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【あけましておめでとうございます】 お寺のよこ 田口

2014年01月10日 | お寺のよこ

今年で私が入職して四度目のお正月を迎える事になります。
12月24日はクリスマス会があり、皆さんサンタさんのコスプレを行いチキンとケーキを食べました。
12月30日はお寺のよこで恒例の餅つき大会、あいにく私は当日が夜勤明けで不参加でしたが、事故も無く写真を観る限りでも、充分たのしそうだったのが伝わる餅つき大会でしたね。
12月31日は私が人生で初の御節料理の下ごしらえを行いました。一般家庭でもここまでしないよね?と思いながら皆で試行錯誤しながら作った御節は山程作ったのに三が日も経たずなくなりました。ほんと嬉しい限りですね。
そんでもって個人的なことですが1月は介護福祉士の筆記試験になります。
久々の勉強をして感じたことは、①勉強の仕方が解らない。②知識を取り入れるのは楽しい。③医師ってほんと凄いです。
物事を理論づけるには知識は当然大切ですが経験も大切です。高齢者は魚や煮物なんかより牛肉が遥かに好きだし、一人称で「ワシ」とは絶対言わない。知識より経験で語れる大人になりたいです。
今年も入居者の皆さんと沢山の思い出や経験を重ねたいと思います。

08:55 | Posted by admin

【日帰り旅行】 のんびり家2F 名倉

2014年01月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

こんにちは。どっこいしょ3回目の登場になります、名倉です。
大分寒さが増してきて今年も終わろうとしていますね。皆さんにとってのこの1年はどんな年だったでしょうか?
又、入居者の方々にとっての1年はどんな年だったのでしょうか?
自分にとってのこの1年間は、とても早く過ぎていった1年でした。
今年は色んな支援をさせて頂きましたが、中でも思い出深い支援について記載します。
今年の9月にのんびり家2階の入居者の方、全8名の方と職員6名で日帰り旅行と称しまして横浜中華街に行かせて頂きました。この日帰り旅行の企画は自分が立て実行させて頂きましたが、初めての企画という事でかなり緊張しましたし、色んな場面に置いてのイメージが中々まとまらず日数が近づくにつれて頭が爆発しそうでした。
そして当日出発の朝が来ました。天気は晴天、気温も暑くもなく寒くもなく絶好のお出掛け日よりとなりましたが、私行かないわと仰っている○○さん、どこ行くのと不安げな○○さん。といつもの感じでのスタートとなりました。
東大前~日吉乗換えで本町中華街まで電車でいきましたが、電車に乗っている時の楽しげな入居者の方々達の表情は普段とは違った笑顔、表情に見えました。
中華街に着き、お店に向かい歩いている時の入居者の方々達の表情、発言も町並みに圧倒されたようで驚いていました。
お店に着き、いよいよ昼食の時間となると、普段あまり目にすることのない食材に美味しそうとの発言があちこちから聞えてきました。
普段は食事を残す○○さん、あまり食が進まない○○さん、共に次から次へと召し上がっていました。この時の表情は今でもはっきり覚えていますが、とても幸せそうで普段のんびり家にいる時には見られない表情に見えました。この時の表情を見せて頂いただけで、大変だった企画もやってよかったと思わせてもらえました。この日帰り旅行は無事全員行って帰ってくる事が出来まして、改善点はありますが、成功と言えると思います。
最後にこの日帰り旅行、10月には山梨への旅行もありましたが、普段の積み重ねがとてもとても大きな事なんだと実感、痛感しました。来年、再来年と出来る限り長い間、日々の支援を大切にし、今のんびり家にいらっしゃる入居者の方々達と又、日帰り旅行、旅行と行きたいと思っています。

08:35 | Posted by admin

【家の婆さんと共に】 田中

2014年01月01日 | きみさんち

母が亡くなり1周忌が過ぎた。その辺りから私の家の94歳になる祖母がおかしな事を言い始めるようになった。
精神科に通い、ついた病名がアルツハイマー病。
娘(母)の死から1年余り。緊張の糸がほどけた様に症状が出始めた。
その例を上げてみると・・・
ある日の午後
婆 「・・・」1点を見ている
私 「どうしたの」
婆 「あそこに子どもを抱いた人がいるんだけど声をかけてもうんともすんとも言わないんだよ。」
私 「・・・」 「どこにいるの?」
婆 「あー いなくなっちゃった」
ある日の深夜部屋より大きな物音がするので行ってみると、
婆 「お客さんが来たから布団敷いてやってるんだ」
と押入れからありとあらゆる布団を出し、床に引いている。
こんな幻覚・妄想が毎日繰り返されている。
夜眠れないからと廊下をうろうろするのは日常茶飯事。
危ないからと止めに入ると一旦は止める物の、10分後には同じ事を繰り返す。
これが続くと今度は父がイライラし始め怒鳴り始める。
怒鳴り声を聞くと今度はばあさんがふてくされ部屋から出てこない。と悪循環が続き、これではいけないと思っていたところ、ばあさんの方からデイケアに通って友達を作りたいと言ってきて、現在週2日通所施設に通っている。
居ない間は私・父のホッとできる瞬間でもあり、婆さんもデイケアでの出来事を笑顔で話してくれる。(詳しくはきみさんちHP行きはよいよい帰り路をご参照下さい。)
こんな婆さんでも氷川キヨシの事となると頭が冴える。
今度の中野(サンプラザ)は○月だ。切符とらなきゃなとカレンダーに印をつけ、それを目標に楽しそうに準備を始めるのである。
きみさんちの出来事が婆さんにリンクしてしまう時がある。「あっ!この発言家のばあさんもいってた。」「おなじことをしている。」など等。きみさんちで勉強させてもらっている事がことごとく当てはまり、家の婆さんで実践させてもらっている。
こんな毎日を繰り返していると介護の知識が少しでもあって良かったなあーとつくづく思う今日この頃なのであります。
認知症との付き合い方、玄人・素人問わず、とても重要になってきている時代なのかもしれないですね。

23:03 | Posted by admin

【健康診断】 石川

2013年12月23日 | きみさんち

11月になり、今年ももう終わりだなと思っていたら、年に1回の健康診断の季節になりました。入居者さん達スタッフ共々も病院で検査です。
健康診断なので、血圧上昇や血糖値をあげてはいけないので、朝食を抜かなければいけません。
車でKさんAさんと病院行きました。採血を採ったり、レントゲンを撮り、インフルエンザの予防注射をしたり、いつもとは違った環境もあるかも知れませんが、朝食を抜く事でお腹空いたんですよね。二人ともイライラしてきました。
Kさんが、お腹が空いた~と朝抜いたから~
Aさんが健診だから我慢はしないと、我慢が足らないんですよ、あなたは。とケンカになってしまいました。
一度は止めに入りましたが、白熱してしまい、しばらく2人で口論をしていました。
これもお腹が空いたからいけないんだと思います。
僕もこの1ヶ月前くらいに健康診断に行ったんですが、食事を抜き、久し振りに山の手線にのり駒込にお腹が空きすぎて、一人でやっぱりいらいらして早く終わらないかな~と、必要以上に思っていました。
でもその後の、我慢した分ご飯が美味しいこと、直ぐに無くなってしまいました。
2人の入居者さんも、我慢した分だけ美味しいご飯が食べれたと思います。

00:57 | Posted by admin

【秋の宿泊旅行に行ってきました!】 のんびり家2F 福田

2013年12月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

10月3日から4日にかけてのんびり家総出で、山梨県の山中湖へ一泊してきました。一番の見所として予定していたのは、世界文化遺産にも登録された富士山です。
3日のお昼はお弁当を食べ、夕方にペンションアベニューへと到着。
洋風のかわいらしいペンションの大きさや部屋数から、実質のんびり家の貸し切りとなり、皆さん気兼ねなくゆっくりしていただけたのではないかなと思います。夕食は前菜、スープ、鮭とステーキとご飯、食べ終わるたびに次のお皿が出てくるフルコースタイプだったので、入居者さんの中には途中で「まだあるの?もうお腹いっぱいよ」と苦笑いする方も。とはいえ、最後のデザートのチーズケーキではぺろりと召し上がられ満足そうでした。甘い物は別腹、でしょうか。
次の日の朝は小雨が降っており、東京とは比べられないほどの冷え込みでした。昨日から曇りがちだったために、本当ならペンションからも富士山を見られるはずが、残念。それでも前後の台風に直撃することもなかったので、朝食後には花の都公園へと出発です。駐車場へ着いたときには雨も止み、時間が沢山あったのと景色を眺めるのも兼ね、お昼を予約していたお店までお散歩しました。涼しいと言うよりは肌寒い、という気温の中でも、広がる草原のような場所にあちこちにお花を見ることができ、空気も澄んでいました。
さて、こう寒いとあってはやはり温かい物が食べたくなります。歩き疲れた入居者の方も、歩いた先にお昼ご飯が待っているとなれば思わず気合も入る様子。お店に入れば既にテーブルにずらりと並ぶ、
のんびり家全員分の山梨名物ほうとう鍋です。冷えた身体にホッとする温かさで、その時その場所で食べたからこその美味しさと言うのでしょうか。笑顔で食べている皆さんを見て、ここのお店にしてよかったなーと一安心しました。
富士山を望むことは最後までできず、惜しい気持ちにもなりました。けれど、初めて旅行の企画担当になった中で、宿や運転手付きのバスを調べたり、予約したりといった積み重ねが今日に繋がったのだと思うと、大変でありつつも楽しい気分になります。入居者さん、そのご家族、3階の旅行担当の方と、そして全職員の協力があったからこそ、無事旅行へ行けました。皆様ありがとうございます。

08:31 | Posted by admin

【ご報告と感謝】 のんびり家3F 福田

2013年12月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

突然のお知らせとなりますが、この11月でのんびり家3階の管理者を交代する事になりました。
というものの、この交代については以前から決まっていた事なのですが、管理者になるには様々な要件があり、研修を受ける必要があって、のんびり家で働いて3年が経過した永辻がその要件を満たし、私の後任を引き受けることとなりました。
交代とは言うものの、オープンから13年関わっているのんびり家を離れるのは退職するかのような気持ちになっています。
のんびり家に来た頃はまだ23歳だったのに気付けばアラフォーと呼ばれるお年頃となってしまいました。
最初は管理者という責任のある仕事は私には出来るのか、林田代表はこんないい加減で何も考えていない私に任せるなんて大丈夫なのか?と不安だらけでした。
その頃の私といえば、苦手な人は嫌い、苦手な人とは口を利かない、口を開けば自分の事は棚に上げ人の悪口ばかり等、人と関わる事がとても面倒臭く感じていました。しかも、自己主張はするのに、いざ人に伝えようとすると何が言いたいのか分からずしどろもどろ、悔しいとすぐに泣く…といった具合に自分に甘く生きていました。
そして、そんな私が管理者としてのスタートを切ると、いかに今まで自分がいい加減で、自分に甘いかがこれでもか、というくらい経験させていただく事が出来ました。ここまで来るには林田代表の前で涙が枯れるくらい泣きました。以前にも書きましたが最近では強くなったので泣かなくなりました。次に代表の前で泣く時はお嫁に行く報告をする時でしょうか…。
13年間、様々な経験をさせていただいたことにより自分自身も「変わったな」と感じる事が出来るくらい大きく成長させていただきました。同じ志を持つ仲間と研修に参加したり、時には大人数の前で講義を行ない「人に伝える事とは」を経験させて頂いたり、スタッフをとどう育成していくかを学んだり、入居者さんの支援を通して今の私がいる為の多くのことを学び、経験させていただきました。
本当に至らない所だらけで、未だにスタッフの皆さんにフォローして頂く事も多い管理者でしたが、のんびり家のスタッフ、入居者さん、ご家族の皆さん、法人内スタッフ、仲間になった皆さん…本当に多くの人に支えていただきました。有難うございました。

あれ?
何だか辞めてしまうような内容になってしまいましたが、辞めずに法人内で働きます。また、どこかで皆様にお会いできる機会を楽しみにしております。
12月からは永辻が管理者となります。今後とものんびり家を宜しくお願い致します。

08:25 | Posted by admin

【気づいたこと】 お寺のよこ 谷野

2013年12月05日 | お寺のよこ

先日、Sさんが入院先で体調が急変され、お亡くなりになられました。Sさんの退院を4日後に控えて、心待ちにしている最中の出来事でした。
以前は、自ら職員を誘い、お気に入りの喫茶店にコーヒーを飲みに出かけられたり、気の向くままに、ご自身で食べたいお弁当を買いに行かれていたりされていたそうですが、私が働き始めたころには、歩かれる際に支えが必要となっておられました。
Sさんはいろんなことに、いつも「いいよ。」と引き受けてくださいました。そんなSさんの「いいよ。」の返答に私自身が満足して、Sさんのその時々の気持ちを察する配慮が足りなかったように思います。Sさんと沢山話をして、もっといろんなことをお聞きしたかったです。
Sさんとの不意の別れで、ここでの生活の、その時々がいとおしい時間であることを改めて気づかされました。
夜中に、目を覚まされていると、夜勤でへばっている私を元気にするツボをわかっておられるかのような話をしてくださり、Sさんの心遣いを感じることが度々ありました。
まだ、いつものテーブル席にSさんが座っているような気分が抜けないまま、いろんなことを思い出しています。ありがとうございました。

10:58 | Posted by admin

【私に出来ること。】   きみさんち 高橋

2013年11月23日 | きみさんち

きみさんちで仕事をするようになり、2ヶ月が過ぎました。本当に考えさせられる事が多く、まだ慣れない毎日です。
介護の仕事は初めてではありません。若い頃には、特養・デイサービス・有料老人ホームでも働いていた事があります。
その後、数年は事務の仕事をやっていました。子供たちに手がかからなくなり、そろそろまた介護の仕事を始めようかなと思ったのが今年の春でした。
知人の紹介で、看護助手の仕事を始めました。一日が忙しく、お昼休み以外は座る時間もありませんでした。朝から退勤まで時間に追われ、おむつ交換・食事・入浴・シーツ交換など時間と曜日で決まっているスケジュールをこなすのがやっとでした。
その病院にも、認知症の患者さんがいらっしゃいました。私の顔をみて頼みごとをしてくれるのですが、ゆっくり話を聞いてあげることが出来ませんでした。
私を頼ってくれているのに・・・なぜ時間を作ってあげられないのか?こんな毎日、こんな仕事って何なんだろうと思うようになりました。もっと一人の方とじっくり話したい、話に耳を傾けてあげる事は出来ないのか?と考えるようになりました。
そして今、きみさんちで働いています。
忙しく時間が過ぎていた毎日が、今ではまったく時間の流れ違います。まだその違いについていけてないのが正直なところです。
利用者さん主体の生活、利用者さんのペースに合わせる、あくまでも中心は利用者さんということを忘れないように仕事に励みたいと思っています。
きみさんちには、6人の利用者さんがいらっしゃいます。皆さんそれぞれの歴史、好み、嗜好などを理解し、その方にあった支援が出来るように、そして私らしい支援が出来るようになりたいと思います。
そうなれるには、まだまだ時間がかかりますが、どうぞよろしくお願い致します。

00:57 | Posted by admin

【「豊かな老い」を考える】 のんびり家3F 竹田

2013年11月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

読書の秋という訳ではないが、日野原重明先生の各地での講演内容をまとめた著書を読んだ。「豊かな老いを生きる」とはどういう生き方なのだろう。自分の母親の入院をきっかけに病気・老後・死などを身近なこととして考えるようになった。
最初のページに「中年から始まる第二の人生」の見出しがあり、『55歳が中年、人生の午後が始まる』という。55歳、私の年齢。織田信長の時代は人生50年。いまは平均寿命が延び80年生きる。80歳まで生きるとしてもあと25年が残された人生の午後というわけだ。日中を午前・午後に分けると、早起きの方もあるだろうが、午後の時間帯の方がはるかに長い。55歳からの人生の午後は時間的には割りに合わない計算になるが、生き方においては「豊かさを実感できる」なら、「世間に存在価値を認めてもらえる人生」であったら、「死の直前まで自分の人生が良かったと誇れる」のであれば、人生の午後をまっとうして生きた証になるのではないかと思う。
私は人生の午後の節目で今の職を得て、のんびり家のご利用者のみなさん、そのご家族の方、スタッフの皆さんとこうして第二の人生を歩みはじめた。ご利用者のみなさんは、喜寿・傘寿・米寿・卒寿を迎えられる方まで、その人生の午後を生きておられる。
ご利用者のみなさんに「自分の人生が本当に良かった」と言っていただけるような生活の支え、命と尊厳を見守りながら支援できるよう、日々努力していきたいと思う。
私自身の人生の午後を豊かにしてくれるであろうご利用者のみなさんに感謝しつつ・・

08:30 | Posted by admin

【私の夏休み】 のんびり家3F 竹田

2013年11月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

9月中旬、宮城県女川町を訪ねた。
3.11震災前には女川の豊かな海で趣味のダイビングを楽しませてもらった。震災後、のんびり家に就職する前には宮城県石巻や女川にも震災ボランティアとして数回足を運んできた。しかし、女川の海に潜ることへのためらいがあった。あの海が人々の命と財産、町、文化、歴史をものみ込んでしまったのだ。―――という思いがこころを閉ざしていてダイビングをする気になどなれなかった。
仙台でお世話になっているダイビングショップの方からは震災後すぐに潜水士として雇われて作業に従事しているという情報を得ていた。また、何度か一緒に潜った方の中には家が流されたという被害も聞いた。
潜水士の仕事は遺体捜索や引揚げもあることだろうと察しがついた。3月まだ寒いなかで過酷な仕事だ。
時が経って海底の清掃になり、浜の清掃になり、今は海洋調査が主な仕事だという。魚介類の分布を調べたり、護岸の状況を調べたりするようだ。
そしてダイビング施設も再開し始め、「一緒に海に潜りませんか? 以前と変わらぬ海が迎えてくれますよ」とお誘いのメールが何回となく入ってきた。この夏そんな誘いに背中を押されるように女川を訪ねたのだ。1泊2日4回のダイビングは楽しい時間となった。あの海への恐怖、複雑な思いを全て打ち消すように安らぎの時間、いやしの時間を私たちに与えてくれた。
自然のとてつもない大きな力で起きた災害は、またその大きな力でゆっくりとゆっくりと元の海へと再生しているのだった。かったと誇れる」のであれば、人生の午後をまっとうして生きた証になるのではないかと思う。
私は人生の午後の節目で今の職を得て、のんびり家のご利用者のみなさん、そのご家族の方、スタッフの皆さんとこうして第二の人生を歩みはじめた。ご利用者のみなさんは、喜寿・傘寿・米寿・卒寿を迎えられる方まで、その人生の午後を生きておられる。
ご利用者のみなさんに「自分の人生が本当に良かった」と言っていただけるような生活の支え、命と尊厳を見守りながら支援できるよう、日々努力していきたいと思う。
私自身の人生の午後を豊かにしてくれるであろうご利用者のみなさんに感謝しつつ・・

08:27 | Posted by admin

【はじめまして】 お寺のよこ 岡田

2013年11月05日 | お寺のよこ

皆さん、こんにちは、今年の8月からお寺のよこに入職した岡田祐也です。
入職をして2ヶ月たちまして、仕事もかなり慣れてきました。ですが、まだまだ新人という身なので、これからも色々と覚えなければいけない事もあるので不安は少々ありますが、そこは仕事を通じて、お寺のよこの職員や入居者様と和気あいあいと仲良くして乗り越えられたらいいなと考えています。
短いあいさつではありましたが、お寺のよこの職員として、皆さんの期待に応えられるように頑張りたいので、是非ともよろしくお願い致します。

10:58 | Posted by admin

【きみさんち Who am I?】 志寒

2013年10月23日 | きみさんち

Who am I?・・・「私はだあれ?」という英語のゲームを、遥か昔、中学校の外国人の英語講師に教えてもらいました。簡単なゲームで、ある人がとある「誰か」になったと設定して、その人がその「誰か」の特徴をヒントとして出していき、他の人は質問をしながら、それが「誰か」を当てるというものです。
例えば、『私は泳げます』『あなたは魚ですか?』『いいえ違います』『日本に住んでいますか?』『野生では住んでいません』『淡水、海水、陸地、どこにいますか?』『・・・たいてい海水と陸地ですかね。ただし、凍った淡水の上にも。』『あなたには羽根がありますか?』『あります』『あなたはペンギンですね!』という具合。
そのヒントと質問が英語でなされるため、楽しみながら英語のトレーニングが出来るという遊びでした。また、なるべく早く当てるには、上手く対象を絞れる質問を考える必要があって、推理力が鍛えられ、頭の体操になった覚えがあります。
認知症には見当識障害という症状があります。私たちは時間や場所や人間関係を、客観的な現実に従い認識する能力があります。見当識障害になるとその認識が現実から離れてしまい、夜中なのに昼間だと思っていたり、馴染みのはずの家や道が見知らぬ場所になったり、自分の子どもを自分の親と思っていたり。その状況や程度はとても変動しやすいのですが、それが強く出ている時には、現実からかなり離れた主観的なその人だけの世界に浸っておられることもあります。ですが、あくまでもその人にとっては、その世界が紛れも無い現実。それが強い不安や社会との軋轢など害を及ぼさなければ、最大限尊重されるべきだと思っています。(一方で環境調整やさりげない声かけなどで、客観的な認識を手助けすることもあります)
さて、支援の中で時折、その人だけの世界に“参加”することがあります。
例えばお風呂をお勧めしたいときに、きみさんちは旅館だと思われているときには、即席に旅館の従業員になってお風呂の用意ができたことをお知らせしたり・・・。そうした場合、その方の世界を邪魔せず壊さないように尊重し、その中で情報を集め、自分はその中でどういう存在であるか、いかにさりげなく把握できるかが鍵になります。
ああ、今は旧姓を使っておられるので、多分、女学生に戻られているから、きっと私のことを先生と思っているな?とか、掃除道具を持った私に「あら、遅くまでごくろうさま。もうお休みください」と仰ったので、ここはご実家で、私はそこの従業員と認識されているなとか。
それはまるで、台本も渡されず即興劇に立たされ、私はだれ?と問いかけられているような・・・。そしてそれは、私にとってはとてもとても楽しいひとときなのです。
なにせその方の、大事な舞台に抜擢されたわけですから。
どなたかのエッセイで読んだのですが、その方が美輪明宏さんにお会いするたびに、美輪さんは去り際に突然「愛しているわ」と仰るそうです。そしてその瞬間に、現実から引き離され、美輪さんの豪華絢爛の舞台に突然立たされたような気分になると。
「私はだれ?」と利用者さんに問いかけられるとき、その見当識障害と呼ばれる現象に飛び込んだとき、私はその美輪さんの「愛しているわ」を心の片隅で思い出すのです。
さて、パソコンがお好きな方はご存知かもしれませんが「アキネイター」と検索してみてください。ランプの魔人相手に「Who am I?」とできますよ?

00:56 | Posted by admin

【ダブル90歳と、Yさんと私の価値観の違い】 のんびり家2F 新山

2013年10月10日 | のんびり家::のんびり家 2F

大正12年生まれのYさんとKさん年齢は90歳です。
普段のYさんの性格は、のんびりとした性格。Kさんの性格は、はきはき物事を言う江戸っ子性格。のんびり家2階での何気ない日常の様子をお話ししますね。
Yさんが食事作りをして食器の置いてある場所が分からず困っていると、Kさんが「後ろにあるじゃない。」と一言。
そして、ある日のYさんが「ごふじょう、どこだっけ~」と言うとKさんが「指をさして、そこよ。あんた、しっかりしなさい」と腕組をして、笑みを浮かべて話す姿を見ました。
そのようなYさんとKさんが、のんびり家2階で支えあう姿に感動しました。
同級生で、強い口調で口論する時もありますが、入居者が支えあう瞬間は本当に本当に素晴らしいなと思います。
その後、Yさんに会話の流れで「Yさんは何している時に幸せを感じますか?高級なお料理を食べてる時ですか?高級な買い物をした時ですか?」と私の質問に対してYさん「幸せ?ふふ・・・なに言ってるのよ、あなた。そんなの普通に生活してたら幸せなことじゃない。」とサラリと答えました。
正直、私は胸中で「えっ?そんなことで?」と思ってしまいましたが、よくよく考えてみるとその何気ない言葉の深い意味がじわじわ感じずにはいれませんでした。うまく伝えられるか分かりませんが、どうしても欲しかった物を購入できた喜び、そんなちっぽけな幸せ。一瞬は手に入れた喜びで幸せを感じるけど、また消えてと繰り返してきりがない幸せよりも、普段の生活の中で幸せや喜びを感じる心。すごく素敵でとても大事なことなのではないかなと思います。ここで私は、価値観の違いを知ることができました。
のんびり家2階へ入社して2年3ヶ月が過ぎようとしています。入居者から偉大な事を教えて頂いた気がします。
こんな、ちっぽけな私ではありますが、これからも宜しくお願いします。

08:24 | Posted by admin

【貴重な経験】 のんびり家3F 君塚

2013年10月10日 | のんびり家::のんびり家 3F

今年の夏は例年以上に暑く、また雷雨なども激しかったことから外出する機会が少なくなってしまいましたが、幸いのんびり家では入居者さん、スタッフとも大きな事故はなく無事乗り切ることができました。
季節の変わり目では大雨や竜巻などの恐れがあるため、今後も気を緩めることなく入居者さんの体調管理はもとより天候の変化や自然災害等にも十分注意を払いながら自立支援を行なっていきたいと思います。
さて、今回は入居者さんのお一人であるKさんのことについて書きたいと思います。Kさんは活動的で声が大きく、とてもエネルギッシュな男性です。
天気が良い日にはベランダに出ていることが多く、布団干しや植木の水遣りなどをされています。入居されて間もない頃は仕事のことを心配されたり、以前住んでいた家のことを気にされたりして比較的遠距離の外出が多かったのですが、最近はのんびり家での生活に馴染まれて少しずつ落ち着きを取り戻しながらKさんらしい生き方を見つけられているという印象を受けます。
Kさんは体力もあり日常生活においてもかなり自立されている方なのですが、Kさんに対して私自身が未だに解決できていない課題があります。
Kさんは普段は明るくおちゃらけていることが多いのですが、根は真面目で仕事熱心な方です。そのため夕方になると「今日は一日何しとっただあ?」とか「なんでこんな所(のんびり家)にいるだあ?」とよく自問をされていることがあります。また夜間に多いのですが、自分が次に行動しようとした内容を忘れて「おかしいなあ、わけ分かんなくなっちゃったよ。」などと言いながら苦悶されているのです。
このような姿を目にするたびに何とかしてあげたいとは思うのですが、今のところスタッフが話し掛けて一時的に気をそらしてあげるような支援しかできていないのが現状です。
Kさんのように認知症の症状がそれほど進行していない状態の方は自分の考えを覚えている時と忘れている時が交互に来るような感覚だと思うのですが、自分の中で何かがおかしいと感じながらそれが何だか分からない状態というのはとても苦しくつらいものだと思います。
このような状況を目の当たりにしながら自分の納得がいく支援の方法が見つからず、私はそれまでには感じることがなかった自分の無力さや支援の限界のような「壁」を経験することになりました。
私自身がまだ解決できていない課題とはこの「壁」を乗り越えることですが、このような貴重な課題を与えてくれたKさんに感謝し、少しでも解決の糸口が見つけられるよう意識しながら業務に取り組んでいきたいと思います。

08:16 | Posted by admin

【Sさんとのお別れ】 お寺のよこ 後藤

2013年10月05日 | お寺のよこ

8月末に私が担当していたSさんがお亡くなりになりました。いつも元気に歌っていて、表情豊かでおしゃべりが好きな女性でした。
いつも勤務に入ると、笑顔で迎えてくれたSさん。よく職員や他の入居者さんのことを気に掛けてくださり「大丈夫?」「くたびれてない?」等声を掛けてくださる優しい方でした。
「Sさん、くたびれましたー」と言うと、ソファの隣の席を空けてくれ、よく一緒に並んでおしゃべりをしました。入居者さんを支える仕事をしていますが、私はSさんの笑顔と優しさにいつも支えられ癒されていました。
最後にお会いしたときは私が夜勤の日でした。夜勤明けの日、Sさんに「また明々後日ね」と握手をしたとき、にっこりと笑ったSさん。その二日後にお亡くなりになりました。
もう会えないんだなあと思うと、心に穴があいたような寂しい気持ちです。もう少し元気になったら、また一緒に散歩したいなあ、なんて思っていたのですが、それも出来なくなってしまいました。
この仕事をしていく以上、別れは避けられないことだと身にしみて感じています。仕事をしていく上で、「今日がこの入居者さんと最後かもしれない」と後悔しないように、入居者さんを支えていきたいと思いました。

10:58 | Posted by admin