に布団の魔力は恐いですね。きみさんち石川です。きみさんちに勤務して早6ヶ月になりました。楽しく毎日を過ごしています。
いつも思うのですが何を書いて良いか分からないどっこいしょ。考えまして、少し昔の話をしようと思います。布団で思い出したのですが、僕は4年前に国分寺に住んでいたんですが、すぐにお金を衝動買いやパチンコにバンバン使ってしまう自由な生活をしていました。バイトしたお金がなくなるまで何かにとり憑かれたようにパチンコを打ってました。その代償は高くつくんです。その年の冬、年末ぐらいにコテンパンにパチンコにやられてしまいまして、なんと家のガスが止められました。お風呂がホントに好きな僕はどうしようと迷ったんですけどその時の僕は、水風呂でもなんとかいけるんじゃないかな~と(今思えば何を考えていたんでしょうか) 冷たい冷たいでも身体は洗わないと、頭も、すぐに布団の中に潜り込むという生活をしていました。(よく無事でいられたもんです) 普通危ないです。4年前の僕は凄い無謀だったな~と思います(今考えられませんもん。どんな生活してたんでしょうか‥‥若かった若気の至りです。) お金は大切だと教えてもらった、その年の冬の話でした。これからもきみさんちでがんばっていこうと思います。よろしくお願いします。

23:32 | Posted by admin