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【支援の工夫】 のんびり家3F 君塚

2013年04月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

3月に入りようやく厳しくてしつこかった寒さも和らぎ始め、徐々に春らしい暖かさを感じられるようになりました。
のんびり家3階では幸い今年の冬にインフルエンザやノロウイルス等に感染した入居者さんやスタッフは1人もおらず、軽い風邪をひかれた方がスタッフを含め数名出た程度で済むことができました。ただ、寒さが和らいでも季節の変わり目には何かと体調を崩し易いので、引き続き入居者さんの体調や自分自身の体調管理には油断することなく十分気を付けたいと思います。
さて、今回は私が担当させて頂いているSさんについて書きたいと思います。Sさんは笑顔がとても素敵な女性で、居間で面白い話をしていると大声で笑ったり積極的に話をされたりするとても明るい方です。また近所を散歩していると、すれ違う人に笑顔でお辞儀をされる社交的な性格の持ち主でもあります。ただ認知症の症状も進行していて自分でうまく意思表示ができず、排泄や更衣そして入浴などはかなりの部分でスタッフの介助が必要な状態です。歩行も多少のふらつきがあり、体力的な面からも長い時間歩き続けることは困難です。
私達の仕事はSさんのような認知症の状態にある入居者の方を支援することですが、単なるお世話係ではありません。入居者さん一人ひとりの状態や能力に合わせて自立できていないところを部分的にサポートします。例えばSさんの場合だと箸やスプーン等を使い食事を召し上がることはできますが、食事を作ったり運んだりすることはできません。そのため私達スタッフは食事作りをしてテーブルに並べ箸等を出して、Sさんに「これから食事ですよ」ということを気付いてもらうための環境作りを行ないます。一般的な発想だと食事を作りテーブルに出して「はい食べて」と箸を渡せばそれで仕事をしたことになると思われるかもしれませんが、私達の仕事の世界では違います。いくら食事の準備を完璧に行なったとしても、Sさんが食事に気付き自分で召し上がろうとされなければ、私達の支援の仕事の成果としては失敗となります。この場合だと、Sさんに食事であることを認識してもらうための「工夫」こそが、私達の本当の仕事であり腕の見せ所となります。
私は学生時代にジムに通いウェイトトレーニングを4年間やってきました。そこでは少しでも多くの負荷をかけてトレーニングを行い、筋肉を増やす工夫がされていました。その工夫とは例えばバーベルを何回か持ち上げているとそのうち疲れて完全には持ち上がらない状態となりますが、そこで横に待機していたトレーナーが軽く押してバーベルが少し持ち上がるくらいのサポートをします。この作業により筋肉には限界に近い負荷をかけ続けることができ、1人だけのトレーニングでは決して得られない成果を出すことができるのです。私達の支援の仕事にも同じことが言えて、入居者さんの能力の限界を見極め、必要最低限のサポートしか行なわないことにより最大の負荷をかけてあげるのです。このようなやり方で認知症の進行を最低限に抑え、入居者さんには自分らしい自立した生活を送って頂けるのではないかと思います。

07:08 | Posted by admin

【見えるって】   お寺のよこ 後藤

2013年04月05日 | お寺のよこ

早いものでお寺のよこで働き始めて9ヶ月がたちました。最初は続けられるのか・・・と悩んだ日もありましたが、先輩職員や入居者さんに支えられ9ヶ月。もうすぐ1年です。
2月下旬、コンタクトレンズにしました。裸眼だと家のテレビもぼんやりして見えにくく、生活がしにくくなってきたので思い切って眼科へ。コンタクトを入れるのは怖かったですが、初めてのコンタクトに感動しました。遠くを走っている車の色も、草が風で揺れているのもはっきり見えました。今までの電車通勤はぼんやりとした景色でしたが、最近では遠くを見ることが楽しみになっています。
仕事でも、遠くにいる入居者さんの動きがはっきりわかるようになり、仕事がし易いです。視野がとても広がりました。今まではぼんやりとした視界で入居者さんを支援していたかと思うと「入居者さんの癖や表情など見逃していたものもあるのではないか」ともったいない気持ちになりました。
入居者さんが何をしているのか、どんなものに反応するのかなど、これからはしっかりと見て行きたいと思います。

10:56 | Posted by admin

【慣れ】 のんびり家2F 新山

2013年03月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

最近、入居者が私の顔を見て笑顔で話してくれることが増えてきました。
私が、入社した頃は挨拶がやっとで何を話していいのかよく分からず一言二言がやっとだった事を今でも覚えています。1年半以上が経った今では、自然と入居者と会話が出来るようになりました。反面、慣れというか心を開きすぎて、時々タメ口で話したりしてしまうことがあるんです。皆様は、こんな時ありますか?
人生の大先輩にため口で話してもニコニコ笑って話してくれる入居者方。
今まで苦労し色々な事を乗り越えてきた入居者の心の大きさにただただ驚くばかりです。
私は、気長な性格ではありません。入居者のように心を大きくしたい。もっと入居者の心をしっかり受け止められるようになりたい。
自分の心の小さな事に気付いてしまった年。この一年かけてどれだけ成長するのか試してみます。気付かせてくれた入居者方に感謝。

08:06 | Posted by admin

【実習生】 のんびり家3F 永辻

2013年03月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

今月の前半の2週間、専門学校の生徒が実習に来ました。実習生を見ていると入居者さんとのコミュニケーションに少し悩んでいるように見えました。「いつ話しかけよう?」・「何て話しかけよう?」・「会話の内容は?」などと考えているようでした。その光景を見ていて、私も最初の頃は同じようなことを考えていたなと思いました。毎日入居者さんとのコミュニケーションを図っていく中でいろいろと自分の中で試行錯誤をしていたことを思い出しました。その中で私が大切にしようと考えたのは「間・タイミング」でした。話しの間・話しかけるタイミングなどです。このことは今も大切にしています。実習生と共に過ごしていると、私の方が改めて気付かされたり思い出させたりさせてもらう場面がありました。短い間でしたけど実習お疲れ様でした。

07:07 | Posted by admin

【春です。】 お寺のよこ 冨所

2013年03月05日 | お寺のよこ

東日本大震災から、間もなく(この文章を書いている時点では)二年が経過しようとしています。首都圏では、震災の影は本当に薄くなり、かつては様々な店舗に設置されていた募金箱も、震災に関連したものは少なくなりました。未だに被災地では、多くの方が辛い生活を余儀なくされていると思います。生活や気持ちが、少しずつ上向きになりますよう、御祈り致します。

最近街中で周囲を見てみると、ハガキより一回り小さい位の大きさの、平坦な機械を指先で操作している人が、そこかしこにいると思います。今大流行の「スマートフォン」。まぁ大雑把な私の大雑把な解釈で大雑把に説明すると、「パソコンの機能を持った携帯電話」といったところでしょうか。私も1年ほど前に、永年使用してきた為故障してきた携帯を買い換えたのですが、私が選んだのは、前述のスマートフォンではなく、プッシュボタンのついた、いわゆるフツーの携帯電話。スマートフォンを選ばなかったのは、「値段が高い」とか「楽しさがいまいち良く判らない」というのもあるのですが、一番大きな理由は、「携帯電話のプッシュボタン操作が手に馴染んでいる」からだと思います。私にとって携帯電話は、通信手段よりも、予定表とか手帳の役割が大きくて、仕事とか私用の予定を、携帯のメール機能を利用して書きこんでいる(プッシュボタンを操作して文字を打ち込んでいる) のですが、この操作や感触が手に馴染んで手離しがたいのです。番号さえ覚えていれば、画面を見なくても電話をかけられますし、平仮名だけの文章であれば、画面を見なくても書けます。これらの芸当は、「視覚」、「操作方法」で大きく進歩した代わりに、ボタンの凹凸、配置、感触と言った「触覚」を手放したスマートフォンには、少し難易度が高いのではないかと思います。(まぁスマートフォンはそんな事しなくても、声で電話かけたり文章打ったりできそうですが…)

二年位前から、入居者さんとの関わりの中に、「五感に訴えていく」という事を意識するようになりました。お寺のよこでは、入居者さんが手分けして、片付けものや食事作りを行っていきます。しかし中には、包丁で何かを切ったり、炒めたり、洗濯物を畳んだりといった事を、実際に行うのが難しい方もいらっしゃいます。そのような方にも、雰囲気を分かち合って頂きたくて、関連した物を手に取って頂いたり、匂いを嗅いで頂く事を、意識しています。いよかんの重さと表皮の冷たさ、胡麻油の香ばしさ、洗い立てのタオルの肌触りと匂い、絹豆腐のひんやりした儚い手触り、納豆の臭さ、切り立ての葱類の目にしみる感じなど…楽しいことも嫌なこともいっしょくたにして、入居者さんと分かち合っています。2013年も色んな事を皆さんと分かち合って行きたいと思う、お寺のよこの春です。

追伸 前回の記事で書いた赤べこを模した獅子頭、作成して新春の獅子舞で、福島出身のMさんに披露する事ができました。次は何を作ろうかなぁ…

10:55 | Posted by admin

【ありがとうございました。】 堀

2013年02月23日 | きみさんち

きみさんちで2年と1ヶ月経ちました。夢中であっという間でした。なにか変われたか、なにか違う視点を持てたかなと思います。
入社した時は、右も左もどころか本当に何も分からなくて何も出来ませんでした。
手引き歩行も、体位交換も、トイレ支援も、入浴支援も、自立支援も。何もかも ここでゼロから教えて貰いました。今も遅いけど、教わった時なんて、どれだけ時間がかかっていたかと思うと、メンバーにも入居者の皆さんにも申し訳ないです。
最近、通信でリハビリテーションなどの科目を受講しました。ADLとかQOLとか出てきました。今までは、文字とその意味は雰囲気で分かると言ったくらいでしたがQOLがクオリティー・オブ・ライフという言葉になると一気にイメージが湧きました。本当に、入居者の皆さんにとって この2つが全てだったのではないかと。そこだけをどれだけ入居者さんの為に考えて差し上げられるかが全てだったのではないかと思いました。
恐らく、来たばかりの頃は同じ科目を受講したとしても分からなかったかも知れません。今だからきっと深く「これだったのだ」と実感したのだと思いました。入社した時が今だったなら、きっともっと考えられた筈。入居者さんのADLとQOLをどう楽しみながら展開できるかと考える筈と悔しくもあります。2年前には、確実に私の中にはなかったのですから。
とても大きな経験を致しました。勉強させて頂きました。失敗もしました。怖さも本当にたくさん学びました。入居者さんに本当にたくさんのことを教えて貰いました。そばに居て、一緒に生きられて本当に嬉しかったです。
面接してくださった上司にも、管理者にもチームだと言ってくれたスタッフにも、研修でお世話になった同期の皆さんにも、そして勿論 入居者さんとご家族の皆様にも本当に感謝しています。3月で退職させていただく事になりました。この場を借りて 本当にありがとうございました。

00:47 | Posted by admin

【去年】 石川

2013年02月23日 | きみさんち

改めまして明けましておめでとうございます。きみんち石川です。
平成24年も終わってしまいました。思い起こせば去年は私事ではありますが、大変めまぐるしい1年でした。
嫁が妊娠した事から始まり、めでたいな~とついに父親だな~と物思いに、ふけっていたら、自分の祖母がもう入籍して2年にもなるのだから、これを機に結婚式を早く挙げなさい私も80になるのし、あなたの晴れ姿を見たいのよと結婚式を挙げることになりました。
結婚式の用意が大変で、嫁も妊婦なのに結婚式場に行ったり来たり、招待状や座席表作り、ブーケも手作りしたり、全て手作りで作りますとプランナーさんに言った事を後悔しました。本番1週間前から作るものが終わっていなくて、徹夜でがんばりました。
ついに本番、12月15日に挙式をしました。
バージンロードを歩く練習、当日1回だけで段取りを口頭で伝えられ、覚えれない、無理ですと話すと、神父に「ホンバンハーホローシマスカラ」と言われ直ぐに始まりました。緊張はしていましたが一生に一度だし練習が無し、式場の人に大丈夫ですかと尋ねられ大丈夫の分けないでしょと即答しました。とりあえずゆっくり堂々と歩いてくださいと、ドアが開き始まりました。はい頑張ってと送り出されました、神父のフォローが本当に的確で、どうするのと小声で話すと、もうちょっとゆっくり歩いて、右に立ってオッケーここでストップ的確です。
新婦入場、音楽が流れ、足取りがおかしい何だかカクカクしている。お父さんが緊張していてドレスを踏みながら歩いてきました。僕よりアップアップしている人がここにいました。後から嫁に聞いたのですが、石が乗っているかのように重かったと、顔があがらないのと話していました。その後妊婦なので指輪が浮腫んで無理に僕が押し込むなど、ハプニングは色々ありましたが、その後は神父のホローが見事で滞りなく終わりました。
披露宴も問題なく進み、最後のあいさつで自分が考えていた話を忘れ、アドリブで締めましたすごく短い言葉になってしまい、「来年3月には子供もできます、頑張らないといけません。未熟なので助けてください、短いですがこれで終わりますありがとうございました」とこんな事を言ってそうそうに終わってしまい皆さんに短っと誰もが思ったと思います。失敗しました。。。。。
それでもなんとか無事結婚式は終えることができました。
次は子供の名前を考えないと、眠れない日はまだ続きます。
入居者のENさんにまだ名前決めてないと話すと、「ゆっくり考えればいいからまだ時間あるし一生物だから、でもりっぱな名前をつけないほうがいいよ、名前負けするから」とアドバイスをもらいました。今年も仕事に子育てと大変な1年になりそうです。頑張ります。

00:46 | Posted by admin

【歌の持つ力】 のんびり家2F 飛鳥井

2013年02月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

皆さん、こんにちは。どっこいしょ登場5回目の、のんびり家2階飛鳥井です。
のんびり家2階で勤務を始めてから、早いもので3年目になりました。
今回は、少しプライベートを含めた内容になりますが、皆さんに是非お伝えしたいと思い、このお話を書かせて頂くことにしました。
法人の自己紹介文にも書かせて頂きましたが、私は趣味で歌を習っています。ジャンルは「ゴスペル」です。主に英語の歌詞で歌う事が多いのですが、中には日本語の歌詞や、英語を日本語に訳したものもあります。昨年の暮れに、私の地元足立区の老人保健施設で歌わせて頂く機会があり、私も休みを貰い、参加する事が出来ました。入居者の皆さんの前で歌を披露したのですが、一番前の列にとても乗りの良い方がいらして、手拍子をしたり、声を出したり、身体を揺らしてリズムを取ったりと、歌っている私たちも嬉しくなるような感じでした。その方が、「きずな」という日本語の歌を歌っている時に、顔を手で覆ったまま、じっと動かなくなりました。その方の様子や、歌の歌詞の内容から、恐らく泣いているであろう事が分かりました。この歌は「ありがとう、生まれてきたこと。ありがとう、きずなに感謝」という歌詞がとても印象的で、私も歌っていながらいつも涙が出そうになってしまうことが多いのです。この方がこの「きずな」という歌を聞かれたのは、この時が初めてではないかと思うのですが、歌詞の内容を理解して下さり、そして涙を流されたのだとすれば、とても感受性の強い、ピュアな心を持った方なのだと思いました。後日、施設長さんからお礼のメールを頂きましたが、その中で、「認知症で、日頃は椅子に長時間座っていることの難しい方が、一度も席を立つことなく観賞している姿を見て、歌の力に感動しました」というお褒めのお言葉を頂きました。私たちは素人ですし、決して上手な訳ではありませんが、歌の持つ力を改めて認識した出来事でした。歌っている私たち自身も「楽しい」という気持ちが強いですし、聞いて下さる方達の笑顔が私たちの喜びであり、励みにもなります。これからも、自分自身が楽しみながら、また、聞いて下さる方達が笑顔になれるように、歌を続けて行きたいと思っています。そして、いつか、入居者の方達の前で歌を披露することが私のささやかな夢です。

07:54 | Posted by admin

【雪が降って気づかされたこと】 のんびり家3F 福田

2013年02月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

久々のどっこいしょの記事、何を書こうかな…と考えていた次の瞬間…私は雪道の上で転倒をしていました。しかも典型的な?転倒(しりもちをつく→右足の付け根を打つ→右手を付く)をしてしまったのです。東京生まれ、東京育ちの弱いところです。あの大雪では暫く雪も溶けそうに無さそうです。
雪が残る1月17日。雪が降って3日が経ち雪の溶け具合を見て入居者さんとのお買い物も再開しました。その日Kさんは日中から「俺の自転車は何処に行った」「俺、自動車も持っていたよなぁ」と不安そうな顔。お昼過ぎに探しに行こうと玄関を出たところ往診に来た先生と看護師さんに会い往診を受けることに。そのままゆっくり過ごされていたのですが夕方になり、外に出られたため一緒に出かけることにしました。
いつもであれば様子を見ながら後方をご本人に気付かれないよう歩くのですが、のんびり家周辺には雪が残っている箇所がまだまだあります。夕方の時間帯、人も多く通り自転車の往来も多いためいつもの見守りでは危険だと判断しご本人に正直に説明。納得がいかない様子ではあったものの「おれの自転車かな?」ラーメン屋さんをみて「俺、ここでバイトしていたなぁ」「これ、東大だよね」「本屋が多いなぁ」とあちこち見渡しながら歩かれ、雪が残る横断歩道ではなぜか途中で立ち止まり青信号が点滅するといつものように小走りで渡りました。その日はなぜかいつもとは違う方向を歩かれるのでずっと一緒に歩いていくと本郷3丁目の交差点付近まで来ていました。その頃には外に出られた目的も忘れられているようでした。段々日も暮れ、暗くなってきた時にKさんから「俺、飯食ったかな?」と仰ったので「皆がご飯を作って待っているみたいだよ。」と話すと「じゃあ、帰らなくちゃな。」と仰り帰る事に。
途中立ち寄ったコンビニでトイレを借り、缶コーヒーを2本買おうとすると「俺が払うよ」とお財布を出されたのでKさんのご馳走でコーヒーを飲みながら帰宅しました。
雪が降っていること、雪が降ったこと、雪が降るとどのような状況になるか、その状況が危険であること…認知症状態にある方の中には理解できない方もいらっしゃいます。今日の出来事が雪の降った日、雪が降った翌日にも対応できなくてはいけないのです。雪が降れば危険も多いので止めること、ご本人が理解できる言葉などで説明をする事が先ず必要です。それでも外に出られる場合もあり得るのです。その場合の状況(歩き方、履いている靴、衣類など)についても私達は普段の様子から想定することができなくてはいけないのです。
と書きつつ、この3日間雪が溶けている道を選び、リュックを背負い通勤していたのにも関わらず、いつもの癖で裏道を通ったがために転倒…。自分自身が考え事をすると、注意力が散漫になるということが想定できていなかったようです…。
※Kさんがご馳走してくださったコーヒー代はこっそり、お預かり金にお返しさせていただきました。

07:06 | Posted by admin

【その言葉】   お寺のよこ 光岡

2013年02月05日 | お寺のよこ

よお。親分!」Kさんからこのように声を掛けられたのは何ヶ月前のことでしょうか。Kさんがご入居されてもう直ぐ5年になりますが、私のことを親分と言って声を掛けてくれたことが3回だけですがありました。シチュエーションは様々だったので、親分という呼称をその時に選び発した意図は分かりませんが、他の職員に尋ねてみても親分という呼び方をされた人が居なかったので、Kさんからすれば私は「お寺のよこ」の親分であると思っているのでしょうか。
基本的に親分気質の人間ではないので、少し面映いような嬉しいような不思議な気持ちになりました。
「この馬鹿野郎!あっち行け」お寺のよこには例年年が明けて早々に、法人内の有志が集まって獅子舞を舞いに来てくれます。私がSさんの傍に行って話しかけていた際に、獅子舞が我々の傍にやって来たのですが、Sさんは私を獅子舞からかばいながら先述した言葉を言いながら獅子舞を叩こうとしていたのです。どうやらSさんにとって私は庇護すべき対象のように思えたようです。来年には不惑の年を迎えるのですが、入居者さんにかばってもらえたというのは少し面映いような嬉しいような不思議な気持ちになりました。
・・・でも。親分とは随分距離がありますねえ。私という人間が入居者さんによって異なった存在であること。それは同じ入居者さんでもその時々で違う場合もあるのでしょう。それはとても興味深いですし、自分が色んな存在に変化しているようで面白く感じています。
Eさんは昨年の12月に他の高齢者施設にご入居される為退居されました。昨年7月のご入居であった為、5ヶ月間という短いお付き合いでしたが、濃密な時間を過ごさせて頂きました。非常に鋭い意見を仰られる方で、私が「お寺のよこ」の管理者であるということから、「お寺のよこ」の改善すべき点等も率直にご意見頂くことも多々ありました。それは叱咤8割、激励2割という割合だったでしょうか。
そんなEさんから頂いた言葉に次のようなものがありました。
「ここに入居している人達は自分の思っていることをスムーズに言葉に出すことが難しいところがあるでしょう。そんな人達の言葉に出せない部分を引き出してあげるのが貴方達の仕事じゃないの」
我々の仕事の本質をズバリと当事者側から突かれたら「仰る通りです」と頭を垂れて自分達の足元を見つめ直すしかありませんでした。
Eさんがご退居される数日前に、お部屋で私と会話をする機会がありました。Eさんはここを出て行くとなると少し感傷的になったようで、「この後死ぬのであれば、知っている人がいるここの方がいいよ。あんたがいるしね」と仰いました。
私は「本当ですか。本当だったら嬉しいなあ」と言うと、Eさんは「嘘だよ」と。
それは本当に嘘だったのか、少しは本気の部分もあったのか、照れ隠しだったのか今となっては知る由もありませんが、Eさんにとってその会話をした時の私という存在は、お寺のよこの管理者としてだったのでしょうか、それとも光岡賢一という一人の人間の存在としてだったのでしょうか。
そして例え嘘であったとしてもEさんが「この後死ぬのであば・・.」という言葉を残していってくれた意味、ともに過ごした時間を我々は深く噛み締めるべきであろうと感じています。

10:55 | Posted by admin

【三年が過ぎて】 松林

2013年01月23日 | きみさんち

きみさんちに来て、あっという間に三年が過ぎました。自分が一番驚いています。
初めは、当然ながら分からないことばかりで、入居者さん達に迷惑ばかり掛けていたと思います。それまで、デスクワークだったので、身体のあちこちの痛みも絶えませんでした。このまま続けられるのか、不安ばかり感じていました。
でも、三ヶ月を過ぎる頃には、身体的な痛みを克服する事が出来、伸び伸びと動くことが出来る様になりました。
しかし、そこからの一年間、この仕事の本当の難しさに悩む日々を過ごすのでした。
人に動いてもらうには。感情を豊かにしてもらうには。出来る事を伸ばしてもらうには。色々考え、悩みました。
身体的な所とは全く違う部分に痛みを感じ続けました。そして退職すら考えたこともありました。
入居者の皆さん、其々、思いは違いますから、『皆さん×どうしたら?×毎日』の計算式です。答えは無限大です。
ある日「今日はこんな感じで動こうかな」と、自分なりに計算して勤務に入った事がありましたが、見事に裏切られて、その結果の入居者さんが、活き活きとしていた事がありました。自分の計算が間違った為に起こった正解を見た様に思いました。ある程度の計算は必要だけれど、現場は生き物なのだと痛感し、また、主役は誰なのかを実感しました。
我々は、入居者さんの日常を、陰ながら支えて行くのが仕事です。だから、「こんな事をして欲しいな」とか「楽しく過ごしてもらおう」などという先だっての計算は必要無いのかも知れません。むしろ、おこがましい事なのかも知れません。
その時の利用者さんと接して、思いを感じ、それとなくその思いを解消する。そんなスタンスが今は自分なりの仕事かと思っています。
理想と現実は中々合致しませんが、三年という節目を過ぎて、少~しは成長できたのかなと、自分を振り返ってみました。初めて書いたどっこいしょを読み返すと、赤面する事この上ありません。
また、数年後、この記事を読む自分がいたら、赤面する事を願います。

00:42 | Posted by admin

【知る?!】 のんびり家2F 石井

2013年01月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

久々の記事となります、のんびり家2階の石井です。この記事を作っているのは法人忘年会の日のため12月20日(夜勤勤務のため19日ですね。)です。この時期になるといつも1つの言葉を思い出します。それは、のんびり家で働き始めて始めての忘年会に参加した時、他事業所の管理者の自己紹介での言葉でした。
「・・・・・(何か自己紹介をしていたと思います。)入居者のことを知ってください。」
当時の私は右も左も分からない状態で日々打ちのめされることが多かったため、この何気ない言葉にもすぐに反応することが出来ませんでした。この何気ない「入居者のことを知る」ということがどれほど難しいことなのか当時の私はそこまで深く考えていませんでした。単純に「あー、そうか。」と安易に納得していた気がします。時間が経てば自然と入居者のことを知っていくのだろうと無意識に思っていました。
しかし、のんびり家に勤め1年半くらいが経過したあたりでふと立ち止まって考えた時に「自分は入居者のことを本当に知っているんだろうか。」と疑心暗鬼になりました。自分は入居者の「疾患のこと」「好きなこと」「癖のこと」「爪のこと」「靴のサイズのこと」「得意なこと」「歩ける距離のこと」・・・・・・・・・本当の意味で知っているんだろうか、それとも知っていると思い込んでいるだけではないのか、知っていることが古くなっているんじゃないだろうか・・・・・・・と。
そう自分で考えた時に忘年会での1言が蘇り、その何気ない言葉はとても深い言葉と認識することが出来ました。
先日、のんびり家2階のKさんの入浴対応をしました。とても小柄で時折見せる表情が穏やかな女性の方ですが、歩行が不安定なこともあり必ず歩行する際は職員が対応しています。何とか承諾を得て入浴となり浴室で身体を洗い終わる頃に私に向かって「ここ入っていい。」と聞きながらも既に右足を浴槽に入れていました。その行動に移すまでの動作のスムーズさに驚いたと同時に嬉しくなりました。Kさんの入浴している認識、お風呂場の空間の認識、浴槽の高さの認識、手摺の認識、浴槽をまたいで入ることが出来る身体能力・・・・私の想像した動作よりもスムーズに行われたその瞬間の出来事がとても素敵に思いました。その瞬間に、「この仕事の醍醐味の1部だろうな。」と思いました。
私たちの仕事では「知る」ことがとても大切なことだと日々実感しますが、どのように知っていくのか、新しいことを知るには、知っていることに間違いはないのか、他の可能性はないのか・・・・・私たちが日々考え、振り返り、自分たちの支援について疑問をもち続けチームで共有していくことが入居者のことを「知る」ことに繋がっていくと思います。

07:51 | Posted by admin

【それはまるで、ダンスのように。】 のんびり家3F 渡辺

2013年01月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

震災にあった人たちを支援し続けている人が、支援する側と支援される側の様子をこんな風に読んでいました。
ダンスのようだと。
同じ支援という立場で、自分は入居者さんとどんなダンスをしているだろうと、想像してみました。そりゃもう、不恰好なんだろうな、と。
同じ方向に進んでると思ったら、全然違う方向だったり。一緒に廻ろうとしたら絡まっちゃったり。足踏んだり、踏まれたり。
傍から見たらまだまだ、不恰好なんだろうなと思います。
誰から見ても素晴らしく綺麗に踊れたら素敵なのかもしれないけど、でも・・・・そんな不恰好なダンスも今は楽しんでみようと思います。
いつか、素敵なダンスが踊れるように!

07:49 | Posted by admin

【おっちょこちょい?】 お寺のよこ 田口

2013年01月05日 | お寺のよこ

自分の話なのですが、気が抜けすぎている瞬間が普通の人より多いのかなとふと感じました。そういえばと、覚えている範囲でもかなり沢山あります。
靴を穿き間違えチグハグの状態で出社した事があります。気が付いたのは事業所へ着く手前。それ以前に、外出前、足元が暗かった為「もし靴を穿き間違えたどうしょう。」とあれだけ注意をしていたのにも関わらず。先日、と或る法人研修で遠方に向かった際の出来事でも新幹線へ乗る為に通る改札に領収証を間違えて投入してしまいました。二度も。さすがに恥ずかしくなってしまいました。領収証が三枚あれば恐らく三回は同じミスをしていた気はします。
他にも吸殻として使用していた缶ジュースの容器を突然口に含んでしまったり。居眠りをしていたら山の手線を三周したり・・・。解っているにも関わらず間違える事、皆さんにも経験あるでしょうか?僕の場合は上記の通りしょっちゅうです。
このおっちょこちょい現象は何処か認知症状態に繋がるものがあるようにも思えます。すなわちおっちょこちょいとは日常の中に潜んでいる認知症です。僕は最近そんなおっちょこちょいと毎日必死で戦っています。ニコッ

10:55 | Posted by admin

【夢は疲れる】 田中

2012年12月23日 | きみさんち

つい最近こんな夢を見ました。
お役所の様な所でしょうか、数人の男性を相手取りなにやら険しい表情で話し合いをしている代表。それを眺めながら頷いている私。何を話しているのか分からないけれどなぜだか共感し頷いている夢。不思議な夢・・・
目覚めてから普通忘れることが殆どの夢ですが、そのときばかりは忘れられず、今でも何かを力説している代表の顔を思い出します。
仕事の夢はしょっちゅう見ますがここまでリアルに覚えている夢は初めてでした。
「仕事夢」とでも名づけましょうか。
きみさんちを利用している方の夢も良く見ます。
普段走ることなどしない方が突然小走りに階段を登り、「あぶない!!」と叫んでいる自分と、落ちないように支える他のスタッフ等、他多数・・・
「正夢」というものも見るようで、大島三原山の大噴火で全島民本土避難した際も、その当日かぜで学校を休んでしまい、高熱にうなされながら寝ているときに見た夢が、まさしく山の噴火の夢でした。何処だか分からないけれど山が噴火しマグマに追いかけられ、逃げても逃げても後を追うように溶岩が迫ってくるという大変怖い夢で、起きたときには発熱の熱さもさることながら恐怖で飛び起きたといった感じでした。そして夕方になってテレビをつけると「大島三原山噴火全島民東京に避難」というニュースが流れていたのに驚きを感じた事がありました。ニュースレポーターが避難する島民に向かい「東京に避難するお気持ちは?」と言っていたのを思い出し、後々「大島だって東京なのに何言ってんだか」と家族そろって話していたのを覚えています。
良く見る夢は殆どが怖かったり、泣いていたり、逃げていたり、怒っていたり。楽しい夢は全く持って皆無。
こんな夢ばかり見る私は心が病んでいてそれが夢に反映されてしまうのでしょうか・・・?

00:42 | Posted by admin